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epilogue4 ハッピー⭐︎ウェディング前 狂騒曲 いち

「そんなエチエチな伝統を続けてきたなんて……うちの王族、最低ですっ!!!」


エイミは絶叫した。


婚礼式典を1週間後にひかえた、ある秋の昼下がり。

式典で捧げる歌を練習していた聖女が、大聖堂から飛び出した。丈の長いクリーム色のケープが、彼女の足元で丸く広がる。


「せ、聖女さま?!」


「なんでそうなるんですか?!」


「お待ちください!」


引き止める聖歌隊員たちの声も聞かず、金色の光が降り注ぐ石畳を、一目散に走るエイミ。

地面スレスレのロングケープにハイヒールなのに、全力疾走にブレなし。

相変わらず、顔と歌と運動神経だけは超一流である。


「……行ってしまわれましたね」


修道女たちが、ため息をついた。

聖女エイミの脱走は、わりといつも通りだし。

本番に歌えさえすれば、なんら問題ない歌唱力ではあるけれど。

1年も前から王太子夫妻の婚礼式典のために練習してきた聖歌隊の面々が『なんだかなあ』と、思わなくもない秋の昼下がり。


「夕刻の練習も、きっとエイミさま抜きですね」


「最悪、当日までにお菓子で釣れば宜しいわ」


正直、宜しくはないが。

歌の聖女が、春先に入隊して半年。王宮聖歌隊に所属する修道女たちも、エイミの飼い……扱い方を、熟知してきた。


「イザとなれば、婚約者様が運んできてくださるわよ」


「でも、今回の脱走は、そのシェラサード小公子が原因ですけど」


「なんとか言いくるめて下さるでしょう。大公宰相家伝統の、真綿の弁論術で」


「……ですわね」


楚々とした修道女たちは、楚々としない会話をかわし、静かにうなずきあった。






エイミは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王族を除かなければならぬと決意した。エイミには政治がわからぬ。

エイミは、平民育ちである。美少女過ぎて誘拐騒ぎが絶えず、親がセキュリティをフルブーストにして暮して来た。だから、淫行に対しては、人一倍に敏感であった。


……というわけで、走るエイミは、王太子夫妻の婚礼というか、初夜の慣習にブチ切れていた。


衆目環視(みんなで見守る)の初夜って、何!? と。


3日間の前夜祭と4日間の後夜祭を挟み、王太子の婚礼宣誓式は4日目の夕刻に行われる。

黄昏の大聖堂。千本もの炎が灯される燭台。

神の御前で、国家と伴侶への愛を誓う王太子と王太子妃。それは尊く、厳かで、目にした全ての民が、生涯忘れ得ぬ光景となるだろう。

聖歌隊の一員に選ばれた自分を、エイミはめちゃくちゃ誇っていた。

祝福を授けた大司教が先導して、大聖堂から城下町を歩き、王城に入る。

その後、夫婦は初夜の床に入る。

……までは、わかる。

けど、大司教をはじめ、聖職者たちもゾロゾロ寝室にご入場って、なにごと?! 秘め事なのに、なんで?!


まずは、大司教が寝具の天蓋を開くそうだ。ご高齢で腰が曲がっているので、そこら辺も心配だ。

その後、挨拶やら所作やらなんちゃらを交わしたふたりが中に入ると、天蓋が閉ざされる。寝具を囲むように、衝立が置かれる。

聖職者たちは、祝詞を唱える。歌うような祝詞が続く中、衝立の内側には、四名の『立会人』が立ち入るという。


……なんだ、それ!?


初夜の最中も、ずーっと祝詞。

えんえん祝詞。祝詞の声で褥の音が聞こえないほどの声量とかなんとか。

やがて、純潔の証を吸わせた婚礼衣装を手に、王太子が天幕を開き、大司教に託す。大司教から王族の手に渡る。


拍手喝采。いや、なんで???

こんなことをしないと、王太子妃と認められないの???


エイミは混乱した。


しかも、衝立の内側に入る『『立会人』』のひとりが、エイミの婚約者アーチラインだと聞いたら、黙っていられない。怒れるやら、呆れるやら、納得するやら、ムカつくやら……!


白亜の石段を駆け降りて、庭園をいくつも突っ切り、黄金色の銀杏並木を爆走した。

聖女エイミの奇行は今に始まったわけではないので、通りすがりの貴人や使用人たちは、見て見ぬふりに徹している。自他共に大過なければ、王宮内をフリーダムに動く権利を得ているからだ。この平民育ちの聖女サマは。


とはいえ、王族の居住区であり、王太子夫妻の寝室に殴り込みをかけるのは、いかがなものか。


「たのもー! ですっ!」


当然、入口を護る近衛兵が止めに入った。


「いかに聖女様でも、こちらは入室禁止です」


「大事な大事な大事な用事なんですー!」


エイミにも近衛にも、譲れないものがある。

エイミの女従騎士がおもしろがって止めな……否、新米騎士で経験が浅いため、各方面で衛兵たちが迷惑を被ってきた。

絶対に突破したいエイミ。させない近衛兵たち。

フィジカル的には近衛隊が圧勝のはずが、扉は内側から開かれた。


晩秋の紅葉をおもわせる真紅のデイドレスの令嬢が、自ら扉を開いたから。


「待ってベル。今からでも、変更させるから」


彼女の手を後ろから捕まえるフレデリックは、彼らしくなく慌てた様子だ。


(痴話喧嘩に遭遇!?)


エイミはやり合っていた近衛兵を盾にして、隆々たる筋肉の背後に隠れた。筋肉の要塞、大事!


「それでは、フレッドが笑い者になりますわ。話し合いは無用です。では、ご機嫌よう」


腕を掴んだまま、細い身体を引き寄せるフレデリック。

銀の巻き毛がふわりとなびき、乙女は王子の胸に抱きよせられた。

『ウエスト、細っ! お胸、でっか!!』と、思わず呟くエイミ。納得しても、頷いたら破滅である。盾にされた近衛兵のこめかみを、冷や汗が滴り落ちた。


「言ってるだろ? 君を傷つけるつもりも、我慢を強いるつもりもないって」


「伝統ですもの。従いますわ? だから、離して」


「嫌だ」


見た目は天使のように温厚な王子さまと冷酷そうな美人令嬢だが、中身はオレさま王子サマと空前絶後のお人好しカップルである。フレデリックの笑顔のゴリ押しに、流されっぱなしのマリアベル、ともいう。

相思相愛だけど、どちらかといわなくてもフレデリックの方がベタ惚れだ。社交界では『強欲な令嬢が、王太子殿下の美貌と権力をアクセサリーのように欲し、婚約者の座に執着している」という噂もあったが、卒業式に公衆の面前で愛を告げ、彼女を抱きしめて以降、さっぱり消えた。

今や、『礼儀正しい婚約者』を放棄した王子さまは、大好きすぎる婚約者への情熱を隠さなくなった。

マリアベルもマリアベルで、キラキラすぎる猛攻に、王妃教育で培ったポーカーフェイスが起動しなくなりつつある。恥じらって視線をそらしたり、フレデリックが見ていない隙に見つめ返したりして、実に初々しい。

そんなラブラブなふたりだが……『やっぱ衆人環視の初夜なんて、ありえないですよねー!』とエイミは思う。


マリアベルの肩が、抱きよせる腕を拒否してはねた。


「ひとりにさせてくださいませ! 嫌いになりたくないの……お願い」


いつもたおやかで、微笑を絶やさず、優雅で美しいマリアベルが震えている。

細い肩も、凛とした声も、菫色の瞳も。


フレデリックが切なげに手を離すと、マリアベルは2、3歩ほど後ずさった。それでも令嬢らしくカーテーシーを披露して立ち去ってゆく。傷ついた淑女の後を、優秀な侍女が音もなく従った。


(ステラちゃん、また腕上げたっぽい? 身のこなしが侍女っていうか……ガンバレ)


見知った侍女を目で追いながら、心の中でエールを送るエイミ。

しばらくすると、扉の外に出たフレデリックが、近衛の背後を覗きこんできた。

直立不動の全身鎧の背後で、聖歌隊の白いケープ姿の聖女がぷるぷる震えている。

バッチリ目が合う王子と聖女。

天使の再来と讃えられる美青年は、極上の笑みを浮かべた。


「覗き、楽しい?」


この笑顔、最高に綺麗で怖いやつだ!

エイミの血の気が、サーッとひいた。


「ひぃいいっ!! ああああ、あの、ご…………ごめんなさいい!!!」


「ま、君に不敬は問わないけどさ。今更だし」


出生記録ごと消されそうだった圧が、消えた。

彼も間違いなくエイミに甘い権力者のひとりだが、どうにも扱いが雑だ。

躾に失敗して愛玩犬に成り下がった猟犬か、躾なんか最初から知らぬ存ぜぬノラ猫か。

人権とはなにか。エイミなりにちょっと本気で考えてほしいと思わないこともない。怖いから、言わないけど!


「あのー。フレディさま、何をやらかしたんですか?」


「やらかした、か」


心はマリアベルを追いかけているのだろう。軽く小首をかしげる姿が、そこはかとなく切なげだ。

当てられたエイミは、くらーっとした。エイミ自身も超絶美少女の自覚はあるが、この人の美は色気の次元が違う。


「婚姻にまつわる伝統が問題なのだけどね。忌避感のない私にも、原因があるだろうか」


「やっぱり!」


エイミは、ピコーンとなって顔を上げた。


「だって、大問題ですよ。イヤですもん。めっちゃイヤです! この嫌悪感が、もと平民だけの感覚じゃないってわかって、安心しました!」


「私たちの会話、どこから聞いていた?」


「ベルベル様が、扉開けてからしか聞こえてないですけど。私だって、絶許ですからね?! お話を聞いて、ムカつきすぎて、脱走したら、同じことでおふたり揉めてるじゃないですか!!!」


「え。君は、平気だと思っていた」


「アーチさまが何でもアリだからって、一緒にしないでください! 私の感覚で言わせて貰えば、変態もド変態ですよ。キモチワルイです。権力と伝統には逆らえないから、従わざるを得ないだけですぅー!」


今日のエイミも、すこぶる不敬だ。

一方のフレデリックは、噛み合っていたようで噛み合っていないと気がついて、軽く瞬きをした。


「ちょっと待て。君は今、何の話をしている?」


「鬼畜が伝統の初夜でしょ?! 一部始終をみんなでガン見して、結婚おめでとうだなんて、頭おかしいですよ!」


「そっちか。しかも、すごい誤解」


フレデリックのつぶやきに、エイミはさらにヒートアップした。ズカズカと寝室に入り込み、喚き散らしながら


「誤解なもんですかっ! 大司教のおじいちゃんの先導でここに入って、偉い人たちがズラズラ続くんですよね?! アーチさまも!!! 天蓋は降ろすだの、衝立を立てるっていったって、薄布とペラい板じゃ……あれ?」


広々とした寝室の中央に、えらく頑丈そうな小部屋ができている。

エイミにも見覚えのある模様だ。幼少期より誘拐騒ぎが常だったため、実家の私室は窓をなくして壁をコレにしていた。コレ、すなわちドラゴンの鱗壁。


「寝室の中に寝室ですか?」


つんつんと指でつつくエイミ。うん、本物だ。


「ああ、これは衝立だよ」


床から天井まで、隙間のないガード。衝立の概念が変わる衝立である。ちなみに、ドラゴンの鱗壁は夏は涼しく、冬は暖かい。

フレデリックが、衝立の簡易扉を開いた。中も、剣をふりまわせそうな程度には、広い。そのど真ん中に、真紅の天蓋付きベットが鎮座していた。

よくわからないが、ものすごい存在感だ。

重たげなビロードに、えらく精巧な鳥の羽が一面に縫い付けられている。曲線を描くドレープは、それ自体が発光しているかのようだった。


「ふええ。ベッドでっかいし、天蓋ぶ厚いし! あと、なんか、美術品としての価値も高そう……」


「ああ。オケアノスからの結婚祝いだよ。強化ビロードに鳳凰の羽を織り込んである。聖剣で刺しても穴が開かないヤツ」


「あわわわわ」


オケアノスからの手紙を要約すると『結婚祝いの相談をしたら、鳳凰たちが大量の羽をくれた。地元の業者に加工させただけで元手は安価だが、鳳凰たちの好意だから、受け取って欲しい』とのこと。

ちなみに、『極東にて入手。本物であれば、帝に献上されたし』と、余った羽を帝都に送りつけたところ、歓喜した皇帝から莫大な金子が下賜されたらしい。


「美術品ですらないし! 国宝?! むしろ伝説の秘宝じゃないですか!! そんなおっかない話、もと平民に聞かせないでくださいよー」


びびって涙目のエイミ。

フレデリックは『ありがたいよねー。ドラゴンブレスも防いでくれるって』と、超ニコニコだ。

マリアベルの身を守る品ならば、いつでも何でも大歓迎である。


「ちなみに、防音性はこの通りだ」


フレデリックが天蓋を開くと、法螺貝の大音量が鳴り響いた。教会に所属する「祓いの巫女」こと法螺貝シスターズの皆様だ。寝具の四隅に腰掛け、一心不乱に螺貝を吹いている。


「うきゃあ!」


思わず耳を塞ぐエイミ。

儀式の最中なのか、巫女たちは無心で、チラリともこちらを見ない。フレデリックがふたたび天蓋を閉じると、大音量の「プォワー!」は、全く聞こえなくなった。


ここ、寝室と違う。

防音性、遮光性、耐熱耐冷、どれをとっても最高に堅固な要塞、むしろ結界だ。


「そ、そ、そ、それでも、ベルベルさまが見せ物あつかいなのは、変わらないじゃないですか!」


「王太子夫妻の寝室に入室するのは、大司教とふたりの女枢機卿。女性の法衣戦士たちだ。衝立の内側に入るのは女医と看護師と侍女長と、あとアーチラインだね」


いったん天蓋の中に入った王太子妃は、そのまま3日間の後夜祭を免除されるという。

衝立の内側に就くのは、マリアベルの心身のフォロー人員だ。

エイミが危惧した、『キモいおっさんどもがゲヘヘる展開』はない。全くない。むしろフレデリックが見せ物というか、環境に左右されないスタンド能力を試されているというか。


「でも、じゃあ、何でアーチ様がいるんですか?」


「スペアだから。私が役目を果たせなかった際の。というか、むしろ……」


「うきゃー!!!!! やっぱ、ド変態です! ちょー蛮族!! フレディさまのフレディさまがふにゃったら、トレードなんて! 結婚までの純潔縛り、なんだったんです?!」


「……だよね。そこら辺、私よりもベルとアーチの方が割り切っていて、正直引いてる」


マリアベル曰く『王族って、結婚式も公務ですのね』

↑素直すぎ。いまいちわかってない。


アーチライン曰く『君が最愛を譲るようなヘマ、するか? むしろ、体力差を考えて自重しろよ。あと、有事の際は結か……天蓋から出ないでくれ」

↑いろいろ知りすぎて、可愛げがない。


「うわああああ」


(……アーチ様は、もう衝立の内側でも外側でもいいや。天蓋の内側にさえ入らなければ。……それでも、超イヤだけど)


とまあ、そこはやはりモヤモヤするエイミ。

たしかに、執着心のカタマリみたいなフレデリックが、長年切望してきた婚約者を譲るわけがない。

優しいマリアベルに至っては、エイミを思い遣って二重三重に傷つくだろうし。

だからこそ、やっぱりイヤなのだ。


「他言無用だけど。衝立の内側の人員を配置したのは、母上だよ」


「へ? せーひさまが???」


ミネルヴァ正妃は、フレデリックが純潔の証を提出するべく褥を離れる隙に、マリアベルをケアするよう侍女たちに通達済みだ。

だってこの王族、見た目詐欺の体力オバケ集団だから。

溺愛だって、過ぎれば毒だ。王国史上、どの妃よりも知ってる。身に染みてる。

そんなミネルヴァは、アーチラインには以下の命令を下した。


『初夜に心肺停止など、あってはなりません。貴方の経験と勘を信じます。無体がすぎていると判断したら、天蓋に押し入り、どつき倒しなさい』と。


アーチラインが交代要員だなんて、誰も思ってナイ。

むしろ、フレデリックの暴走を案じて配置された、優秀なるストッパーだった。フレデリックにしてみれば、大きなお世話でしかないが。


脱力して、へなへな座り込むエイミ。

天蓋ごしとはいえ、大音量の祝詞を唱えたって、なんとなく雰囲気はわかるだろう。それを『皆さんで観覧する会』だと思い込んだので、全然違って気が抜けてしまったのだ。


ああ、鳳凰の羽を織り込んだ結界……じゃない、天蓋がまぶしい……。


「あれ? じゃあベルベル様は、何がそんなにお嫌だったんですか?」


そっと目を逸らし、口元を隠すフレデリック。

視線の先は、窓の外。高く青い秋の空。真紅の鱗が美しいワイバーン王が、悠々と旋回している。やはり、通常のワイバーンより3倍ほどでかい。

エイミはのろのろと起き上がり、窓辺に立って空を見上げた。


「いいお天気ですねー。あれ、フレディ様のワイバーンですよね? パイナプルくんでしたっけ?」


「アズナブル、な?」


手を日差しにして、目を細めるエイミ。

ゆるやかに波打つピンクブロンドが、降り注ぐ陽光にキラキラ輝く。

こうしてさえいれば、庇護欲マシマシ、誰もが息を呑む絶世の美少女なのに……いろいろ残念な娘だ。


「辺境のワイバーンライダーたちは、結婚式の朝と夕方に、空中遊泳してお披露目するんだ。仲間に自慢されたらしく、アズナブルも結婚式に参加したいって」


「ああ。私なら平気だと思ったって、そういう」


「それを、陛下が通訳しやがったんだよ。議会の休憩時間に。お陰で、前夜祭のパレードの直後にやろうって満場一致で決まっちゃって」


「急すぎません? まさかベルベル様もご一緒しろとかいう???」


「さすがにそれはないよ。ベルには屋上のテラスで待機って方向で、勝手に話がまとまったんだ。でも、ああ見えて高いところが得意でないから……」


たしかに、尖塔のてっぺんで高笑いしていても、違和感のない容姿ではあるけれど。

喧嘩の原因、それ? と、目をパチパチさせるエイミ。

みんなの前でお籠り初夜より、屋上でフレデリックの空中散歩を見守る方が全然ハードルが低いと思うのは、エイミだけだろうか。


「えー…………じゃあ、フレディ様が空飛んでる間、私が屋上で歌いましょーか?」


「?」


「よーするに、偉い人たちってば、できるだけド派手な演出させたいだけですよね? なら、私が屋上で歌う方が賑やかかなーって。国家なら平民の皆さんも一緒に歌えますし」


エイミは、礼儀正しい距離を保って隣に並んだフレデリックを、にっこり見上げた。


「ベルベルさまには地上広場にいらしてもらって、フレディさまがかっこよく着地すればいーんですよ。ついでに抱き上げてキスしちゃえば? めっちゃ盛り上がりますよーん」


それはそれで、照れ症のマリアベルが、こっそりワタワタ困りそうだが。

恐怖心をこらえた無表情や作り笑顔よりは良い。ずっと良い。むしろ良い。


「検討してみるよ。ありがとう、エイミ」


女心を鷲掴みする、フレデリックの微笑みが炸裂した。エイミは驚いた猫みたいに飛びすさり、サーっと距離を開けた。


「?」


「なななななな、なんで呼び捨て?! い、今さら愛人になんてなりませんからねっ?!」


動揺して真っ青になるエイミ。赤じゃなくて、青。

フレデリックは「するわけないだろ」と吐き捨てた。


「まあ、今さらは今さらだが。伯父上の養女になった君は、私の従姉妹にもなったわけだ。身内だからね」


本音は、重ねてきた忠義への褒章だ。

いや、友人としての親しみか。

もちろん、フレデリックの真意など、エイミは知る由もない。


「あわわわわ。そ、そういわれてみれば、そうでしたね! じ、じゃあ、お兄さまって呼びます!」


「却下」


「えー! アリスちゃんは『お義兄さま』って呼んでるじゃないですか!」


アリスレインはアーチラインの妹で、第二王子レドリックの婚約者である。


「あれはあれで、気が早いよな……」


わちゃわちゃとどうでも良いことを話しながら、フレデリックは窓の外を仰いだ。


かつてマリアベルは『ヒロインのエイミは、全ての攻略対象を魅了するんです。可愛いんです。ファンも魅了されましたけど』と言った。


フレデリックは「そんなわけがあるか」と思っていた。


エイミと出会って1年半。ある意味、マリアベルの言う通りになった。

確かに可愛い。庇護対象としての優先度も高い。

なにせ、フレデリックにとって、エイミは縁結びの女神だから。

エイミにけしかけられなかったら、フレデリックはマリアベルに本音を言わなかった。少なくとも、執着心や嫉妬心は、表に出さなかったはずだ。一生。

心の繋がりを重要視するマリアベルを射止めたかったら、格好つけてばかりではダメだ。本音でつきあってこそ、信頼をくれる人なのだから。

それを教えてくれたエイミを、慈しまない選択肢はない。

この感情を『魅了されている』と表現するなら、間違いなくされているのだろう。むしろ、されまくっている。


「これ、内緒だけど。アーチは多分、衝立の中には入らないよ」


「え。でも、ベルベルさまがヤリ殺されちゃうのは……」


「なんで、みんなして父上と同一視するかな」


国王陛下については、誰ひとり否定しないって。宮中皆不敬である。事実だから、仕方ないけど。


「スゥがステラに、壁越しでも主君の心肺状態を把握する気法を伝授するって言ってたよ? 多分、アーチとスゥがこっそり入れ替わると思う」


「……あの人、いちお捕虜なのに。なんか、めっちゃステラちゃんをしごいてません?」


「私の暗部たちも毎日しごかれて、ボロボロだよ。スゥ曰く、我が王室の暗部は、レベルが低すぎるんだって」


「そーゆーおっかない人たちから、忠誠心向けられてるフレディお兄さまが、いちばん怖いんですけど?」


「兄ではないし」


「だってー。お兄さま呼ばわりしたら、フレディさまのことをなんとも思ってない感、出ません? 聖女って、国王様以外は重婚フリーダムじゃないですか。社交界的に、私がクリスさんとも結婚して、フレディさまを愛人にするんだってキモい噂が、ひっそり蔓延してるんですー!!!」


エイミもエイミで、お気楽な平民から聖女に繰り上がりすぎて苦労していた。


「養女になる前は、先生も噂の養分でしたよ? ありえないったら」


「そのメンバーで君を囲うとしたら、追試対策かな」


「勘弁してつかぁさい……逆ハーレムと同じくらい無理です……」


「それが現実だ。捨ておけよ」


「でも! でも! フレディさまを狙ってる説が、1番根強いんですよ! ちょっとフレディさまとお話しただけで、アーチさまやベルベルさまに『エイミ様の御心は、尊き御方にあるのでは?』ってチクる令嬢いるしー! 今は信じていただいてますけど、チョーしつこいし! いつか誤解されたらやだー!!!」



マリアベルの言い方をなぞるなら、これが『アーチラインルート爆走中』というのだろう。

フレデリックだって彼女の初恋が自分だった自覚くらいある。が、さすがにその残骸を引きずっているとは、思わない。微塵も。

アーチラインを魅了したエイミが、魅了の100倍返しをくらった感しかない。

そもそも、百戦錬磨の夜の蝶が、その手の噂に惑わされるわけがないのだ。むしろ、惑わす側である。

ノロケから褥事のあれこれまで聞かされてテンパるマリアベルに至っては、エイミの恋心に一片の疑念も抱かないだろう。


「アーチは人心の機敏に聡いからこそ、根も葉もない噂には惑わされないよ。平民育ちのきみの嫌悪感だって、想定している筈だし」


「……でしょうけど。もし万が一が起きても、婚約撤回とかしませんし。手離してなんてあげませんっ!」


「それでも、彼がこの寝室に入るって時点で、もう嫌なんだろう? 見えなくても聞こえなくても」


「う」


フレデリックはカフスの内側から、磨りガラスみたいな色の紙にくるんだキャンディを出した。受け取って即食べるエイミ。


「そこ、王族の小物入れなんですか? 先せ……お養父様も、タバコとか入れてるし」


「その叔父上が、アーチの王太子教育、いや、スペア教育の先生が、初夜の『立会人』を放棄して脱走したんだ」


「ええええーーー?! あー、でも……先生なら、やりそう。マムが私みたいにキモがったら、脱走する絵面しか浮かばないです」


「当時、『立会人』は叔父上ひとりだったんだ。事前に天井に細工して、サクッと逃げたらしいよ」


びっくりしながらも、秒で納得するエイミ。

あの人、王族なのに、ほんとに全然王族の仕事してない。

海軍元帥と教師の仕事はしてるっぽいけど、議会の日に平気で学園にいるし。咥えタバコで歩くし、昼間からお酒飲むし、酒気帯び授業が日常の不良教師だし!!!


『今の王様が王様になってくれて、本当によかった!』と、心から安堵するエイミだった。





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