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epilogue3 王子と公女の初恋奇譚



王太子フレデリックの温室には、一年中紫色のバラが咲いている。


紫の瞳の婚約者にこの場所を明かしたのは、両思いになってからだ。去年は王都を離れていたから、夏に咲くバラは、今年が初お目見えだ。

窓を開け放した温室に案内され、マリアベルは「綺麗ですわ」と微笑んだ。

大輪の紫バラに囲まれたマリアベルは、王太子妃の品格に相応しい佇まいだ。

フレデリックは満足げに頷くと、大ぶりの一輪を銀の巻き毛に飾った。


「学園を卒業したら、ここで告白するつもりだったんだ。デビュタント前には着手しないと、こうは馴染まないだろ? ずっと好きだったって言葉に、説得力を持たせたくて」


照れくさそうに笑うフレデリックは、マリアベルの心を射抜きまくりだ。


「あの、えっと……」


「あの頃は、気持ちを打ち明けるだけで満足するつもりだったのにな。今は、それだけじゃ足りない」


そのまま腕の中に閉じ込められたマリアベルは、か細い腕で愛する人を抱きしめた。


「私も……です」


お茶会の時間まではとれず、夕方からはそれぞれの執務に入るから、束の間の逢瀬を堪能する……はずだった。


イレギュラーがなければ。


イレギュラーは、全力疾走でやってきた。

エイミでもないのに、エイミ感が漂う車椅子ドリフト走行で。

8歳男子ならば、真似したくもなるだろうけど。


「兄上さまーーーー!!!」


見た目は天使。おなかは真っ黒。エリシア側妃ゆずりの常緑樹の瞳に、サーガフォルス王ゆずりの金髪のレドリック王子がお出ました。


「どうしたんだい? そんなに慌てて」


婚約者のこめかみにキスをしてから、弟に向きなおるフレデリック。レドリック王子は慣れた手つきで車椅子を急停止させると、ひっくりかえらないように重心を背中によせた。


「車椅子の停めかた、間違ってますわ」


おもわず呟くマリアベル。


「兄上さま、義姉上さま、お邪魔してごめんなさい。火急のお願いがあって、参りました」


目は血走っているし、掻きむしったらしく髪はボサボサだ。年齢に合わない冷静さがチャームポイントな第二王子は、いずこ?


「おちついて、ゆっくり話してごらん」


「お願いです。今すぐ僕を、幽閉してください! 監獄でも、離宮でも、なんなら絶海の離島でも!!」


きらきらした常緑樹の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。

そっとハンカチを差し出すマリアベルに、自分のを出して辞退するレドリック。泣いていても気遣いができる、小さな紳士である。


末っ子気質で策略が得意だが、まあ悪いことはしない子だ。

悪いことをした相手へのツッコミが、えげつないだけで。


「君がそれだけ取り乱すとは、相当だね。私の暗部は引きなさい。レドリックの暗部はそのままで。さて、何をやらかしたんだい?」


「いえ、兄上の暗部さんたちも、聞いてください! むしろ、殺してください!!」


「?」


「ぼく、ぼく、こ、こ、ここここ、恋をしました!」


レドリックは8歳。もうすぐ9歳になる。

フレデリックの初恋も8歳だったから、おかしな話ではない。相手の身分によっては、結ばれない恋になるだろうけれど……。


「いずこの令嬢か、聞いても良いか?」


自立歩行が不可能なだけでなく、生殖能力が絶望視されているレドリックに、婚約者はいない。

本人も、必要ないと思っていた。

でも、出会ってしまったのだ。

運命ともいえる。心ときめく少女に。


「………シェラサード家のアリスレイン嬢です」


「アーチの妹か」


アリスレイン・シェラサードも8歳。

大公宰相家の末っ子長女で、黄金の髪と琥珀の瞳を持つ美少女だ。

顔立ちは、祖父のレイアリスに似ている。そっくすぎたゆえに、アリスレインと名付けられたほどに。

大公宰相家は、後継のアーチラインはもちろん、学園に入学したばかりの次男リードラインもすこぶる優秀だ。

「アリスは自由に生きればよろし」と、家族全員から人生まるごと日和られてきた令嬢である。

第二王子にふさわしい身分かつ、貴族として血をつなげる義務もない立場から、良縁といえば良縁といえなくもない。が、フレデリックは「あー……」と、天を仰いだ。


「歩けないとか、子どもが望めないとか以前の問題ですぅ!!! 僕ってば、『大公宰相家の厄災』の実弟ですよ?! 婚約を申し込める立場じゃ、ないじゃないですかーーー!」


喪服の美少年は、激しく慟哭した。





大公宰相家嫡男アーチラインは、16歳で夭折したレティシア王女殿下を、それはそれは忌避している。蛞蝓(なめくじ)蜚蠊(ゴキブリ)と同格の存在として。

ロードライン・シェラサード宰相と王姉アストレア・シェラサード夫人の嫌悪感も、蛇蝎レベルにランクインしている。

それが、レドリックの実姉レティシア。永久戦犯である。

彼女の罪業は全て、アーチライン・シェラサードへの慕情が起点になっている。ようは「私とアーチライン様が結ばれるために、サンドライト滅ぼしましょ」を、素でやらかしたのだ。


レドリック自身も、幼少期に毒を盛られて歩行が不可能になった。理由は、『レドリックが王太子教育を満了したら、アーチライン様の王位継承順位が下がってしまうから』

なお、悪意は全くなかった。レドリックを弟としては愛していたという情緒も、大公宰相家の皆様をドン引きさせた。


他にも、アーチラインの初恋は毒殺されたし、元婚約者は教会の汚職隠蔽を利用して平民に落とされている。証拠は残っていないが。


処刑は当然だし、好きな人に嫌われる方向にしか策略をめぐらせられない、バカな人だった思う。

その訃報を聞いて、1日だけ泣いた。

3日だけ、処したファルカノスを憎んだ。

愛したくても愛せなかった叔父や異母兄と、逆だ。無関心になりたいのに、ふいに悲しみがわいてくる。

毎日、自発的に喪服に袖を通している。

こんな自分だから、シェラサード家門からは距離を置くのが正解だと思っていたのだ。


アリスレイン・シェラサードに出会うまでは。




アリスレイン・シェラサードは開戦直後、兄のリードラインと共に東国に亡命していた。

開戦間際に帰国したレドリックとは、ちょうど入れ違いに。

戦後、リードラインは学園入学のために帰国したが、学舎(まなびや)幼年舎を気に入ったアリスレインは、東国に残っていた。

現在は、王太子の婚礼式典に参加するため、カグヤ側妃の子らと、一緒に帰国している。



カグヤ側妃の子どもたちは、サンドライト国籍を持たず、東国皇室に籍をおいている。

将来は、長男のニニギ皇子が東国の皇王になるだろう。実にやんごとなき異母兄弟である。

彼らの歓迎会を兼ねて、異母兄弟やいとこたち、同世代の貴族の子女が集まるお茶会が開かれた。

レドリックは、喪中を理由に欠席した。

するつもりだった。

なのに、後宮の空中庭園に、大河を登ってきたシーサーペントたちが乱入してきやがった。

狙いは、レドリックが贈った北海大海老菓子。

窓から茶会のテントを眺めていたレドリックは、自らの暗部にファルカノスを呼んでくるよう命じ、全速力で庭園に向かった。

平均年齢10歳じゃなくても、庭を荒らしながら突撃してくるシーサーペントなんか、茶会にいらん。

現場では、ジュリエット側妃の子で臣籍降下したトリスタン小公子(10歳 ワイバーンライダー)が、辺境槍をぶんまわし、騎士たちと連携してシーサーペントたちを威嚇していた。


車椅子で爆走したレドリックは、騎士たちに赤唐辛子の粉末を投げ渡して叫んだ。


「トリスタン兄さま、首と胴の繋ぎ目を狙ってください! 痺れて動けなくなります! 赤唐辛子は、口に投げ入れて!。やっぱ、辛すぎて動けなくなります!」と。


『げ。こいつ、小さいファルカノス先生だ!』『やべえ、チクられる!』とビビるシーサーペントたちを尻目に、レドリックは叔父譲りの指揮官ぶりを発揮していた。


その時アリスレインは、自分より小さな子どもたちをテーブルの下で抱きしめて、ブルブル震えていた。


「もう大丈夫です。こちらから避難しましょう」と声をかけたレドリックは、テーブルクロスをめくった瞬間、恋に落ちたのだった……。





「一瞬でした。目があったその瞬間に、きゅんとして、呼吸が荒くなって、顔が熱くなって……」


頬を染める8歳児、しかも天使のような美少年ときた。微笑ましい一択である。マリアベルはワクワクしたが、続く言葉が天使じゃなかった。


「頭の中が、18歳未満が使ってはいけない用語でいっぱいになりました」


「はい?」


「王族の男なんて、みんな毛並みが抜群で権力と財力と知力に特化したケダモノなんです!」


「えええ!」


今さら驚くマリアベル。背後に控えるステラが「婚活市場の優良物件ですね」と無表情でつぶやいた。


「兄上さまはいーんですよ。国家の宝ですから! でも、僕ですよ? 二足歩行できないピーもピーも絶望的な上、兄の仇の実弟! そのくせアリスちゃんのピーをピーしたくて、ピーらせてピーさせたいなんて! もード屑じゃないですか」


「あ、あのレドリック王子、おちついてくださいまし?」


褥教育の範囲外の隠語を知らないマリアベルが、わけもわからずレドリックを嗜める。

わからなくないフレデリックは、いたたまれなさげに目を逸らしている。


「さらにいえば、アリスちゃんと同じ学舎に通っているニニギ兄上とワダツミくんに、殺意を覚えてしまいました。ダメダメです。将来有望な皇子たちが河岸に浮かぶ前に、僕を殺してください!」


「ふたりとも、婚約者がいるだろう? ニニギには、オオヤマツミ左大臣の未子サクヤ姫。ワダツミにはリュウグウ国務大臣の長女オト姫。茶会にも来てたよね?」


サンドライト王籍の弟王子はレドリックが唯一だが、カグヤ側妃の息子ニニギとワダツミも、フレデリックの可愛い舎弟……もとい異母弟である。


「わかってます。両国の発展のためにも、末永く交流を持つべき兄上と弟です。でも、殺意の詳細まで、20禁の残酷用語なんです。頭おかしいんです。殺してください」


「却下」


ちょっとかなり性癖がヤバいが、レドリックも大切な舎て……異母弟だ。

女性のピーをピーしたい趣向は理解できなくても、執着(きもち)はわからなくない。


「デビュタント前で喪中とはいえ、君には参加義務のある式典がいくつもある。来賓を護衛に使うのも気がひけるが、もと正妃親衛隊で武闘派だったゴリラをつけよう。多少暴走しても、彼なら止められる。結婚式が終わるまで、耐えなさい。君もこの国の王子なんだから。」


「口八丁で言いくるめて、その方に罪をおしつけるかもしれませんよ?」


「アリスレインごと、王都を滅ぼしたいかい? 妊娠中のパトレシアの名代で訪れているユーコウ・レガシィ辺境伯夫君。別名『翼竜たらしのワイバーンライダー』だよ?」


「紅蓮の騎士様を、ゴリラって」


思わず目がすわるマリアベル。

冬に出産したばかりで、もうふたりめを妊娠しているパトレシアについては、ツッコミ不要だ。


「一緒に死ねるなら、むしろ本望……」


ダメな方向に目を輝かせるレドリックを、フレデリックが自らユーコウに引き渡したのは、言うまでもない。


イケメンゴリラもといユーコウは、「王族の威圧から、良民を保護するんですよね? 懐かしいなあ。お任せください!」と、いい笑顔でストッパーを引き受けてくれた。


もと正妃親衛隊の仕事内容って、いったい。


「ゴリラっていうか、グリズリー……」と呟いたレドリックに、「光栄です! 殿下!」と、誇らしげに胸を張るユーコウ。

「その例え、めっさカッコいいっす」と、のたまう辺境騎士たち。「旦那様の上腕筋も負けてませんわ」「うちの旦那様も背筋で、夫君様を凌ぎますわ」と、うっとり見つめるその妻たち。

辺境地方の筋肉信仰は、後々の王都でそれなりに信者を増やしたのであった……。





一方、シェラサード邸では、末っ子長女のアリスレインが、次兄や侍女たちのとりなしも聞かず、泣きながら帰り支度をしていた。

夕餉は無理でも、就寝時間までにはと仕事を切り上げてきたアーチラインは、「兄上、アリスがご乱心」と、リードラインに対応を丸投げされた。

とりあえずアーチラインは、常温のミルク入りほうじ茶を用意させ、侍女を下がらせた。


「いったい、何があったんだい?」


「アーチお兄様」


満ち足りた月のような琥珀の瞳から、はらはらと涙がこぼれ落ちる。


「アリスは、東国に帰化します。止めないでくださいませっ!」


「それが本望なら、どうして泣くんだい?」


妹の肩を抱いて、ソファに座らせ、涙をハンカチで拭うアーチライン。

アリスレインはしばしグスングスンとしていたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。


「アーチお兄様。わたし……」


「うん」


「びっくりするくらい、お兄様の妹でした……!」


悲壮感たっぷりに告げると、この世の終わりみたいに平伏した。


「えーと。僕と似てるの、そんなに嫌?」


妹を溺愛している兄ちゃんとしては、かなりショックだ。

母親似のアーチラインと、母方の祖父似のアリスレインは、割と雰囲気がかぶる。性格は、アーチラインは面倒を見るタイプ、アリスレインは見てもらうタイプ。典型的な長男と末っ子長女である。

ちなみにリードラインは、容貌が父親似、超マイペースな性格が母親似である。


「アーチお兄様というか、シェラサードの血だと思います。お兄様よりヤバいかもしれません。わたし、わたし……」


この時点で、残業を断らなければよかったかも? と思ったアーチライン。正解である。


「…………筆舌に尽くしがたいドMビッチだと、気がついてしまったのです」


「筆舌に尽くしがたい、ドMビッチ……」


二次成長期もまだな8歳児が口にすると、違和感しかない。とんだパワーワードだ。

夜の蝶の二つ名で不埒な恋を無双してきたアーチラインでさえ、8歳当時はボール遊びや秘密基地に夢中だった。女の子の方が早熟とか、そういう話ーーーなわけがない。


「物心ついた頃には、自分がビッチだって知ってました。そっち方面が人様より得意なのかなーって程度でしたけど。獣医さんになりたいって言っておけば、ワンちゃんやニャンちゃんの結婚をガン見いたしても、違和感持たれないかなーとか」


「……」


お兄ちゃんとしては、知りたくなかった情報である。

しかも、てんこ盛り。


「先日、レドリック殿下に出会った瞬間、子宮に強いときめきが」


「まずは、ときめいた臓器を偽ろうか?」


もはや、ツッコミが正しいのかさえ混乱してきたアーチライン。


「天使のようなご尊顔に、清らかな笑顔。漆黒の喪服。車椅子の佇まいも含めレドリック殿下は、耽溺なる美の完成形です。私は、浅ましくも願ってしまったのです。筆舌に尽くしがたいエッチな命令をされたいと。心身共に私に溺れさせ、理想のご主人様になっていただきたいと」


「……」


残念ながら、「ドMビッチ」の自己申告に偽りがない。

とはいえ、アリスレインも大貴族のはしくれ。自らの欲望がトチ狂っている自覚はある。


「こんな私がサンドライトにいたら、レドリック殿下を穢してしまいます。どうか、どうか、今すぐ東国に帰化させてください」


とりあえず、アーチラインは相手が10歳に満たない幼子だと思わないことにした。

日和るのは、この血筋の十八番である。


「逆に言えば、レドリック殿下を陥す自信があるってことだよね?」


日和りすぎて、大概な兄になってしまった。

が、妹も妹で大概なので、大きく頷いている。


「はい。アーチ兄様同様、15になる頃には大概の異性を陥せるはずです。主に性的に」


「…………」


「実際にはやりませんよ? 女性がやったら醜聞ですし」


男でも、まあまあ醜聞である。

エイミに怒られたばかりなので、アーチラインとしてはめちゃくちゃ耳が痛い。


「でも、レドリック殿下だけはダメです。だって、だって、お兄様もお父様もお母様も、絶対に嫌でしょう? エリシア側妃の血筋は」


「へ?」


アーチラインは目を丸くした。

レティシア王女がらみの確執は、極力隠してきた。隠したというか、自宅で名前を出した記憶がないというか。

断固、幼い弟や妹の耳に入れたい話題ではなかったし。

アーチラインも父も母も、対外的には嫌悪感を表に出さないプロである。が、プライベートで3人揃ってさりげに話題を避けてきたから、リードラインやアリスレインに悟られるのも時間の問題だったかもしれない。


とはいえ、アーチラインがムリなのは、レティシアだけだ。エリシア側妃に特に思うところはないし、レドリックはむしろ好ましく思っている。 

身体障害を苦にせず、儚げな見目をフル活用して暗躍しまくるメンタルが、頼もしいなあと。


「アリスは、どうしてエリシア側妃の血筋を反対されると思ったの?」


「えっと……」


アリスレインは、思考を巡らせた。

アリスレインの最も古いアーチラインの記憶は、『離れの病室から出られない、病弱なお兄様』である。


今や文武両道で護衛より強い長兄が、病を得た理由は?

なぜ、リードラインとアリスレインは、物心ついた頃には媚薬や自白剤、幻覚剤に特化した服毒訓練が課せられてきた? 


真実に辿り着いているわけではないが、なんとなく「エリシア側妃の周辺には近づかないでおこ」と思ってきた。

決して、とんちんかんな忖度ではないと思う。

うまく説明ができないのだけど……。


「心配無用ですよ。アリスちゃん」


その時、使わなくなったオモチャをしまったクローゼットの、扉が内側から開いた。

燭台のあかりに、キラリと光る頭部。

慈愛に満ちた、笑顔の紳士。


「父上?!」


「お父様?!」


とっ散らかったクローゼットの中から、サンドライト王国12代宰相ロードライン・シェラサードが、現れた。


「いつからいたんですか?!」


「ここ、王宮からの隠し通路と繋がってるから。時々使ってるんだよ」


うっかり扉をしめて、このオジサンをしまいたくなったアーチライン。アリスレインは目をキラキラ輝かせた。


「えー?! 知りませんでした!」


「リードくんが小さい頃はそうでもなかったけど、アリスちゃんが生まれたくらいから、朝早くて帰りが遅くなって。せめて、我が子の寝顔だけでも見たいなあって言ったら、アストレアが掘ってくれたんだ」


「あわわわわ」


「さすが母上。物理でも父上を甘やかしすぎて怖い」


本人たちにも理由がわからないらしいが、サンドライト王家は、シェラサード家門を溺愛する傾向がある。

王姉アストレアは旦那様至上主義で、年々はかなくなる頭髪すら見惚れる対象である。禿げ専じゃないのに。

サーガフォルス王も王弟ファルカノスも、自分の子よりシェラサード3兄妹を甘やかす傾向がある。

幼少期、アーチラインは若干気まずく思っていたが、フレデリックもフレデリックで、それで当然って態度だったから、解せない。


「うん。うちは、王族と縁づく確率が高いから、血が濃くなりがちなんだよね。だから、きみたちは伯爵以下の家門と婚姻を結ぼうという話になっていたんだけど。レドリック殿下とアリスちゃんの場合、両思いならいいんじゃないかって。陛下が」


「えーーーーー?!」


「レドリック殿下も、アリスちゃんに一目惚れしたみたいだよ? フレデリック殿下が陛下にされた報告の、又聞きだけど」


ロードラインから2種類の手紙を渡され、アーチラインはげんなりした。

一通は国王陛下から宰相閣下に「うちの息子、君の娘に恋したみたいよ? 障害があるし子も望めないから王命にはしないけど、王爵夫人になってくれたら嬉しいなあ」ってマイルドバージョン。

フレデリックからアーチラインには「アリスレインにその気がないなら、速攻で亡命させて? 防波堤になるから」のひとことを添えた、ピーが仕事してない性癖報告。


アリスレインも大概だが、レドリックも酷かった。

このカップルは密閉して、外に出さない方が良い気がしてきた。サンドライト社交界の、風紀の為にも。

基本何でもありのプレイボーイだったアーチラインを、ドン引きさせる8歳児たちって、いったい。


アリスレインは自分のほっぺたを引っ張ったあと、父のほっぺたを引っ張って、夢か現実か確認しまくっている。

やられっぱなしな日和見宰相は、娘にまで日和ってニコニコだ。


「まー、婚約者候補くらいにして、アリスちゃんが大人になってから、確定しないか?」


「いえ! 最速で婚約します!」


食い気味にかぶせるアリスレイン。


「だって、あんな美人ですよ? 王子サマですよ? 『貴族に嫁げなかったら、平民になっちゃう勢』に、とられてなるものですか! 人工授精もDINKSもバッチこいです!」


ここに、ハイクラスの肉食令嬢が爆誕した。


「アリスちゃんは頼もしいねえ」


「だって、運命の神様の後頭部は、お父さまみたいにツルツルなんです。前髪を掴んだら、離しちゃダメなんです」


神様にしたら、ただでさえ少ない毛髪を鷲掴みされて脅迫(おねがい)されたら、叶えざるを得ないだけかもしれないんだが。


「愛だねえ」


「はい! 愛です! 愛は激しく狂おしいものと、お母さまから教わりました!」


手に手をとってルンタッタと踊る父娘に、胡乱げなまなざしを送るアーチライン。

この妹が王族相手に不祥事(ハレンチ)をやらかしたら、責任をとるのは恐らく自分である。

これ以上は、日和ってはならない。アーチラインは、妹の肩を掴んでこちらに視線を向けさせた。


「アリス。レドリック王子と婚約するなら、結婚式典後、すみやかに東国に戻ること。学園卒業資格は、東国の学舎で取得しなさい。いいね」


「えー????」


帰国する気満々になっていたアリスレインの、口がアヒルみたいに尖る。


「君たちを野放しにしたら、学園の風紀が乱れる」


「アーチお兄様が、それ言います?!」


「僕は、学園の敷地内では品行方正だったからね?」


「私だって、清らかな淑女の仮面くらい被れます! ああ、でも、着衣乱れし制服の、めくるめく学園ライフ………素敵」


単語の選び方だけは上品なアリスレインが、見た目だけ清らかに頬を染める。


「君は、貴族学園立ち入り禁止で。学舎にも、連れ込んじゃダメだからね? 国際問題になる」


「アーチ。あまり厳しくしすぎると、恋が暴走しちゃうよ?」


日和見の王様からの援護射撃を、アーチラインは正面から受けて殲滅した。


「驚異的なド変……早熟とはいえ、君達はまだ8歳だ。好奇心に身を任せたら、体を壊しかねない。心身が成長するまで、物理的に離れなさい。10年後の君たちが、幸せな結婚生活を送る為に、ね。愛欲だけが目的なら、有能なる未来の王弟に嫁ぐ資格はないよ」


「アーチは、リスクヘッジに長けてるねえ。良きかな。良きかな。これで僕も安心して引退……」


「させませんよ?!」


「私たちを案じてる風ですけど。ド変態って言いかけましたよね……?」


ジト目で見上げるアリスレイン。

涙の線が、まだうっすらと頬に残っている。


「わかりましたよーだ。東国で看護学と介護学とリハビリ技術を身につけますから。殿下の介護権は、私のものですわ! お父さま、王子妃教育の先生とマナー教師を派遣してくださいませ」


「おっけー。まずは、正式に顔合わせしようね」


父ロードラインに頭を撫でられて、アリスレインは顔をくしゃっとして笑った。


今日のお兄さまにはちょっとムカついたけど、お兄さまもお父さまも大好きだ。

だってたぶん、自分と同じスキモノ仲間だから。

特に、お父さまがすごい。自分よりはるかに戦闘能力の高いお母さまを、毎日のように骨抜きにしまくっている。

あやかりたい。その技術を。能力を。そして、20年以上枯れることのない愛情を。





サンドライト9世の治世は、名君である王に牽引されるように、優秀な人材が才能を開花させた時代でもあった。

王弟レドリックは諜報に秀でた外交官として、自国と友好国の架け橋となった。敵対国は、情報戦で牽制し(いぢめ)た。

頭脳明晰だが、自立歩行が不可能だった王弟の隣には、いついかなる時も夫人が共にあり、ふたりは深い主従……信頼関係で結ばれていた。

車椅子を手放せない美貌の王弟と、甲斐甲斐しく尽くす小柄な夫人の姿は、この時代の名画のモチーフに、しばし登場する。

「愛の戯れは、そなたらの私室内のみ許可する。違えれば、別々の貴族牢に幽閉する」と、王命が下ったようにはとても見えまい。


王家のカーテンの向こうには、国民の知らないあれやこれが、ひっそり確実に隠されているのである……。



枠外フレデリックの異母きょうだい


エリシア妃腹

レティシア王女(享年16歳)

第二王子レドリック(8歳)

学園卒業直後に結婚。王爵位と離宮を得る。


ジュリエット側妃腹

トリスタン・メインクーン小公子(10歳)

辺境戦で領民たちの盾になって戦ったワイバーンライダー。デビュタントと同時にメインクーン侯爵を拝命する。


カグヤ側妃腹

ニニギ第一王子(10歳)

15歳で元服して、東国の皇太子になる予定。黒髪糸目のオリエンタルビューティー。

ワダツミ第二皇子(8歳)

将来は海軍元帥になりたい。黒髪黒目のサーガフォルス。

タマユラ皇女(5歳)

黒髪碧眼。パパとママの良いとこどり。超可愛い。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 久方ぶりの感想でございます。 とりあえず一言。 サンドライト王家ヤバい!シェラサード家もヤバい!運命の出会いを果たした両家の八歳児が超絶ヤバすぎる! いや両家のヤバさは知ってたはずなん…
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