美少女すぎるヒロインは、得意分野でケンカを売る
「義姉さん、本当に大丈夫?」
「これ以上休んだら、合唱祭に間に合わないわ。今年は貴方も出るのに」
「そんな大袈裟だよ」
「ちっとも大袈裟じゃありませんわ?」
タウンハウスから学園までの通学は、もっぱら馬車である。
学生と公爵代行の二足の草鞋をはくクリスフォードは、寮には入らず、ここから登校したり登城したりしている。
マリアベルは寮生だが、体調が悪い時や、休日にちょくちょく訪れて、義弟と過ごすひとときを楽しんでいる。
今回は結局、校医の見立てどおりきっちり1週間欠席してしまった。
まだ本調子ではないが、これ以上はいただけない。
来月には、毎年恒例の合唱祭が待っているのだ。
全6学年対抗の、歌のコンクールにして授業参観日。王妃様と側妃様が最前列を占領する参観日って、ちょっと壮観だけど。つまり、気が抜けないってことだ。
マリアベルの学年は、この合唱祭で、去年までは常勝無敗だった。
そりゃあもう、例の完璧王太子のお陰である。
マリアベルも毎年、ソロの女性パートを務めてきた。フレデリックほど神がかってはいないが、前世は音大をめざしていた。ピアノ専攻だったが、声楽も得意だ。
歌も楽器も嗜み以上にこなすアーチラインもいるし、盤石であった。
ところが、今年は学園唯一のカウンターテナー、クリスフォードが出場することになった。
例年、決算期の尻拭…もとい公務で不参加だったが、風邪をひいたマリアベルの面倒をみていたおかげで、練習時間がとれたのだ。
全体の合唱レベルは3年生以上と言われながら、エース不在で決定力に欠ける2年生たちが昂るのも当然のこと。
うっかり強敵を召喚してしまったが、義弟の歌を舞台で聞けるんだから、アリよりのアリだ。
「ありだけど、対策は考えなくちゃ」と呑気なマリアベルだったが、教室に着いたときには出遅れていた。
少し早めに登校したにも関わらず、朝練はとっくに始まっていた。誰もいない教室の、純白のホワイトボードには「今日より朝練開始。自由参加。来たれ旧校舎聖堂へ!」と書いてあった。
高等部3年が鍵をゲットした旧校舎の聖堂は、高等部3年の校舎から、歩いて5分ほど。実は、本番会場の本校舎の大聖堂より近い。
地の利もあり、反響が似てる場所をチョイスするとは、まさに最高学年の特権である。
マリアベルが着いた時は、ちょうど通し練習の最中だった。衛兵が扉を開けようとしたが、首を振って制した。練習の邪魔にならないよう開き戸の前で待機していると、地上に降りた天使のような歌声が、耳に飛び込んできた。
エイミだ。エイミ・ホワイト准男爵令嬢が、最高音のパートを裏声も使わずに歌い上げている。
「すごい…!」
震えるような美声だ。マリアベルは、息を飲んだ。
曲は『伝説の花』。
一節に国歌を含む叙事詩であり、建国王ファルフォルス・サンドライト1世陛下と、歌の聖女リリコのラブソングである。
エイミが歌っているのは、えぐいくらい高音が高くて有名な聖女リリコのパートである。
建国王のパートは、安定のフレデリックが担当だ。
サンドライト国民的には国歌であり、古典であり、ソロパートが難関すぎる四部合唱曲である。
だが、マリアベル的には『エイミと白い花』の公式テーマソングであった。
ヒロインのエイミ・ホワイト准男爵令嬢には、特技がある。
それは、歌。
高く澄んだ声は聞く者の魂をゆさぶり、悪役令嬢マリアベルでさえ歌っている最中の彼女には手を出せなかった。
身分違いの高位貴族の子息たちとの重婚が認められたのも、後に教会から「歌の聖女」と認定されたからである。
ちなみにこの設定は後付けである。世界的に有名な歌姫がゲームにはまり、アカペラのファンソングを作曲し、ツイッターにあげたのだ。メーカーもびっくり。
のちにピアノと男性ボーカルを入れた「Legend of a white flower」は、完全版の発売と同時に公式テーマソングになった。
エイミの声は人気声優が充て、歌は世界の歌姫が充てるとか、神懸かりにもほどがある。
だが、真実おかしいのは、そんなエイミに全然歌い負けないフレデリックである。
フレデリックの声優は普通にイケボで、もちろんテーマソングには関わっていない。
むしろ、日本語版テーマソングに関わったのは、某歌劇団出身のクリスフォードの中の人と、音楽活動と声優を兼業するアーチラインの中の人だったのだが…。
曲は、フィナーレに入った。ここからは、歌の聖女と建国王のアカペラ・デュオでピアノの伴奏がつかない。
エイミのソプラノは、高く高くどこまでも伸びて聖堂中に反響する。開き戸の隙間から漏れる音を聞いているだけで、魂をもっていかれそうだ。
フレデリックのテノールは朗々として猛々しく、あの優美な外見からは想像もつかないほど英雄的だ。
楽曲が終わると、聖堂は静寂に、やがてすすり泣きに包まれた。
笑顔で歌い上げたエイミはぜいぜいと肩で息をしていて、その隣に立つフレデリックはいつも通り温厚そうに微笑んでいる。
衛兵が扉を開いたとき、マリアベルは万感の思いで拍手をしていた。
「素晴らしい歌声でしたわ。殿下。そしてエイミさん」
「ベルベルさま!」
エイミの表情が、ぱーっと華やいだ。飼い主を見つけた迷い犬の様に、シュタッと飛びつく。
「おかえりなさい!ベルベルさま!」
「おはようございます。エイミさん。クリスフォードから聞いておりましたが、聞きしに勝る美声ですわね」
大輪の薔薇のように微笑むと、愛くるしい笑顔がますます輝いた。
「ありがとうございます! ベルベル様の代役、がんばりましたー!」
「代役?」
マリアベルは首をかしげた。
ゲームでは、本番当日に風邪をひいて声が出なくなったマリアベルが、エイミを笑い者にしようと舞台に立たせるイベントだった。
満を持して、中の人がチェンジ。世界の歌姫が大熱唱。
当て馬マリアベルはワナワナと扇子を折り、一緒に歌ったフレデリックはエイミへの恋心を自覚することになるのだが……。
その展開、いまさらある?
思案に忙しくて無抵抗なのを良いことに、エイミは髪をさわったり、スリスリしたり、くんくんしたり、やりたい放題である。
やってることは犬みたいだが、やってるエイミが可愛くて隙だらけな巨乳ちゃんゆえに、なんだかアレである。
マリアベルは高嶺の花というか、高貴で近寄りがたい雰囲気の美人だが、エイミに絡まれたら禁断のお姉様が一丁上がってしまった。
これはいかなるご褒美かと、男子生徒と一部の女子生徒がどよめく。
「やあ、マリアベル。もう大丈夫かい?」
獣欲に疎いマリアベルを、誰よりも獣欲にまみれた守護天使が、さりげなーくエイミから引き剥がした。
「御機嫌よう、殿下。ご心配をおかけしました。もう大丈夫ですわ。あのー、エイミさんが代役って? リリコのパートは、エイミさん以外ありえませんわよね?」
「ほえ? じゃあ、ベルベルさま、何するんですか?」
問いに答えるかのように、ピアノを伴奏していたアーチラインに視線を送る。
「伴奏を。もう一台ピアノが要りますわね」
「うん、僕もそう思ってたところ。みんな気合いが入ってすごい声量だからね。一台じゃ負ける。主旋律をお願いしたいな」
「お任せください」
マリアベルは、誰よりも美しいカーテシーを披露した。
「ちょっと待って。エイミ嬢の声質は、アーチラインの方がしっくりこないかな。私は演奏にまわるよ」
和やかだった聖堂がざわっとした。アーチラインがピアノの蓋を閉めて立ち上がる
「ナイナイ! 妃殿下が来られるのに、王太子と婚約者が伴奏で、僕とエイミ嬢が主役?! しかも、僕が建国王?! じんわり翻意を疑われるよ」
「そうですわ。フレデリック殿下には、主役を張る義務がありますのよ?」
マリアベル的には、公式だからアーチラインの抜擢はアリだが、この世界はゲームではない。王侯貴族のパワーバランス的に、やったらいかん。
「キミの義弟、天才なんだもの。確実に勝ちに行きたいだけなんだけどなあ」
「却下します」
「えーっと。どっちもお歌お上手ですけどー。なんでアーチ様はダメなんですかー?」
1人わかっていないエイミが子リスみたいに首をかしげる。
代々宰相を務める大公家の嫡男アーチラインは、母親が正妃腹の王姉という出自から、第6位という高くも低くもない微妙な王位継承権を有している。
謀反を起こそうと思ったら不可能ではないポジションなので、邪推されるような行動は慎みたいのだ。日和れなくなるし。
説明されたって、エイミにはさっぱり理解できないが。
「えっとう。1番大事なのって、1番になることですよね?」
「それ以上に、殿下の名誉をお守りすることが大事なんですよ」
クラスメイトの令嬢たちが、お菓子でエイミを誘導しながら、最高位の3人から引き離した。
「え。でも…」
お菓子の匂いにつられながら、ひっかかりを覚えたエイミは、それが何かを必死に考える。
どうやら、この学園で1番偉い王太子さまが主役を演じないと、王太子さまの名誉に傷がつく……らしい。
最高品質のダイヤモンドみたいに完璧にキラキラなフレディ様に、傷がつく要素ってあるのかしらとは思うけど。
貴族の人は目に見えない「名誉」を、ココアよりもプリンよりも大切にしているから、本当に、本当に、大事なことなのだろう。
ただ、3年生が2年生に負けてしまうと、3年生みんなの「名誉に傷がつく」ともステラが言っていた。
今年の2年生は、歌が得意な生徒が多い。さらに、女性パートを易々と歌いこなすカウンターテナーのクリスフォード・シュナウザーの参戦で、生徒たちの士気も最高潮に達している。
フレデリックの英雄的で威風堂々としたベルデンテノールも、アーチラインの叙情的でロマンティックなドラマティコテノールも、技巧の上ではクリスフォードと遜色ない。
だが、性別を超越した歌声を披露する美少年ほどのインパクトがあるかと言われたら、微妙である。
3年生でクリスフォード以上に印象的な歌い手は、エイミしかいない。
エイミは考えるのはニガテだが、歌に関しては得手不得手がわかる。
「マリアベル様の代理」だなんて、本当は誰も思っていないし、マリアベルも納得している。
だけど、マリアベルだって最高位に近い貴族である。一番えらい王太子の婚約者でもある。本来ならフレデリック同様に主役を張らなくてはいけない人だ。その役目を、平民あがりの下位貴族でしかないエイミが奪ったら?
エイミはハッとしてマリアベルに振り返った。
夢の中の意地悪なマリアベルは、主役パートは自分のためにあると高笑いした。
あんなマリアベルは大嫌いだけど、「王太子の婚約者」の名誉を守りたかったら、在籍学年が不名誉な成績になろうと、主役でいなくちゃいけないんじゃないだろうか。
自分のプライドと、おそらくはフレデリックの為に。
だけど、現実のマリアベルは、フレデリックの名誉を守りつつ、自分の名誉は度外視で、合唱祭の成功を、優勝を望んでいる。
「なんでベルベルさまだけ!」と思った瞬間には、クラスメイトの手を振りほどいて、フレデリックの前に仁王立ちしていた。
「見損ないました! フレディさま」
「はい?」
この時には各パートリーダーがワイワイやっていたのだが、エイミの知ったこっちゃない。
「偉いおばさま方に、ベルベル様が准男爵令嬢なんかに主役を取られてーって笑わせないために、アーチ様をイケニエにしようとしてますよねっ!」
静まる聖堂。
あっけにとられるやんごとなき身分のご子息たちと、令嬢たち。
そんなつもりは全くなかったフレデリックの背後で、「やりかねないなあ」と納得するアーチライン。と、意味がわからなすぎて、とりあえず様子見のマリアベル。
「でも、それも実は、本心じゃないですよね。ほんとは、私とのデュエットがこわいんでしょう? なんでも1番の王子様が、田舎者の准男爵令嬢に歌い負けるなんて。そんな不名誉、ないですもんねー。まあ、本当にアーチさまが王様を歌ったら、アーチさまにも負けますけど?」
学年全員の前で、不敬罪もいいとこである。
だが、エイミは指までさして止まらないし、フレデリックも特に止めない。クラスメイトとそれに扮した暗部を、挙手で制してさえいる。
「ちょっと理解が追いついてないけど。それは、私に対する挑戦と受け取っていいのかな?」
いついかなる時でも、フレデリックは冷静である。
「もちのロンです」
天使のスマイルで、超弩級の美少女が微笑んだ。
欄外人物紹介
建国王ファルフォルス・サンドライト1世陛下
450年前にサンドライト王国を作った王様。もともとはサンドライト領主をしていた帝国の第12皇子だった。
伝染病が蔓延した時に帝国軍に大粛清されかけてブチ切れ。
友達の竜を頼って迎撃し、ムカついた勢いで独立した。
国庫を開放し、帝都への献上品や食糧物資を無償で配給し、「医療従事者と軍人以外は外出すんな」と命じて首都を封鎖。各都市の領主に自治権を与え、聖女リリコと慰問しまくった。結果、すんごい勢いで国民に支持されて、すんごい勢いで国力が回復して、なぜか以前より税収が上がってビックリした人。
以後、再び属国にしたい帝国と、2度とよりを戻したくない王国の攻防は、現在まで続いている。
歌の聖女リリコ
建国王の花嫁。祈りながら歌を歌うと、熱が1〜2℃下がる。
平時は微量な能力だが、深刻な熱病被害が蔓延する時代においては神の奇跡であった。
サンドライト中を癒しに癒し、聖女に任命された。
ちなみに、呪いながら歌を歌うと水虫が痒くなる。
伝染病被害から立ち直った後年、帝国が攻めてきたときには、ファルフォルスが駐屯地に白癬菌をばらまき、リリコが水虫の歌を熱唱して帝国軍を追い返した。
伝説級にひどい夫婦である。