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竜の掟を破った皇太子と、破らせた斥候の処遇を。

サンドライト海軍がスコーネ城を制圧した頃、帝国の皇太子とサンドライトの王太子は、転生の泉の最深部で会談に臨んでいた。

サンドライト王たちの、終の住処で。

歴代の王たちはこの洞窟を、好むままにカスタマイズしてきたらしい。地表に近い庵は瘴気砲で全壊したが、ピアノがあった音楽堂をはじめ、最深部の居室はだいたい被害を免れていた。


今、フレデリックたちが歓談している寝室兼居間も、岩壁の一部が溶けて崩れかけてはいるが、語らいを不可能にするほどではない。


旅装束がズタボロだったフレデリックは、座椅子に放置されていた衣服に着替えた。祖父レイアリス上王の遺品だ。

袖を通すと、謎の貫禄が湧いた。戴冠数年後の国王風味というか。

肘掛つきの座椅子でくつろぐ所作が、不思議と場慣れしているというか。


オケアノスは漆黒の鎧のままで地べたに腰を下ろし、敗戦国の将を自認している。

そして、フレデリックの優雅な姿に、大恩ある老人の面影を偲んでいた。

サンドライトの王族には、刺繍の豪華なカフスをつける習慣があるが、レイアリス上王にはそれを外す習慣があった。

『カフスほどの悪習はないな。酒を飲むにも、ピアノを弾くにも、邪魔でかなわん』とぼやいた声も。笑顔も。

ピアノを奏でた指も、美しい旋律も。

教わった峰打ちができた手応えも、首を切り落とした感触さえも……!


「どうされた?」


探るような視線に、オケアノスは軽く首を振った。


「いや。その装束、よう似合っておられる」


「ありがとう。肩が少しきついが、カフスを外すのは賛成だな」 


見た目の印象より筋肉質で肩幅が広いフレデリックは、詰襟のホックと1番上のボタンを外していた。


「上王殿も大上王殿も、『竜の掟に反しなければ、我らは自由だ』を口癖に、大酒を飲んでは、音楽を嗜まれておられた。カフスを外すも、亡命皇子を匿うも、全て自由だと。して、竜の掟とは何ぞ?」


老人たちにはぐらかされた少年は、時を経てその孫でありひ孫である青年に尋ねた。


「王家は、サンドライト3世の妃ヴァルキリーの血筋か、約300年で5人のドラゴンライダーを輩出している。竜に守られ、愛されてきた王族は、幼少期より竜に敬意を持つことを厳命される。実際、ライダーではない私ですら、スノーローズには返し切れないほどの恩を受けたからね」


臣下の姿勢で待機するスゥにくっついていたスノーローズが、嬉しそうに飛びついてきた。

褒めてくれるお友達には、全力でなつく主義なのである。


「それは、御身を友と認めているからでは?」


とオケアノスが眉を下げると、今度は彼に突進して、すりすりゴロゴロをしかけてきた。されるがままのオケアノスの口元が、自然に緩む。


「スノーは、友達が多いし人気者だよね。良い子だからかな?」


明るくくだけたフレデリックの問いかけに、純白の幼竜がウンウンと首を縦にふる。

こんなに人間が好きなのに、その枠に入れてもらえないエイミっていったい。フレデリックの心に、わずかな憐憫がわいた。


「我が王族が尊守する竜の掟は、非常にシンプルだ。(なかま)に親しみ、決して危害を加えてはならない。それだけだよ。竜に危害を加えるなんて、非力な人間には不可能に近いけどね」


「……」


「ついでにいえば、他国に武力行使しないのも、同族を尊ぶ竜に倣っている。最も、大陸東端の小国にとって利益が薄いからしないだけだけど。まあ、好き勝手してきた酒飲みや道楽者が、言い訳に使う大義さ」


「……」


「オケアノス?」


オケアノスはスノーローズの首のあたりを優しく撫でると、そっと身を離した。


「ならば、この身に触れてはならぬよ。美しき幼竜よ。皇太子オケアノスは、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)なり。御身の仲間を殺し、その屍に騎乗してここに来たのだから」


それは神堂の所業であって、オケアノスの罪ではない。

スノーローズはふるふると首をふって、オケアノスの頬を舐めようとしたが、オケアノスは優しく、だが断固として親愛を拒む。

スノーローズは不貞腐れて、マリアベルが眠る寝台に撤退した。

座卓の間の奥に、半透明のベールを隔てた寝台が置かれている。これは、オケアノスが亡命時に与えられたものである。

疲労困憊だったマリアベルは、しばらくは目をさまさないだろう。スノーローズは彼女の隣で丸くなり、あからさまにいじけてみせた。


「ほら、スノーが拗ねたじゃないか」


「それだけではない。我がルス軍はアンデッドワイバーンを量産し、サンドライトを滅亡させる計画を実行中だ。その惣領は皇帝にあらず。暫定的なルス太守を任された、余にある」


「否定はしないが、竜は聡い。『咎』に操られた『贄』に責任を被せ、安直な処罰など望むものか。私の友を、みくびるな!」


フレデリックの喝が、洞窟に反響した。

始終俯いていたスゥは自然に顔を上げ、オケアノスは目を見開いてスノーローズに視線をやった。

スノーローズは金色の目に涙をいっぱいに溜めて、コクンコクンと頷いている。


たしかにオケアノスの剣は、10年前に大上王を、この秋に上王を殺害している。

サンドライトの法に委ねれば、処刑確実。よくて毒杯か断頭台、磔刑か火あぶりが妥当か。

だが彼は、この『贄』は、『咎』に逆らえないはずなのに、彼は転生の泉の老人たちを峰打ちにとどめた。

フレデリックと戦っている時も、始終協力的だった。

祖父の願いを叶えたい以前に、フレデリックとしてもなんとかしてやりたい。なにせ、帝国の皇子を手下にできるチャンスなのだ。王族殺しの戦犯として処すなんて、勿体ない。

と、相変わらず、この王子は正義感と腹黒さの割合がぶれない。


「まあ、オケアノス皇子には酌量の余地がある。だが、欧陽・是(オウヤン・スゥ)。君の狼藉は、見逃すわけにはいかない」


邪気のない清らかな笑みは、オケアノスではなくスゥに向けられた。

笑顔の麗しさと声音の冷たさが、アンバランスすぎる。

ひざまずくスゥの背筋が、ゾクリと冷えた。


「は、はい。実質的にアンデッドを育成したのは司祭姫キミで、乗り方を指南したのは剣姫ランです。こたびの戦争責任は、神堂穂成に憑依されていた殿下ではなく、作戦の提案と決行を行った私めにございます」


「なるほど。して、あとのふたりは何処に? スコーネ城か?」


フレデリックが目を細めると、場の空気がさらに冷たくなった。スゥはますます頑なに冷静を装って、報告を続けた。


「仲間割れがあり、キミ様はラン様に殺害されました。ラン様は、辺境の死屍部隊に合流するものと思われます」


「そうか……。司祭姫を殺したのは、ランであったか」


眉を顰めて声を落とすオケアノス。


「はい。私がマリアベル様を連れ出すタイミングで、ふたりに会いました。ラン様は、ルス軍を裏切った私ではなく、キミ様の首を跳ねました。私怨だと」


スゥの声は、表情は、平坦なままである。


「ラン様の本名は、夏侯・蘭(カコウ・ラン)。帝国空軍の元帥を仕る夏侯・玄(カコウ・ゲン)武伯の7女です。辺境軍だけではサンドライトに勝てないことも、中央軍が援軍を出さないであろうことも、最初からご存知だったのではないかと、愚考しております」


「ランが……?」


オケアノスは首を傾げた。

ランは幼く残酷で、ものをあまり考えない娘である。幼少期はもちろん、神堂と連んでいた頃も、考えて動くとか戦うとか、していた印象がない。


「理論的に推察したのではなく、野生の勘かと」


「あいわかった。納得した」


ランが聞いたら怒りそうだが、彼女の評価についてオケアノスが間違えることはあまりない。

一方のフレデリックは、剣姫の人物像なんかどうでも良い。着目すべきは、彼女の身分と立場である。


「なるほどね。竜の掟の大罪人は司祭姫だろうが、人の世の戦犯は剣姫だな」


「待たれよ。あの子はまだ17歳だ。戦犯の責を負わすには、あまりに幼い」


フレデリックの容赦なさに、思わず前屈みになるオケアノス。忠臣のスゥも、もちろん主君を援護する。


「ほぼ全ての作戦は、私が斥候部と提案しました。オケアノス様の正気を戻す為、人も竜も戦争も、全て利用したのは私です。ですから……」


「君は平民で剣姫は貴族だ。貴族には、有事に責任を負う義務がある。17歳だろうが7歳だろうが、関係ない。剣姫の実刑こそが、戦後裁判の落とし所だろう。こちらとしても、未来に遺恨を残すような粛清はしたくない……」


と、半透明の天幕をスパーンと通り抜け、スノーローズがつっこんできた。フレデリックの肩にガンと前足を乗せる。ゴリゴリに体重をかけてくるから、めちゃめちゃ重い。あと、蹄が痛い。


「……んだけど。首都殲滅を狙った瘴気砲を消した叔父上や、鍛えすぎた海軍の活躍で、今のところ大きな被害は受けてないんだよねー。だが、死屍部隊は別だ。ワイバーンたちが怒り狂って、敵味方なく総攻撃を仕掛けてきかねん。で、死屍部隊って今、どこにいるのさ?」


よいしょ、とスノーローズを持ち上げて、よしよしと撫でるフレデリック。スノーローズはまだ不満げに唸っている。

スゥはオケアノスの目配せを受け、服の袂から大陸の辺境地図を取り出した。あらゆる地図の所持は、斥候の嗜みである。


「先発隊はシギ砂漠で陣を取っておる。生身のワイバーンは砂漠を嫌う。鱗や羽が乾燥して、空を飛べなくなるからな」


と、地図をフレデリックに向け、岩砂漠の東端を指すオケアノス。

シギ州とは、アリスト辺境候領と隣接する極東州のひとつだ。多くのサンドライト人がイメージする「帝国」は、人口1億人の帝都を抱える中央州ではなく、歴史的に小競り合いの絶えないこのシギ州を指す。

ほとんどの土地は岩砂漠で、人は点在するオアシスに暮らしている。水が豊かな湿地は、サンドライトとの国境だけだ。

中央からは流刑地程度にしか思われていないが、サンドライトの倍の人口と4倍の面積を誇る。


「砂漠に陣をとって、どうやって攻めるのさ? 辺境軍は迎撃に容赦せんが、自ら侵攻しないぞ」


「奴隷兵をアンデッドワイバーンに乗せ、国境に向かわせます。殆どの兵はワイバーンたちに発見され、なぶり殺されるでしょう。怒りに我を忘れるであろうワイバーンたちに、アリスト辺境候領および、レガシィ辺境伯領を襲撃、壊滅させるのが狙いです」


スゥの説明に、フレデリックとスノーローズが同時に瞬きをした。


「エグい作戦考えつくなー……」


「お褒めに預かり、光栄です」


これをした以上、スゥは死を覚悟している。

オケアノスが正気を取り戻したから、対価を支払う時がきたのだ。ワイバーンたちに嬲り殺されるも、サンドライトの地で極刑に処されるも、本望である。


だが、そう簡単に殺してくれないのが、サンドライトの王子様である。


「じゃ、止めてきて?」


「は、はい?」


「ワイバーンたちに気づかれる前に、アンデッドたちの活動を停止させてこいよ。こっちは王都に戻って、停戦の体裁を整えるから。撒いた種を刈り取るなら、悪いようにはしないよ」


至極当たり前の口調で、フレデリックお得意の無茶ぶりが発動した。

オケアノスもスゥも、思わず目がテンになる。


「フレデリック王子……?」


「オケアノス皇子は、負け戦を続ける気はないんだろ? かといって鮮やかに引き過ぎると、君を追放した権力者たちに警戒されかねん。なら、どのタイミングで、どうやって引くかが肝心だ。うまく撹乱してくれ」


しれっと無茶ぶり。簡単に無茶ぶり。

『やっぱ、王子さま大好きー!』と、フレデリックに懐きまくるスノーローズ。

オケアノスと目があうと、今度は逃さんとばかりに全力でのし掛かり、べろーんべろーんと顔を舐めはじめた。


「あわわわわ。ま、待たれよ」


「にゃあ」


「そなたは……なんと(めご)いのだろうか」


「みゃー♪ ごろごろ」


すっかり仲良くなってじゃれ合うひとりと1匹。ぽかーんと見つめるスゥ。

フレデリックという男が、ユルいのか抜け目がないのか、腹黒なのか人情家なのか、よくわからなくなってきた。

最も、彼の婚約者や親友でさえ、わからないまま放置しているわけだが。


「君は、私やマリアベルの配下たちに、一発ずつぶん殴られるのが贖罪。で、いいんじゃないか? 30分ほど歯を食いしばれば、終わるよ?」


穢れなき天使の微笑をうけて、スゥはげんなりとため息をついた。

「マリアベル嬢にも、同じ提案をされましたよ……」と。







同じ頃、砂漠の野営地から、飛龍部隊の第一軍がサンドライト目指して進撃をはじめていた。

60体のアンデッドワイバーンと、その騎手に選ばれた奴隷兵たちは、勇壮な覚悟を持って野営地を飛び立った。


生還すれば奴隷から解放され、州都に家と財産を約束されている。


奴隷兵たちの士気は高かった。


が、いかんせん相手が悪かった。


この戦いで生き残り、捕虜となった奴隷兵は、後にアリスト辺境候領の病院でこう語った。


「軍部は、俺たち奴隷兵を皆殺しにして、食い扶持を減らしたかったんじゃないのか?」と。


そのくらい、凄惨な現場だった。


死屍騎士団は、サンドライト国境どころか、湿原に入ることすらできなかった。

野営地を発ってわずか2時間。岩砂漠の荒野でたった一頭のドラゴンと、たったひとりドラゴンライダーに迎撃されたのだ。


ドラゴンはその鋭い爪と牙で、ドラゴンライダーは長い槍で、アンデッドの動力となる「核」を、矢継ぎ早に破壊した。


彼らは奴隷兵たちの生死に、興味がない。地面に落ちて死のうが、重傷を負おうが、奇跡的に無傷で着地しようが、放置だ。

目的は、アンデッドたちに安寧の安らぎを与えることだけ。


それを侮辱と受け取ったひとりの奴隷兵は、怒り狂った。


「畜生! 俺たちは、死体以下かよ?!」


変な形で地面に横たわる仲間から武器を拝借し、鮮やかに槍をふるうドラゴンライダーに切りかか……ろうとして、体が宙に浮いた。


気がつけばツインテールの可愛らしい女の子に抱きつかれていて、直後、背後でファイヤーブレスが炸裂した。


「あ、わ、わわわ……」


「中央軍への入隊を力技で拒否したヨアン・カーマインに剣を向けるとか。弱いくせに、馬鹿なの? 死ぬの?」


美少女は奴隷兵に吐き捨てると、軽やかに立ち上がって半月刀を手にした。


「け……剣姫、ランさま……?」


「ドラゴンライダーは、あんたたち奴隷兵なんか興味ないわよ。動けるやつは、とっとと逃げなさい」


ランの高い声が、朗々と戦場に響く。

人の上に立つ人間らしい、よく通る声だ。


「おう。久しぶりだな。オケアノスのエッチな取り巻き1号だっけ?」


奴隷兵の生死に本気で興味のないヨアンは、アンデッドの始末をグレイローズに任せ、疾風のごとく現れた剣姫に向き合った。


「栄えある帝国民が、サンドライトに味方するなんて。地に落ちたわね、ヨアン・カーマイン。最後に戦う相手の名前くらい覚えて損はないんじゃない? 私は夏侯・蘭(カコウ ラン)。武伯の娘よ」


正規の礼をして決闘を挑むランは、絶対的に勝てない獲物を前に、勝気な笑みを浮かべた。


「何があったか知らんが、以前とエライ違いだな。ガキの成長は早いねえ」


感心したように笑うヨアン。

口調は柔らかいが、その眼光は鋭い。

武伯といえば、若かりし日のヨアンを拘束しようとしたハゲだ。いや、その時はフサフサだったが、器用なグレイローズに髪だけ燃やされた。そして、生えなくなった。

グレイローズがいたから無事にトンズラできたが、サシで戦っていたら骨折くらいしたかもしれない。ハゲのくせに天馬騎士(ペガサス ナイト)だし。


「悪くねえ血筋だな。かかってこいや」


「いざ、参る!」


乾いた風が吹き荒ぶ岩砂漠に、悲鳴のような金属音が響きわたった。


欄外人物紹介


夏侯・カコウ・ゲン

帝国中央軍所属。空軍元帥。天馬騎士。

ランの父。筋は良いが性格がアレな娘を、冷遇される15皇子と婚約させるつもりでいた。

野心はなく、職務に忠実な帝国軍人。

ヨアンの拘束未遂でハゲになった天馬騎士が、あと40人くらいいる。一時期、天馬騎士団にはハゲしか入隊できないというデマが流れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 欄外人物紹介でクソほど笑わせてくるのやめて!?おふとぅんの中ですげー時間に小説読んでるのバレるからーーー
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