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悪役を放棄した令嬢は、美少女すぎるヒロインに物思う



「実はですねー。ベルベル様はー、私の夢に、よく出てくるんですよー」


ストロベリーブロンドを真っ白なタオルでごしごしされながら、エイミが笑いかけてきた。

先に身支度を終えたマリアベルは、パウダールームに備え付けのソファで読んでいた詩集から視線をあげた。


「夢?」


バスタオル1枚でゴシゴシされまくっていても、美少女はやっぱり美少女だ。くすぐったそうに目を細める笑顔が、なにげに犬っぽく見えなくもないけど。まあ、うん。可愛い。


「もー、ほんと、すっごいすっごい意地悪なんです! 怖すぎるんです。ステラちゃんに毒仕込ませるし。だから、しゃべったら殺されるかと思ってましたー! あいだだだだ! ステラちゃん、痛いー」


言い終わる前に、こめかみぐりぐり攻撃を受けて悶絶するエイミ。


「不敬ですわ。エイミさん? 受けた恩義をお忘れ?」


「いだいいだいいだい」


「未来の王太子妃殿下に、二度と失礼な口は聞かないと誓います?」


「ち、ちかう、ちかうーっ!」


ステラのぐりぐり攻撃をから解放されたエイミは、そのまま床にくずおれた。

床材を掴む指を踏みつけるかのように、ステラが足踏みをする。


「謝罪は?」


「ごめんなさい、ごめんなさい! 怖すぎるのは、ステラちゃんでしたーっ!」


かつて日本人だったマリアベルでも見たことがないくらい、見事な土下座だった。

不敬とかそれどころではない当人は、笑顔を崩さないことしかできないのだが。


夢? マリアベル自身も、たまにゲームの内容を夢に見る。主に断罪シーンを、やたらリアルに。現実のフレデリックはそれをしないだろうと分かっていても、だ。

エイミも、マリアベルが知る「ゲームのシナリオ」を、夢で共有しているのだろうか?


「夢って普通、すぐ忘れちゃうじゃないですか。でも、この学校の夢って一度見たらぜーんぜん忘れないから、予知夢かと思ってました。でも、ぜーんぜん違いましたねー。よかった!」


ぐりぐり攻撃がよほど痛かったのか、こめかみをさわさわしながら、泣き笑いするエイミ。


「よかった、って?」


「あのですね。夢の私が、なんですけど。なんと! 生徒会の男の人全員と、結婚しちゃうんですよー! なんかー、婚約者の皆さんが意地悪すぎるからって。でも、ほんとの皆さんは、お菓子をくださったり、制服や教科書を貸してくださったり、めちゃめちゃお優しいじゃないですか。婚約破棄なんかないんだなあって、嬉しいです!」


「エイミさん。寝言は寝てからおっしゃってください?」


エイミを立たせて、ズバッとタオルをはがすステラ。平民でもお嬢様のエイミは、日頃から着替えさせてもらうことに慣れているのだろう。露わな四肢を隠しもせず、制服用の簡易コルセットを着付けてもらっている。

日本人の記憶が根底にあるマリアベルは実はちょっと恥ずかしいのだが、エイミは平気らしい。このあたり、転生者ではないのかもしれない。いや、この子が転生者だったら、今頃それをペラペラ喋っているか。


「ふあぁー! ベルベルさまの制服、いい匂いですー」


「嗅いではなりません。はしたない」


「やーん。あ。スカート丈が長いですー」


「あら。簡単に詰めますわね」


「ベルベル様、スタイル抜群すぎですー。足めちゃめちゃ長いー」


「当然です」


「どうしましょう。さっきまでフレディ様の婚約者なんて羨ましすぎるって思ってましたのにーん! 今はフレディ様が羨ましいです!」


「それも、当然です」


ふたりのおしゃべりが、ネバーエンドなマリアベル賛辞になってしまった。こうなると、否定しても肯定してもめんどくさそうだ。

マリアベルは、全然頭に入らない詩集に視線をもどし、ふたりのおしゃべりを放置することにした。




1限目のチャイムが鳴る5分前に、支度が終わった。

元気が有り余っているエイミは、全速力で教室に向かった。

淑女たるもの、如何なる時も走るべからず。……なんて貴族の常識は、エイミにはない。

時は金なり、善は急げ、運命の神様は後ろ頭がハゲてるから前髪をひっ掴んで離すな、と、商人の常識の方が、馴染み深いのである。

ちなみに、一緒に出て行ったステラは、エイミと同じスピードで()()()()()。淑女の鑑と褒めるべきか、かえってコワイとビビるべきか。


見送ったマリアベルは、渡り廊下と独立棟を隔てる扉をそーっと閉じて、お気に入りの香水を一振りした。念のため、彼女たちがいた痕跡を消すために。


生徒会室は中庭に面した三階建ての独立棟で、玄関がない。1階は男女別のシャワールームとパウダールームで、窓さえない。2階は書庫と仮眠ができる休憩室。

3階が渡り廊下で本校舎とつながっていて、執務室にはここからしか出入りできない造りになっている。


選ばれた人間だけが、足を踏み入れることを許される聖域……といえば聞こえは良いが、たまに役員がサボっている。

マリアベルも、午前中の授業をボイコットすることにした。

凄腕侍女のステラのお陰で身支度は完璧だが、パウダールームでエイミから聞いた話が衝撃的すぎて、気持ちがついていかない。書庫で議事録の整理でもしよう。

書庫に向かう階段を下りながら、マリアベルは無意識にひとりごちた。


「エイミさんは、どうして……?」


マリアベルがマリアベルになる前、18歳の女子高生だった記憶自体は、だいぶ薄れている。

マリアベル自身の幼少期を、最近のことほど鮮明には思い出せないことと似た、ごく自然な忘却だ。

なのに、乙女ゲームに関する記憶だけは消えない。むしろ、エイミが編入して以来、毎日のように夢を見ては、夢の中のフレデリックに断罪されている。

夢の記憶は薄れることなく、日に日に鮮明になってゆく。


エイミの夢も、似たようなものなのだろうか。


だとしたら、何故、あんな風に笑えるのだろう。


マリアベルがエイミに関わったら断罪されるように、エイミだって、犯罪行為の被害者になりかねない。

現に、今朝までは近寄ってもこなかったし。

それを、教科書と制服を貸しただけでコロッとなかったことにしちゃえるなんて。


なにより、シンシア嬢への手紙を処分したり、アーチラインのためにそれを秘密にしようとするイベントなんか、ゲームに存在しなかった。

あれは、アーチラインルートで、エイミ自身がシンシアにされるはずだった嫌がらせだ。

マリアベルが悪役令嬢の権化とすると、アーチラインルートにだけ現れるシンシアは、プチ悪役令嬢といった役回りだ。マリアベルみたいに猛毒を仕込んだりはしないが、飲み水に下剤を仕込むくらいはする。


シンシアに意地悪をされる夢だって見てきたはずなのに、エイミは躊躇なくシンシアを庇った。それも、アーチラインの気をひくためでさえない。お世話になっているアーチラインの、大事な存在だから。お菓子をくれたから。ただ、それだけの理由で。


ゲームのシナリオなんて、それこそ予知夢みたいなもので、現実とは違う。

特に性格が違う。

自分やフレデリックもだが、義弟のクリスフォードなんか、もはや別人だ。『最愛の妹をマリアベルに毒殺され、阿片に溺れかけていた美少年』って誰だろう? 

公爵本家with親戚どもの杜撰な財産管理と放蕩をディスり、矯正無双に明け暮れる、麗しきショタ眼鏡しか知らない。

あと、妹はとっても元気だ。


アーチラインはエイミの信奉者というよりは保護者か飼い主だし、もうひとりの攻略対象者である数学教師ファルカノス先生は、補習に必死だ。「あいつ、分数すら分かってねえ!」と青ざめていた。ど、ドンマイ。


こんなにも違うのに、マリアベルはどうしても未来を楽観視できない。断罪の悪夢から目覚めると、たまにどちらが現実かわからなくなる。


毒を飲まされる。断頭台。市中引き回し。足を切られて修道院に入れられる。帝国に追放されて奴隷になる。

執行するのは、いつもフレデリックだ。

それが、婚約者の犯罪行為を止められなかった責務だといわんばかりに。

夢の中のフレデリックの、怒りや悲しみを通り越した「無」の表情を、マリアベルは申し訳なく思う。

そうやって、断罪される未来が一番自然な気がしてくる。


人の悪口を言うだけでお腹が痛くなるマリアベルに、エイミを階段から突き落とすなんて、破落戸に襲わせるなんて、侍女に命じて麻薬漬けにさせるなんて、できるわけがない。

前世から音楽を愛してきたマリアベルが、エイミの美しい声を潰す為に毒を盛るなんて、絶対にない。


わかっているのに……。


断罪なしで、お飾りの王妃になれるなら、それがいちばんの幸せだと思う。だから、それが正解で、誰も傷つけないと信じてきた。でも、本当は不正解で、大切なことから目をそらしてきただけなのかもしれない。

マリアベルは悪役でも悪人でもないけれど、卑小で卑屈な人間だ。

夢と現実が違うことを素直に喜べずに、破滅を恐れてばかりいる。


「殿下に報告しなくちゃかな…でも、なんて言おう」


ノブに手をかけたら、ひとりでに扉が開いた。思わずつんのめったマリアベルを、内側から扉を開けた男性が抱きしめるように支えてくれた。


「マリアベル?」


「で……殿下もサボりですか?」


「自主休講と言ってほしいな。議事録を、項目ごとにまとめ直したくてさ」


マリアベルをきちんと立たせると、肩にかけていたバッグを「ちょうど良かった。これ」と手渡してきた。


「教科書。僕のを使って?」


「え」


思わず受け取ってしまったが、すぐにイヤイヤと首を振って胸に返す。


「恐れ多いです! 殿下の学用品を拝借するなんて…!」


「キミが臣下を守ったんだから、僕は婚約者を守るよ?」


教科書の詰まったスクールバッグを真ん中にしたまま、フレデリックが少し背をかがめてきた。マリアベルは思わず俯いた。彼の視線と優しさが、なんだか後ろめたい。

フレデリックの方は他意がないみたいで、さらっと話題を変えた。


「そういえば、アーチから聞いたんだけど。エイミ嬢って、5文字以上の名前がまともに言えないんだってね」


「えー!」


思わず顔を上げると、思った以上に近くて。近すぎて。視線を外すタイミングをきっちり逃してしまった。


「宰相令息のアーチラインをアーチ呼ばわりするってどうなんだって聞いたら、『アーチャチャン』としか言えないから諦めたって」


「な、なるほど。それでベルベル…? マリアかベルでよくないかしら?」


「僕も『デデデディク』になるらしい。もうフレディでいいかなあ、と」


末端貴族のヒロインが、上位貴族の攻略者たちに愛称呼びを許されるのって、そんな理由?!


「准男爵令嬢に愛称呼びを許す以上、婚約者にはそれ相応の呼びかたをしてもらわないと。示しがつかないと思わない?」


「え?」


「今から、殿下とか、フレデリック様呼び禁止ね」


「えぇえええ?!」


フレデリックはスクールバッグを床に置きながら、すっごく嬉しそうに、宣った。サファイアみたいな瞳が、いつも以上に輝いている。


「はい、言ってみて?」


笑顔だ。すっごい笑顔だ。容赦ない笑顔だ。獲物をなぶる捕食者の笑みだ。

だめだ、こうなったら、逃げられない。


「ふ、フレディ様…?」


蚊の鳴くような声で応えると、喉の奥でクッと笑われた。屈辱だ。だが、言い返せない。


「それじゃ、エイミ嬢と同じだよ?」


近い近い近い! 近すぎるなんてもんじゃない。まつ毛が長い! 肌が綺麗! うらやまけしからんし、この婚約者人生最短の距離って、いったい……。


「だって私、お飾りの…」


マリアベルは言いかけて口を噤んだ。

フレデリックはこの逃げ口上を好いていない。

案の定、いたずらな笑顔が消えた。猫を被っても魔王モードでも基本的に微笑みを絶やさないせいか、真顔になると怖い。断罪の直前は、常に真顔だった。

潜在的な恐怖に息を飲んだ瞬間、強い力で抱きしめられた。


「お飾りにするくらいなら、最初から王妃教育なんかに、巻き込まない!」


「……!」


見た目よりもたくましい腕に閉じ込められて、痛いくらいだ。胸が苦しい。頭がくらくらする。

何もできない。立ち尽くすだけしか。何も。

不可抗力で吸い込んでしまう彼の香りに、目眩を感じることしか。


「キミほど、王太子妃に相応しい令嬢はいないんだから」


耳に、低くて優しい声がふってきた。

ゆっくり首を振ると、衝動的な抱擁が止まった。

フレデリックは抱きしめる力を弱めて、銀の巻き毛を撫でてきた。

子どもの頃も、指を絡ませて遊ばれた。伸ばしてもクルンと巻く髪質がおもしろいと。

来週には18歳になる彼の指は、あの頃よりも丁寧で、甘い。


「キミはずっとエイミ嬢の出現に怯えて、関わらないように生きてきたけど。困っていたエイミ嬢に、迷わず手を差し伸べた」


低くて優しい声が、耳元をくすぐる。

とくんとくんと、鼓動が高鳴る。制服ごしに彼の鼓動も伝わってくる。


「臣下を守る理想の国母を見たと言ったら、笑うかな」


「殿下……。私、そんな出来た令嬢じゃ」


「フレディ」


「え?」


「フレディって、呼んで?」


肩を抱かれたまま、真正面から見つめられた。

抱きしめられる前みたいな、からかうような、企むような笑顔ではない。熱を帯びた真剣なまなざしで……。


「よ、呼ばなきゃ……だめですか?」


「うん」


口調は優しいが、反論は許さないらしい。マリアベルは迷って迷って迷いまくって、唇を尖らせた。


「あの……それ、恋人みたいではないですか?」


「貴族の婚約は契約だから、恋愛感情は不可欠ではないけど。僕らの場合、熱愛中って認識されてるよ?」


「は、はい?!」


思わず身を離すマリアベルを、今度はあえて捕まえないフレデリック。こういう距離の取り方が、いちいち絶妙すぎるのだ。この王子様は。


「むしろ公認。純潔を散らさない範囲で手を出せと、公爵や両陛下に命令されてるし。キスもさせてもらえてないなんて、誰も信じてないよ。多分」


いや、前言撤回だ!


「え?えええええ?」


「今もふたりして授業をボイコットしてるし。 シャワールームは使った形跡はあるし? どうせなら、周囲の期待に応えて既成事実を作らない?」


「教科書、ありがたく拝借しますわ! 授業、いきます!」


いろいろキャパオーバーになったマリアベルは、ついに逃げ出した。

逃げてばかりはいけないけれど、とりあえず今は逃げるが勝ちと思う。主に乙女のピンチ的な意味で。

ヒロインのモミモミが、魔王様の何かを煽った模様。

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