考えたくない剣姫は思案し、騎士たちは空を駆る。
ルス州南端の海辺にそびえるスコーネ城。
かつては北王国連合のとある王族の別荘であったが、現在は太守にして皇太子オケアノスの居城であり、後宮である。
尖塔が美しい白亜の城だが、その地下では今日も異形の飛竜たちがうごめいている。
微量な瘴気を排出する死屍。
好奇心に満ちたつぶらな瞳と、キラキラ光る真紅の鱗を失った、ワイバーンの骸骨たちだ。
騎手を得て調整を終えた異形たちは、石畳の中庭に集結した。その数140体。
先に調整を終えた60体は、サンドライトと陸続きの国境をめざして出撃済みだ。1週間も待たずして、陣形が整うだろう。調整がつき次第、もう50体ほど国境に送る。
残りは2度目の海戦に備えて、訓練をはじめる。
サンドライト海軍の強さは、協力する気になったシーサーペントの数に比例する。だが、空からの攻撃ならどうだ?
忌々しいシーサーペントどもは、空を飛べない。
海戦で大敗北をした将たちは、嬉々として飛竜の屍に騎乗している。
背に乗せる相手を選ぶ生体と違って、死体は乗り手を問わない。ある程度の素質とやる気さえあれば、貴重な騎手になれる。選ばれた騎手たちの士気が高いこと高いこと。
そんな騎士たちに、中庭の祭壇にいる司祭姫が祝福を施している。
鳥の嘴を模した防護マスクを被り、ワイバーンを使役する角笛を首から下げている騎士たち。
恍惚とした笑顔を隠さない司祭姫キミ。
「なんか、呪いの儀式みたいだわ。」
剣姫ランはひとり、中二階のテラスからキミと騎士たちを眺めている。
先発隊に入るつもりが、オケアノスからマリアベルを拐ってこいと命令されて、予定が狂ったのだ。
もともとワイバーンライダーだったランには、あんな儀式も飛行訓練も不要だ。呼吸法を身につければ、マスクだっていらないし。
「はあ。モヤモヤするなあ」
オケアノスが亡命先から帰国して、三姫という事実上の婚約者に選ばれて以来、何をしたら、誰を殺したら、犯したら、彼が喜ぶか、毎日そればかり考えて生きてきた。でも、最近は、テンション下がりっぱなしだ。
違和感は、レティシア王女の輿入れから始まった。
辺境国の王女ごときが、第一側妃におさまるなんて。
極め付けは、「サンドライトの王太子の婚約者を拐ってきてくんね? 正妃にすっから」の、ひとことだった。
正妃におさまり、ゆくゆくは皇后になるつもりでいたランにしてみれば、寝耳に水だ。
スゥに説得された形で拐ってはきたけど、納得いかなくてオケアノスに尋ねた。
返事は、「え。お前、皇后になりたかったの? だってお前、勉強嫌いじゃん?」
勉強が嫌いならやらなくていいと、ありのままのランが可愛いと言った口が、反対のことを言った。
「なんで? オッキー様、勉強しなくても剣が使えるから大丈夫って言ったじゃん?」
「問題ないだろ? ランはオレの女なんだから。妹ポジってやつ? なんだよ。嫉妬してんの? お前、本当に可愛いなあ」
全く悪びれないオケアノスに、ランは本気で固まった。
普段なら「可愛いなんて……もう!」と、ツインテールをぶんまわしている場面である。
「オレも大概、こっちじゃ学がねえからな。執務をさせる正妃がほしーんだよ。帝都のめぼしいインテリ貴族はブスばっかだしよ。頭良くても、ブスじゃダメだろ」
相変わらず、オケアノスはオケアノスである。
「マリアベルは美形だから、いろいろ楽しめそうだしな。しかも、まさかのエイミ付き。スチルコンプリートだぜ。ラン、お手柄だったな」
なしくずしで肩を抱かれた瞬間、ランの中で違和感が膨張した。
「やっ!」
「ラン?」
思わず振り払ってしまったが、ガチで拒否れば面倒なことになる。本能が察している。
ランは、思いきり頬を膨らめてプイっとした。
「キレーなお姫様たちで頭がいっぱいなオッキー様なんか、知らないっ!」
オケアノスは、ランの子どもっぽいヤキモチを好む。
今までは素でやっていたけど、今日のコレは演技だ。
「お姫様たちが終わったら、絶対にランのお部屋に来てよね? 来てくれなきゃ、お姫様たちを犯して殺しちゃうよ? オッキー様のことだって、キライになっちゃうんだから!」
「なんだよ。マジで嫉妬? 仕方ねぇなあ」
万事整った顔面で言われて、頭をナデナデされて、きゅんとこないこともない。
ランは無邪気にプンスカする自分を装いながら、その場を去った。
その足でテラスにたどりつき、スッキリしない気持ちで屍飛竜騎士団とキミを眺めている、というわけだ。
ランは少なくとも、自分が1番愛されていると思っていた。何をしても、可愛いと褒めてくれたから。
求めれば求めた数だけ、それ以上に抱きしめてくれたから。
身分もある。オケアノスの愛人は三姫以外は入れ替わりが激しいが、中流以上の貴族はずっとランだけだった。
貴族としての身分の高さと恋人としての立ち位置が、サンドライトの女たちが絡むまでは、比例していた。
だから、約束なんかなくたって未来を確信できた。
三姫って、なんなんだろう。
不死の化け物たちを育成しているキミは、生まれつき情緒がぶっ壊れているから、快楽さえ得られたら何だって良いみたいだ。
セックスでも、殺人でも、拷問でも、不死の化け物造りでも。
誘拐してきた令嬢たちを辱める準備に忙しいスゥは、オケアノスに従順すぎてお話にならない。
(不満があんのは、あたしだけ、か)
腐敗を薬で止めている死屍たちは、見れば見るほど不自然で、不格好だ。ワイバーンを想起させるのは骨格だけで、水浴びもイタズラもしない。単なる兵器に成り下がっている。
感慨なんかなかったけど、見ていると妙に気が滅入る。
『命は有限だからこそ美しいのだと、余は思う』
ふと、鈴がなるような少年の声が、耳に蘇った。
帝国を追われる前の、正妃腹ながら末弟に近い第15皇子だったオケアノスの、憂いを帯びた声が。
亡命前の彼は、ひとことでいえば惰弱だった。
ろくな従者もつけず、常に命を狙われていた。ランはたまに刺客を殺してあげた。
10歳に満たない頃から、誰よりも剣が得意だったラン。
面白いくらい、命を狩るのは簡単だった。
『礼を言わねばならんが……そなたは殺し過ぎる』
初恋の皇子さまは、もの言わぬ骸に黙祷を捧げていた。
自分を殺そうとした人間の死を悼むなんて、意味がわからない。
そんなふうに、オケアノス皇子は穏やかな人だった。亡命生活や政敵への復讐を経て、正しい性格になっただけだと思っていた。
でもーーー。
「オッキー様とオケアノス様は、まるで別人だな」
口に出したら、妙に腑に落ちた。
幼い頃の、優美な佇まいがまぶたの裏に蘇る。
戯れに人を殺める度に、悲しみを募らせたまなざしが。
『可哀想なラン。そなたには、貴族でない者にも心があることを、理解できぬのだな……』
何を憐れまれているかわからなくて、胸が苦しかっただけなのに。
どう考えたって、今のオッキーさまの方が、かっこいい。
鬼神のような剣捌きも。
女好きだけど後腐れない、サッパリした気性も。
『ランは可愛い』と、くしゃっと笑う笑顔も。
なのに、肩で揃えた黒髪が、皇后腹の第一子とは思えないほど粗末な装束が、それでいて出生に相応しい優雅さが、やたら懐かしい。なぜだろう?
あの頃の彼は、ランを愛してくれなかったのに。
思い出すのもいたたまれなくて、涙がこぼれないように空をあおぐ。
その時、誘拐してきた令嬢たちを監禁した塔から、白い動物が出てきた……ように、見えた。
「なによ。アレ」
視力の良いランだが、遠すぎて何の動物かわからない。ただ、背中に人を乗せているようではある。
まさか、人質が脱走?
貴族の令嬢が、塔の天窓から?
ランは反射的に立ち上がり、自らが騎乗するアンデッドワイバーンに向おうとして……立ち止まった。
今、この場で大声を出せば、ワイバーンライダーたちが気がついて、捕まえてくれるだろう。にわかライダーとはいえ、令嬢と謎生物に遅れはとるまい。
でも、何かする気になれなかった。
『令嬢に逃げられて、ザマアミロ』って気持ちが、ちょっとだけ湧いたからか。いや、かなりか。
そもそも、あの抜け目ないスゥが、脱走を許すか?
あの生き物と令嬢が、故意に見逃されたと取る方が自然だ。
だが、逃亡を見逃すくらいなら、どうして誘拐したのだろう?
キミは『スゥさんは、いつか裏切るかもしれない』と言っていた。その時は信じなかったけど、今は何を、誰を、どう信じていいのかわからない。
大好きな皇太子オケアノスのことも、ラン自身も。
それよりーーースゥはいったい、なにを考えているのだろう。
いつのオケアノス殿下に、忠誠を誓っているのだろう……?
サンドライト王国と帝国の国境は、深紅の飛竜ワイバーンが多数生息する湿地帯にある。
南北に延びる岩山の国境線付近は、両国の小競り合いが絶えない。何百年も続く紛争地帯である。
大陸東端のサンドライトなど、帝国中枢部からしたらお伽話より遠い国だが、隣接した地に住む者たちは違う。
かつては帝国の一部だった反乱分子。裏切り者たちの巣窟。
極東に暮らす帝国人こそ、サンドライトを独立国家とみなさない。
「裏切り者から土地を奪い返せ」というのが帝国の言い分で、「侵略者は出て行け」というのがサンドライトの言い分だ。
しかし、人の諍いなど、この湿地の主であるワイバーンたちからしたら、「キョーミなーい」である。
国境なんか知らないし。
好きな場所で暮らし、沼や湖で好きに泳ぎ、気に入った人間がいたら、背中に乗せてあげる。
殺伐とした人間社会とうらはらに、ワイバーンの営みは平和だ。
夏は熱風が吹き、冬は冷たい大陸風にさらされる湿原も、飛竜からしたら、毎日良い風が吹く楽園だ。
枯れ草がたなびく冬の湿原を見下ろしながら、ヨアンは「良い土地だなぁ」とつぶやいた。
「ワイバーンたちが、生き生きしてる」
ドラゴンライダーのヨアンはダンジョン探索を生業とする冒険者の生まれだ。子どもの頃から、自然の豊かな場所を好む傾向が強かった。
立ち枯れた草がたなびき、濁った沼や湖が点在するだけの寂しい湿地を、たいそう好ましく思う。
「やっぱ、わかります?!」
巨大なドラゴンを駆るヨアンの間近に、深紅のワイバーンを駆るユーコウがきた。
ヨアンは丸い目をぱちくりさせた。同意されるとは思わなかったのだ。
「ユーコウって、王都育ちのボンボンだよね? 継ぐ家督がないったって、そんだけイケメンなんだから。新興女伯爵の入り婿よっか条件のいい逆玉、いっぱいあったんじゃねーの?」
思わず首をかしげるヨアン。
ユーコウは、白い歯を見せて笑った。燃えるような赤毛を、強い風になびかせながら。
「学園を卒業して、しばらくは騎士団の花形部署にいたんですよ。そこそこは、モテましたけどね。でも、なんていうか、つまんなくて。志願して辺境部隊に配属されたら、マッチョな兄さんたちがワイバーンに乗って大空を散歩してるじゃないですか。これだ!って思いましたね」
最初は、辺境警備隊長なんて、名ばかりだった。
幸い、自分を気に入ってくれたワイバーンに出会ったおかげで、一回りも二回りも逞しくなれた。
学生時代は、同期でライバルだったディーン・ホメロスと「射干玉の騎士様と紅蓮の騎士様」なんて恥ずかしいニックネームで呼ばれていたけど、今となっては騎士というか熊だと思う。「赤熊のワイバーンライダー」。微妙にメルヘンチックな響きだが、「紅蓮の騎士様」よりはしっくりくる。
そんな赤熊は、美人なワイバーンライダーの入り婿となり、つい先日、丸々と太った赤ん坊の父親になった。
新興伯爵を拝命したばかりの妻パトレシアは、産後の肥立ちも良好だ。
「さっさと戦争を終わらせて、二人目のやや子を授けてくださいませ」とせがまれている。
「王都より不便かもしれないっすけど、気にならないっていうか。不思議に水が合うんですよねえ」
「パトレシア女史も、いー婿さん見つけたねえ」
「先に惚れたのは、オレですけどね」
「なら、ちゃんと守らなくちゃだな。奥さんも、赤ん坊も、領民たちも」
「はい!」
地平線のかなたに、何か黒い点が見える。
それは横に広がって、影のように揺らめいて、遠い大地に着地した。
男たちの笑顔が引き締まった。
「んー。あの感じだと、湿原の先の岩砂漠あたりで陣をとったかな」
「みたいですね。斥候隊に警告の角笛を吹きます」
ユーコウは首に下げていた角笛を口にくわえた。
赴任当時は全く音が出せなくて、アリスト辺境候の令嬢だった頃のパトレシアに笑われたものだ。
手本に吹いてみせた彼女の、間接キスに気が付いた瞬間の表情を、今でもはっきりと思い出せる。
重なり合った視線に、戸惑うような、芽生えたての慕情がみえた。
王太子の側妃をめざしていたという少女が、美しい王子ではなく、自分を見た。ならば、2度と目を逸らさないでほしい。
反射的に唇を奪って、アリスト家の筋肉親子と筋肉家臣たちにしこたまぶん殴られたのも、良い思い出だ。
ワイバーンの角笛が、曇天の大空に力強く響く。
どこまでも、どこまでも。
「帝国はアンデッド・ワイバーンを使役しているらしいな。ワイバーンは同族意識が強いから、仲間の悲惨な末路を見たら錯乱しかねん」
「ですね。自分は陣地に戻って、ワイバーンが眠る日暮れ直後に進軍するよう、指示を出します」
「ユーコウたちが来る前に、俺とグレイローズがアンデッドを何とかするわ。できる範囲で、だがな」
「了解です。ドラゴンライダー。ご武運を」
ヨアンは親指を立てて高度を上げた。そして辺境の空を大きく旋回すると、竜と共に先陣をきった。




