ファンタジーど定番! Wヒロイン誘拐中!
難なく気を失わせたふたりの令嬢を抱え、軽々とアンデッド・ワイバーンを駆る斥候姫スゥを眺めながら、剣姫ランは解せない思いを頭の中で整理していた。
物事を深く考えるのは性に合わない。
だが、このモヤモヤは感情のままに吐き出しても解決しない気がする。
いまいち乗り心地が微妙な不死生物を駆り、ランはスゥに並んだ。
「戦闘訓練を受けてない人間を運ぼうと思ったら、フツーはこうやって気絶させるよね。暴れたり吐かれたりすると、めんどくさいから」
「はい。殿下は、美しい女人だけを御所望ですから」
スゥのオケアノス至上主義は、今日もブレない。ランは苦笑いして、「そうなんだけど、そうじゃなくてね」と首を振る。
「レティシア王女は、このワイバーンよりも騎乗が難しいアンデッドドラゴンで拐ったの。でも、一度も粗相してないのよ。気弱そうに震えてたけど、気絶することすらなかった」
「……。」
「趣味の薬草いじりをしてるか、たまにオッキー様に呼ばれるだけなのに、スコーネ城の侍女たちに女王扱いされてんのも、わかんない。大人しくて無害なんだけど、なんだか気味が悪いのよ。司祭姫みたいな確信犯の破戒僧ともタイプが違うし」
スゥは従順だが、ランの不満に寄り添いはしない。
ただ、事実だけを淡々と伝えた。
「媚薬と、少量の麻薬です」
「はい?」
「王女は常に微量の媚薬を身につけ、対峙する全ての人間に微量の麻薬を吸引させています。三姫や殿下に効かないのは、服毒訓練で耐性がついているからです」
ランは、長い睫毛に縁取られた大きな目を、パチパチさせた。上がり気味の目尻が、笑みと共にさらに上がる。
「麻薬に媚薬かー」
「自白剤や、幻覚剤も。相手によって調合を変えているかと」
「なんだ、あいつもたいがいな性悪だったか。納得したわ。でも、なんで黙ってたの?」
「あの方の目的はサンドライト併合後に、太守としてあの地を支配することです。殿下の寵を欲する我々とは、利害がかぶりません。放置で宜しいかと」
「あんたって、ほんと清々しいほどオッキー様にしかキョーミないのネ。嫌いじゃないわ」
「お褒めに預かり、光栄です」
「褒めてないし」
接近しすぎたか。翼がぶつかりそうになったので、距離を取った。
この二体のアンデッド・ワイバーンは、最初に調整を終えた個体で、いわば試運転だ。
死体だから使い捨てできて便利だが、いかんせん動きが固い。
武伯の娘ランは、幼少期よりワイバーンを乗りこなしていたが、死体の乗り心地はイマイチに思う。
だが、もう2度と、生きたワイバーンに乗る日は来ないだろう。
飛竜ワイバーンは、同族思いで仲間意識が強い。墓を荒らして遺体を持ち去り、不死の兵器に改造した人間を決して許すまい。まあ、そのことについては、感慨なんかないが。
そういえば、「ドラゴンを死屍化できたなら、ワイバーンならもっと容易では?」と司祭姫に提案したのはこのスゥだった。
やれとは言ってないが。
ノリノリでやったのはキミ本人だが。
『ラン様。スゥさんには気をつけてね。忠誠心の厚い人間ほど、裏切るときは鮮やかなもの。杞憂なら良いけど。怪しい動きを見たら、躊躇なく殺りなさい?』
さらにいえば、スコーネ城を発つ前に、司祭姫のキミから忠告されている。
「まさか」と笑い飛ばした瞬間の、嘲りの笑みが脳裏に甦る。間違いなく、馬鹿を見る目をされた。
やっぱ、キミはムカつく。
三姫は、仲良しこよしのハーレムではない。スゥは嫌いじゃないが友達ではないし、キミは嫌いだが役には立つって認識だ。
教会の禁忌を犯し、不死の兵器を量産しているキミこそ、信徒と人類をまとめて裏切ってはいる。が、オケアノスを裏切ってるわけではない。
考えたこともなかったけどーーー亡命する前のオッキー様って今みたいな性格だったかしら?
戯れに稽古相手を殺してきたランを、人未満の野獣とみなしてなかったか? 亡命後は褒めてくれたし、片思いを受け入れてくれたから、オールオッケーなんだけど。
(やっぱ、考えるのは向いてないわ。ま、いーか。後戻りなんかできないんだから)
ランは俯きそうな顔を上げ、進行方向の空を睨んだ。
「う……」
自分のうめき声で目が覚めた。
体が痛い。吐き気がする。
まぶたを擦ろうにも、両手が上がらない。マリアベルの視界には、鈍色の石床が広がっている。
「ここは……」
「お目覚めですのね。マリアベルお姉様」
見上げれば、帝国風のジレを着たレティシアが、心配そうな、残念そうな瞳で見下ろしている。
横の侍女が手にしている壺は何だろう?
軽く視線をやると、侍女は青ざめ、肩をガクガク震わせた。
不本意だしちょっと傷つくけど、悪役顔が役に立ったようでなにより。
「お姉様もお輿入れにいらしたの? 和平交渉かしら? 私、政治はわからなくて」
無知で無垢な深窓の姫君のキャラ作りは、継続中らしい。マリアベルは体が痛むそぶりは一切見せず、縛られているとは思えないほど優雅に立ち上がった。
目線で探れば、エイミが部屋の奥で気を失っている。
彼女も後ろ手に縛られて転がされているが、お互い着衣に乱れはない。
まずは、ほっとした。
シュナウザー公爵領の修道服は、修道女たちの要望で丈夫で長持ち、切り裂きにくくて脱がせにくい、不埒な王子様を舌打ちさせた自慢の逸品である。
エイミの乗馬服に至っては、ホワイト商会謹製品だから、言わずもがなである。
「縄を解いてはいただけませんかしら?」
「私のような無力な手弱女に、そのような権限は」
その無力な手弱女は、背後に10人近い侍女と護衛騎士たちを従えているわけだが。
相変わらずすぎて、懐かしささえ覚えるマリアベルである。
「お怪我をなさっているようですから、お見舞いに参りましたの。同郷のよしみですわ?」
「そうね。輿入れ前に傷がついては困りますもの。私も、エイミさんも。あら、レティシア様。そのお召し物は帝国風ですわね」
「そうなの? 私、よくわからなくて」
出たよ。レティシア節。
「まあ! 皇太子殿下の側妃様だけに許された緋色のジレを纏っていらっしゃるのに。ご謙遜を (この程度の一般常識も知らずに王女してたの? 両陛下の許可なく結婚しちゃうなんて、サンドライトへの反逆でしょ)」
「我が身は、両国の和平のための人柱ですわ。どのような装いも致しますわ(誘拐も結婚もあちらが勝手にしたことだから、私に責任はありませんのよ。悪しからず)」
「ともあれ、ご結婚おめでとうございます。背の君に永遠の愛を誓われて何よりですわ。(どーでもいいけど、アーチライン様に2度とちょっかい出さないでね?)」
「ありがとうございます。(副音声なんて聞こえない)」
悪役令嬢と悪役王女の間に、びっしばしに冷たい戦慄が走る。
レティシアが真実、皇太子の側妃であれば、小国の公爵令嬢であるマリアベルよりも身分が高くなった……はずである。多分。帝都の中央教会で皇帝から詔を受けていれば、の話だが。
略式での皇太子側妃婚礼の場合、地方であっても教会を貸し切り、10週間に渡る婚礼祭が行われる。レティシアが誘拐されてから4週間も経っていないし、婚礼祭で盛り上がっている様子もない。
本人とこの城の人間たちがどう思っているかは知らないが、実際の立場は愛人か、ギリギリ寵妃ってところだろう。
だが、無知なのか確信犯なのか。レティシアはサンドライトにいた頃よりも余裕に満ちている。
まるで、帝妃にでもなったかのように。
上から目線のレティシアだが、マリアベルは高慢な姿勢を崩さない。
縛られていても、中身が気弱でも、裾のほつれた修道服でも、関係ない。高身長に魅惑のボディと、新人侍女をもれなく泣かせた悪役スマイルで、見た目だけは可憐なレティシアを見下してやる。
サンドライトの王太子妃ここにあり、の覇気である。
マリアベルだって伊達に王妃教育を受けていない。表面的な座学だけで終了した王女とは、ハリボテのランクが違うのだ。
ハイスペック悪役令嬢ナメんな。
にわか侍女たちはビビって固まり、護衛たちは無意識に剣の柄を握った。
この程度で怯む従者しかいない時点で、彼女の側妃としての重要度がいかほどか、お察しである。
「そ、それよりお姉様、お薬をどうぞ。縛られていらっしゃるから、飲ませて差し上げますわ」
怯えながら気遣う乙女を演じる、レティシア。
侍女たちは、マリアベルを恐れて立ちすくんでいる。
マリアベルの方も、頭は冷静だが物理的な打開策がない。万事休すかもしれないが、綻びは、勝機は、必ずある。少なくとも、お兄ちゃんにケンカを売るよりは、勝ち目がある……はず!
「ふあー。あ、乳ナシア王女だ。また毒盛りにきたんですかー?」
この時、史上最強に空気を読まない美少女が、目を覚ました。
縛られていることに気がつかずに、立ち上がろうとしては、すっ転んでいる。
「エイミさん……」
面倒な子が目を覚ましたわと、遠い目をするマリアベル。
次の瞬間、エイミは「あ! あれ多分いかんやつー!」と低い体勢から、壺を持つ侍女にタックルをかました。
貴族令嬢として予想外すぎる動きに、護衛さえも初動が遅れた。
「キャァー!」
侍女の手を離れた壺が宙を舞い、石床に落ちて砕けた。
中の液体が、シューシューいいながら蒸発している。
しかも若干、床が溶けている。
「お薬、ねぇ?」
マリアベルは胡乱な目でレティシアを見下ろしつつ、エイミを庇うように立ち塞がった。
「帝国では、酸をお薬になさるの?」
訳知りっぽい侍女たちはともかく、護衛騎士たちはちょっとあっけにとられている。
「まあ! 私としたことが。ごめんなさい。間違えてしまいましたわ」
「ふーん。足りないのは、お胸のお肉だけじゃないんですね?」
相変わらず動じないレティシアを、マリアベルの背後から煽るエイミ。レティシアの笑みが一瞬だけ固まる。
「あの、エイミさん。それはちょっと」
「事実ですもん! 乳ナシア王女は盛ってB! 盛ってもB! なのに可憐なるAカップの令嬢方をディスり虐めた、価値なしちっぱいです!」
「な、なんて暴言を。下品ですわ。わたしが、何をしたと……」
細い指で顔を覆って傷ついてる風だが、怒りのオーラがすごい。
レティシアがエイミを嫌う理由は、まあ、わからなくはない。
エイミが転校してくる以前は、学園一の美少女ともてはやされていたし。
実際、レティシアは見た目はものすごく可愛いのだ。ゲームでも男性ファン1番人気だったし。スチルも、エイミに劣らぬ美少女だったし。
だが、悲しいかな。この世界のエイミは、乙女ゲームのエイミに非ず。
問答無用、超弩級の美少女である。
高身長で悪役顔の胸だけでっかいスレンダーなマリアベルや、ファビュラスでマーベラスなパーフェクトボディのパトレシアにはまだ、「タイプが違う」という逃げ道があった。
が、レティシアとエイミはタイプが被る。
さらさらの金髪とふわふわのピンクゴールドの髪はどちらも女の子らしく、ややタレ目で優しい顔立ち。
小顔で手足が細く、身長もさほど変わらない。
その上で、レティシアより3倍は美形で、5サイズほどお胸が豊かときた。
学園一の美少女から、ダイレクトな比較対象へ。
コレは泣きたくもなるだろう。
だが、レティシアにだけは同情しない。
現在は魅惑のスリーサイズを誇るマリアベルも、ありあ時代にさんざん悩んだクチだ。「盛ってB」にさえなれなかった痛みには、しかと覚えがある。
つまり「もっとヤレ」
もと貧乳が止めないので、おっぱい教祖はさらに暴走した。
「何もしてないなんて、嘘です! 私に神経毒盛ったし! 借り腹さんと赤さん殺したし! シンシア様に意地悪しつくして平民落ちさせたし! レドレド王子に毒飲ませて歩けなくしたし!」
「……!」
「あれ? 秘密でしたっけ?」
こてん、と、あざと可愛く小首を傾げるエイミ。
「うっかり商人ルートで国中に広めちゃえって昼行灯のサムズアップが目に浮かびますわ……」
「つまり、お父様にお話しちゃえって前フリだったんですね! えげつない情報戦は、フレディ様の専売ぢゃなかったんですねー」
「むしろ宰相家のお家芸ですわ? それに、あの方もたいがい殿下の従兄弟ですからねー……」
「ひ……ひどい。わたし、誰にも何もしていませんのに。言いがかりですわ!」
「教唆犯ってコトバ、知らないんですかー? 私よりバカですかー?」
「無礼な! 平民風情が!」
マリアベルは怖いが、エイミなんか怖くない侍女がようやく主人を守り始めた。遅いよ。
「平民じゃありませんっ! 王弟殿下の養女になりましたもんっ! 聖女とドラゴンライダーは関税自主権ですよーだ」
「治外法権ですわよ?」
さりげに突っ込むマリアベルと、思わず頷いちゃった護衛騎士たち。
両手を胸の前で組んで、か弱く震えるレティシアを、侍女たちが気遣うように立ち塞がる。
が、護衛たちは、何だか表情が微妙だ。まるで、媚薬が切れかけているみたいに。
「こんな野蛮な人間に情けをかける必要はございませんわ。レティシア様」
「こわいわ…」
「蛮族の令嬢など、気にするに値しませんわ」
自由自在に出し入れ可能な涙を流すレティシアの頭上から、笑い声が降ってきた。
「アハハ! 乳ナシアって何だよ。まんまだけど。ウケるわ。ま、この勝負、レティシアの負けだ! 身ぃ引いとけ?」
その男は、いつの間にか明かり取りの窓枠に腰掛けていた。そして、なんなく着地した。
男に影の様に付き従う女は、マリアベルとエイミを拐った斥候姫だった。
漆黒の髪。真紅の瞳。若いながら威厳に満ちた表情。
背中には巨大な剣を背負い、赤い竜麟の鎧を身に纏っている戦士ーーー皇太子オケアノス。
「エイミってすっげーバカ女だったんだな。ま、いーけど。それより、ようこそ。マリアベル・シュナウザー。オレはオケアノス。お前を正妃に迎え入れてやろう。単刀直入に聞くけど、お前、転生者だろ?」
マリアベルは否定も肯定もしない。ただ凪いだ眼差しを向け、優雅に首を傾げた。
「初めまして。エウロギェン王朝皇太子オケアノス殿下。サンドライト王国王太子フレデリックの婚約者マリアベルでございます」
後ろ手で縛られたままのカーテシーだが、その所作は美しく、いっそ気高い。飾り気のない修道服姿ながら、ドレスを纏い王錫を持つ女王の様な風格さえ漂わせている。
「へえ。楽しませてくれそうな女じゃん」
オケアノスの笑みが、欲望に歪んだ。




