美少女バトル開幕! 乙女ゲームのヒロインVSギャルゲーの攻略対象!
『僕が迎えに行くまで、修道院の外に出てはいけないよ?』
夢の中のフレデリックは、そう言ってマリアベルの銀髪を優しく解いた。
前世の、ありあの記憶を伝えて、ピアノを弾いて、おやすみなさい。また次の夢で会いましょうーーーで、終わりではない。
「役に立つ日なんかこない方がいいんだけど」と、彼が幼少期に編み出したという、房中暗殺術を伝授されている今日この頃である。
子どもでは、どうやっても暴漢相手に力では対抗できない。でも、フレデリックは狙われた。警備が緩いっていうか誘い受け状態で、容赦なく寝首をかかれまくった。
「自分の刺客は自分で倒そう」って、どういう教育方針の親だ? ……国王陛下か。
寝具や寝巻きに武器を仕込むのは当然として、くるみぼたんに毒を仕込んだり、寝室の床に細工をしたり、カフスピンに睡眠薬を仕込んだり、枕の下に毒針を隠したり。
暗部たちもいるんだけど、ちょっとやそっとの骨折や服毒くらいじゃ助けてくれないから、フレデリックも必死だった。
「急所とか、ツボとか教えるから」
と、瀟洒な服を脱いだ彼は、古い刀傷にまみれていた。
胸部も、腹部も、背中も。
騎士に比べたら細身だけど、傷痕が痛々しく見えないほど鍛えられていてーーー驚いて息を呑んだマリアベルに、フレデリックは「あ、傷か。驚かせてごめん」と言った。
高位貴族は公衆の面前でみだりに肌を見せてはいけないから、彼が人前で上半身をさらしたのは、おそらくはじめてだろう。
「傷痕が残ってるのは、ほぼ全部、国王との手合わせだよ」と笑って「昔から、暗殺者に寝首を狙われる方が気楽だったんだよなあ」と、真顔になった。
それもどうなんだろう。
サーガフォルス王は、無力な者には期待しない御方だ。ある時期からは、おそらくフレデリックも自ら食らいついたのだろう。
『守りたい存在が、切実だった』から。
やたらこちらを赤面させたがる困った人だが、マリアベルの命を、心を守るために、何を犠牲にし、どれほど己を鍛え、知恵を磨いてきたのだろう。
断罪に怯えていた頃は、気がつきもしなかった。でも今は、鍛え抜いたしなやかな体躯から、古傷のひとつひとつから、それを感じる。
だから、彼を悲しませたり、心配させたりするようなことはするまいと誓った。それなのに。
マリアベルは今、フレデリックの言いつけに背いて、修道院の外にいる。
赤や黄金色の落ち葉が敷き詰められた山の斜面に。
侍女で懐刀のステラにやや強引に手を引かれて、キノコ摘みに連れ出されてしまった。
最初は修道女たちと行動を共にしていたのに、いつしかはぐれてしまったのも、こうなってくると想定内だ。
落ち葉の隙間からは、つややかで美味しそうなキノコがそこここに顔を出している。
色彩豊かな秋の午後。平和そのものだ。
しかし、マリアベルの傍でキノコを摘み、籠に入れている女は、ステラの顔をしているがステラではない。
(ステラが、入れ替わっている……いつの間に?)
マリアベルは山の秋を楽しむように微笑みながら、思考を巡らせる。
ステラは若手の暗部の中では、頭ひとつ飛び抜けた実力者だ。フレデリックとの婚約が決まった際に、侍女兼隠密兼懐刀として未来の王妃に忠誠を誓っている。
そのステラになりすましているこの女は、いったい何者だろう。
ステラは今、どこにいるのか。
無事なのか否か。
不安は募るが、情報が少なすぎる。
今朝早く王都を発ったフレデリックと、合流するまでうまくやり過ごすしかない。
フレデリックに危険が及ぶ懸念はあるが、なんかあの人は大丈夫な気がする。
「マリアベル様は……完璧ですね」
しゃがんでいたステラがそう言って顔を上げた瞬間、マリアベルの四方を4人の黒装束が囲んだ。
ステラは背後に飛びすさる。
キーンと甲高い金属音が鳴り響いて、黒装束がいくつかの短剣を叩き落とした。
毒塗りの短剣が地面に散らばり、シューと音をたてて落ち葉が蒸発する。
「ざんねんー! 邪魔が入って失敗しちゃったわ」
椎の木の枝から飛び降りた少女が、ステラの顔をした女の横に並んだ。
金髪をツインテールに結え、豊かな四肢をビキニ型の鎧にねじこんだ美少女だ。
「スゥったらダメじゃない。護衛は始末したんでしょ?」
「そちらは新顔です」
スゥと呼ばれたステラは修道服を脱ぎ捨て、精巧なマスクを外した。サンドライトの技術では不可能なヤツだ。
しかし、マリアベルの表情は凪いでいる。背筋を伸ばし、たおやかな笑みさえ浮かべる様は、優雅でさえある。
「皇太子殿下直属の、剣姫様と斥候姫様とお見受けしますわ。私に何の用ですの?」
「あら、バレちゃった? あんたに恨みはないけど、死んでもらわないとこっちが困るの。帝国貴族も、皇太子のお手つきは就職難でね」
腰の剣を抜刀したランは、目にも止まらぬ速さで令嬢を切り裂こうとしてーーー黒装束ではなくスゥに止められた。
「何よ。スゥ。邪魔しないで」
「殿下はマリアベル嬢を欲している。殺すことは殿下への謀反とみなします」
「だまれ! 庶子の雌豚が!」
対峙しながら、ランとスゥは一向に剣を引かない。
マリアベルの命を狙うランも、あからさまに誘拐しにきたスゥも、仲間割れをしていようが等しくマリアベルの敵だ。
ーーーそして、かなりの手練れだ。
この黒装束たちは、フレデリック直属の手駒だ。マリアベルも何人いるか知らないし、素顔を見たこともないが。
ステラの上司にあたる男たちだが、その彼らでさえ、逃走や反撃の隙がない状態に陥っている。
「剣をお引きください。剣姫。海戦で惨敗した以上、手土産が必要です」
「最初から負けるってわかってたじゃん? サンドライトがどれだけシーサーペントを手懐けてるか見たかったのと、ルス海兵の戦力を削りたかっただけなんだから」
北王国連合の領土的な野心を利用したって事情を、平然と敵の貴族に教えるあたり、頭が弱いのか見くびっているのか、両方か。
相変わらず表情を変えないマリアベルを指差し、ランはヒステリックに叫んだ。
「だってこいつ、王妃教育受けてんじゃん! 他の女と違うし! ハーレムは何人いたってかまやしないけど、正妃はふたりもいらない!」
帝国貴族で最もオケアノスに近しい剣姫ランは、正妃候補と目されてはいるが、正妃教育は受けていない。勉強も嫌いだ。
流転の皇太子オケアノスも帝王学を学んだのは10歳までだ。
ふたりが帝国の中枢に立つ日は訪れまい。
正論で説得するのは無駄と悟りきっているスゥは、先に剣を引いてマリアベルとランの間に入った。
「剣姫。私も、正妃は剣姫ラン様であるべきと存じます」
と、臣下の礼をとる。
「殿下に純潔を散らしていただいた後、共に可愛がってさしあげませんか? 事故なんて、どこの後宮でもよくあることです」
「なるほど! スゥったら頭いいわね! じゃ、運んじゃいましょ?」
ランとスゥが慣れた手つきで、剣を抜く。
黒装束の4人は、マリアベルを守ったまま、じりじり後退する。
「合図をしますから、逃げてください」
同じ教室で学園生活を過ごしたクラスメイトの声に、マリアベルは小さく頷いた。学力も剣技も特に目立たない、人当たりの良い子爵令息だ。フレデリックの暗部は、どこで何をしているのかイマイチ謎な人が多い。
でも、マリアベルは知っていた。この少年が暗部だなんて今知ったけど、ステラの彼氏だってことはかなり前から知っていた。
次の瞬間、目が眩むような閃光と煙幕が同時に上がった。
「逃すか!」
煙の中に飛び込む剣姫。激しい金属音が響く中、マリアベルはふわりと体を持ち上げられ、何か硬い板に座らされた。
「へ?」
「ベルベル様ってゆーか、フレディ様ごめんなさい。おっぱい、失礼します!」
背後から、ピンクブロンドの美少女が抱きついてきて、板が斜面を滑り始めた。
「え、え、え、え?!」
戦いの音が、急激に、背後に、遠のいてゆく。
マリアベルがありあだったころ、テレビで「リュージュ」というスポーツを観た。最高時速130キロで斜面を滑り降りるとか、橇の次元を超えてると思った。
まさか、転生した先の山でやるとか!
雪さえないし!
意味わかんないし!
石とか木とか障害物、なんか華麗に避けてるし!
夏にシーサーペントに乗って帰省しただけあって、エイミはかなり運動神経が良い。体幹も良い。乗馬も得意だし、パトレシアの介添つきだがワイバーンに乗ったこともある。
令嬢としてどうなんだって感じだが、今回はそれに救われた。
ホワイト商会謹製「夏橇」は、滑走面に氷を取り付けることで、オールシーズンそり遊びを楽しめる逸品である。軽くて持ち運びに便利なので、災害時にも利用できる。
後に競技として後世に伝えられるが、この時はまだ試作品初号機であった……。
フルスピードで斜面を下り、いくつかの小川をとびこえ、落ち葉が積もる緩斜面で、そりはゆるゆると停止した。
マリアベルとエイミは座ったままの姿勢で、そのままコテンと横に倒れた。
「あいたたた……ベルベル様、お怪我はありませんか?」
エイミは割とすぐに復活して、ぴょこんと起き上がったが、平行感覚が保てず、そのまま地面にカエル座りした。
おさげの髪も、着ていた乗馬服もボロボロだ。
マリアベルはしばらく固まっていたが、やがて我に返ると細い指を伸ばして、ピンクブロンドの髪に絡まる枯れ葉や草をつまんだ。
ちなみに、マリアベルも腰を抜かしていて立てない。
あちこち痛いけれど、厚手の修道服のおかげで、体の方は概ね無事みたいだ。
純白の修道服が、茶色と鼠色のまだらになったけど。
「エイミさん……ありがとう」
小さな肩。細い背中。こんなに小柄で華奢な少女が、決死でソリを操縦し、身を挺してマリアベルを守ってくれたのだ。
「怖かったでしょうに。貴女こそ、お怪我はありませんこと?」
ギュッと抱きしめると、エイミはポカンとして、それから恐怖を思い出したかのように全身を震わせると、ワッと泣き出した。
「べ、ベルベル様! ひっく! こ、こ、こ、怖かったですぅうう! うわーん! ぶ、ご無事でよかったですー!」
しがみついて泣きじゃくるエイミの髪を撫でながら、マリアベルは(やっぱこの声、可愛いなあ)と、ほのぼのしていた。
野々宮ありあの親友、来宮瑛美は、ありあの願いを叶えて声優になってくれた。それも、大好きだった乙女ゲームのヒロイン、エイミ・ホワイト役に。
普段の瑛美はアニメ声じゃないから、喋り方やトーンは違うけど、泣くと同じだ。
瑛美がありあの前で泣いたのは1度だけ。初恋を諦めて瑛美に譲ろうとした時だけだ。
「惚れた男を侮辱すんな!」と怒られた。
病室なのでぎゃんぎゃん騒いで言い争って、最後には「死なないで!」「死にたくない!」とふたりで大泣きした。
「しなしなしな死ななくて良かった! ベルベル様が死ななくて、ほ、ほ、ほんとにほんとに良かったですー!」
「エイミさん……」
マリアベルはエイミと一緒に泣くわけにはいかないけれど、この頬を濡らす涙を拭うことならできる。
この子の笑顔が魑魅魍魎の社交界で曇らないよう、後ろ盾になることならできる。
死んでしまったありあは瑛美に何もできなかったけれど、生きているマリアベルはエイミにできることがたくさんある。
エイミはしばらくマリアベルの肩に目蓋をこすりつけてヒックヒックしゃくりあげていたが、やがて自分から身を離して「えへへ」と笑った。
「ベルベル様、ここ、どこら辺か、だいたいでもわかりますか?」
「いいえ。でも、山は日暮れが早いですわ。野営できる場所を探しましょう。やりようによっては、殿下に連絡できないこともないですし」
「へー。王家にビックリアイテムでもあるんですか?」
まさか夢で連絡がとれるなんて言えない。言っても、信用されないだろう。マリアベルは曖昧にぼかしながらも、夢の中でフレデリックとしたこと、されたことを思い出して、思わず我が身を抱きしめた。
それを身震いと勘違いしたらしい。エイミのまなざしは同情フルマックスだ。
「し、詳細は聞くのやめときます。フレディさま、大概なんでもアリな人ですもんねー」
と、先に立ち上がった彼女が、手を差し出してくれた。ふたりで支え合うようにして立ち上がると、どちらからともなく笑みが漏れる。
「うふふ。ベルベル様ったら、ボロボロですね。ボロボロでも美人さんですけど」
「エイミさんこそ」
「はい! 名誉の負傷です!」
胸を張るエイミの笑顔は、今日も眩しい。だが、ほどなくしてサンドライトで最も美しい空色の瞳が揺れた。
「どうなさったの?」
すみれ色の瞳が、視線の先を追うように背後に見返る。
新雪みたいにやわらかな紅葉が積もる斜面の上方に、見覚えのある、ツインテールとショートヘアがいた。
ワイバーンの骨格標本みたいな黒い翼竜にまたがり、ツインテールは残忍な笑みを、ショートカットは冷たいまなざしをこちらに向けて。
「あなたたち……」
フレデリックの手駒たちと戦ったのか、回避したのかはわからない。ただ、ふたりともに、装束に戦闘の乱れはない。
「みーつけた! 鬼ごっこはおしまいよ? 歌の聖女まで釣れちゃうなんてね。あはははは!!」
剣姫ランの無邪気な、狂気的な笑い声が、秋の山に響き渡り、こだました。




