ふざけた海戦と、もっとふざけた皇太子の戦力のエグみが深い
冬の訪れを厭う帝国海軍と違う意味で、シーサーペントたちも焦れていた。
なぜなら、いつになく、たくさんの箱が海に浮かんでいるから。
しかも、全然動かないから。
昼も夜も同じ場所に浮かんでいるから。
好奇心旺盛なシーサーペントたちは、日頃から人間が乗る船を、ひっくり返したくてひっくり返したくてたまらないのだ。
浮いているものをひっくり返したくなる本能ゆえに。
でも、それをやったら、この海を守る大海龍さまことリヴァイアサンに「メッ!」ってされちゃう。
大海龍さまは「メッ!」のつもりだけど、される方の体感は「滅!」である。ちょっと耄碌しているおじいちゃんは、力加減ができないのだ。
その大海龍さまが、「緋色の旗をつけてる船が青い旗の船を攻撃したら、チョットだけひっくりかえしていいよ」と許可をくれた。
もはや、本能は待ったナシである。
シーサーペントがシーサーペントを呼び、海峡は芋洗い状態になった。
秋の日差しが短くなり、もうじき初雪が降るだろう。
そんな時分だった。
緋色の旗をつけた船から、一斉に大砲が発射された。
最新鋭の大型軍艦が次々に碇をあげると、巨大なうねりが対岸に届いた。
進軍が開始された瞬間、シーサーペントたちはキュンときた。キュンキュンきた。
「うきゃー! キター!!」
「ひっくりかえしちゃえー!」
まさに、鞠に戯れる子ネコのごとく、軍艦をひっくり返しはじめたのだ。
何度も、何度も、歓喜の嘶きすらあげて。
シーサーペントたちは無邪気に遊んでいるだけだが、全長3メートルの海竜たちに、パンケーキみたいにひっくり返され続けた軍艦が無事なわけがない。
サンドライトの海兵たちは、後に口を揃えて語った。
「あれは、戦争じゃない。一方的な蹂躙だった」と。
広く北海を見渡せる高台の陣を守っていた元帥ファルカノスと大将軍メルセデス公爵も、なんとも言えない表情で、当時の戦況を語った。
「酷ぇ戦いだったな。戦いっていうか、たちの悪い冗談みたいな地獄?」
「自分、2度とあんな惨劇は見たくねえっす」と。
後の歴史書に「北海峡の悲劇」と記されることになる海戦は、サンドライト軍の圧勝だった。
戦わずして圧勝したが、それより捕虜の人命救助に苦心したのは、言うまでもない。
シーサーペントの中でも屈指のウェーイ系たちが、ファルカノスの制止を数時間ほどガン無視したのも、被害の拡大に拍車をかけたと言う……。
調子にのりすぎた悪い子たちは、後日、三叉の矛でぶんなぐられる憂き目にあった。
黒目をキラキラさせて「ごめんなさい」で許してくれるほど、ファルカノスは甘くない。隊列を組んで反撃しようものなら、渾身の蹴りとビンタを喰らう。強さが人間じゃない。ガシガシにぶん殴られて、死なない程度に骨折させられて、何匹かはマジ泣きした。
メルセデス公爵はもう少しだけ優しいけど、「雪が降ってリヴァイアサンや老海竜たちが冬眠する前に、海峡を全部掃除しろ!」と怒られた。ついでに養殖の蟹を逃した子と、牡蠣の糸を解いた子も怒鳴られた。まあ、これは毎年のことだけど。
王弟ファルカノス元帥は、大海龍リヴァイアサンに認められてドラゴンライダーになる以前に、海竜シーサーペントのリーダーを素手でぶん殴って喧嘩を売り、拳と鱗と背鰭と胸鰭で語り合ってズッ友になったという、不良王子の成れの果てである。大将軍メルセデス公爵は、その舎弟の元不良公子である。
軍艦をごろんごろんひっくり返した海竜たちを一列に並べて「教育的指導」を施す元帥と大将軍の姿に、もと連合王国と帝国海兵の捕虜というか生存者たちは思い知らされた。
この海で喧嘩を売ってはいけない相手は誰か。
そして「初雪まで待て」と言ったオケアノス皇子の真意も。
「あーあ。やっぱ我慢できなかったか」
オケアノスの居城から、戦場は見えないが海は見える。
海戦の主戦場に繋がる海が。
秋の盛りの海がいつもよりも青く輝いて見えるのは、シーサーペントの鱗が大量に漂っているからだろう。
「海戦は、お前の母の実家の負けだな」
チェスの盤を挟んで、オケアノスはサンドライトの王女に嗤いかけた。
「攻撃は冬まで待てって言ったのになー。冬になればアンデッドドラゴンの腐敗が止まるから瘴気砲で攻撃できるし、あれを無力化できる大海龍が冬眠するのに。ま、ルスは兵隊が弱すぎるし捨て州だから、勝っても負けても構わねえけどな」
「……なんてことを」
真っ直ぐサラサラの金髪が、オケアノスが背にした窓からの光を受けて輝いて見える。
側妃レティシアは、不思議な女だ。
気弱で従順で清純にふるまうのに、どことなく不敵で得体が知れない。身分があるようで微妙な側妃なのに、使用人たちには、帝妃のごとく崇拝されている。謎だ。
手弱女の、駒を持つ指がわずかに震えた。
意外に遣り手だから相手に不足はないが、この女のチェスは女王が異様に動かない。
「ほら、チェックメイトだ」
「参りましたわ」
若草色の瞳を伏せる横顔は、引っ叩いたら壊れそうなほど繊細だ。
オケアノスは細い腕を強引にひっぱりあげて、立ち上がらせた。
「ついてこい。良いもんを見せてやるよ」
最上階の私室から、地下に繋がる螺旋階段を下ってゆく。
サンドライト風のパンプスはヒールが高くて歩きにくそうだが、オケアノスは頓着しない。
この女はヨタヨタしながらも、こちらの手を煩わせない程度にはついてくるから。
そういう女だ。
無尽蔵に体力があるわけでも、立ち回りがうまいわけでもないのに、決して潰れない。
多くの女たちを崩壊させたような扱いをしても平気だし、かといって被虐趣味がある風でもない。
だからというか、なんというか、いまいち興がのらない女なのだ。
見目が清純だから、最初は征服感が半端なかった。だが、慣れてくると、どうも表面的というか。面白味がない。
身分的には皇妃にもなり得るが、例えお飾りでも生涯そばに置く気にはならない女だ。
最初は剣姫のランを正妃にするつもりでいたが、あれは頭が悪い。司祭姫のキミは表向き生涯純潔だし、庶子のスゥは問題外だ。まあ、王妃教育を受けたマリアベルを奪えばいいか。
「なあ、戦後は、お前をサンドライト州の女太守に任命したいんだけど」
ピタリ、と、レティシアの足が止まった。
靴ずれで踵が痛むのか。少し後ろを気にしている。
オケアノスは、金の髪をさらさらと指でとかして、その先端に唇を当てた。
「太守……ですの?」
「もともと、サンドライトなんか国じゃねえ。帝国の州に戻すだけだ」
「……」
政治の話をするとき、この女はいつもに増して否定も肯定もしない。北王国連合の姫とサンドライト国王の娘で、今は帝国に「保護されている」王女。
表向きは無実の罪で投獄された側妃腹の娘を救出したことになっているが、実際にはまあ、拉致で間違いない。
ルス州やサンドライトに派遣した密偵や斥候の報告では、おとなしくて善良。侍女に好かれ、草花を愛し、薬草の研究を趣味とする控えめな姫君と聞いている。
だが、斥候姫スゥからの報告は違う。
『第二王子レドリックは、王太子教育時期、摂取する毒薬と同時に服用すると神経が麻痺する『薬草』を『実の姉』から与えられて重度の障害を負った。善意の過ちにしては不自然すぎるゆえに、王太子フレデリックによって監獄塔に幽閉された』
つまり、わずか12歳で、実の弟を殺害しようとした毒婦だと。
オケアノスは、まあ、スゥの報告が真実だろうと踏んでいる。
サンドライト側からの、レティシアの身柄の返還要求がなんとなくおざなりだからだ。
つまり、サンドライトにとってこの娘は益にならないどころか害悪。むしろ体良く厄介払いができたといったところか。
「お前さ、侍らせたい男とかいねえ? 逃げんよう手足は切るし、逆らわんよう声も潰すけど。まあ、お飾りの配偶者っての?」
「そんな。残酷すぎますわ。名のある方は婚約者がおりますのに」
「知ったこっちゃねーな」
怯えた佇まいが本音だろうがポーズだろうが、オケアノスには関係ない。お互いの利益が一致して、王国が見捨てた女がこちらの手駒になれば良いのだから。
『レティシア王女は、大公宰相家嫡男アーチライン・シェラサードに懸想、執着している可能性が高い。証拠は薄いが、彼に愛された女たちを秘密裏に排除、もしくは殺害した形跡あり』
これも、スゥだけが掴んできた情報だ。
オケアノスは満面の笑みを浮かべた。
「婚約者っていやー、エイミ・ホワイトの婚約者、オレ、大嫌いなんだよな。弱っちいくせに粋がってやがるし。身分的に丁度いいし、見た目だけはマシだから、劇薬につけちゃわね?」
「そんな! アーチラインさまは……!」
怒りか、喜色か、無表情の頬に赤みがさした。
おそらくだが、あの男に毒や媚薬の類はあまり効かないだろう。
薬草の研究を趣味とするレティシアが、それと背中合わせの効用を知らないはずがない。
彼女を監獄送りにしたフレデリックをはじめ、絆されない人間は、毒や媚薬の耐性が強い可能性が高い。
王族なら、当然そういう教育を受けていよう。
レティシアの意のままにならないということは、あの男にも大公宰相家を継ぐ以外の大役が与えられていると考えた方が自然だ。
王族が皆殺しの憂き目にあっても、むしろその後こそサンドライトを導くような?
ご苦労な話だが、サンドライトとはそういう国だ。絶対王政に見せて、幾重にも中枢機能をはりめぐらせている。王政が崩れても共和制で立て直せるほど地方自治が発達している。
ならば、その象徴を帝国の力で辱めるまでだ。
転生の泉を守っていた老いぼれを殺して以来、オケアノス本人の知識が大量に流れ込んできて、実にいい感じだ。
神堂に抵抗する力が、本人の魂が、急激に失われたのだろう。抵抗なく閲覧できる情報は、なんて役立つのだろう!
「王族じゃねーから処刑対象じゃねーし。従兄妹だっけ? お前の配偶者に丁度いいじゃん? エイミはオレが貰うから、廃棄物を引き取れよ? な?」
オケアノスは1人で合点したように、表情をなくしたままのレティシアに笑いかける。
オケアノスは確信している。
この提案こそ、レティシアが最も欲するサンドライトの未来であり、伴侶であることを。
そりゃ、こんな王女じゃサンドライトも見捨てるわな、と。
やがてふたりは、広々とした地下室にたどりついた。
オケアノスが手を叩くと、小さな光源を手にした下男たちがしずしずと道を照らした。
男たちは一様に防護服を纏い、鳥のクチバシのようなマスクをかぶって皮膚を隠している。
湿気かひどく、すえた臭いが充満している。
レティシアは自然に、オケアノスの服の裾をちょんと掴んだ。
突き当たりは祭壇だろうか。
先頭の男が光源をかざすと、青い炎が広がって漆黒の壇上を照らした。
「司祭姫キミ…様?」
「ご機嫌よう、皇太子オケアノス様。ご機嫌よう、側妃レティシア様」
真っ暗な祭壇で祈りを捧げていたらしい司祭姫が、色素の薄い目を細め、カーテシーを披露した。
「よう。キミ。調子はどうだ?」
「ええ。順調ですわ。雪が降る頃には、世界一の戦力を誇る屍飛竜騎士団が誕生しますわ」
裾が広がる司祭服から指を離し、両手を広げて両サイドの壁を指す。
祭壇の光源になれてきたレティシアの目が、両壁にズラリと並ぶ巨像をとらえた。
巨像と思われた物体は、像ではなかった。
黒い翼に、骨組だけの巨大な肢体。
まさに、飛竜の骸骨だ。
アリスト辺境侯爵お抱えの飛竜部隊とは、似ても似つかない。
キラキラした赤い鱗は1枚も見当たらず、輝く黒い瞳はただの虚淵。もとが同じ生物には到底見えない。
「ひっ……!」
「200体いる」
思わず息を飲むサンドライトの王女を、帝国の皇太子は真紅の瞳を輝かせて見下ろした。
「生殖能力の低いワイバーンは、本能的に同族と戦えない。だが、こいつらは意志をもたない屍だ。飛竜が使えない飛竜部隊なんか、敵じゃねえよ。サンドライトは西から滅ぶ。こいつらは北海にも配置するから、王弟とメルセデスは離れられんだろう。さて、翼をもがれた大将軍アリストとドラゴンライダーのヨアン・カーマインだけで、どれだけ防戦できるだろうな」
生命を玩ぶ男の低く楽しげな声が、青い炎に照らされた黒い地下祭壇に響き渡った。
欄外人物紹介
ステイン・メルセデス公爵
サンドライト北部を領地とするメルセデス公爵領の当主でシーサーペントライダー。42歳。
セリフが少なすぎてわかんないけど、モブ脳筋。
身長196センチ体重120キロ。禿げ頭が眩しいゴリマッチョ。
若い頃は、ファルカノスとやんちゃばかりしていた。当時のノリでたまに「若」と呼んでしまう。
3男3女の父。孫は7人。
長男は脳筋家系の奇跡で頭が良く、シュナウザー公爵領で領地経営の修行中。クリスフォードの侍従兼側近。よく護衛と勘違いされるが、クリスフォードからの信頼は厚い。
下ふたりは海軍所属。ファルカノスの息子たちと仲良し。娘は三つ子で、それぞれ別の海運国に嫁いだ。
気の良い脳筋マッチョ男性あるあるだが、嫁さんに頭が上がらない。全く上がらない。
「公爵」より「オヤジ」と呼ばれることが多い。ファルカノスには「ハゲ」か「海坊主」と呼ばれている。




