「お前かよ!」察したくなかった『贄』の名を。
かなり猟奇なラスボス(ストーカー)注意。
今回明かされるラスボスは、次話の冒頭で明記します。
心が揺れる。涙が止まらない。
幼少期のマリアベルは、癇癪持ちで我儘な少女だった。
フレデリックと出会って前世を思い出し、前世の人格に引っ張られてこの性格になったと、思っていた。
違った。思い出した。
ありあの記憶があってもなくても、マリアベルはマリアベルだった。
意地悪なんか、したくない。言いたくない。
身分の違いで立場が変わるのは事実だけど、だからって使用人や立場の弱い人たちを虐げたくなんかない。
なのに、体が勝手に癇癪を起こす。口が勝手に動く。そんな毎日に絶望し、夢の中の前世に憧れていた。
あの日々は、ゲームの強制力だったのだろうか。
あのまま成長していたら、フレデリックはもちろん、学友や周囲の貴族たちと良好な関係を築くことはできなかっただろう。悪役令嬢が受ける断罪が苛烈だったのも、手に染めた悪事以上に、周囲から憎悪されたからに相違ない。
だけど、マリアベルはその記憶を失うことで、救われた。
ありあの幸せを望む、二ノ宮の祈りに救われたのだ。
今のマリアベルは、多くの人の期待を受け、支えられ、自らも望んで王太子妃となるべくして育った公爵令嬢だ。
涙を止め、微笑むことさえできずして、誰が未来の国母を名乗れるか?
「……記憶を取り戻すまでが、前座でしたわよね? 本題を、お願いしますわ」
ピアノとゲームを愛する平凡な少女だったありあには、存在しなかった覇気だ。
多少、圧倒されかけた瑛美が、気持ちを立て直してサムズアップした。
「強くなったわねー。あんた。じゃなきゃ困るか。むしろ、王子様の方がダメージ受けてね?」
「瑛美! さっさと本題に入る!」
「やだー! このありあベル、ぜーぜん可愛くない! 」
楽しげなマリアベルと瑛美を遠目に「キノミヤ エイミが、エイミ嬢に見えてきた……」と、呟くフレデリック。
『エイミさん。はやく宿題をなさい?』
『いやですー! 今日のベルベル様、意地悪ですー!』
……。割と、既視感しかない。
「ま、急ぐとするかのー。もうじき夜が明ける」
シャラシャラと上王が錫杖を振ると、瑛美の表情からイタズラな笑みが消えた。
「ま、ここでは気が滅入るじゃろうから、歩きながら話すかの。そろそろ外の空気を吸わんとな」
先導する老人に、瑛美が続く。フレデリックは、当たり前の様子でマリアベルを抱き上げた。
鍾乳洞の洞窟は、滑りやすいから。ハイヒールではとても歩けないから。
だけど、マリアベルが正確な記憶を思い出す以前の、甘さはない。
ふたりの様子に『ま、そーなるわな』と内心つぶやく瑛美。
記憶を取り戻したばかりのマリアベルは今、大きく揺れているだろう。
二ノ宮とありあの絆を目の当たりにしたフレデリックが、無言になるのも当然だ。
今まで通りイチャイチャできたら、逆にすごい。
恋愛なんて、どこにエアポケットがあるかわからないもの。
これが切っ掛けでダメになるなら、そういう縁なのだ。人柄とか、付き合いの深さとかじゃなくて。
とはいえ、別に引き裂きたいわけじゃーない。黙ってるばかりじゃ余計にドツボだろうと、瑛美はマリアベルに話しかけた。
「やなこと聞くけどさあ、音楽科の神堂 穂成って、思い出した?」
「あー。バイオリンが上手な神堂くんだよね……」
マリアベルのトーンが一段下がり、瑛美も全身でため息をついた。
「つきまといが上手な神堂でしょ」
フレデリックが不機嫌になるのはわかりきっているので、マリアベルは感情を交えずザクッと説明した。
音楽科はピアノ科とその他の科でクラスが分かれているから、野々宮ありあと神堂穂成の接点はなかった。
強いて言えば、春の甲子園大会の応援で、通路を挟んだ隣に座ったくらいだ。
ありあは母校の応援に夢中で、反対隣の友達ときゃーきゃー騒いでいたので、通路隣の男子なんて、全く目に入らなかった。
なのに、その日からつきまといが始まった。
ありあ自身はしばらくは気がつかなかったが、瑛美に指摘されてゾッとした。
家を出てから教室に入るまで、等間隔でずーっとついてくる。
休み時間や放課後に視線を感じて振り返れば、必ずそこにいる。
放課後に病院によれば帰りのバスの中にいるし、休日に出かけた先にも必ずいるし。それでいて、話しかけてはこない。目が合う事すら滅多になかった。
気のせいといえば気のせいで、具体的な被害はなかった。
訴えようにも決め手に欠ける距離感だが、存分に気持ち悪かったのは言うまでもない。
「あんたには言わなかったけど、被害は二ノ宮が被ってたんだよ。なりすましで出会い系サイトに登録されたり、下駄箱に鳩の死骸がぶっこまれたり」
「なにそれ!」
「どうやら、ヤツの中では、甲子園の日からあんたと付き合いはじめて、二ノ宮がストーカーになったって認識みたい。話が通じなさ過ぎてびびったわ。しまいには私がヤツに惚れていて、ヤキモチやいてるって認識されたし。殿下のまわりには、こんな気色悪い人間いないだろーけどさあ」
残念ながら、そういう気色悪い人間は、フレデリックの身内にもいる。幼少期より、アーチラインへの妄執を諌めるたびに、シスコン認定してきやがる異母妹が。
「それは……災難だったな」
モヤモヤより同情や共感が優ったフレデリックに、マリアベルと瑛美がコクコク頷く。
「で、本題に入るね。ここまできたら予想つくと思うんだけど。来てるんだわ。この世界に。神堂 穂成が。呼ばれもしないのに。ストーカーなだけに」
「ちょっと待って! まさか、後追い……?」
「近い。死んじゃーいないけどね。気色悪いけど覚悟して。あいつを追い返す為には、『賓』であるマリアベルが、直接対決しなくちゃだから。あいつを払えるのは『賓』だけだから。その時に、本人の口から聞かされるよりはマシってことで」
「ちょっと待て。直接対決ってなんだよ? あと、その不吉な前振りも!」
「この世界に来る魂にも、招かれざる客ってヤツがいてね。『咎』で、いーんだよね? 上王さま?」
「うむ。この世界に幸せをもたらす魂が『賓』、不幸をもたらす魂が『咎』。神堂 穂成は間違いなく『咎』じゃ」
こちらの世界とあちらの世界は、夢で繋がっている。
夢を通じて異なる世界を垣間見たり、魂が異世界に転生すること自体は、害のある現象ではない。
だが、『咎』は有害だ。
悪意を持って、この世界の魂に取り憑くからだ。取り憑かれた魂は『贄』と呼ばれる。
『咎』は、『贄』の夢を奪い、魂を奪い、やがては『贄』に成り代る。つまり、人格を乗っ取るのだ。
それは、この世界に生きるひとつの魂の、消滅を意味する。
その『咎』を追い返すためには、この世界に『賓』を送った『贈り人』に、『賓』が『咎』を引き渡す必要がある。
『贈り人』の二ノ宮 新 には、望む魂を送る能力と共に、望まれない魂を引き取る潜在能力があるという。
さらに、望まれた魂である『賓』マリアベルには、『贄』から望まれぬ『咎』を剥がす潜在能力がある。
「もともと『賓』や『贈り人』は、『咎』の暴走を鎮め『贄』を助ける存在だったのじゃよ。ちなみに、ワシらが知る最初の『賓』は歌の聖女リリコじゃ。詳細は伝わっておらんが、リリコは禁断の手段を用いて『咎』を強制送還したらしい」
「つまり、『賓』と『咎』は、どちらも、異世界からの転生者で、前世の記憶を持っているってことですか?」
フレデリックの問いに、上王が首を振る。
「いや。『咎』は転生者ではない。転移者というのか、憑依者というか。魂はこちらに、本体はあちらにある」
「だから、『贄』にされた者から引き剥がして、強制送還させろと? やり方は? 目が合ったら強制送還終了とか、そんな簡単な話じゃないですよね?」
「うむ。じゃから、『贄』をここに拉致して参れ。『贈り人』を召還する準備をしておくでの。あ、フレデリックや。今宵、マリアベルを送ったらひとりで戻って来なさい。方法を伝授するから」
「守り人の引き継ぎですか? 父上に聞けば、ことたりませんか?」
「ホッホッホ」
「凶暴化しかねない、送り狼阻止に決まってるじゃない」
しれっとディスる瑛美を睨むフレデリックの隣で、「なるほど。ホワイト准男爵領には、凶暴な狼が生息していますのね」と合点するマリアベル。
瑛美の眼差しが、からかいから憐憫に変わった。
「うわあ。なんか……うん、ありあだわ。ま、がんばって?」
「?」
「……コレ、前世からなの?」
「庶民の箱入り娘が、深窓の令嬢に転生しただけの、筋金入りよ?」
「ホッホッホ」
「?」
「えーと。うん。話を戻すわね? あちらの世界の神堂は、自殺未遂して以来、ずーっと意識がないのよ。こっちの世界では大暴れしてるけど」
「自殺未遂……話したこともないのに」
小首を傾げるマリアベルに、呆れ顔の瑛美が深く深く頷く。
つきまとっているだけで恋人だと思いこむくらいだから、神堂 穂成の認知は異常だ。ものすごく歪んでいる。
ありあは『受験が終わるまでは、死を公表しないでほしい』と遺言を残したので、親戚以外で家族葬に参列したのは、二ノ宮 新とその両親だけだ。
情報弱者の神堂は、ありあの死後もしばらくは、病院の外周をウロウロしていたという。
同級生よりだいぶ遅れて死を知ると、野々宮家の留守宅に侵入した。そして、ありあの部屋をひととおり漁ると、骨壷を盗んで逃走した。
ありあの両親の驚愕、怒り、失望はいかほどだっただろう。二ノ宮や瑛美をはじめ、ピアノ科や野球部OB、警察を巻き込んで大捜索になった。
神堂は、卒業した学校にいた。
ピアノ科の教室の、窓際の席に座っていた。
薄いピンクの骨壷を開き、恍惚とした顔で遺骨をしゃぶって。
悲鳴をあげた瑛美を追い抜いて、二ノ宮たち男子が教室に飛び込んだ。
薄い唇が「ざまあみろ」と動いて、ニッと弧を描いた瞬間、細い体が開けっ放しの窓から落下した。
教室は3階だったが、満開の桜がクッションになって、一命はとりとめた。
以来10年間、神堂は眠り続けている。
マリアベルの表情は動かない。
王太子妃教育のたまもので、穏やかに、感情を見せることなく、冷静に傾聴しているように見える。
「祖父上、まっすぐに進めば出られますか? これ、借りるよ」
「うむ」と、頷く上王。
フレデリックは瑛美からカンテラを奪うと、洞窟の外に向かって走り出した。
マリアベルの心の痛みを、恐怖を、フレデリックは見逃さない。守ること、慈しむことを、迷わない。
言いたいこと、聞きたいことは、ある。後から後から溢れてくるが、まずは新鮮な空気だ。話はそれからだ。
「ぜんぜん平気そうに見えたけど、あれが王太子妃教育ってやつ? ありあだったら、涙目でぶるってたでしょうに」
「ま、内心はどうあれ、早急に外の空気を吸わせたいわなあ」
「はー。あーゆーとこはカッコイイわね。王子様なだけに」
遠ざかる靴音を聞きながら、瑛美は姉の気分で微笑んだ。実際は、末っ子だけど。
「ま、前世の恋人に妬いとる場合じゃないと、気がついたんじゃろ」
フレデリックは、察したはずだ。
この世界の誰が、神堂 穂成に取り憑かれて『贄』となったか。
権力でも武力でも勝てない相手に挑むために、マリアベルを守るために、自分は何を為すべきか。
「ちいと時間がかかったの。さてと、瑛美さんはそろそろ時間切れかの?」
「どーせ、また近いうちに呼び出すんでしょ?」
「お前さんは、この世界と親和性が高いでの。『ヒロインの中の人』だからか、『賓』に愛されているからか」
「はあ。いーけどさ。ありあの10周忌、ブッチしたと思われただろうなあ……マリアベルと喋ったら、法事に行く気なんか失せたけど」
瑛美が喪服なのは、ありあの10周忌に呼ばれていたからである。故郷に向かう新幹線でうたた寝していたら、この老人に拉致された。
「とりあえず、二ノ宮には話を通しておくわ。10年ぶりに会ってこの話題って、信じてもらえるかわからないけど 」
瑛美は顔の前に落ちてきた髪をかきあげて、虚空を見上げた。
洞窟を抜けた先は、白い花が咲き乱れる山瀬に繋がっていた。
洞窟内の湿った空気と違って、夜風が爽やかだ。
フレデリックはカンテラを地面に置いて、マリアベルの体を草の上に下ろした。
「気分は?」
「大過ありませんわ」
マリアベルは笑顔だ。
でも、肩が僅かに震えている。
山瀬の空気は旨いが、少し夜風が肌寒いかもしれない。フレデリックはマントを外して、愛しい女性を柔らかく包んだ。
「考察が後手に回ってしまったけど。人格異常者の『咎』以上に、取り憑かれた『贄』の方が厄介だな」
「フレッド……?」
「サンドライト国民だったら、面倒はなかったのに。大貴族だったとしても、こちらは王族だ。どうとでも料理できる。マリアベルを危険に晒す必要なんか、サラサラないのにな。国家権力や武力が通じない人間を、秘密裏に誘拐しろってことだろ? 秘密裏にやらないと、国際問題になるヤツを」
「それって……!」
マリアベルの白い頬が、さらに蒼白した。
そんな厄介な手練れは、フレデリックはひとりしか知らない。
いずれは潰すつもりでいたが、時期尚早過ぎる。いや、逆にチャンスか?
「ーーー 帝国の皇太子オケアノス」
帝国の方角に輝く星を睨みつけ、フレデリックは自らの両拳を握りしめた。
祝 ブクマ1000件 ありがとうございます!
誤字報告と感想も感謝です!
欄外人物紹介
神堂 穂成 (しんどう ほなり)
恋愛映画の主人公みたいな名前だけど、ストーカー。
with オケアノスでラスボスな異世界憑依者。
親しい友人はおらず、SNSはフォロワーにブロックされがち。あと、よく運営に怒られる。
ストーカーをしていた自覚はなく、本気でありあと付き合っているつもりでいた。ここには書けない種類の妄想も欠かさず、脳内では二ノ宮をワンパンで倒しまくっていた。
運動苦手な文化系男子が、リンゴを片手で砕ける甲子園球児をワンパンできるか否かは、考えない。
ありあの志望校だった音大にバイオリンで合格した。が、当然1度も通っていない。




