見た目だけ悪役な令嬢は、悪役を放棄できた夜を思い出したい
来宮瑛美の告白を聞いても、マリアベルは「瑛美」も、「ニノくん」も、思い出せなかった。
同じ学校に、来宮 瑛美というアイドルがいたことは知ってた。
配信されたネット動画をチェックして、顔も声もすごく可愛いなって、密かに応援していたことも思い出した。
二ノ宮 新は、野球部のエースだったな、くらいだ。
在籍学年の野球部が、やたら強かったな、と。
高2の夏に、初の甲子園出場を果たしたことも。
けど、春の選抜に出場した記憶はないし、壮行会でピアノを弾いた覚えもない。
何より、病気をしたという記憶がない。
瑛美が言う通り、「エイミと白い花」以外の記憶は、不治の病が発覚したあたりで途切れているのだろう。
「来宮さん、どうしたら記憶が戻るんですの?」
マリアベルが問いかけると、瑛美の眉が嬉しそうに下がって、フレッドが小さく息を吐いた。
「まずは、お前さん自身が『賓』を呼んだ過去を、思い出すことじゃな。手伝ってやろう。ちょっと待ちなさい」
上王が泉のふちにしゃがみ、服の袂から取り出した携帯用の錫杖を組み立てはじめた。
「久しぶりじゃから、うまくいくかのー」とか言いながら。
フレデリックは腕を組み、なんとなく瑛美と睨み合っている。マリアベルからしたら懐かしいだけの、パンツスーツの喪服姿は、彼からしたら面妖な男装にしか見えないのだ。
声がエイミなのに、言動がオヤジくさいし。
マリアベルから聞いていた話と違って、やたら内容が重いし。
なにより、二ノ宮 新が「すこぶるヤなヤツ」でイラついていた。
明朗快活で我慢強く、包容力あふれる人格者。愛情深くて、ユーモアもある。アーチラインから繊細さとチャラさを抜いて、気骨と野性味を足したら別人だが、なんかそんな感じだ。こいつ、何者なんだって話だ。元カレか。
語り終えた瑛美の問いかけは、『二ノ宮以上にちゃんと、ありあを守ってんの? そもそも、アンタって二ノ宮から彼女を託されるに、ふさわしい男なの?』という挑発な気がする。受けて立つけど。
一方、マリアベルは違うことを考えていた。
「二ノ宮 新」が、「野々宮ありあ」の幸せを願って、故意に消した記憶を知りたいと願うのは、「覚えてない過去なんか気にしない」と言ってくれたフレデリックに対して、不実かもしれない。
それが世界の為なら、その根拠がはっきりわかれば、フレデリックも反対しないだろう。
不安を受け止めて、励ましてくれるとさえ思う。
だけど、マリアベルは、まずは自分の為に忘れた過去をとりもどしたい。
まっさらにフレデリックだけを想ってきたマリアベルが、二ノ宮 新の愛情や願いに守られて生きてきたなら。
そこまで聞いた以上、「思い出したかったわけじゃないけど、仕方なく」って体裁をとることに、違和感がある。
二ノ宮の膝の上に座りながら、フレデリックの愛情を望むような感覚というか。控えめにいって、自分が気持ち悪い。
自主的に記憶を望めば、心が過去に囚われたとしても、愛する人に幻滅されたとしても、自己責任にできる。
ありあベルは、きちんと感謝した上で、ニノくんのお膝を卒業したいのだ。
そんなことを、つらつら考えていると、ふいに横から肩を抱かれた。
「ふぇ?」
光の珠が、軽く揺れながら舞い上がった。
「なんか色々納得できないんだけど。君が記憶を望む理由って、どーも、世界のためとかじゃなさげだよね」
「未来の王妃としての責務ですわ」
「棒読みだし」
彼は不機嫌な声で、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「何を思い出しても、逃がさないから。覚悟しろよ?」
「ほんとに?」
マリアベルはパッと顔を上げて、フレデリックにギュッと抱きついた。
「……嬉しい」
こんな駆け引きのない、安堵した涙声に、陥落しない彼氏はいない。
なによりマリアベルは隠れ巨乳である。必要以上に目立たないようコルセットと服のデザインでごまかしているが、このたわわが無防備に真正面から抱きつくとか……捕獲力が高くてなによりである。
そのまま人前で唇を奪われてワタワタしはじめたが、フレデリックに罪はない。実際、瑛美には『よくキスだけでガマンできるなあ』と同情されていたりする。『やっぱり、マリアベルはありあだなあ』と。
ふたりの仲を裂きたいわけじゃないから言わないが、ありあと二ノ宮のファーストキスを思い出して、うっかりほのぼのしていたのである。
ふたりが付き合い始めた頃、ありあは立って歩くこともままならなくなっていた。恋人同士らしい進展は不可能だった。
けど、誰よりも瑛美が焦れて看護婦に質問した。
「ねー看護婦さん。点滴が外れるレベルのベロチューじゃなきゃ、キスくらいしたって大丈夫だよね?」と。
聞くだけ聞いて病室から逃げたら、後日、二ノ宮から「ありがとう!」と、チュッパチャプスを贈呈された。
その後、「ありあが可愛すぎてツライ。無防備に俺のこと信用しすぎ……」と、愚痴だかノロケだか、わからんことも言われたので、紅茶を奢らせた。
転生しても、魂の本質って変わらないのかもしれない。
変なところで諦めが良すぎるところとか。
恋愛に一途で、素直なところとか。
素直すぎて危ういところとか。無防備すぎるところとか。男の欲望と理性のバトルに疎すぎて、見てる分にはおもしろいところとか。
「ありあと違って、胸デカイしなー…。病気ってストッパーもないしなー…。ま、結婚式まで耐えてから、もげろ」
わざと聞こえるように呟く、えいみゃん(28歳 彼氏いない歴3年半…と言い張るが割と外堀が埋められつつある)であった。
若者たちの青春模様を横目に、上王は手にしていた太い杖を分解して、細い錫杖に組み立てていた。
杖の外観はありふれた金属だが、内側にはダイヤモンドのパーツが組まれていた。
「これはのー。過去に遡って、魂の対話を見ることができる装置みたいなもんじゃ。見るだけで、干渉はできんがの」
老いた手が錫杖を水に刺すと、雪のように降り注ぐ魂と、無限に湧き上がる魂の饗宴が、消えた。
何も生み出さない地底泉は、凪いだ水をたたえるだけ。
その水面に、ふわり、幼い少女の姿が浮かびあがった。
真っ白なネグリジェに、銀色の巻き毛が垂れている。
少女は泣きながら、祈っていた。白い小さな指で、何度も何度も目尻を擦っていた。
「あれは……私?」
はっきり姿が見えるのに、伸ばした手はネグリジェをすり抜けてしまう。
『神さま、どうして私は、意地悪をしちゃうんでしょうか』
少女は虚空に語りかけた。
『今日も、クリスフォードくんに酷いことを言いました。本当は「カストラートなんてやめて、私の弟になって」って言いたかったんです。でも、口から出る言葉は「女の子なのにどうしてドレスを着ないの? 貧乏でドレスを買えないから男の子の服を着てるのね」でした。なんで、なんでっ……!』
マリアベルは、泣きながら祈り続ける。
『夢の中では私、不思議な形の制服を着ているんです。お友だちと仲良しなんです。意地悪なんか絶対にしないんです。……病気で死んじゃうけど』
『どうしよう。明日は、フレデリック殿下とのお見合いなのに。絶対、酷いこと言います。言いたくないのに。思ってないのに。口が勝手に動いちゃうんです。どうしよう。どうしよう……』
『神様、お願いです。こんな私を消して、夢の中の私と替えてください』
『もう嫌です。もう誰も、傷つけたくないよう……!』
叫んだ瞬間、水面が揺れた。マリアベルと背中合わせに、肩幅のがっしりした、長身の青年が現れた。
短髪で、よく日に焼けていて、金のボタンがズラッと並んだ黒い服を着ている。
精悍で男性らしい風貌だが、黒い瞳は少年のように澄んでいた。
「二ノ宮?」
瑛美の声は届かず、背中合わせの少女が彼に気がついた。
『あなた……アラタくん様!?』
涙目で見上げる少女に、『え、なに? 俺の知り合いに外人ちゃん、いたっけ? つうか、ここ、どこだろ……』と、うろたえる二ノ宮。
『私は、マリアベル・シュナウザーと申します。ここは私の私室ですわ』
『わー。すげー。ヨーロッパの貴族みたい。お嬢様なんだな。あ、オレは二ノ宮 新っていうんだけど、どこかで会ったっけ?』
『実際にお会いするのは、はじめてです。でも、私の夢によく出てくるんです。夢の中では、私、ありあって名前です」
『へ? マリアベルって、どこかで……え? ありあ? 俺、ありあがマリアベルになった夢でも見てんのか? 』
『だから、ありあは夢の中の私ですわ?』
『えー?!』
神さまに祈っていたはずのマリアベルと、うたた寝をしていたはずの二ノ宮は、マリアベルとフレデリックの初顔合わせの前日に、マリアベルの私室で出会っていた……らしい。
気を取り直して自己紹介をしあって、少女のマリアベルは二ノ宮を「夢の中の自分の彼氏さんが、夢から出てきたのね!」とはしゃいだ。
二ノ宮は「なら君は、ありあの記憶を夢に見る、悪役令嬢になる前のマリアベルかな」と、首を捻る。
『不思議ですわよね。起きている私はマリアベルで、夢の中の私はありあなんです。ありあの認識では、マリアベルは悪役なんです。もしかしたら、私は本当に悪役だから、悪いことしか言えないんでしょうか?」
『なんかよくわかんないけど、オレは嫌なこと言われてないぞ?』
『あ…!本当だわ! 夢じゃないのに、初めてです! アラタくん様、すごい!』
涙目で笑うマリアベルを、二ノ宮は瞬きしながら見つめた。
『うーん。これ、【胡蝶の夢】ってヤツかなあ? オレからすると、自分にとって都合の良い夢を見てる気分なんだけど』
『?』
『病気で苦しんで死んだありあが、なりたいって言ってたマリアベルに生まれ変わって、前世を夢に見てる、みたいな。生まれ変わっても、オレを忘れないでいてくれてる、みたいな。ところで、マリアベルはピアノ好き?』
『はい! 大好きです! 没落したら、ピアノで日銭を稼ぎます!』
『没落すんなよ。ていうか、都合が良すぎるよ。目覚めたくない』
『アラタくん様?』
『……目が覚めたら、ありあの葬式に行かなくちゃ。それがオレの現実だ』
二ノ宮は、その場に崩れ落ちるようにしてうずくまった。自らの頭を、震える両手で抱えながら。
『ありあは……もう、いない』
小さなマリアベルはしばらくその姿を見つめていたが、やがてその広い背中にぎゅっと抱きついた。
『あのね。夢の中の私は病気なんですけど、いつも祈っていますの。自分が居なくなった後のあなたが、どうか幸せでありますようにって。目が覚めても、そうなるよう、お祈りしてます』
『そっか……ごめんな』
『なんで? 謝られる理由がわかりませんわ? 命尽きるまでアラタくん様に愛されて、幸せでしたもの。当たり前じゃないですか』
大きな目から流れる涙が、黒い制服の背中ににじんでゆく。
『やっぱり私、消えちゃいたい。アラタくん様以外の人に会ったら、やっぱり口が勝手に動いちゃうだろうから。今すぐ18歳のありあになって、アラタくん様をぎゅーってしたいです。マリアベルなんか嫌だ。ありあになりたい……! 違う、私…私…』
『マリアベル?』
『私……ありあだった……?』
愕然として呟き、ボロボロと涙を流すマリアベル。
少年は体の向きを変えて、泣き崩れる少女を抱きしめた。少女は泣いた。そして、泣きながら思い出した。
自分が見ている夢は、夢じゃない。この世界に生まれてくる前の、現実だったことを。
『新くんと、一緒にいたい! 離れたくない! 人をいじめるマリアベルなんか、イヤ!! 痛くても苦しくてもいーから、病室に戻して!』
夢だと思っていた記憶が現実の記憶と融合して、困惑して、幼いマリアベルはますます号泣した。
どれだけの時間、泣いただろう。泣きすぎて、泣き疲れて、やがて広くて大きな胸の中で落ち着いた。横抱きのまま目尻の涙を拭ってもらうと、泣き笑いで愛しい人に抱きついた。
『……ごめんな。ありあの時も、マリアベルにも、何もできなくて。せめて、お前が1番辛かった記憶だけでも、奪えたらいーのに』
二ノ宮の目尻に、涙の線が浮かぶ。
『新くん、わかってないなー。今、私、マリアベルになって1番幸せだよ?』
『でも、でも……せっかく生まれ変わったのに、元気なのに、ピアノも弾けるのに……これはないだろ!』
呟く声が、怒りで震えてた。
『オレに会えたのが1番の幸せって、たった8歳なのに、どんな人生だよ?! 』
やがて、二ノ宮の体が透けはじめた。抱きしめていた腕をすりぬけて、マリアベルの体が崩れ落ちた。
『新くん?! やだ、消えちゃいや!』
『頼む! 神さまでもなんでもいいから、ありあを、マリアベルを助けてくれ! この世界で、ありあが幸せになれるなら、何でもするから!』
祈りに呼応するように、マリアベルの体が発光して、中から黒いドロドロした煙のような浮遊体が浮かんだ。
二ノ宮が反射的にそれを掴むと、硬い掌の中にシュッと消えた。
『新くん! 私、幸せになったよ! あなたに会えたから、もう辛いことなんか、ひとつもないから! だから、消えないで!!』
二ノ宮の体が完全に消えると、彼の名を泣き叫ぶネグリジェの少女の姿も消えた。
老人が錫杖を抜くと、地底泉はもとどおり光のしゃぼんを無数に吐き出して、洞窟に静寂が戻った。
「そなたの幸せを望む贈り人と、他者を傷つけたくないそなたの願いによって、そなたは『死の病に冒された以降の記憶を封じた、ありあの記憶を持つマリアベル』……望み、望まれて『賓』となったのじゃ」
水際に立つマリアベルの白い頬に、一筋の雫がこぼれ落ちた。
それは際限なくあふれて、拭っても拭っても止まらなくて、抑えても抑えても嗚咽が漏れる。
「あの男が黒いモヤを握りつぶしたことで、マリアベルに働いていたなんらかの強制力が止まった。わしら守り人にはわかることじゃが、あの男は無意識に察したのじゃろうな。前世と今世が繋がって崩壊しかけたそなたの精神が、あの男と病気の記憶を断つことで安定することも」
そのとき、封じられていた記憶が、洪水のようにマリアベルの中に流れ込んできた。フレデリックに出会った瞬間に思い出した「前世」や「乙女ゲーム」よりも鮮烈な記憶が。
壮行会のピアノ演奏を。
名前が似ている野球部のエースを。
全校で応援に行った甲子園の熱気を。
マウンドで豪速球を投げる新の勇姿を。
野外ステージで歌う瑛美の声を、笑顔を。
隠さずに余命を教えてくれた父の覚悟を、母の涙を。
入院前にクラスメイトと撮ったプリクラを。
病室に飾った寄せ書きを。
諦めたコンクールへの未練を。
指が動かない悔しさを。
瑛美と大喧嘩して、仲直りした日の夕焼けを。
初めての恋を。
死の影に怯えた日々を。
病の痛みを。
最後まで、支えてくれた両親を。
ずっと聞いていたかった瑛美の声を。
ずっと一緒にいたかった新の笑顔を、広い肩を、硬い掌を。
思い出せば思い出すほど、愛しくて、苦しくて、涙が止まらない。
深く深くありあを愛してくれた人たちがいた。
その「気付き」は、深く深くマリアベルを愛してくれる人たちの存在を浮き彫りにした。
ああ、「ありあ」も、「マリアベル」も、いったい、どれほどの人たちに愛され、守られて生きてきたのだろう……。
胡蝶の夢
中国の思想家 荘子の説話。
荘子は夢の中で蝶になり、自分が人間であることに気づかなかった。
目が覚めて、人間である自分が夢の中だけで蝶になったのか。それとも、蝶が夢の中で人間になったのか。
荘周と蝶には必ず区別があるはずである。しかし、実際は常識どおりではない。夢のように区別など無いのだ、ということを「物化」(万物は変化する)という。
欄外人物紹介
二ノ宮 新 (にのみや あらた)
高2の夏に母校を初の甲子園に導いた豪腕ピッチャー。
身長192センチ。とにかく球速が速い。カーブも速い。
夏は2回戦、春の選抜は3回戦敗退。
壮行会でピアノを弾いたありあに一目惚れして、必死こいて友達になった。瑛美がいなかったら友達止まりだったので、割と頭が上がらない。
引退後はありあと過ごす時間を優先させたかったので、スポーツではなく学力推薦で大学を決めた。もちろん野球が強いとこ。中1から勉強と部活の両立を成功させてきた、進研ゼ◯の申し子ならでは。
進学校の甲子園球児って、勉強もできるんだよね……。
大学でもそこそこ活躍した。取材を受けた時にたまたまテイクアウトの手羽先を持っていた為、「手羽先王子」と呼ばれるようになる。
女子には「良い人」止まりで、男子にイケメン認定されるタイプ。ファンは野球少年とおっさんがメイン。
憧れの野球選手は藤川球児。
打者はイチローと「ドカベン」の殿馬。




