地底泉を守る老人と、二つの世界を行き交う魂
老人はダイヤモンド鉱山にほど近い、しかし採掘場からは反対方向の岩山にある洞窟を住処としている。
王都から、この地に移り住んで約20年。
田舎暮らしにもすっかり馴染んだ。
6年前、王太子のデビュタントで訪れた王都は、言葉の通じる外国みたいに思えた。歴史ある街が様変わりしたわけではなく、老人の心の在り方だろう。
そんな老人は、孤独を愛しみつつも、客人を拒まない。
今は、入り口に虫除けの香草を焚き、簾戸の向こうから聞こえる足音に耳を澄ましている。
白樺の御簾が開いた。
くわえていた水煙草のパイプを、外した。
「来たか。瑛美さんや、案内ご苦労」
来客は三人。
名を呼ばれた瑛美が、まず悪態をついた。
「王太子ひとりで来させんのが伝統なら、そーしてよ」
「すまんの。今回は、イレギュラーでの」
「つーか、腹立つ。ずーっとお姫様抱っこなんだもん」
「ドレスにヒールで森や岩場なんか歩けるか。 いちいちエスコートするより、こっちの方が早い」
初対面の女性に本音を隠さない王太子に、抱かれている少女が困ったように眉を下げている。
「こいつの、あからさまな邪魔者扱いがウザいっての。あとあんた、中の人と性格ビミョーに似てる! ムカつく! 」
「き、来宮さん、落ち着いて?え、でも、龍生王子って、正統派王子様声優じゃないの? 魔王なの?」
「今は、正統派とダークヒーローが半々くらいよ。まあ、偉そうな役ばっかだけど」
「来宮さん、すごい! 龍生王子と知り合いなんてすごい! サイン欲しい!」
「リュウセイ王子って誰だよ? 初耳だけど?」
「あんたの中の人だわよ!」
「声が骨髄に響くんです! 最強のイケボです!」
「……。ツッコミに悩むな。それ」
何だか楽しげな若人たちを見上げて、老人は水タバコのパイプを咥えなおした。
「なんかよーわからんが、1番悪役みたいな顔した娘が、1番良い子みたいだの」
のんびりした、だが威厳のある低い声に、フレデリックはマリアベルを下ろして跪いた。マリアベルもフレデリックに倣って深々と膝を折った。
「デビュタント以来ですね。レイアリス上王陛下。孫のフレデリックにございます。王命を受けてこちらに参りましたが、まさか祖父上が尋ね人とは。なぜ、この地で調律師に?」
「デカくなったの。さて、うちの孫は、いつからシュナウザーの従騎士になったのかの?」
質問を質問で返す上王に、フレデリックはパーティー会場から失敬した蒸留酒を差し出した。険しかったまなざしに、一筋の光が差す。
「ここはな、引退した王たちの終の住処じゃ。サンドライトの王は退位すると流浪の旅に出るとされているが、実際はこの地に移り住む。そして、この洞窟を守っておる。建国王ファルフォルスの時代からずっと、な」
アルコールの強い酒を愛する老人は、その頑健な指でクイッとコルクを引き抜いた。
しばし芳香を楽しみ、やおらにあおる。水みたいにグイグイ飲む酒ではないが、彼の流儀はそうではないらしい。
「ワシの場合は、ワシの母上…太王太后が、貧乏貴族どもにピアノなんざ送ったから、調律が暇つぶしになったわ。食うにも困る連中にゃ、巨大な鍵盤楽器の維持は辛かったろうにの。王族の慈悲とは傲慢なものよ。だが、名器の音色は、雪深く長い冬を慰めもした。今となっては、教える者も習う者もおらんガラクタじゃがな」
フレデリックは合点した。父王から聞いていた上王は「可もなく不可もない為政者」で、叔父から聞いていた祖父は「酒と音楽が好きな、面白いオヤジ」である。
「祖父上、こちら婚約者のマリアベル・シュナウザーです。マリアベルは、ここに来てから毎日、祖父上が調律したピアノを弾いてますよ」
名乗りを受けていないマリアベルは、頷くに留めている。世捨て人に近い老人としては、もはや貴族のしきたりなど、気にもしないが。
「覚えておるよ。ヘルムートの娘マリアベル。足場の悪いとこにすまんな」
「お会いできて光栄に存じます。上王陛下」
老人はやおらに立ち上がって、酒瓶を置いた。
そして、孫たちに「ついてこい」と、洞窟の奥に進んだ。
彼の住居スペースは王族のそれとしては質素だが、貴族の隠れ家らしい調度が備えられている。
気配はないが、引退した暗部が世話をしてくれているらしい。会ったことはないが。
「その子は賓じゃ。故に、王となるそなたも、王たるサーガフォルスも、守護する義務がある」
「賓?」
「類稀なる賓。稀人とも言う。この世に生まれてくる前に、異世界にいた記憶を持つ魂じゃ」
秘密を言い当てられた娘は、すみれ色の目をいっぱいに見開いた。孫が無表情なのは、この娘からある程度聞いているからか。
老人は笑った。
マリアベルの表情は、双子の王子たちにあれこれ仕掛けられては固まっていた、往年のヘルムート・シュナウザーを思い出させた。
辺境の調律師にして、先の国王陛下レイアリスは、客人たちを地底泉に案内した。
老人にとっては見慣れた景色だが、フレデリックたちは若き日の彼と同様に、幻想的な景色に目を奪われた。
浅黄色の水底から無数の気泡があがり、鍾乳洞の隙間からのぞく星空に吸い込まれてゆく。
気泡は全て、珠のように輝いている。
自ら発光するシャボン玉みたいだ。
逆に天からは、干した鬼灯みたいな球体が、牡丹雪のように降り注いでいる。
「綺麗……!」
「ここは、いったい……」
感嘆するマリアベルの傍で、フレデリックも頷く。
「輪廻の泉じゃ。わしら上王は、王位を譲るとこの泉の守り人となる。泉から出て行くのは、生まれゆく者の魂。戻ってくるのは、死した者の魂よ」
老人が手を伸ばし、キラキラ光る球体をひとつつかまえた。壊さないよう、そっとフレデリックとマリアベルに見せる。
『母さま、赤さんがうごきましたね』
『あなたの弟かしら。妹かしら』
球体には、妊婦とその腹に耳をつけて笑む小さな男の子が映っていた。
「ま、嘘か真かは知らんがの」
老人が手放すと、球体は星空に向かってふわふわと飛んでいった。マリアベルがありあだった頃に、手放して泣いた風船みたいに。
「この世界の魂は、ここで生まれてここに帰ってくる。ところがの、どういうカラクリか、瑛美さんの世界の魂が、こちらに来ることがある。この世界の魂が瑛美さんの世界に迷い込むこともある」
「ありあは、この世界に迷い込んできたから、マリアベル に生まれ変わったのですか?」
地底泉から生まれる魂の珠を見つめながら、マリアベルが問う。
「いや、違う。それならば前世の記憶は残らない。せいぜいが夢を見る程度じゃ。そなたは、この世界に呼ばれ、かの世界から贈られた『賓』なのじゃ。覚えてはおらんじゃろうがの」
「呼ばれて、贈られた、賓……?」
思案しても何一つ思い出せないマリアベルと、見守るように寄り添うフレデリック。無数の光に照らされ、金と銀の髪がキラキラ輝いている。
ゲームでは、このスチルの少女は、瑛美が声をあてたエイミだ。転生がどうとか国がどうとかいう話ではなく、実家で居場所のないエイミが逃げ場にしていた洞窟で、攻略対象とイチャイチャするだけの、ビジュアルイベントである。
鍾乳洞に反響するイケボイスと、絵師渾身のグラフィックの合わせ技が、全国の乙女たちと乙女だった人たちを、キュン萌えさせた。ちなみに、無印はスチルで、リメイク版はアニメーションだ。
涙ぐむエイミを慰めるイケメンの図に比べたら、思考を邪魔しないフレデリックの立ち方は、ドラマに欠けるだろう。
実際、フレデリックの愛情表現は、言葉よりも態度に出る。両思いになる前から、お似合いと言われてきた所以だ。
瑛美は安堵とも諦観ともつかないため息を漏らした。
「そのバカップルの幸せが、贈り人の二ノ宮の願いとは、ね。人が良過ぎるわ。それで万々歳、で終わるはずだったんだけどね。面倒ごとが起きてね。マリアベルに、ありあの記憶を戻してほしいの。忘れることが二ノ宮の願いなんだけど、忘れたままでいることが、この世界の不幸に繋がるから……」
「ちょっと待て。マリアベルの記憶次第で、この世界の幸不幸が決まるって、どういうことだ?」
そこに食いつくフレデリックに、瑛美は長い睫毛をパチパチさせた。
「真っ先にそこ? 私、今、元カレの存在、思い切りアピールしてるよね?」
「生まれて来る前の、本人が覚えてもいない恋愛なんかどーでもいい。治世の障害になりかねん懸念の方が重要だ」
「……ねえ。アンタほんとにフレデリック・アレクサンドライト三世? そこ、恋人の肩を掴んで『君の愛を信じてる。でも、嫉妬を隠せない僕を叱ってほしい』だの、『君にどんな過去があっても、僕は今の君を愛してる』だの『星の瞳。花の唇。美しい君は僕だけのものだよ?(強引キス)』だのさあ、ほざくパターンじゃなくて?」
さすがエイミの中の人。無印もリメイク版もセリフが完璧だ。ちなみに、上記のイケボはハーレムルートで視聴できる。
「言われたい?」
「いえ、全く」
ありあが攻略していたときは、イケボなイケメン王子にきゅんきゅんしていたが、マリアベル歴18年。ありあベル歴10年。それをほざかれたら、もはや裏があるとしか思えない。
「待てい。バカップル。恋愛脳はどこやった?」
「それより、世界が不幸になるとかいう情報と、その根拠を教えろよ」
実際なところ、サンドライトの王族は愛妻家が多いが、恋愛の優先度はさほど高くない。
フレデリックがマリアベルの不安を排除してきたのも、王太子妃を任せる上で1番の適任者だから。後宮を廃したのも、増税せずに軍事費を増やしたかったから。
ようは、マリアベルの王太子妃としての地位を固めることが、王太子フレデリックの益に繋がるからである。
愛する女性を守りたい、不安にさせたくない気持ちは根底にある。溢れル ほどある。が、それは最たる理由にならない。
有能なだけの王妃でも、愛しいだけの恋人でもない。フレデリックにとってマリアベルは、共に国を支える生涯の伴侶だから。
乙女ゲームのマリアベルが嫉妬に狂ったのは、真摯に王太子妃教育に向き合ってきた結果だと、フレデリックは思っている。
それをポッと出の、作法も座学もおぼつかない、庶民の正論を根回しなく貴族に求める、容姿と歌だけに特出した聖女に持っていかれたら、キレる。
国民一致の「王太子様、聖女様、バンザーイ」に、闇落ちしない方がどうかしている。
人柄だけで王太子妃になれるなら、10年近い年月と膨大な投資を必要とする王太子妃教育なんか、要らないだろう。
フレデリックに愛されたい一心で、弱音も吐かずに頑張ってきたなら、なおさらだ。
殺そうとしたり、暴漢に襲わせて良い理由にはならないが、気持ちはわかる。フレデリックだって、マリアベルにある日突然「真実の愛に目覚めました!」と駆け落ちされたら、えげつない奪還を選ぶ自覚がある。
ハッキリ言おう。「王太子の地位なんか関係ない、ありのままのフレディを愛している」ゲームのエイミは、好みの女性ではない。
婚約者の座に固執してあがき、破滅する悪役令嬢の方が、よっぽど一途で可愛い。
外見的にも、小柄で愛くるしい雰囲気の女の子はタイプじゃない。年齢より幼稚に思えて、男としてそそられないから。
……と言ったら、皆にドン引きされた。
王室では、「ありのままの貴方が好きよ」系の女性にハマる王子やスペアは、王位を継げない傾向にある。恋愛対象が、王政のアキレス腱になりかねないからだろう。
ファルカノスとか。アーチラインとか。
幸せになってほしいけど、国王にはなってほしくない。不良教師とか、日和見宰相が天職じゃね?
「父王そっくりに育ったのー」
「よく褒められます」
こらえきれず、上王が爆笑した。
老人の声は地底泉の洞窟によく響く。声に反応するように、光の粒子がキラキラしながら震えた。
王様がこの性格だから、宰相や王妃は常識派で固めてるってゆー……。




