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悪役を放棄した令嬢は、美少女すぎるヒロインと戦わないっ!  作者: 芳野みかん
ようこそホワイト准男爵領へ! ダイヤモンドは砕けません!編
38/98

地底泉を守る老人と、二つの世界を行き交う魂

老人はダイヤモンド鉱山にほど近い、しかし採掘場からは反対方向の岩山にある洞窟を住処としている。


王都から、この地に移り住んで約20年。

田舎暮らしにもすっかり馴染んだ。

6年前、王太子のデビュタントで訪れた王都は、言葉の通じる外国みたいに思えた。歴史ある街が様変わりしたわけではなく、老人の心の在り方だろう。


そんな老人は、孤独を愛しみつつも、客人を拒まない。

今は、入り口に虫除けの香草を焚き、簾戸の向こうから聞こえる足音に耳を澄ましている。

白樺の御簾が開いた。

くわえていた水煙草のパイプを、外した。


「来たか。瑛美さんや、案内ご苦労」


来客は三人。

名を呼ばれた瑛美が、まず悪態をついた。


「王太子ひとりで来させんのが伝統なら、そーしてよ」


「すまんの。今回は、イレギュラーでの」


「つーか、腹立つ。ずーっとお姫様抱っこなんだもん」


「ドレスにヒールで森や岩場なんか歩けるか。 いちいちエスコートするより、こっちの方が早い」


初対面の女性に本音を隠さない王太子に、抱かれている少女が困ったように眉を下げている。


「こいつの、あからさまな邪魔者扱いがウザいっての。あとあんた、中の人と性格ビミョーに似てる! ムカつく! 」


「き、来宮さん、落ち着いて?え、でも、龍生王子って、正統派王子様声優じゃないの? 魔王なの?」


「今は、正統派とダークヒーローが半々くらいよ。まあ、偉そうな役ばっかだけど」


「来宮さん、すごい! 龍生王子と知り合いなんてすごい! サイン欲しい!」


「リュウセイ王子って誰だよ? 初耳だけど?」


「あんたの中の人だわよ!」


「声が骨髄に響くんです! 最強のイケボです!」


「……。ツッコミに悩むな。それ」


何だか楽しげな若人たちを見上げて、老人は水タバコのパイプを咥えなおした。


「なんかよーわからんが、1番悪役みたいな顔した娘が、1番良い子みたいだの」


のんびりした、だが威厳のある低い声に、フレデリックはマリアベルを下ろして跪いた。マリアベルもフレデリックに倣って深々と膝を折った。


「デビュタント以来ですね。レイアリス上王陛下。孫のフレデリックにございます。王命を受けてこちらに参りましたが、まさか祖父上が尋ね人とは。なぜ、この地で調律師に?」


「デカくなったの。さて、うちの孫は、いつからシュナウザーの従騎士になったのかの?」


質問を質問で返す上王に、フレデリックはパーティー会場から失敬した蒸留酒を差し出した。険しかったまなざしに、一筋の光が差す。


「ここはな、引退した王たちの終の住処じゃ。サンドライトの王は退位すると流浪の旅に出るとされているが、実際はこの地に移り住む。そして、この洞窟を守っておる。建国王ファルフォルスの時代からずっと、な」


アルコールの強い酒を愛する老人は、その頑健な指でクイッとコルクを引き抜いた。

しばし芳香を楽しみ、やおらにあおる。水みたいにグイグイ飲む酒ではないが、彼の流儀はそうではないらしい。


「ワシの場合は、ワシの母上…太王太后が、貧乏貴族どもにピアノなんざ送ったから、調律が暇つぶしになったわ。食うにも困る連中にゃ、巨大な鍵盤楽器の維持は辛かったろうにの。王族の慈悲とは傲慢なものよ。だが、名器の音色は、雪深く長い冬を慰めもした。今となっては、教える者も習う者もおらんガラクタじゃがな」


フレデリックは合点した。父王から聞いていた上王は「可もなく不可もない為政者」で、叔父から聞いていた祖父は「酒と音楽が好きな、面白いオヤジ」である。


「祖父上、こちら婚約者のマリアベル・シュナウザーです。マリアベルは、ここに来てから毎日、祖父上が調律したピアノを弾いてますよ」


名乗りを受けていないマリアベルは、頷くに留めている。世捨て人に近い老人としては、もはや貴族のしきたりなど、気にもしないが。


「覚えておるよ。ヘルムートの娘マリアベル。足場の悪いとこにすまんな」


「お会いできて光栄に存じます。上王陛下」


老人はやおらに立ち上がって、酒瓶を置いた。

そして、孫たちに「ついてこい」と、洞窟の奥に進んだ。

彼の住居スペースは王族のそれとしては質素だが、貴族の隠れ家らしい調度が備えられている。

気配はないが、引退した暗部が世話をしてくれているらしい。会ったことはないが。


「その子は(まれ)じゃ。故に、王となるそなたも、王たるサーガフォルスも、守護する義務がある」


「賓?」


類稀(たぐいまれ)なる賓。稀人(まれひと)とも言う。この世に生まれてくる前に、異世界にいた記憶を持つ魂じゃ」


秘密を言い当てられた娘は、すみれ色の目をいっぱいに見開いた。孫が無表情なのは、この娘からある程度聞いているからか。

老人は笑った。

マリアベルの表情は、双子の王子たちにあれこれ仕掛けられては固まっていた、往年のヘルムート・シュナウザーを思い出させた。




辺境の調律師にして、先の国王陛下レイアリスは、客人たちを地底泉に案内した。

老人にとっては見慣れた景色だが、フレデリックたちは若き日の彼と同様に、幻想的な景色に目を奪われた。


浅黄色の水底から無数の気泡があがり、鍾乳洞の隙間からのぞく星空に吸い込まれてゆく。

気泡は全て、(たま)のように輝いている。

自ら発光するシャボン玉みたいだ。

逆に天からは、干した鬼灯(ほおずき)みたいな球体が、牡丹雪のように降り注いでいる。


「綺麗……!」


「ここは、いったい……」


感嘆するマリアベルの傍で、フレデリックも頷く。


「輪廻の泉じゃ。わしら上王は、王位を譲るとこの泉の守り人となる。泉から出て行くのは、生まれゆく者の魂。戻ってくるのは、死した者の魂よ」


老人が手を伸ばし、キラキラ光る球体をひとつつかまえた。壊さないよう、そっとフレデリックとマリアベルに見せる。


『母さま、赤さんがうごきましたね』


『あなたの弟かしら。妹かしら』


球体には、妊婦とその腹に耳をつけて笑む小さな男の子が映っていた。


「ま、嘘か真かは知らんがの」


老人が手放すと、球体は星空に向かってふわふわと飛んでいった。マリアベルがありあだった頃に、手放して泣いた風船みたいに。


「この世界の魂は、ここで生まれてここに帰ってくる。ところがの、どういうカラクリか、瑛美さんの世界の魂が、こちらに来ることがある。この世界の魂が瑛美さんの世界に迷い込むこともある」


「ありあは、この世界に迷い込んできたから、マリアベル に生まれ変わったのですか?」


地底泉から生まれる魂の珠を見つめながら、マリアベルが問う。


「いや、違う。それならば前世の記憶は残らない。せいぜいが夢を見る程度じゃ。そなたは、この世界に呼ばれ、かの世界から贈られた『(まれ)』なのじゃ。覚えてはおらんじゃろうがの」


「呼ばれて、贈られた、賓……?」


思案しても何一つ思い出せないマリアベルと、見守るように寄り添うフレデリック。無数の光に照らされ、金と銀の髪がキラキラ輝いている。


ゲームでは、このスチルの少女は、瑛美が声をあてたエイミだ。転生がどうとか国がどうとかいう話ではなく、実家で居場所のないエイミが逃げ場にしていた洞窟で、攻略対象とイチャイチャするだけの、ビジュアルイベントである。

鍾乳洞に反響するイケボイスと、絵師渾身のグラフィックの合わせ技が、全国の乙女たちと乙女だった人たちを、キュン萌えさせた。ちなみに、無印はスチルで、リメイク版はアニメーションだ。


涙ぐむエイミを慰めるイケメンの図に比べたら、思考を邪魔しないフレデリックの立ち方は、ドラマに欠けるだろう。

実際、フレデリックの愛情表現は、言葉よりも態度に出る。両思いになる前から、お似合いと言われてきた所以だ。

瑛美は安堵とも諦観ともつかないため息を漏らした。


「そのバカップルの幸せが、贈り人の二ノ宮の願いとは、ね。人が良過ぎるわ。それで万々歳、で終わるはずだったんだけどね。面倒ごとが起きてね。マリアベルに、ありあの記憶を戻してほしいの。忘れることが二ノ宮の願いなんだけど、忘れたままでいることが、この世界の不幸に繋がるから……」


「ちょっと待て。マリアベルの記憶次第で、この世界の幸不幸が決まるって、どういうことだ?」


そこに食いつくフレデリックに、瑛美は長い睫毛をパチパチさせた。


「真っ先にそこ? 私、今、元カレの存在、思い切りアピールしてるよね?」


「生まれて来る前の、本人が覚えてもいない恋愛なんかどーでもいい。治世の障害になりかねん懸念の方が重要だ」


「……ねえ。アンタほんとにフレデリック・アレクサンドライト三世? そこ、恋人の肩を掴んで『君の愛を信じてる。でも、嫉妬を隠せない僕を叱ってほしい』だの、『君にどんな過去があっても、僕は今の君を愛してる』だの『星の瞳。花の唇。美しい君は僕だけのものだよ?(強引キス)』だのさあ、ほざくパターンじゃなくて?」


さすがエイミの中の人。無印もリメイク版もセリフが完璧だ。ちなみに、上記のイケボはハーレムルートで視聴できる。


「言われたい?」


「いえ、全く」


ありあが攻略していたときは、イケボなイケメン王子にきゅんきゅんしていたが、マリアベル歴18年。ありあベル歴10年。それをほざかれたら、もはや裏があるとしか思えない。


「待てい。バカップル。恋愛脳はどこやった?」


「それより、世界が不幸になるとかいう情報と、その根拠を教えろよ」


実際なところ、サンドライトの王族は愛妻家が多いが、恋愛の優先度はさほど高くない。


フレデリックがマリアベルの不安を排除してきたのも、王太子妃を任せる上で1番の適任者だから。後宮を廃したのも、増税せずに軍事費を増やしたかったから。


ようは、マリアベルの王太子妃としての地位を固めることが、王太子フレデリックの益に繋がるからである。


愛する女性を守りたい、不安にさせたくない気持ちは根底にある。溢れル ほどある。が、それは最たる理由にならない。

有能なだけの王妃でも、愛しいだけの恋人でもない。フレデリックにとってマリアベルは、共に国を支える生涯の伴侶だから。


乙女ゲームのマリアベルが嫉妬に狂ったのは、真摯に王太子妃教育に向き合ってきた結果だと、フレデリックは思っている。

それをポッと出の、作法も座学もおぼつかない、庶民の正論を根回しなく貴族に求める、容姿と歌だけに特出した聖女に持っていかれたら、キレる。

国民一致の「王太子様、聖女様、バンザーイ」に、闇落ちしない方がどうかしている。

人柄だけで王太子妃になれるなら、10年近い年月と膨大な投資を必要とする王太子妃教育なんか、要らないだろう。

フレデリックに愛されたい一心で、弱音も吐かずに頑張ってきたなら、なおさらだ。


殺そうとしたり、暴漢に襲わせて良い理由にはならないが、気持ちはわかる。フレデリックだって、マリアベルにある日突然「真実の愛に目覚めました!」と駆け落ちされたら、えげつない奪還を選ぶ自覚がある。


ハッキリ言おう。「王太子の地位なんか関係ない、ありのままのフレディを愛している」ゲームのエイミは、好みの女性ではない。

婚約者の座に固執してあがき、破滅する悪役令嬢の方が、よっぽど一途で可愛い。


外見的にも、小柄で愛くるしい雰囲気の女の子はタイプじゃない。年齢より幼稚に思えて、男としてそそられないから。


……と言ったら、皆にドン引きされた。


王室では、「ありのままの貴方が好きよ」系の女性にハマる王子やスペアは、王位を継げない傾向にある。恋愛対象が、王政のアキレス腱になりかねないからだろう。

ファルカノスとか。アーチラインとか。

幸せになってほしいけど、国王にはなってほしくない。不良教師とか、日和見宰相が天職じゃね?


「父王そっくりに育ったのー」


「よく褒められます」


こらえきれず、上王が爆笑した。

老人の声は地底泉の洞窟によく響く。声に反応するように、光の粒子がキラキラしながら震えた。



王様がこの性格だから、宰相や王妃は常識派で固めてるってゆー……。

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