幸せを願う親たちは、早熟な我が子に助言する
折檻のせいで服が汚れてしまったサーシャは、湖のほとりに立つ白樺の丸木小屋にクリスフォードを案内した。
入り口が2つに分かれていて、湖に面した開戸がある。
周囲の草むらには、無数の夜光虫が飛んでいる。やわらかな光の粒が、白樺の小屋と湖を幻想的に照らしている。
「ここは?」
「バーニャっていうの。この地方に古くから伝わる入浴施設よ。お湯をはる浴槽はなくて、蒸し風呂なの」
クリスフォードは抱いていたサーシャを、傷にふれないよう、ゆっくりと下ろした。
「話に聞いたことはあるけど、思ってたよりこじんまりしてるんだね」
「従業員に解放している広いコテージもあるけど、ここを使うのは家族だけよ。顔と手足だけ、洗ってくるわ」
膨らんだスカートから鍵の束を取り出した細い指が、ぴたりと止まった。
「あら? 中の灯りがついてるわ。誰かいるのかしら」
「え。こんな時間に? まだパーティは終わっていないだろ」
サーシャは数秒考えて、はたと思いつき、あわわわわと両手で頬を覆った。
「どうしたの?」
「ほ、ホワイト准男爵領内では、婚約していない未婚の男女が、ふたりきりでバーニャに入ることを禁止されているの。婚約が認められたカップルは、娘親からバーニャの鍵を渡されて……」
「うわあ。それ、皆まで言わなくていいから! 」
クリスフォード自身は女性に慎重にならざるを得ない身分だが、友人の武勇伝を聞くのはやぶさかではない。むしろ、大好物だ。
が、ナマの現場を見たいとは思わない。現場付近にうっかり出没とか、ノーサンキューである。
君子危うきに近寄らず。回れ右をすると同時に、湖に面した開戸がバーンと開いた。
ランプとストーブの灯りに照らされた裸体は、麗しの令息と美少女に非ず。
ふたりの、おっさんだった。
茹でタコみたいに赤くなった全裸のおっさんたちが、我先にと湖にダイブする。
どっばーんと、派手な水しぶきが立った。
「義父上……」
「お養父さま……」
絶句して立ち尽くすしかできないふたりに、ホワイト准男爵が、「やあ」と手を振ってきた。
「こらこら、さーちゃん。いくら好みど真ん中だからって、公爵家の御曹司を連れ込んじゃダメだよ?」
「連れ込んでなんかいません! 私が転んだから、泥を流しにきただけです!」
真っ赤になって反論するサーシャに、小屋の中からバスローブ姿の女性が声をかけてきた。
「あら。でも、お誘いを受けたら、断らないんじゃなくて?」
「お母様……」
「そんな、身分的に拒絶不可能なこと、言いませんってば」
若干げんなりしていてもクリスフォードは美声で、サーシャはうっかりドギマギしてしまう。
「クリスフォード様ではなく、サーシャ、あなたの問題です。もし、そちら様からお誘いを受けたら、断るあなたではないでしょう?」
「だから、そんな身分をふりかざすような真似はしませんて……」
「も・ち・ろ・ん・お断りしませんけど! 私だって、未来ある御曹司の汚点になるような振る舞いはしませんわ!」
商人サーシャの「狙った極上品の仕入れは迅速に。損失を怖れるな」の信条が垣間見えたというか。楚々としているだけではない逞しさが垣間えたというか。むしろそれ、クリスフォードの好みど真ん中祭というか。
「とりあえず……君たちもバーニャに入らない? さーちゃんは怪我してるみたいだし? ユイファ、見てあげて。 ヘルムート様、宜しゅうございますよね?」
「お嬢さんさえ良ければ。クリスフォードとのことも、腹を割って話したいでな」
ヘルムート・シュナウザー公爵は、この1週間の滞在ですっかり峡湾貴族の風習に染まり、「貴族たるもの、みだりに肌を見せてはいけない」という社交界の常識を忘れ去ったらしかった。
森林資源には恵まれているが、冬の寒さが厳しい峡湾地方において、薪と焼石さえあれば暖をとれるバーニャは、清潔を保つ場である以上に、命綱である。
地域の会談や家族の団欒の場であり、愛を交わす場である。古くは産屋であり、死体を洗う場でもあった。
地元の風習では一糸まとわず心ゆくまで寛ぐ場だが、使用人以外に肌を見せることを恥とする貴族が団欒してしまうのは、いささか大問題である。
というわけで、クリスフォードにはバスローブ着用を言い渡された。
誰に言われなくても、サーシャもバスローブの前をきちんと閉じていた。隠された白い肌に興味がないといえば嘘になるけれど、お互いの親がいる状況である。贅沢は言わない。親が同伴だからバーニャに入ることが許されて、サーシャのバスローブ姿を拝むことができたのだから。
シュナウザー公爵が腰掛けているベンチの隣に、クリスフォードも腰掛けた。ストーブが近い特等席らしい。
ユイファとサーシャはストーブから離れた長椅子に、たおやかに腰掛けている。
ホワイト准男爵が慣れた手つきで焼け石に水をかけると、水蒸気がブワッと立ちあがった。
「蒸気はすごいけど、暑くはないんだ……」
クリスフォードが呟くと、ホワイト准男爵は人好きする笑顔で頷いた。
「うちはエイミを貴族に嫁がせるつもりでしたので。家族以外の人と入ったら、お姫様になれないと言い聞かせて育てました。あの容姿ですから、人目に触れさせるのは本当に危険で。このユイファが、のぼせにくい蒸気バーニャを開発したんです」
「なるほどな。ジョンとユイファくんの娘にかける愛情には、いつも感心させられるよ。クリスフォードの実親に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」
まっさらなバスローブを優雅にまとうシュナウザー公爵は、お茶目に飛び込んでもやはり大貴族の品格が漂っている。
「クリスフォードの両親は決して悪い人間ではないが、少々ズレておってな。少女のように美しく歌が上手いからと、去勢してカストラートにしようとしておった。それが本人の幸せと信じてな。クリスフォードは、頼りない両親と幼い妹の為にそれを受け入れておった。
事情を知ったマリアベルが、酷すぎると大泣きしてな。
空見の才を理由に跡取りにしたものの、妻や親戚の多くは大反対でな。全く、いろいろあったわ。
だが、優秀な子でな。幾多の妨害にもめげず、今やワシよりも領地運営に詳しくなったよ。たった16歳でシュナウザー公爵領になくてはならん存在に成長したのだよ」
アメジスト色の瞳を優しく細める公爵に、クリスフォードは「褒めを盛りすぎです」とそっぽを向いた。
「クリスフォードが最も懸念していたリリスフォードのデビューと学園入りは確定したし、これからは妹ではなく、自分の為に時間を使ってほしいと私は思っているよ」
「うちのサーシャもです。私たちは親ですからエイミの為に骨を折るのは当然です。ですが、子ども社会ではサーシャがとばっちりを受けてしまいました。本来なら負わなくてよい負担を強いたのに、愚痴ひとつ言わなくて。血の繋がらぬ姉を守る為に、惜しみなく協力してくれてました」
「お、お養父さまも褒めすぎです」
「そっちは褒めてなくない? 事実でしょ」
クリスフォードが微笑むと、サーシャはバスローブに顔を埋めて頭をフルフルした。あどけない仕草だが、下ろした黒髪が頬にはりついていて、ちょっと艶かしい。クリスフォードは故意に足を組んで視線を外した。
「問題は、この子の自己評価の低さですわ。サーシャは自らを醜いと決めつけておりますの。東国では美人で通る容姿ですが、美男美女の宝庫サンドライトでも絶世の美を誇るエイミと共に育ったのは酷でした。先ほど申した懸念は、そこです。
恋しい殿方に誘われたら、自信のないこの子はすがってしまうでしょう。断らない。当然です。一瞬だけでも愛される夢を見たいからです。そういう愚かなところが、若い頃の自分とよく似ていてハラハラしますの」
「男にとっては、都合が良くて理想的だけどね。でも、それじゃ幸せになれないよね。お互いに」
ホワイト夫妻、すんごい牽制である。
生まれながらの大貴族ではないクリスフォードの、足元を見て失脚させたい親戚は、まだまだ健在だ。
遣帝女世代より下の大貴族を嫁入りさせ、貴族の血を濃くすることはシュナウザー公爵家の未来の為に必須である。
王家の血を薄めたいから、あえて嫁の身分を問わないシェラサード家とは、事情が真逆なのだ。
この恋が実る可能性は極めて低い。
そんなことは、クリスフォードもサーシャもわかっている。
「クリスフォードも、頭が回るだけに、結論を急ぎすぎる質だな。愛人しかないと腹をくくったら、思い切りよく手を出しかねん」
「だーかーらー! 何で、速攻で手を出す前提なんですか! 人聞き悪い!」
「だって、アーチ様が『恋愛経験が未熟なだけに、本命に手が早いタイプだ』って言ってたもん。あと、『脈がなければ紳士的に身を引くけど、両思いとわかった瞬間からゲロ甘い猛攻を始める』って、やんごとなくなくない従騎士が言ってたし」
「あの先輩ども……! ていうか、それ、純情な時代を捨て去ったプレイボーイと、両片想いが解決してから浮かれっぱなしな魔王の、自己紹介ですからね!」
自分にふりかかる泥を先輩たちに押し返すことで、サーシャへの名誉を守ろうとするクリスフォード。本人は頭に血が上っているが、大人たちから見ると実に初々しい。実に微笑ましい。可愛らしい初恋同士である。
「ま、急いで大人になりすぎた弊害は、多々あるな。我々保護者の責任である。ジョンや。サーシャくんにも爵位をとらせ、学園に入学させてはどうかな?」
「学園に、ですか?」
「海を渡って商会を肥やしてきた君らと違い、サーシャくんは国土の端のこの狭い世界しか知らぬだろう。田舎という場所は、美しいが閉鎖的だ。概念も常識も画一的で、根付いた偏見は何世代も消えぬ。お姉さんは、過保護な飼い主……じゃない、強力な婚約者が守ってくれるから大丈夫。君は君の人生を選ぶために、見識を広げるべきだと思うよ?」
公爵の言葉は、入り婿を迎えて商会を継ぐ未来しかあり得なかったサーシャの人生に射し込んだ、新たな光となった。
「えー。さーちゃんも家を出ちゃうの、淋しいじゃん……」
ホワイト准男爵は年甲斐なくアヒル口をしながらも、不服ではないらしい。「さーちゃんは勉強しにいくんだから、C組一択だなあ」「受験勉強が必要ですわね」「ヨアンに問題集を買ってきてもらうかー」などと、サーシャを挟んでユイファと相談しはじめた。
「養父上……」
「クリスフォード。君もね? 来期の生徒会長なんだから、寮に入って学業を優先させなさい。卒業後は大学に行ってもいいし、留学してもいい。良い機会だから、その頭でっかちを治療してきなさい。人の上に立つ人間には、実体験に基づく見識も必要だよ。私はまだまだ現役だし、跡取りの成長を待てないほど、シュナウザーの地盤は緩くないぞ?」
お人好しで浪費家で、釣りバカで、見た目だけロマンスグレーで。そんな養父を、自分が支えてきたと思っていた。
きっとこの人は、新たな方法を取り入れて、成功を繰り返すドヤ顔を褒めつつ、気がつかなかった穴をフォローしてきてくれてきたのだろう。でなければ、こんな青二才が、あんな早々に結果を出せたはずがない。
そうだ。自分以上に優秀であると内外に印象づけることで、クリスフォードの采配を、自由を、確保してくれてきたのだ。
思い当たる節が、ありすぎる。
クリスフォードは恥じ入って、バスローブの袖をギュッとした。
「さーちゃんもね、彼氏を作るなとは言いません。もう大人だから。でも、恋をするなら、自分も相手も幸せにするんだって気概を持ちなさい」
「そうですよ。サーシャ。寵を受けるだけで満足してはいけません。それを求める男性は沢山いますが、誠実な気持ちで貴女を慕う青年に対しては失礼です。それは恋ではなく、自己満足というのですよ」
「……はい。心配かけてごめんなさい」
しおしおと小さくなるサーシャを、目に入れても痛くない眼差しで見つめるホワイト准男爵夫妻。
サーシャは心の中でため息をついた。
養父はいつでも甘くて、母は時に厳しくて。
ああ、どうしてこの両親は、こんなにも等しく娘たちを愛してくれるんだろう。
大貴族を射止めたエイミの名誉だけに満足せず、サーシャの幸せも真剣に考えてくれて……。
だがしかし。ホワイト准男爵はホワイト准男爵である。
「あ。エイミは成績が悪すぎて留年確定だから、ふたりともヨロシクね?」
つまり、タヌキである。
「えー!」
思わず悲鳴をあげるサーシャ。
「あの珍獣を、保護しろと?」
迷惑げなクリスフォード。
……。
……。
……。
サーシャもクリスフォードも、これからも学園でいろいろやらかすであろうエイミのフォロワー、確定である。
サーシャとしては、お姉様のお世話は、ちょっとだけメンドクサイ。嫌いじゃないけど。大好きなんだけど。
欄外人物紹介
ヘルムート・シュナウザー公爵
サンドライト王国東部を統治するシュナウザー公爵現当主。マリアベルの実父。
社交界では、釣り人サロンを主宰する。
お人好しで散財家で、賢い若者に割と足元を見られがちだが、知ってて悠々受け入れる懐の広さが、穏健派最大派閥の権力者たる所以。
現国王サーガフォルス、王弟ファルカノスのふたつ上の学年。破茶滅茶な王子たちの無茶振りに巻き込まれて育ったので、いろんな免疫を持っている。
高慢な奥さんとは出自の低いクリスフォードを養子にした件で仲が悪くなった……ことにしてあげてる。ツンデレの扱いもお手の物。




