異世界恋愛の醍醐味は、衣装の描写とパーリィピーポー←私見
後半に、暴力描写があります。
淡いオレンジ色の空に一番星が輝く頃、来賓の中で最も身分が高いことになっているヘルムート・シュナウザー公爵が杯を掲げた。
「大公宰相家嫡男アーチラインくんと、ホワイト准男爵令嬢エイミ嬢の婚約をここに祝す」
「乾杯!」
銀髪の紳士が杯を掲げる姿に、招待客の中年女性たちがほうっとなった。
中身はお人好しの釣りキチだが、ここは悪役を放棄して久しい令嬢マリアベルの実父である。見た目だけは、眼光鋭きロマンスグレーなのである。
ご婦人方、ゆめゆめ騙されてはならぬ。
魅力的な笑みの理由は、釣りあげた魚がマリネやグリル、ソテーに形を変え、美しく盛り付けて振舞われて、ご満悦だから。
ご婦人方、軽く失神する価値ないから! ほんっとこの人、魚のことしか考えてないから!
婚約披露パーティーには、ホワイト商会が懇意にしている商売相手と、近隣の貴族たちが呼ばれた。
ここ、北部峡湾地帯の最西部は、飢餓や貧困からは脱したが、やはり豊かではない。貴族たちも、新年の夜会や学園への入学の義務を免除されている。よって、マリアベルも名前しか知らない子爵や男爵ばかりだった。
そんな辺境貴族たちは、王都では博物館に飾られいる古式ゆかしい民族衣装でこの場に馳せ参じた。
袖の膨らんだ白いブラウス。男女ともに花模様の刺繍をさした青いベストに、丸く伸ばした金を幾重にも連ねたネックレスをしている。男性は黒のスラックス、女性は黒いスカートにエプロン。
初代サンドライト王妃で歌の聖女リリコの婚礼装が、ルーツといわれている。
この衣装でハレの日を祝うことは、最上の敬意であり、祝福である。中央の貴族たちが、とうの昔に忘れ去った伝統でもあった。
婚約発表からパーティーの告知まで半月もなかったのに、図案から作成したというから驚きだ。普通は1年はかかるらしい。
また、この地方のベストは落ち着いた青だが、アーチラインたちには明るく鮮やかなシェラサード・ブルーの布地で作った。
貴族の娘たちは、嫁入りの日のために幼い頃から刺繍を刺すのだが、それを峡湾貴族の女性たちが協力し、寝る間も惜しんで縫い上げたのだ。
そんなわけで、本日のエイミとアーチラインは、峡湾地方の伝統的な婚礼衣装を着つけてもらった。
地元民にしてみれば、未来の宰相がおらが村の伝統衣装に袖を通すなんて、もはや生涯の名誉である。
身分が近いシュナウザー公爵家、シェラサード大公宰相家の侍女、侍従たちは、強く胸打たれ、そして誓った。
『この善良なる同朋たちを卒倒させない為にも、マリアベル様の背後に控える従騎士の正体を、決して悟らせまい』と。
とまあ、貴族たちはたいそう純朴だが、来賓の6割を占める商人たちは、中央の貴族とは種類の違う魑魅魍魎であった。
王都では貴族が商人を見下しているが、この地では商人が貴族を見下している。
毛羽立った古い民族衣装を鼻で笑うは、王都の晩餐会のごとく着飾った商人の妻や娘たちである。
こちとら、極上の衣装を贈りたかったのに、古臭い粗末な手工芸品なんぞ押し付けて! なのである。
ちなみに、アーチライン本人は、飾りボタンや刺繍の原案となっている現地の野草について質問したりして、めちゃめちゃ喜んでいる。
さらに、宰相官邸では、学生時代に民俗学を専攻していた当主が、息子の帰還を今か今かと待っている。
アーチラインの母と妹も弟も、王都で廃れたリアル民族衣装を見せてもらう気満々でワクワクしている。
知的好奇心溢れる大金持ちは、文化遺産にこそ弱いのだ。
「エイミさん、いつもに増してお可愛らしいですわ」
「伝統装束って、ほんと地の人に似合うようにできてるなあ…」
マリアベルとクリスフォードも、本日は父に倣ってシュナウザー家の祭礼用略礼装である。
シュナウザー・バイオレットと呼ばれる深い紫色の絹地を使ったドレスと、軍服に近い形の立襟のスーツ。胸に麦とラベンダーを模した家紋のブローチや勲章を縦に飾っている。
マリアベルとヘルムート父娘はブレずに悪役っぽいが、クリスフォードは男装の麗人みたいだ。
首が詰まる服が苦手なので、時々襟をいじってしまう。
「ところでクリスフォードや。我が領でもかような立食パーティーは可能かな?」
いくつもの勲章を胸に飾るシュナウザー公爵が、貫禄たっぷりに息子に問う。
広い庭を開放して中央のテーブルに、色とりどりの食事を並べる食事形式を、「スモーガスボード」というらしい。
これもまた、この地方独自の食事形式だ。
魚料理をはじめ、伝統食のひき肉のミートボールにヨーグルト、山羊のチーズもあれば、東国のカリーや椀飯、南国のサラダに果実、平民食のグラタンにケークサレ、色とりどりのジュレにケーキと、盛りだくさんである。
王都の夜会も立食形式だが、食事よりも社交がメインなので、振舞われるのは軽食である。
食事を楽しむ集まりは席次の決まった晩餐会になるので、全てのメニューを一度に並べて、好きなものを好きなだけ食べてよし、という豪快さが珍しいのだ。
今宵はマリアベルのエスコートを務めるクリスフォードが、頭の中でそろばんをはじく。
「見目華やかながら、通常の晩餐会よりコストを抑えられそうですね。まずは、養父上の釣り人サロンで取り入れては?」
「うむ、悪くない」
「生徒会でも、実験的にやってみようかな」
新しいもの好きなクリスフォードらしい返答だ。
新生徒会による、学園祭の打ち上げがはやくも目に浮かんで、マリアベルはくすくすと微笑んだ。
「さすが、来期の生徒会長ですわね」
「いやいや。領地経営が優先のお飾り会長ですから。役員を増やして丸投げします。……ていうか、姉上は現会長をガン無視し過ぎて不自然ですよ?」
と、やっぱり襟を引っ張ってしまうクリスフォード。
「お願い、クリス。適当なところで救出してさしあげて? 後から八つ当たりされるパターンだわ」
「あー。まあ、従騎士の身分であの顔じゃ、ああなるか」
伝統衣装のカップルは見た目に爽やかで良きだが、シュナウザー・バイオレットのマントをまとう従騎士は、招待客の女性たちに不躾に囲まれて、肩や腕を触られて、笑顔でピキピキしている。
さながら、ダメなファンに囲まれたアイドルであった。
若い従騎士は爵位を継げない貴族が多いので、出自の怪しくない火遊びをしたい貴族にも、ワンランク上の彼氏が欲しい庶民にも、モテモテなのだ。
まして、あの見目である。礼装である。ひるがえるマントである。
我先にしなだれかかるお嬢様たちを遠目に、エイミが「うわぁ、嫌われるパターン」と呟いた。
自分もあんなだった気がしなくもないが、とりあえず全力で棚上げだ。
「なんか、フレディ様、さりげなーく、めっちゃベルベル様を睨んでません?」
ひと通りの挨拶を終え、アーチラインの袖をキュッとひくと、背をかがめてエイミにだけ聞こえる声で教えてくれた。
「マリアベルが牽制してくれないから、拗ねてるんだろ。 矜持が高いとこが好きなくせに、矛盾してるよね」
「あれだけモテて、本命にもヤキモチやいてほしいとか。贅沢なヒトですねー」
「わからなくはないけど。とりあえず、お姫様を救出してもいい? 気晴らしにダンスにでも誘うよ」
「アーチ様が、視線で殺されません?」
「慣れてるからヘーキ。エイミちゃんは、嫉妬してくれないの?」
「アーチ様が憎い。ベルベル様と踊って様になる、顔面偏差値と身長が憎い」
「そっちかよ」
とまあ、いちゃついているようでいて、いつも通りであった。いつも通りにしないと、エイミがキャパオーバーで爆発しかねないし。
アーチラインがマリアベルをダンスに誘うと、淑女は優雅に頷いて、洗練された指を差し出した。
楽隊が宮廷風の音楽を奏ではじめた。
夏の庭にシュナウザー・パープルのスカートが広がると、貴族たちが、豪商たちが、我も我もとダンスの輪に加わってゆく。
色とりどりのスカートが、満開の花みたいだ。
夕映えの時刻に始まったパーティは、夜の帳の深まりと共に、無礼講の様相になってきた。
食べ物、飲み物が過不足ないよう、下げた皿やグラスの見映えが悪くないよう気を配りつつ、ホストに徹するサーシャは、中庭で始まったダンスを遠目にため息をついた。
「なんて優美なのかしら……」
ふと、クリスフォードがエイミを誘っている姿が目に入った。
なぜだろう。彼だけは遠くにいても浮き上がって見える。
気さくな人だが、やはり大貴族だ。とてつもなくエスコートが様になっていた。
絶世の美少女がふたりいるみたいなコンビだが、割と気が合うみたいで楽しそうに見える。
サーシャはふいと目を逸らした。
今日はホストと来賓だから、パーティが始まってからは一言も話していない。
近隣貴族の意向を汲んでホストファミリーの自分も、峡湾地方の衣装だ。棒みたいに細い目が、なで肩が、薄い体が、悪目立ちしていないか、気になってしまう。
だから、サーシャには絶対に着こなせない服で軽やかに踊るエイミと、大貴族の準礼装のクリスフォードに、心がざわついてしまった。
見た目だけだったら、背の低いエイミと釣り合うのは、長身のアーチラインより小柄なクリスフォードだとさえ思ってしまう。
実際のところは、
「うちの妹、可愛いでしょう?」
「否定しないけど、僕の妹の方が可愛い」
「リリちゃんも確かにかわいーデスけど、さーちゃんほど可愛い妹はこの世にいません!」
「サーシャ以上の美人はいない、の間違いだろ」
「いーえ、さーちゃんは2番です。1番の美人さんは、ベルベル様ですー!」
「異議あり! 順位が逆!」
と、サーシャが聞いたら卒倒しかねないシスコン談議を繰り広げていたのだが。
「サーシャ。お前、何コソコソと姉を睨んでんだ?」
給仕を手伝ってくれているシュナウザー家とシェラサード家の侍従さんたちが運びやすいよう、空いた皿を整えていると、背後から覚えのある声に呼ばれた。
ふりかえったサーシャは、ヒッと息を飲んだ。
男爵家の三男で海軍士官学校に入った先輩ーーーサーシャの片恋で初恋だった、エイミの初めてのキスを奪った男だ。名を、ハラルド・グレージュという。
もちろん、招待なんかしていてない。
エイミに不埒を働いた男なんか、もれなく呼んでない。
家や商会には招待状を送ったが、『加害者は来んな。理由は、わかってんだろうな?』 を、極めてマイルドな表現で書き添えておいた。
商売にさし障る者、婚約相手のあまりのビッグネームに反省した者、嫁に怒られて謝罪しにきた者は「絶対に不埒な態度をとらない」と、神とドラゴンライダーのヨアンに誓わせて、参加を許可した。
ハラルドの家も両親のみ招待したが、レース編みのパーツを衣装に刺繍しただけで、辞退されている。息子の所業が恐れ多くて、と。
「ハラルド・グレージュさまこそ。宰相令息様を不躾に睨まないで下さいまし」
大人しかった学生時代と違い、毅然としたサーシャの態度に、筋肉質な士官学生の目が据わった。
「商会の乗っ取りを目論む悪女が、偉そうに」
サーシャの背がゾクリとする。
もしかしなくても、今、自分はピンチなのではなかろうか?
下げた食器を一旦置くテーブルだから、パーティ会場からはよく見えないように設置されている。先ほどまで近くにいた侍従たちは客に頼まれてワインを取りに行ったばかりだし、周囲に誰もいない。
「お前さあ、はやくこんな婚約を潰しちまえよ。得意だろ? エイミの恋愛を片っ端から邪魔してきたんだから、いつも通りにしろよ? 俺も別れさせられて、傷心したぜ?」
「意味がわかりかねます」
立ち去ろうとするサーシャを、頑強な腕が掴み上げる。
「キャッ……な、何を」
「お前、ガキの頃からオレの事が好きだっただろう? 言うことを聞けよ。特別に可愛がってやるから」
掴まれた両手がちぎれそうだ。顔をしかめてうつむくサーシャに、ハラルドはより圧力をかける。
「痛……!」
「ハハッ! サンドバッグとしては、優秀だな!」
そのままズルズルと引きずられるように、森に続く裏庭に連れ込まれた。篝火の灯りや、賑やかな声や音楽が遠ざかり、かわりに虫の声が響く。
夜の森より、彼の目は暗かった。
優等生のサーシャは、ちょっとヤンチャな年上に弱かったけど、こんな人だっただろうか?
過去の自分の見る目のなさに、慄く。
「招待状がない時点で、察して下さいませ」
頑強で長身な男を睨みあげると、顔面に唾を吐かれ、地面に突き倒された。
「生意気だよ。クソチビ。なあ、海兵学校じゃ、シーサーペントの牙で作った短剣が配布されるんだ。見ろよ。どこから切ってやろうか?」
恐怖で叫ぶこともできず、サーシャはぎゅっと目をつぶって膝を閉じた。
自分の失態で、婚約パーティーに泥を塗るわけにはいかない。だけど、だけど……。
(こわい、クリスフォード様、クリス様……!)
ハラハラと涙を流すサーシャを、硬い軍靴が足蹴にした。
「今までは、お前ばっか着飾ってたけど、似たような服だと、ほんっと悲惨だな! いつもに増して、すげえブス!」
暴力よりむしろ、言葉に心をえぐられた。
欄外人物紹介
ハロルド・グレージュ
平民学校卒業後、海軍士官学校に入隊した。18歳。
夏休みに帰省したら、元カノが大貴族と婚約と聞いて、血の気が引いた。
宰相令息に無理強いされたか、後妻と娘に売られたに違いないってゆー目出度い認識で忍び込んだら、アーチラインに懐きまくるエイミがいた。
現在、脳が理解を拒否して、サーシャに八つ当たり中。
いわゆる田舎のガキ大将。
腕っぷしなら、アーチに余裕で勝てる気でいる。残念。




