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悪役を放棄した令嬢は、美少女すぎるヒロインと戦わないっ!  作者: 芳野みかん
ようこそホワイト准男爵領へ! ダイヤモンドは砕けません!編
33/98

置き去りのピアノと、令嬢とヒロインの恋模様

「マリアベル様。ピアノを嗜まれるのでしたら、こちらは如何でしょうか?」


と、案内されたのは、敷地内の森に佇む山小屋だった。

ホワイト准男爵邸は、マリアベルからしたら「すっごいセレブが隠れ家にしてる、アジアの高級リゾートみたいな豪邸」だが、この切妻屋根の小屋は、峡湾地方の伝統的な建築物みたいだ。白枠の窓が童話の家みたいでかわいい。


中は板張りで、ガランとしていた。


吹き抜けの窓から差し込む光は明るいが、ピアノには直接陽が当たらないように設計されている。


「ホワイト准男爵領は、6の旧男爵領をまとめて拝命いたしましたの。男爵様がたは爵位を返上された際にお売りにならなかったのか、こういった山小屋がいくつかありますの」


メルセデス公爵が治める北部峡湾地方が豊かになったのは、ここ数年の話だ。

海軍を抱える軍港のあたりは賑わっているが、西に行くほど産業が細くなり、峡湾と山と森ばかりで農地もまばらだ。冬は厳しく、夏は短い。

ホワイト商会が貴族位を申請してわりとあっさり受理されたのは、ダイヤモンド鉱山の発掘による経済力急進の功績もあるが、飢餓や疫病に伴う人口流出により、子爵以下の貴族の没落が相次いでいたから。ようは、土地が遊んでいたのである。


「……そうですの」


サンドライトの食料庫であり、不作の年でも作物が余るシュナウザー公爵領にいたら、想像もつかない暮らしぶりだ。報告書を読むのと、そこに住む人から話を聞くのは、全然違う。


マリアベルはここにはいないかつての男爵に「拝借します」と断り、指慣れた練習曲を弾いた。


「あら……!」


「おわかりになります? 私は楽器に詳しくはないのですが……」


「こちら、太王太后様から下賜された品ですわね。太王太后様とは、国王陛下のお祖母様に当たる方です。北部峡湾地方の貧窮に心を痛め、この地を治める貴族たちにピアノを下賜されたと聞き及んでおりますわ」


「まあ! そんな由緒正しきお品でしたの?!」


「爵位を返上されても、売却なさらなかったなんて。王家への忠義でしょうか。調律も完璧ですわ?」


「調律師を名乗る御老人が、見て回って調律されていますのよ。いずれかの男爵家のお抱えだったのでしょう。気が乗ると演奏もされますの」


マリアベルは簡単な練習曲で指を慣らしながら、独り言みたいに語りかけた。


「王宮では美談として語られていますわ。音楽は心を癒しますもの。ただ、楽器は、大きなものほど繊細な管理が要るもの。土地で手に入る材料で、修理や調律ができるものの方が、より素敵だったかもしれませんわね」


「そのような事、みだりに口にするのは感心できませんね。マリアベルお嬢様」


大きな木戸を音もなく開けた従騎士が、微笑みながら膝をついた。


マリアベルはピアノを弾く指を止めた。

すみれ色の瞳を大きく見開いていた。物言わぬ唇が「まさか」とうごく。


「到着が遅れました。ユイファ・ホワイト准男爵夫人。自分はシュナウザー公爵家にお仕えします従騎士フレディ・ヨークシャーと申します」


こんなキラキラした従騎士がいるか! と、つっこみたいのはマリアベルだけではあるまい。


「左様でございますか。ならば、そのように取り計らいいたします。私は護衛と本宅に戻りますので、マリアベル様の護衛を引き継ぎ願いますわ」


ホワイト夫人は顔色1つ変えずに、流れるような所作でその場を去った。

3人の護衛を連れて山小屋を去る鮮やかな引き際に、「へぇ、見事だな」と微笑むニセモノの従騎士。

マリアベルには、立ちすくむしかできないのに、シュナウザー家の従騎士の鎧を着た婚約者は平然と近づいてくる。


「なんで、いる……の?」


「うん。理由はいろいろあるんだけど……君に関しては、今日、会いたかったんだ。誕生日だから」


「……!」


「おめでとうマリアベル。早速、着てくれたんだね。よく似合ってる」


真昼の海みたいな青い目が、マリアベルのサマードレスを嬉しそうに眺めた。

王都を発つ前に、この人から贈られた誕生日プレゼントだ。首回りに銀糸の刺繍が施された明るいブルーグレーのドレスで、マリアベルの好みすぎて、侍女が引いた後にこっそり抱きしめてしまった。

ちなみに、ネモフィラを模したネックレスと揃いのイヤリングは、去年の誕生日にプレゼントされたもの。銀のブローチも、3連真珠の髪飾りも、ラベンダーピンクの口紅も、ピアノの隅に置いた扇子も、全て彼からの贈り物だ。


マリアベルは会わない時ほど、フレデリックに贈られた品で身を飾る癖がある。公式の席は別だが、学校や私用で会うときは、小さな目立たないものをせいぜいひとつ、つけるかつけないかだ。

もしかしなくても、見透かされただろうか。イタズラがばれたネコの気分で、まなざしから目をそらす。


「ど、どうして従騎士の格好を? 」


「アーチに化けるよりは、簡単でいいな。これ」


「質問に答えてくださいませ」


「何となく、かな」


この人が言葉を濁すときは、ろくな理由じゃない。

小さくため息をついたら、手を取られて甲にキスをされた。


「王都でなにか、ありまして?」


「いや、変わりない。だが、戻る頃には動きがあるだろう」


フレデリックはマリアベルの手を握ったまま、甲に指で文字を書いた。


『隣国が、帝国に併合された』


「え……?」


『この地で人を訪ねるよう、王命を受けている』


「このタイミングでそれって、絶対に面倒事だよね。従騎士はノリだけど、身動きがとりやすいのが好都合だ」


フレデリックは何でもない口調だが、マリアベルは蒼白した。

隣国が帝国に併合されたということは、帝国との国境が増えたということだ。

西の辺境の小競り合いは今に始まったことではないが、さらに北の海から侵略されたら?

ダイヤモンド鉱山を抱えるホワイト准男爵領なんて、いつ紛争地になってもおかしくない。

さらにいえば、国家間の『戦争』になったら、勝ち目は薄い。

サンドライト王国は、大陸東端の小国に過ぎないのだ。こちらの総人口より、帝国の軍人の方が倍も多いのだ。

小競り合いならまだしも、本気で攻め込まれたらひとたまりもない。


「大丈夫だ。心配しないで」


フレデリックがその肩を両手で包み込んで、正面から見つめてきた。深く青い瞳に、不安げなマリアベルが映っている。


「僕が、必ず君を守る」


両手でマリアベルの右手を包み、厳かに聞こえる声には、覚悟が込められていた。

ふっと、心を占めていた恐れが薄れ、代わりに暖かい想いが浮かんだ。それは、じわじわと胸の中に広がって、静かに恐怖心を溶かしはじめた。


「今までも、ずっと守ってくださいました」


知らず知らず微笑んでしまう。

優しげな尊顔に反して武器の扱いに慣れた固い手を、マリアベルも握り返した。

未来の破滅に怯える自分を、この手で何度守ってくれたのだろう。どんなに無理をしても泰然として、対価を求めることさえなくて。


「これからは共にサンドライトを守ろうとは、言ってくださらないの? 」


一瞬だけ見開かれた両の目が、慈しむように細められた。心からの笑みに、マリアベルの心臓がはねる。

愛しい愛しい人が近づいてくる。

どちらからともなく目を閉じると、柔らかな唇が音もなく重なりあった。


「ありがとう。僕の人生には君が必要だ。王太子としても、ただのフレデリックとしても」


唇が離れると、胸の中に閉じ込めるみたいにして抱きしめられた。マリアベルもその広い背中に腕をまわした。

彼の胸は広くて逞しくて、とても甘やかだ。ずっと、こうしていたくなる。


「ーーーだから、君の人生を僕にください。共にサンドライトを守る為に」


「はい……喜んで」


未来の王と王妃は、王家ゆかりのピアノを前に生涯を誓いあった。

このひと時が、やがて訪れるふたりの危機を救うことも知らずに。







「わあ、すごいな。稚児車の群生だ」


アーチラインの歓声を馬上で聞きながら、エイミはえへんとドヤ顔した。

開けた馬車道から見下ろす谷一面に、絨毯のように白い花が咲いている。大きな黄色の花弁が鮮やかで、青空によく映える花だ。


「綺麗でしょう? ここ、平民学校に通っていた時の通学路なんです」


現在、エイミはアーチラインの駆る白馬に2人乗りして、領地をお散歩中である。


デートと言えば聞こえが良いが、体良く追い出されたのが正解だ。クリスフォードによって「部屋が整うまで、遠乗りでもしてきて下さい」と。

同じ大貴族とはいえ、王位継承権を持つアーチラインの方が数段位が高いなんて、知ったこっちゃないらしい。

本来なら、早く来ようが遅れようが、准男爵家に気遣う必要なんざ微塵もない身分だが、アーチラインは基本が日和見である。フレデリックが道を急げば付き合うし、クリスフォードに時間を潰せと言われたらそうする。で、しゃあしゃあ楽しむ。

割と運動神経の良いエイミは、一緒に馬に乗るのも楽だし。


「あれ、人がいる……」


アーチラインが手綱を引くと、白馬は嗎もせずに足を止めた。道端にぽつんと置かれたベンチに腰掛けて、老人がうたた寝をしている。


「あ。調律師のお爺さんです。うちの領地、あちこちにピアノを置いた小屋があるんですけど、それを調律して回っているんです」


「ん? ……どこかで聞いたような」


先に降りて、エイミを抱き下ろす流れが手慣れすぎていて、「遊び人の貫禄、半端なし」と呟くエイミ。

「遊び人の真髄、知りたい?」と聞いた瞬間、ダッシュで老人の背後に逃げた。


「はて。新しい領主様の、お嬢さんかね。最近見なかったが、元気じゃったか?」


めんどくさそうに顔を上げた老人を見た瞬間、思いっきり目を見開くアーチライン。

老人は意に介さず、席を空けた。もちろん、エイミは遠慮せず座る。


「貴族の学園に通ってたら、婚約者に捕まりましたー!」


「人聞きの悪い……」


若干げんなりしているアーチラインと、ニコニコ笑顔のエイミ。老人はシワシワの目を細めた。


「ま、捕まっときなさい。お前さんは、今までロクな男にモテなんだから。そちらの御仁ならば、親御さんも安心じゃろ」


「あ。そうか。だから、イヤじゃなかったんですね!」


エイミは今頃気がついたみたいに、アーチラインを見上げた。


「私、けっこー沢山の人に、結婚しようとか恋人になろうとか言われたんですけど。アーチ様だけは、1度も私の家族を悪く言わなかったです。あ、『お父様がタヌキ』は、事実だからノーカンです!」


「付き合いが浅すぎてわからないだけかもしれないけど、悪く言われた理由は?」


「後妻が東国人だから卑しいとか、家族は私に意地悪とか、さーちゃんばっか着飾るとか、こんな家にいたら幸せになれないとか」


「? ひとつも賛同できる要素がないよ?」


「ですよねー」


不思議がるアーチラインを見上げて、老人はフォッフォッフォッと笑った。


「お前さんは、ちいとばかし美貌が過ぎるでな。小童どもの魔がさすのじゃ。お前さんにさえ出会わなければ、妹と結婚して、まっとうな商売を続けたであろう男も少なくないじゃろうな」


「えー! わ、私、厄病神すぎる……」


ずーんと落ち込むエイミを、老人は再び笑い飛ばした。


「囚われん男と添い遂げりゃあ良いだけの話じゃ。お前さんたち姉妹は、親や従業員たちにめいっぱい愛されて、甘えたに育っておるからの。たっぷり甘やかしてくれる御仁が良いわ。ま、おめでとさん」


老人は、白馬の手綱を持つアーチラインを見上げて訳知り顔で頷いた。

さわやかな風が谷間にふいて、白い花の群生が揺れる。かすかな香りが鼻腔をくすぐり、風とともに峡湾に去った。


「さてと。次のピアノに会いに行かんとな。3つ向こうの峡湾に、ここより見事な花畑があっての。スノーフレーク、白詰草、マーガレット。それから、カモミール。白いクレマチスも。不思議に白い花ばかりが咲く谷じゃ。道が悪うて馬じゃいけん。あつらえ向きの船着場もない。住人たちは疫病で儚くなったり、離散したり。無人となって花とピアノだけが残った、死の谷じゃよ」


老人は呪文のように呟くと、頑健な足取りで東に向かっていった。


「もしかして……!」


老人の去った方向に走り出そうとしたエイミを、アーチラインが後ろから抱きしめて引き止めた。


「アーチ様」


「夕方までに帰れない場所に行ったら、みんなが心配する」


「でも……」


この無邪気で優しい娘を、今は手放してはいけない。

ストロベリーブロンドの髪。細い肩。白い肌。屈託のない笑顔。彼女を作る全ての要素が大切ならば。


「そこは、僕がかつて愛した人の故郷かもしれない。違うかもしれない。気にならないとは言わないけど、今、僕が婚約しているのはエイミ・ホワイト准男爵令嬢だ。君の安全より優先することじゃない」


「でも、でも、アーチ様は……」


「鋭いとこエグるくせに鈍感だよね。あーもう、わかんないかな」


アーチラインはさらに、腕の力を強めた。


「チャラいのも、気が多いのも、過去を引きずりがちで鬱陶しいのも否定しないけど!」


「それ、チャラいとこしか同意してませんから! 」


「守りたいのは、婚約者だからってだけじゃないからね? 君が、危なっかしいからだけでもない」


「……」


「好きじゃない相手との結婚はムリって、君の意見に同意しただけだから」


「えーっと……」


「この際だから、はっきり言うよ」


抱きしめた胸の中で、エイミが絶句した。

自分から寄ってくるときは無防備なくせに、こちらから触れようとすると、沸騰したり、固まったり、申し訳なさげに眉を下げたり。

今、どんな顔をしているのか、後ろからじゃわからない。

けど、衣服を通して伝わってくる鼓動は、アーチラインを拒否していない。


「過去よりも、誰よりも、君を愛してる」


言葉にすれば、はっきりと腑に落ちた。自覚していたよりも、エイミが思うよりも、ずっと深く愛していると。






欄外人物紹介



ピアノを調律する老人


もうすぐ正体が明らかになる。


ピアノを調律しはじめたのは、25年くらい前から。

飢饉があったのは20年前。疫病が流行ったのは18年前。

フローラの実家が離散したのは15年前。

一帯が滅ぶかと思ってたら、13年くらい前に峡湾地方の東部からホワイト商会が移住してきて、領主を失った住民たちを雇って、ダイヤモンド鉱山まで発掘して、みるみる潤う様を淡々と眺めていた。


人が変わっても、本人の生活は別に変わらないし。

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