ショタ眼鏡の不敬が、正論すぎる
「鉱山で採掘されたダイヤモンドは、他社に販売するものと、自社工房で加工するものに分けられます。北部峡湾地帯はアコヤ貝の養殖も盛んですから、自社工房で扱う宝石はダイヤと真珠がメインですわね」
今日のサーシャは上半身が水色で、裾に向かって紺に移行するグラデーションが美しいサリーを着ている。
普段着は足さばきの楽なアオザイが多いが、来賓を案内する時は、大人びて見えるサリーを選んでいる。
サンドライト風のドレスも持っているが、顔立ちや体型の薄さから似合わなさ過ぎて、ついつい敬遠してしまう。
コンプレックスゆえのチョイスだが、案内を受けているクリスフォードが、ど真ん中を直撃されて見惚れっぱなしだなんてことは知らない。
「ホワイト商会の宝飾品がオリエンタルな雰囲気なのは、東国人の作家が多いからなのか」
あんまり見たら失礼だと、クリスフォードは自社工房の作業場に視線を向けた。見渡しの良い作業場だ。
こちらも東国風の屋根が涼しげな木造建築で、10人ほどの職人たちが各々の作業に取り組んでいた。見たところ、半分くらい東国人か混血だ。
反対側の窓の外には小さな小屋があり、その背後に夏の海と峡湾が広がっていた。
「サンドライト伝統のデザインを提供しましても、老舗の工房にはかないませんもの」
「なるほどね。ところで、奥の小屋はなんだい?」
「端材小屋ですわ。工房から出た屑ダイヤや、アコヤ貝の殻を保管していますの。屑ダイヤはヨアンさんのドラゴンの、アコヤ貝はシーサーペントの好物ですの」
「へえ。この辺にも、シーサーペントがいるんだ」
「あの子たちはドラゴンが好きだから、ヨアンさんを雇ったら顔を出すようになったのよ。……あ」
つい敬語を忘れて素て話してしまったサーシャが、細い指を揃えて口元を押さえた。
「も、申し訳ございません!」
「気にしないで。僕としては、そっちの方が気楽だ」
「でも」
「うん。学園でもたまに怒られる。1年と3年は王族がいるからガチガチの貴族社会の縮図なんだけど、2年は1番爵位が高くて僕だからかな。身分意識が薄いんだよね。誰かが剣術大会に出るとかシンポジウムで発表とかいうとみんなで応援に行くし、しょっ中集まっては演奏会や合唱会をしてるし。卒業してからが辛いから、馴れ合うなってよく言われるけどーーー」
と、眼鏡の縁をあげ、職人たちの手を見る。
「ここでみんなにお土産を買いたくて、ウズウズしてる」
イタズラそうな笑顔に、サーシャもつられて微笑んだ。
クリスフォードは見た目は美少女みたいな美少年だけど、話すと案外と気さくでヤンチャだ。
「でしたら、今からシーサーペントに餌をあげにいきましょう? 鱗毛を分けてもらって、栞を作ってはいかが? シーサーペントの鱗毛はとても美しいの。宝石なんかで散財するより、思い出語りになるんじゃないかしら?」
思い切って敬語をやめてみても、サーシャは至極上品だ。それに、知的だ。理想をこえた理想の女の子が実在する現実って、ほんとすごい。
クリスフォードの気持ちは、養父にもマリアベルにもバレバレだったようだ。
養父にはニヤリとサムズアップされた。身分的に愛人にしかなれないし、そういう意味なんだろうけど、こんな綺麗な女の子にそれを強いるなんて、あり得ない。
マリアベルはダイヤモンド鉱山の研究をあっさり反故にして、東国建築をテーマに選び直し、ドヤ顔で別行動をはじめた。
ホワイト准男爵には優秀な後継が奪われないか警戒されている風ではあるが、夫人はしれっとしているので、クリスフォード的には放置だ。
サーシャ本人は……どうなんだろう。嫌われてはいないと思うけれど、東国人の表情は、貴族の仮面とは違う意味でわかりにくい。
ただ、端材小屋に行って彼女が持ち上げようとした桶をさらった時、パッと頬を染めた横顔に、うっかり期待しそうにはなった。商売相手ではない男性に、慣れていないだけかもしれないのに。
「お、重たいわよ?」
「この見た目だから、『ペンより重いものを持ったことがなさそう』って言われるけど。実際は、本より重いものを持ったことがナイ」
「え?」
「本も重ねりゃ、これより重いってコト」
ちょっと考えてからコロコロ笑い出したサーシャに「あと、『意外に女子力がない』も、よく言われる。男だっての」と戯けたら、もっと笑ってくれた。
峡湾は切り立った崖なので、近く見えても波打ち際までかなり距離がある。
整備された階段を笑いながら下っていくと、水平線の彼方から3頭のシーサーペントが突進してきた。
「あんな遠くから餌がわかるなんて、すごいな」
「あら? いつもの子たちじゃない……」
サーシャが首を傾げると、眼鏡の縁をあげたクリスフォードが「げ」と呟いた。
フルスピードで近づいてくるシーサーペントに、それぞれ見慣れたイケメンたちと、見知らぬ美魔女が乗っている。
美魔女の背後には、見慣れた美少女がコアラみたいにピッタリくっついていた。
「さーちゃーん! 久しぶりですー!!!」
「お姉様?!」
エイミの奇行に慣れてるはずのサーシャが、びっくりして固まった。
クリスフォードはアコヤ貝の桶を両手に、ズンズンと波打ち際に降りた。
シーサーペントたちは「わーい、エサだー」って感じで黒い目をキラキラさせているが、海竜から降りたイケメン①と美魔女と美少女は全然悪びれず、ニコニコしている。
イケメン②だけ、ジェスチャーで「ごめん、止められなかった」としてるが、こいつも絶対確信犯だ。
「クリスフォード、久しぶり。君も来てたんだね」
「あんたら、明朝が到着予定でしたよね? 侍女は? 護衛は? 侍従は???」
「予定通り、高速船で来るよ?」
フレデリックの牽制スマイルも、国王とクリスフォードには効かない。ガン無視して通した企画も、数知れずだし。
「従騎士より強いって言い訳は聞き飽きたからともかく、准男爵家にだって段取りってもんがあるでしょうが! エイミ嬢は娘だし、アーチ先輩は婚約者だからギリギリ良しとして、そこの偉いヤツ!」
堂々と王太子に指差ししちゃった学園生は、クリスフォードとエイミだけである。
「ここにいる間は、シュナウザー家の従騎士でも名乗っとけ! 正体バレバレだけど、今更婚約パーティーを王族来賓仕様にできるか! 」
「く、クリスフォード様。この方って、この方って…」
背後でガクガク震えるサーシャが倒れてしまわないよう、グイッと腕の中に抱き寄せた。
「はじめましてレディ。シュナウザー公爵家にて従騎士を務めますフレディ・ヨークシャーと申します?」
「なんで僕の実家なんだよ?」
「クリスフォード様、初彼女ですか? シスコン卒業おめでとうございます」
「生徒会の引き継ぎ、ブッチしたろうか?」
ピキピキきてるクリスフォードに反して、ノリノリで騎士の礼をかますフレデリックに、サーシャはもう、呆気にとられるしかできない。
「へー。アンタがクリスフォードくんか。カノスが言ってたとーり、美人で怖いもん知らずだね」
最後にシーサーペントから降りた長身の美魔女が、からかうように見下ろすも、クリスフォードは表情を変えない。
「失礼だがマダム。名を問うても?」
「マリアベル。あんたの学校のファルカノスって教師の、ま、愛人だよ」
パチンとウインクすると、クリスフォードは「無下に帰せないヤツが、また増えた」とため息をついた。
「あ、あの。私どものことは、お気になさらず。遅ればせながら、それ相応の準備は致しますわ? 姉がお世話になっている方々ですもの。誠心誠意、おもてなしさせていただきます」
クリスフォードを振り払うでもなく彼から離れ、楚々として、でも毅然として「商人の」礼をした。
「君がサーシャさんだね。はじめまして。僕はアーチライン・シェラザート。末永くよろしくね」
あえてくだけた雰囲気で語りかけたアーチラインに、サーシャは「恐悦至極にございます」と更に一段頭を下げた。
「……エイミ嬢の妹だよね?」
解せない顔のフレデリックに、満面の笑みで「はい!」とお返事するエイミ。
「出来が良すぎる……」
「綺麗な子だね」とアーチライン。
「北部峡湾地帯じゃ、ホワイト商会の美人姉妹っていったら有名だよ? 妹は見劣りするって聞いてたけど、こっちの方が綺麗じゃないか 」とマリアベル。
「お歌と運動神経と顔面偏差値は私の方が上です! あとは全部さーちゃんが上です!」
今日も容赦のないアンポンタンの額を、クリスフォードが指でグリグリした。
「女性の美しさは、装いと立ち振る舞い! キミは宝の持ち腐れ! 大公宰相家に嫁入りするんだから、妹を目標にしてキリキリ磨けよ?!」
「クリスさん、ひどいー、目を逸らし続けた事実を突きつけないでくださいよー!」
「ありのままのエイミちゃんが1番だよ。僕のために綺麗になってくれるなら、それはすごく嬉しいけど」
「ワザと言ってますよね?! そのチャッライ殺し文句! ぶっちゃけ、誰よりもアーチ様にからかわれてますよね?! 自分!」
頭の先からサンダルの先まで真っ赤になって抗議するエイミを、サーシャは低い姿勢のまま見上げた。
美しくて男たちの欲望を刺激するエイミは、いつも変なツナギばかり着ていた。
「お継母様ありがとう」と笑っていたけど、影で泣いていたことをサーシャは知っている。可愛い服を着られないことが悲しいんじゃない。「なんで私はみんなに迷惑ばっかかけちゃうんだろう」と自分を責めていたのだ。
エイミに思うところはたくさんある。苛立ちも、劣等感も。だけど、嫌いにはなれなかった。
どーでもよいことですぐ泣く泣き虫だけど、家族を思いやる涙は、ひとりで流す子だから。
2年前、サーシャが憧れていた先輩に無理やり唇を奪われた夜は、タオルで口をごしごししながら「許せない許せない!さーちゃんを泣かすなんて、絶対に許せない」と泣いていた。
「私なんか、大嫌い」と。
あれを見て、姉を守ろうと思わない妹はいない。
美しくないサーシャは、自分に似合う装いの研究に没頭した。小柄で幼く見える自分が、どうしたら商人として信用されるだろう、と。
幸い、地味な一重と東国服がはまった。控えめで清廉とした振る舞いをすれば、上客が上客を呼んでくれた。
だけど、いったい何度、言われただろう?
『自分だけ装って、お姉さんのあの服、いじめ? 可哀想だよ』と。
『不細工な分際で、可愛いエイミを貶めてるつもり? 』と。
『美しい継子にあんな服を強いるなんて、心まで醜いんじゃない? 最悪な後妻と娘だ』と。
欲望まみれな眼差しで『エイミを守るから、寄越せ』と。
お前らみたいな輩が、望まない誘惑をするからだよ!
どれだけ怖い思いして、泣いてきたと思ってるわけ?
ちゃんと好きになってくれる相手に会う前に、男で辛い目を見せたくないからだよ!
あと、私が装うのは、仕事だー!
叫びたかった。でも、叫んだら惨めになる。姉も、自分も。泣きながら変な服を作った母も。
今日の姉は、裾にレースの刺繍の入ったワンピースに、華奢なデザインのサンダル。可愛らしいし、よく似合っている。キラキラ光るブレスレットは婚約者とお揃いで、妬けちゃうくらい眩い。
婚約者に頭をヨシヨシされて、真っ赤になって抗議するエイミ。
背の高い婚約者の、慈しむようなまなざし。
学友たちは「末永くもげろ」と笑いあっている。
平民学校の男の子たちは、エイミを巡って牽制しあっていたのに。女の子たちには「悪い子じゃないけど、一緒にいると惨めになる」と距離を置かれてきたのに。そんな様子は全然ない。
ああ、姉は、姉を大切にしてくれる人たちに、やっと出会えたんだ。姉の良さを認めてくれて、アンポンタンをつっこんでくれて、日々楽しく過ごせる人たちに、やっとやっと出会えたんだ。
学園に送り出して良かった。
サーシャの中の胸のつかえが、すっと溶けた。
さーちゃんは、マジで良い子。




