赤点は青春の勲章☆夏の補習もん祭。
夏季休暇中。生徒のいない学園は、閑散として静まりかえる。
マリアベルはこの日、従騎士ふたりと侍女のステラを従え、ファルカノスを訪ねた。
大理石の廊下の床に、遅い午後の陽が落ちている。
人数分の靴音が、いつもよりも反響した。
通い慣れた教室の扉を開くと、最前列の席を向かい合わせにして、ファルカノスとエイミが見つめあっていた。
傾きかけた西日が、ふたりの髪を柔らかく照らしている。
マリアベルは、密かに赤面した。
このスチル、覚えてる! と。
教師と生徒。王弟と准男爵令嬢。親子ほど年の離れたふたりの恋は、純愛ながら禁断の甘さが漂う。
胸に青春のほろ苦き思い出を持つ、大きなお姉様ユーザーに絶賛されたのは言うまでもない。
が、お約束だが、現実は以下の通りである。
「先生。点Pが動くことが、納得できません」
「納得できなくても、移動すんだよ。Pってヤツは」
「こんなP、先生の三叉矛でブッ刺してくださいよー」
「どあほう」
夏休みの前半を返上して、赤点補習に時間を割く担任の生徒愛は深い。間違いなく深い。
卒業後はシェラザート家の従騎士に内定している女騎士オルハ・マーチに、絵姿つき最新騎士目録を貸してやるほど深い。
エイミはマンツーマンの補習にげんなりしてるが、オルハは「今期入隊のシーサーペントライダー様、イケメン多数!尊い!」などと喜んでいる。
そう、教室に、ファルカノスとエイミがふたりきりなんてない。教師がその気にならない限り、絶対にナイのである。
そんな相変わらずすぎる日常に、うっかり和むマリアベル 。エイミがくるんと振り返って「ベルベル様ー!」と、全力で抱きついてきた。
「ごきげんよう」
抱きつかれ慣れたマリアベルが、髪の流れに沿ってよしよしすると、エイミは嬉しげにマリアベルの髪に顔を埋めた。
「ふああ、今日も良い匂いですー」
「おめえら、ホント仲良いな。身分違いで禁断のナントカってヤツか? 」
思わず、目が据わるマリアベル。
そっちの禁断は、ズバっとお断りだ。
「……。こちらに、裁判の報告をまとめましたわ。ステラ」
「はい」
ステラから受け取った書面を斜め読みしながら、「1年間の投獄後に予定通り遣帝女、か。ま、こんなとこだろな」と、薄く笑うファルカノス。
本日、レティシア王女の初公判が秘密裏に行われた。
まず、レドリック王子暗殺未遂罪が立証され、有罪判決がくだった。ただし、当時は毒に混ぜた痛み止めが劇薬になるとは知らなかったと言い張るのと、社交界デビュー前だったので極刑とはならなかった。
隣国の密偵とつながっているスパイ疑惑については、レドリックの暗殺未遂も含め、密偵に脅されていたと泣いた。
フレデリック暗殺を教唆されては、スケジュールや自室の合鍵を渡されてきた密偵側からすれば、寝耳に水である。
検使相手に、証拠や証言がそれにつながるよう尋問を誘導する話術に、マリアベルは心底ドン引きした。
ストレートの金髪に若草色の瞳の、やつれた美少女の謝罪と懇願が、当事者を白けさせ、当事者ではない者たちの心をつかむ。
レティシアはおっとりとして善良そうに見えるし、自分が不利になる事を言わないので、知らず知らず絆される者が後を絶たないのだ。
ちなみに、薬学の聖女の件は、教会側がアッサリ否定した。こんな頭が回る聖女はいらないらしい。あちらはあちらで、流石の伏魔殿だ。教会の尻尾切りは、今日も鮮やかである。
また、当然ながら「借腹」の毒殺や、シンシアへの嫌がらせは立件すらされなかった。レティシアは直接手を下してない上、相手が平民では罪に問いようがない。
エイミの誘拐未遂だけはフレデリックが目撃者なので追及されたが、やはり身分の問題で『王太子への不敬』が落とし所となった。
「身元引受人はフレデリックで、監獄塔の空中牢送りね。土や植物と離すのは、正解だな」
分厚い報告書をバサバサしながら、苦笑するファルカノス。スーツに染み付いた葉巻が、ブワッと薫ってエイミが咽せた。
「ゲホッ! あ、ち、乳ナシア王女って、秋からも学園来るんですか?」
移動する点Pから移動したいエイミが、これ幸いと話題にのっかってきた。
「そのあだ名、相変わらず容赦ネエな」
誰もが突っ込むが誰も止めないあたり、レティシアの人望とバストの薄さは、推して知るべしである。
「お胸が小さいことは、乳ナシア王女の罪ではないのです! ちっぱいとは可憐美の極致! 盛ることもまた美しきレジストと言えましょう。しかし、乳ナシア王女は、盛ったお胸でAカップの同朋をディスる罪を犯しました。尊き双丘をディスることは、王族でも断固許されぬ大罪なのです!」
パチパチと拍手する、ちっぱい侍女ステラとちっぱい女騎士オルハ。
そのご高説、酔っ払ったオッサンのタワゴトとどう違うのだろう?
ってゆーか、「ちっぱい令嬢たちのお胸をディスった罪で退学」とか、本気で思っていないだろうか?
「ガキどもの乳なんかどーでもいいわ。とりあえず、あいつはオレ様権限で無期限休学にした。ほら、あの学年だけA組とBC組の校舎が違うだろ? A組の選民意識がやたら高くてよ。BC組のカリキュラムを無視してパシリを強要すっから、端と端に引き離したんだよ。それでも休学と退学と留年希望が後をたたねーけどな。あと、イジメが半端ねー。シンシア・フルートなんか、被害者にカウントされんからな? 」
「え。下駄箱に鼠の死骸や、悪口の手紙を大量仕込まれて?」
「若年犯罪心理学の研究サンプルに使えるって、嬉々としてたぞ? あの小娘」
「先輩従騎士に伺ったんですけど。シンシア様って、差出人不明の毒をしょっちゅう盛られてたけど、その度に神速で解毒薬作ってたんですって。『偽装が甘い』とか呟きながら」
「シンシア様、つよ! おもしろ! アーチ様の婚約者に選ばれた理由が、わかりすぎですー」
「だな。とにかく、1年に編入してたら、とっくにオメーは生娘じゃねぇわ。よかったな」
「ひー! ありがとうございます! ベルベル様! ステラちゃん! オルハちゃん!」
学年アイドルの満面の笑みに、表情筋を保ちながらもうっかりキュンとなる女子3人。
王太子在籍学年の3年も、A組の権力が強い傾向があるが、こちらはBC組の忠誠心も厚いのだ。
フレデリックが実力者にだけ無茶振りして、持たざる者には慈悲を与えるので、実力者が尊敬される構図が出来上がっている。
弱者は従って当然の1年と、弱者は護って当然の3年の、意識の溝は大きい。
1年A組の評判は、学園唯一の王女であるレティシアの評価に直結している。
何も知らない深窓の姫君を演じながら、彼女にとって居心地いい環境を整えた結果である。
見た目は天使みたいに愛らしいのに、なんでこんなに腹黒いんだろう。
「エイミと白い花」では、お助けキャラかつゲームの案内人だったのに。
公式サイトでも、「レティシア王女の処方箋コーナー」なんて、ゲームのヒントがもらえるページがあって人気モブだったのに。
サラサラストレートの金髪に若草色の瞳。ノーブルに可愛らしいので、男性ユーザー1番人気だったのに。
ゲームでは、エイミがアーチラインを攻略しない限り、レティシアが彼の伴侶になる。その流れを汲むようにアーチラインに憧れるレティシアは可愛かった。だから、幼い頃のマリアベルは彼女の初恋を応援していた。
そう。幼い頃、は。だ。
思えば、フレデリックに「彼女から間接的にもらった物には、絶対に触れないで」と注意される少し前から、違和感はあった。
常に目が胡乱でいると気がついたのは、いつだろう?
仄暗い視線の先には、いつもアーチラインがいた。
本人が積極的に話しかけるわけではないが、気づくと周囲が2人をお似合いカップルとして、もてはやす空気になっていたのだ。隙あらばふたりきりにさせたがるとか。
これ、好きな子ならラッキーだけど、そうじゃなかったらコワイ。すっごいコワイ。むしろ、ストーカーと下僕どもによる囲い込みじゃん。逃げて!
以来、マリアベルは、恋のキューピッドからフラグクラッシャーに転身した。フレデリックには「君、本当に悪役令嬢だったんだw」と、爆笑されたが、後悔はしていない。
アーチラインからは、ベルフラワーの鉢植えをプレゼントされた。花言葉は「感謝」……。うん。そっか。
マリアベルはふと、裁判の休憩時に、フレデリックからなげられた、おっかない疑問を思い出した。
『令嬢じゃなくて王女だけど、この世界の悪役令嬢って、レティシアじゃないのか?』と。
『エイミ嬢をヒロインと想定すると、メインヒーローがアーチで、悪役令嬢がレティシアに思えるんだ。思えばあいつ、攻略対象のトラウマイベントや悪役令嬢に懸想される面倒を、ひとりで引き受けているし』と。
ゲームでは、貴族間の陰謀で、愛する借り腹を失うのは、ファルカノスだった。
だが、現実に殺害されたのは、アーチラインの借り腹だ。
また、大切な妹をマリアベルに殺され、身を持ち崩したクリスフォードは、いない。
大切な妻と娘を殺され、心身が荒廃したのもアーチラインだった。
『レティシアは、シンシア嬢を迫害し、家族まで冤罪、追放に追いやって、アーチとの婚約を白紙にさせた。
他にも、エイミを誘拐しようとしたり、秘密裏に麻薬を栽培したり、取り巻きを使って嫌がらせをしたり、やってることがゲームのマリアベルじみてるんだよな……』と。
もともとの性格がヒステリックとはいえ、矜持を傷つけられ、嫉妬心に支配され、歯止めが効かなくなったマリアベルと、幼少期から確信犯のレティシアは違う。
表面上はおっとりとしたお姫様で、人心掌握が得意で、他者に罪をなすりつける天才。
間違いなく、ゲームのマリアベルよりタチが悪い。
「先生、音楽室を少しお借りしても?」
現実に戻ったマリアベルが、すみれ色の瞳を担任に向けた。
「おう。鍵は職員室に返しておけよ。お前は昔っから、イラッとくるとピアノを弾きにくるよな」
ニヤニヤ笑うファルカノスに、マリアベルは涼しい顔で微笑んだ。
「ありがとうございます。では、ご機嫌よう」
「えー! 私も、ベルベルさまのピアノ聴きたいですー。歌いますー!」
「おめーは、この問題を解いてからだ」
襟首を掴まれて「やーん」と、席に戻されるエイミ。母猫に運ばれる子猫みたいである。ほんと彼女は、今日も今日とてエイミであった……。
「実は、ベルベル様にお願いがあるんです」
ついピアノに夢中になっていたマリアベルは、点Pとの戦いを終えたエイミの襲撃を受けて、現在、学園と隣接するカフェテリアにいる。
というか、付き合わされた。
どっちが身分が上かとか、考えてはいけない。
マリアベルは昔から、マイペースな人にたいそう巻き込まれやすいのだ。
「どんな御用かしら?」
もでーんと盛られたプリンアラモードを前に、エイミが手を合わせる。
「実はですねー。1週間後に、アーチ様が実家に訪問されることになったんデスヨ」
身の安全の為とはいえ、わけがわからないうちに婚約させられたエイミだが、もともと信頼関係があったからか、経過は順調らしい。
「だから、今の身分でアーチ様と一緒に旅行して、おかしくないお洋服、教えて下さい!」
切り分けたチーズケーキをエイミの受け皿にお裾分けしながら、マリアベルは小首をかしげた。
「あら、それは困りましたわね。私も、シェラザート家のしきたりまでは、わかりかねますわ?」
「そーゆーすんごい問題じゃないんです。実は私、制服とジャージと夜会のドレス以外、変なつなぎしか持ってないんですよー」
護衛のため、少し離れた席に座ったステラとオルハが吹いた。
「私があんまり誘拐されるから、脱がせようとすると大音量のブザーが鳴るつなぎを、お継母様が開発してくれたんです。私もちょーしこいて世紀末覇者とか、イケメンすぎるゴリラとかリクエストしちゃいまして」
近くの席のカップルも、ケーキと紅茶をボフッとした。
ちなみに、マリアベルは固まっている。
「怒られないとは思うんですけど、さすがにアーチ様が恥かいちゃうなーと、思いまして」
と、チーズケーキを口に入れ「おいしーです!」と目を輝かせるエイミ。
「本当に、婚約されたんですね」
「はい! そういえば、アーチ様のご両親、めっちゃ優しいですねー。すっごい歓迎されて、お菓子いっぱいくれました。ジャージなのに怒らないし。人間、偉くなりすぎると、懐が広くなるんでしょーか?」
んなこたーない。
あそこが、息子の婚約者に激甘なだけだ。
かつての大公家は、当然ながら「仮腹」であるフローラとの結婚を認めていなかった。
特に、王姉殿下だった宰相夫人からしたら、「仮腹」に夢中になって独身を貫き、政務をぶん投げて教職に就いた弟と、息子が同じ轍を踏むなんてあり得ない。
大反対一択である。
かといって「仮腹」を毛嫌いしていたわけではない。人柄は良さげだし、アーチラインにそっくりな孫も可愛い。正妻は正妻で割り切った女性をあてがい、「仮腹」を愛人におさめるべく水面下で動いていたのだ。
しかし、話し合う間もなく「仮腹」が、殺された。
愛する女性の首吊り死体を真正面から直視したアーチラインが、神経衰弱に陥ったのは言うまでもない。
自殺に見せかけた毒殺だったと知り、実行犯を王宮から解雇した後は、しばし自傷を繰り返すようになった。
フルート家の献身がなかったら、とっくに自殺か蒸発していただろう。そのくらい当時の彼は危うかった。
ゆえに、家族全員が日和った。
アーチラインの結婚には、金輪際口出ししまい。
合言葉は「平民だっていいじゃない。人間ならば」
……ここまで息子に日和ったら、その婚約者がジャージでタウンハウスを闊歩しても気にするまい。
マリアベルは緩やかに眉を下げた。
シンシアにしろエイミにしろ、アーチラインは自分を心配する家族を、ホッと癒すタイプの女性を選んでいる。
「エイミさんは……もっと着飾るべきですわね」
と、自らの腕輪を外して、エイミに腕を差し出させた。
キラキラ光る細い鎖と、散りばめられたアメジストとブルームーンストーンが美しい。
「大公家の威光の為にも、ご自身を磨きなさい。放蕩は感心しませんが、着飾ることは貴族の務めです。その腕輪は差し上げます。その腕輪より華美にならず、腕輪だけが目立つほど質素ではない装いが、アーチライン様の名誉を守り、あの方の心を和ませるでしょう」
「ベルベル様……」
「あ。そうですわ! お父様がエイミさんのご実家に峡湾釣りに行かれますの。私も自由課題の論文をダイヤモンド鉱山の成り立ちにしようかしら。日程的に私が先に行ってますから、チェックしてさしあげますわ?」
「えー! ハードル高! 夏休みもベルベル様に会えるのは、嬉しいですけど。うー」
エイミが、可愛らしく逡巡する。
「アーチライン様に相談なさい。あの方、女性を着飾ることに慣れてらっしゃるから」
「あー。チャラさの極みですもんねー。……カッコいいけど」
プリンアラモードのカラメルにスプーンを入れながら、エイミがぽつんと呟いた。




