護り手たちは託す。愛しき少女の幸いを。
初めて会った時の印象は「小さな子」だった。
13歳にしては小柄で華奢だったから、実年齢よりだいぶ子どもに見えた。
おとなしいけれどちゃんと礼儀をわきまえていて、博識で
勉強が好きで。たまにちょっとオモシロイ子。
アーチラインとの婚約が決まり、従騎士をまかされたばかりの頃は、ただただ可愛らしい護衛対象だった。
15歳の今も小さくてか細いけれど、もう子どもには見えない。
少女の成長は、はやい。
「睫毛、長いんだよな。メガネのレンズによくぶつかる…」
つぶやいたら、15歳のシンシアの顔が目の前にあった。
「ディーン!」
お嬢様。涙の粒が、メガネについちゃいますよ? お気に入りのレンズでしょう?
言うはずの言葉は出なくて、反射的に左手が動いた。右手は全く動かないが、シンシアがいる左は動く。
べっこう色のメガネを外して指で涙を拭うと、突っ伏して泣かれた。
「お、お嬢様?!」
「な、な、な、なんで、あんな、無茶したんですかっ! ディーンも、アーチライン様もっ!」
「え? あ、いや、オレは、そういう仕事ですから?」
「死ぬところだったんですよ! 」
「や、命を賭して主君を守るのが、従騎士の役目とか、誇りってゆーか」
「そんなの、心構えの問題ですっ!」
「いえ、その…………ごめんなさい」
『女の子を泣かせたら、ごめんなさい一択』とは、チャラい雇い主の金言だが、そのとーりだった。
この身を案じてくれて、おそらくは治療もしてくれて、その上で泣いてる女の子に、かける言葉なんてそれくらいしかない。
「おはよう、ディーン。気分は?」
シンシアの背後から、アーチラインが声をかけてきた。
「アーチライン様。ここ……どこですか? 」
ディーンは、うつぶせのままで視界が及ぶ範囲を見渡した。色がくすんだ白壁に、おそらくはベッドと椅子くらいしかない狭い個室。
「ん? 港」
「はい?」
「正式には護衛艦だけど」
何言ってんだ? と思いつつ、たしかに船室にいるみたいだ。消毒液独特の臭気すごい。どう考えても、客船ではない。
「本来は、客船を乗り継いで東国に入国する予定だっただろ? でも、『ディーンの無事を確認するまでは亡命しない』ってシンシアが言い張るから。とりあえずうちの別荘に運んだんだ」
「え……」
シンシアは細い指で小さな顔を覆ったまま、ぐずぐずと泣き続けている。
「お嬢様こそ、なんて無茶を! 終業式に出てないから、レティシア殿下が本気で探し始めるんじゃ?!」
「そこは、結果オーライかな。君の回復を待っている間に、海軍の軍事演習が始まったんだ。紛れ込んで頼んだら船室ゲットできたし。このまま東国まで送ってくれるって」
「うわあ。宰相令息権限っすか」
「うーん。どっちかっていうと、王弟殿下権限かな?」
アーチラインは小さな椅子をふたつ持ってきて、先にシンシアを座らせた。
王弟ファルカノスが保護した絵画の聖女ミレーヌは、教会で接種された麻薬の禁断症状に苦しんでおり、秘密裏に治療させるも回復の見込みがない。
ペテロ枢機卿の遺言どおり東国で治療させたいのだが、通常のルートでの渡航が厳しい。
発作的に泣いたり叫んだりで、長く乗り物に乗れないのだ。なにより、教会に知られたら、連れ戻されてしまう懸念がある。
ファルカノスは裏で牛耳ってる海軍を呼んで、最寄りの港で軍事演習をさせ、どさくさに紛れて聖女を護送させることにした。
港を埋め尽くす軍艦を見てピーンと閃いたアーチラインは、即座に相談しに行った……んだそうだ。
「シンシアが聖女様を介護するって申し出たから、トントン拍子に話が決まったよ。海軍は男所帯だろ? 男性恐怖症の聖女様も安心されていたよ。唯一聖女を庇ったペテロ枢機卿の妹だから、信頼も厚いし」
「お兄様が、命を懸けてお守りした御方です。お支えしつつ、私も東国の医療を学びます」
泣き笑いのシンシアと、優しいまなざしのアーチラインが見つめあった。
「さてと、シンシア。ディーンの意識も戻ったし、僕は王都に帰るよ。ここで、お別れだね」
「はい……今まで、ありがとうございました」
恋愛感情を伴わない婚約は珍しくないが、これだけ仲が良いのに恋愛に発展しなかったカップルも珍しい。
かつてアーチラインは心に深い傷を負い、シンシアの両親や兄たちの治療で回復を遂げた。
アーチラインからしたら、シンシアは恩人たちの愛し子で、宝だ。大切にする以外の選択肢なんか、ない。
どうして、別れなくてはならないんだろう。
どうして、変わらなければならなかったんだろう。
手先が器用な侍女にお団子を結ってもらっていたシンシアは、今は自力で不器用な三つ編みをしている。海軍から借りたらしい看護師の制服はブカブカだ。伯爵令嬢だった面影はない。
アーチラインも貴族としては短すぎるくらいの短髪になった。以前の肩で切り揃えた貴公子スタイルより、こちらの方が似合っているかもしれない。チャラさが抜けて、凛としてみえる。
「それでね、ディーン。君を従騎士から外そうと思うんだ」
アーチラインが、傍のシンシアに視線をやる。
シンシアははっと息をのんだ。
ディーンの方は、言われた瞬間に納得していた。
意識は戻った。あちこち痛い。だが、利き手の感覚がない。普通に生活できる程度には体は回復するだろう。リハビリ次第で右手も動くようになるかもしれない。だが、剣をふるって主人を守る「従騎士」は、おそらく廃業になるだろう。
「……かしこまりました」
「アーチライン様! 今判断することではありませんわ! リハビリの成果を待ってくださいませ!」
「あの男は、あえて狙って筋を切りやがったんです。文字を書けるようになれば、御の字ですよ」
「まだ、動いたらダメです!」
起き上がろうとするディーンを引き止めるシンシアに、「支えて座らせて。ベッドからは降りなくて良いから」と、アーチラインは無情だ。
シンシアは口をへの字に曲げて従った。
ゆっくり、ゆっくりと上体をあげて座らせる。痛そうに顔をしかめるディーンに、文句のひとつもつけたくなる。だけど、シンシアは平民なのだ。従うしかない。子爵家のディーンよりもずっとずっと身分が低いのだから。
「本日をもって、我、アーチライン・カルサイト・シェラザートの名のもとにディーン・ホメロスから従騎士の地位を剥奪とする」
何故だろう。言葉は冷たいのに、声も目もハッとするほど優しい。
「ディーン・ホメロス、承知仕りました。されど、我が生涯の忠誠はアーチライン・カルサイト・シェラザート様にあります」
深く頭を下げようとするディーンを、アーチラインが片手で制し、そのまま彼の左肩に手を添えた。
「そこは、変えた方がいいんじゃないかな?」
「やですよ」
「なら、フツーに命令するけど。回復したらこのままシンシアと聖女様の護衛をしてね?」
「はああああ?! 剣が握れねーからって、従騎士解雇したんだろ? あにいってんだ、あんた?!」
「先進医療国の叡智を、身をもって体験しておいで♫」
「それ、解雇した意味がわかんねー!」
シリアスはどこに行ったってくらい、いつも通りだ。シンシアの涙も引っ込んだ。
「わかんないかな?」
アーチラインは髪をかきあげてクスクス笑った。肩の長さの頃はいかにもチャラげな仕草だったが、短髪でそれをやると、男の色気に凄みが出てきた。
「シェラザート家の従騎士の身分じゃ、好きな子と結婚できないだろ?」
「はあっ?!」
「この中に、身分の差や忠義、本人たちの人柄の良さ、真面目さから、両片思いを封印してきたカップルがいる」
琥珀色の目が、キラーンと光る。
あっけにとられるディーン、と、シンシア。
「ディーン」
「は、はい?!」
狼狽えるもと従騎士。切れ長の双眼が泳ぐ。泳ぎまくる。ウルトラソウルかってくらい泳ぐ。
肩を貸しているシンシアと同じタイミングで赤くなっていく。愛くるしいなあと、忖度なくニヤニヤするアーチライン。
「シンシアは可愛いだろ?」
「そんなん。アンタの婚約者に選ばれるくらいだから、可愛くてトーゼンでしょ。見た目はもちろん、人柄や能力が申し分ないのも」
「同じ婚約者でも、エイミちゃんのことは、そう思ってないよね?」
「う゛」
思わず絶句するディーン。いや、見た目は確かに可愛い。超絶美形だ。性格も猫みたいで可愛い。可愛いの集合体であることは認める。けど、それとシンシアの可愛いさはベクトルが違う。ぜんぜん違う。
「シンシア」
「は、はい!」
「よかったネ」
ふたりとも、シューっと沸騰して倒れてしまいそうだ。あんまりからかうのも可哀想なので、アーチラインは表情を引き締めた。
「シンシア。僕は、あまり良い婚約者ではなかった」
ルールの範囲内とはいえ浮気はするし、アーチラインの婚約者ってだけで注目されて、気苦労ばかりかけてきたし。
「なのに、辺境に下ったご両親もシモンもペテロも、こんな僕に大切な大切な君を託してくれた」
「そんなこと、そんなこと……私は全然…!」
「僕は君に好きじゃない色のドレスを強いることしかできなかったけど、ディーンは隣にいるだけでドキドキさせたり笑顔にさせたりできる。それでいて、絶対に僕を裏切らなかった。この誠実な男は、必ず君を幸せにするだろう。君たちは、お互いが、お互いを必ず幸せにするだろう」
よく通る低い声が、愛情や慈しみが、シンシアの、ディーンの心に雨のように染み渡る。
心に巡るのは、3人で過ごした日々だ。
シンシアの実家でサンドライトの医療を語ったり、アーチラインの屋敷の庭や温室でお茶を飲んだり。
植物園や図書館で閉館までねばったり。
シェラザート邸の庭に「シンシアの温室」を作って、薬草やハーブを植えたり。
慰問には、ブーケやポプリを作ったり。
穏やかな時間だった。このままずっと、こんな時間が続くはずだった。結婚しても、家族が増えても、年老いても。
「ディーン、これを」
と、胸のポケットから小さな櫛を出して、左手に握らせる。
「東国出身の君の祖母様から、亡くなる前に預かったんだ。君のお嫁さんになる人に渡してほしいって。東国では、プロポーズに櫛を渡すらしいね」
櫛は新品だが年代もので、金箔をまぶした青塗りが美しい。
「……ばーちゃんらしいですね。こーゆーの」
「シンシアの栗毛によく映えるね。お邪魔虫が帰ったら、君から渡そうね?」
「……なんで、アンタはそう…! こ、こんなに可愛い女性、返せっていわれても、絶対に返しませんよ?!」
と、左手でシンシアの肩を抱いて、激痛に顔をしかめるディーン。シンシアはまだ固まっている。
「返すよーな男には、最初から託さないよ」
アーチラインはニコニコしながら、ディーンを再び寝かしつけた。
虹の橋を渡るペテロが『よくやった』と、微笑んでくれたらいいなと思いながら。




