貴公子な人VSオレ様な人VS独り勝ちな人
「学期も終わる前から、従者と逢引ですか。しかもおふたりとは! 聞きしに勝る阿婆擦れよの」
隊を率いる枢機卿が、眉間の皺を深くして睨む。
銀の錫杖に、白地に金糸を施した法衣。サンドライト中央教会にたった7人の枢機卿、ローレンス・グレゴリアスは、この場にいる誰よりも清廉とした佇まいである。
「胸糞悪い破戒僧が、よっくゆーわ」
ディーンの独り言に、アーチラインが頷く。
「お、恐れながら申し上げます。ローレンス枢機卿様。わ、我が父が謹慎となる故、私も我が身を追放いたす次第にあります」
気は弱いが矜持はあるシンシアは、震えながらも両膝をつき、信徒の姿勢で発言した。
真面目な娘のいたいけな姿は大公家には愛されたが、その御曹司の寵愛を求める者たちには疎まれた。
聖騎士たちは、蔑んだ笑みを浮かべている。
「そのような身勝手が許される身の上ではないのだよ。そなたは」
遺憾である、と、眉間の皺を深めるローレンス枢機卿。
アイスブルーの眼差しに慈愛はない。そう、まさに悪魔に対峙する聖者のように。
「子供の時間は終わりだよ。王都に戻り、王女殿下の温情に縋るが良い。 引っ立てよ! 穢れた血を引く罪人の妹よ!」
「お嬢様に触るな!」
ディーンが抜刀した。アーチラインはまだ鞘から抜いていないが、戦闘を辞さない構えだ。
「下賤の血は下賤よの! かまわん。処せ」
銀の鎖帷子に緋色のロザリオを身につけた聖騎士たちが陣形を組むと、ディーンが前に出て騎士の正礼をした。
そして、戦闘開始早々に聖騎士たちを追い詰めた。
槍を折り、殺傷力の高いメイスを持つ騎士の手には鞘を当て、瞬く間に武器を使用不可能にしてゆく。たったひとりで12人もの聖騎士を軽々相手にする技量は凄まじい。
あえて怪我を負わせることも命を奪うこともしない戦い方で、こちらの正義と力を証明する策だ。
一方、アーチラインはシンシアの傍らで、鞘に手をかけて待機している。フレデリックに「一応、持っていきな」と渡された宝剣だ。
昔は、視線をやるだけで嫌がったのに、成長したものだ。
「ほい、ほい。怪我するぜー。どけどけ」
その時、裸馬に乗った戦士が、聖騎士たちを蹴散らしながら乱入してきた。
武器の音が響く喧騒の中、異様に通る声だ。
鎖帷子にロザリオの聖騎士ではなく、簡素な鎧に腕章をつけただけの法衣戦士。いわば、傭兵だ。
「アノス殿! 遅かったではないか!」
「まあね。ヒーローは遅れて登場するもの、だろ?」
男がひらりと馬の背から降りると、ひとつに束ねた黒髪が大きく跳ねた。馬は野生だったらしく、背にしていた支配者が離れると、どこへともなく逃げ出した。
味方の不利に苛立っていたローレンス枢機卿は、満面の笑みを浮かべた。
「ともあれ、助太刀感謝いたす!」
「おうよ。こいつは並みの聖騎士よりは、だいぶ強いぜ? ま、オレの敵じゃないが」
言った瞬間、男の姿が消えた。
「右に避けろ!」
抜刀しながら、アーチラインが前に出る。反射的に右に体を逸らすも避けきれず、ディーンが真横に吹き飛んだ。利き手の筋を切られたか。
次に首を狙う剣筋を読んだアーチラインが、法衣戦士の剣を捉える。
ガキーィー…ン と、耳障りな金属音が響いた。
「へえ。よく見えたじゃん」
舌舐めずりする法衣戦士に、聖職者らしい敬虔さは見うけられない。
受けた剣は誰より重く、至近距離で交わる視線は狂気に満ちている。命のやりとりを、弱者への蹂躙を、愛する人間の目だ。
「お前、貴族だな?」
法衣戦士が嗤う。
「そっちこそ。ん? ガルシア枢機卿長補佐官の、護衛……?!」
前触れもなく、ラッシュが始まった。かろうじて抑えるものの、武装していないアーチラインはいつしか刀傷まみれだ。
この男、強いんじゃない。強すぎる!
アーチラインの剣技は、王宮騎士にも遅れをとらない。表向きは護身程度にしか戦えない触れ込みだが、フレデリックのスペアだから、王太子教育を満了している身だ。宰相の跡取りだが、やろうと思えば王太子にも暗部の幹部にもなれる。
それが、防戦しかできないなんて。
しかも、相手は全く本気を出していない。いつでも簡単に殺せるのにしないのは、全身に刀傷を刻みたいからだろうか。まるで、小さな子どもが虫の羽を、足を、じわじわもいでいるみたいだ。それほどまでに、笑顔に邪気がない。
ちらりとディーンを見ると、利き腕から血を流していた。やはり筋をやられたか。シンシアが止血を試みて会話はできているようだが、芳しい様子ではない。
学園の剣術大会では常に上位入賞し、辺境軍で実践経験を積んでから大公家の従騎士となったディーンを、一撃で戦闘不能にした法衣戦士。
いや、彼は法衣戦士、傭兵ではない。帝国の……。
「そーんなよそ見して、オレに勝てると思ってんの?」
間合いも詰めず、いきなり懐に入ってきた。
鋭い太刀が、至近距離から脇腹を捉える。予測不可能な剣筋だ。辛うじて流したものの、手から剣が弾け飛んだ。
「くっ……!」
サンドライトの宝剣が地面を滑る。受け続けた重い太刀に耐えきれなくなったのだろう、パキッと刃先が折れた。
「ま、よそ見しなくても、勝てないけどな?」
これで終わりと言わんばかりに背後をとらえ、背中から心臓に向かって刃を振り下ろす。
シンシアの甲高い悲鳴が、人気のない倉庫地帯に響いた。
その瞬間、ディーンの背中を覆うプロテクターがはじけ、血しぶきが舞った。
「ディーン!」
アーチラインとディーンは、そのまま剣圧に吹き飛ばされ、折り重なるように地に伏した。
「逃げ…ろ!」
倒れたままお互いを庇いあうふたりに、法衣戦士が切っ先を向ける。黄昏時、街灯が点りはじめた港湾倉庫地帯で、血に濡れた剣はあまりに不釣り合いで、非日常すぎる。
「シンシア・フルートを捕らえなさい」
ローレンス枢機卿の低い声に、この戦闘を目で追うことさえできなかった聖騎士たちが我にかえった。
武装した騎士たちに両肩を掴まれて、シンシアは痛みに顔をしかめ、そして叫んだ。
「あ、貴方達に従います! だから、治療を…治療をさせてください!」
「聖なる教会に楯突く邪教徒に治療とな? あり得ぬ。アノス殿、その虫けらどもに天誅を」
「さっすが!ミキの従兄弟は痺れるねえ」
「その方は、アーチライン様です! た、大公宰相家嫡男アーチライン・シェラザート様! そして筆頭従騎士のディーン・ホメロス殿です! す、捨て置けば、罪を問われるのはあなた方ですよ! 」
「は? アーチライン…様?」
聖騎士たちが、顔を見合わせる。フルート伯爵家の不祥事により、シンシア・フルートとアーチライン・シェラザートの婚約は白紙となった。
中央教会の関係者ならば、誰もが知ることだ。
そのアーチラインがなぜ、ここに?
「まさか……」
農民の作業着でざんばら頭ではあるが、確かにどう見ても貴族だ。立ち振る舞い、戦い方が、上品すぎるのだ。
服を変えたくらいでは隠せない大貴族の品格。それが、シンシアの言葉で現実味を帯びる。
「アーチライン様は、新たな婚約者と王都におられる。惑わされるな。偽物であるぞ」
錫杖を振って司祭たちを鼓舞すれば、シンシアは更に言葉を続ける。
「あなた方の目には、この方が偽物に見えますの? 地に落ちた剣は、王太子フレデリック殿下からの預かりものです。これも調べればわかることです!」
「くどい! 所詮は罪人の身内が!」
「とにかく治療を! 取り調べはその後、ですわ! あなた方は何故、聖職者でありながら怪我人を治療しませんの?! 」
聖騎士たちは知らず、シンシアを捕らえる手を緩めていた。
枢機卿ペテロは許されざる罪を犯したが、妹のシンシアには何の咎もない。
それに、この少女は「罰を受ける家族を見捨て、金を持ち出し、お気に入りの従者と狂瀾の旅を目論む悪女」には、とうてい見えなかった。
平民が着るような質素なワンピースに、不器用な三つ編み。旅行用の小さな馬車に貴族らしい調度はなく、急停車の衝撃で外に散らばったのは、医療福祉関係の本や外国語の辞書ばかり。
人は見かけによらないが、彼女の場合「自らを流刑とする」という言動に、矛盾がないのだ。
罪人と罵られ、蒼白して震えながらも、人として正しくあろうとするシンシアと、頑なに彼女を断罪するローレンス枢機卿。
聖騎士と戦う際に決して命を狙わなかった従騎士と、血まみれの彼を背に庇う貴族の青年と、その命を弄ぶ飛び入りの法衣戦士。
陰謀も何も知らされていない、神と正義の為に戦う聖騎士たちを、迷わせるに十分な事態だ。
耐えきれず、シンシアが飛び出した。アーチラインも傷は浅くないが、すぐに止血しなければディーンの命が危ない。
しかし、無情な法衣戦士が立ちはだかる。
「止まれ。小娘」
と、ディーンの血のついた切っ先を、シンシアの額に当てる。シンシアは恐怖に目を見開き、その場に座り込んでしまった。
「あ…あ…」
腰が抜けて、動けない。生理的な涙が頬を伝わり落ちる。
「ガキの涙はそそられんな。まあ、そこで見てろ。未来の宰相を騙る偽物を、このオレが処刑してやる様をな」
上弦の月を背後に、血濡れた剣をペロリと舐める法衣戦士。その真紅の瞳には、ゾッとするほどの色気を、狂気を、そして殺意を宿している。
「させるかっての…」
予備の短剣を杖にして、よろよろとディーンが立ち上がる。ダラリと下がった右手や、背中から流れる血が、地面に血だまりを作っている。
「キミは休んでなさいって」
「護衛対象こそ、ひっこんでろよ」
「それは無理」
アーチラインも肩で息をしながら立ち上がった。腰を落として、次の攻撃に備える。王族に伝わる武道の構えだ。博識な聖騎士たちが息を飲む。
法衣戦士は、アーチラインとシンシアとディーンにだけ聞こえる声で、満身創痍の男たちに笑いかけた。
「なるほどね。エイミ・ホワイトの婚約者か。 ま、安心しろよ。エイミ・ホワイトはオレがもらってやるから」
「安心できないね。キミは彼女の王子様じゃないから」
アーチラインの飄々とした物言いに、法衣戦士の目が妖しく輝く。
「女なんてみんな同じだよ。涙を流しながら股を開くしかできねえ生き物だ。それに、あの女は相当なスキモノだぜ? 断言してやる。ま、味見するまえに、テメーは死ぬけどな?」
明るさを増す街灯に、剣の切っ先が光る。
誰の目にも止まらぬ、アーチラインの動体視力でも追えぬスピードで振り下ろされる剣。
ガン、とはじかれて、地面に刺さった。
次に突風が吹いて地響きが鳴り、巨大な影が地面に落ちた。
「うわっ!」
「な、なんだ?!」
何軒かの倉庫を踏み潰しながら、巨大な生物が着陸した。
体長は10メートルほど。体は硬い鱗に覆われて、ギョロリとした爬虫類の目が、人間たちを見下ろす。
その背には鞍がそなえつけられ、男盛りの戦士が槍を構えていた。
「ど、ドラゴンライダー?!」
ローレンス枢機卿の声が裏返る。
「ハァ?! 話が違うぞ! 何でドラゴンライダーが出てくんだよ!」
弾かれて地に刺さった剣を抜き、即座に構える法衣戦士。
「なんかさー、えっらいキラキラした兄ちゃんが、うちのお嬢の婚約者が暗殺されるかもーってゆーから、来ちゃったよ。チャオチャオー。宰相のボウズ、元気ー?」
緊迫した空気を一瞬で台無しにするあたり、さすがエイミの身内である。血が繋がってるとか、いないとかじゃなくて。
アーチラインはディーンに肩を貸しながら、「ヨアン氏、チャオチャオー」と指を曲げた。自覚していた以上にあちこち痛いし、あちこち感覚がない。
「ドラゴンライダー、ヨアン・カーマインか……! なぜここに……?」
「まさか、この方は本当に……?」
「おい、おっさん! カッコいいドラゴンに乗ってるじゃんか。オレによこせよ!」
新たな標的発見とばかりに、法衣戦士が舌舐めずりをした。ほんとこの戦闘狂、いろいろとイカレすぎだ。
しかし高貴な生物は高みから戦士を見下ろすと、威嚇するように鼻息を吐いた。
大陸で3人しか存在しないドラゴンライダー ヨアン・カーマインは、指をさしながらプキャーと笑った。
「バカじゃねーの? ドラゴンは、侵略が趣味のオメーと違って、同族思いなんだよ。同胞を殺した殺人鬼なんざ、乗せてやるわけねーだろ? バーカバーカ」
「それを力でねじ伏せるのが、オレ様なんだよ」
人間離れした跳躍力で飛びかかる法衣戦士ーーーもとい、皇太子オケアノスの剣を、鞍から降りたヨアンが細い槍でなんなく止める。
「やるじゃん。ヘナチョコ坊ちゃんよりは」
「あれー? ガルシア枢機卿長補佐官の護衛くんとクリソツだねー。やだオレ、教会本部と帝国の癒着に立ち会っちゃった? 」
「ほざけよ! 平民風情が!」
「聞きな、ヒヨッコ! ドラゴンライダーは治外法権だぜ?」
ドラゴンライダーとは、最強の称号。
アーチラインとディーンが手も足も出なかった勇者級の太刀を、笑顔であしらっている。
リーチの長い槍は接近戦には不利なはずだが、全く引けを取らない。
埒があかないと悟ったオケアノスは、背後に跳躍して間合いを開き、再びアーチラインたちの背後をとらえた。
「なあなあオッサン。そのドラゴンくれなきゃ、このヒョロいの殺しちゃうよ?」
「なあなあ兄さん、この場を引かなきゃ、このエロいの殺しちゃうよ?」
ヨアンがさっと合図を送ると、鈍色のドラゴンがその巨大な口をパックリ開いた。
くすんだ黄緑色に光る舌の上に、猿轡をかまされ縛られた女が3人。剣姫、司祭姫、斥候姫である。言い逃れのできない帝国風の装備で、すがるような目でオケアノスを見つめている。
「な……!なにやってんの、お前ら!」
「帝国では、キャッツアイごっこってゆーの? 王宮に忍びこんで盗みを働いてたから、現行犯で逮捕しちゃった☆ひとり、そこの枢機卿の従兄妹だよね? あらー。教会ってー身内が犯罪者なら、逮捕しなくちゃだっけ?」
「そ、それは!私とは無関係の……」
蒼白する枢機卿をガードしつつ、聖騎士たちの表情にいいようのない不信感が浮かぶ。
「さてさて。痴女の命なんかいらない? 兄さんサイテーだから、とっかえひっかえだけど? 帝国皇室ご自慢のラリったサルみたいな獣欲に付き合える女なんて、そーそーいないんじゃない?」
「帝国?!」
「どういうことですか?! ローレンス様!」
バッチリがっつり正体をバラすヨアン。混乱する聖騎士たち。無表情のローレンス枢機卿。
オケアノスは竜を、ヨアンを睨みあげる。
「いくら雑食でも、ズベ公なんか美味しくないよね。お腹壊す前に、吐いちゃえ」
口の中の人間たちが本気で不快だったらしい。ドラゴンは、ぺっと3人を吐き出した。
「ち!」
オケアノスはマントを脱ぎ捨て、裾に仕込んだ煙幕を投げた。超人的な身体能力で、地面に叩きつけられるより先に3人を抱きとめる。
こうして、帝国からの侵入者たちは、夜の帳に消えていった。
ローレンス・グレゴリアス枢機卿
ガルシア枢機卿長補佐官の戸籍上の甥。実は息子。
司祭姫ミキの戸籍上は従兄妹。実は異母兄妹。
ガルシア枢機卿長補佐官と違って、狂気に近い信仰心はない。むしろ、信仰心なんかカケラもない。権力大好きな生臭僧侶。
エイミを模した春画のコレクター。聖女に召すためにいろいろ準備中。
ガルシア枢機卿長補佐官には、あんま使えないと思われている。
ヨアンのドラゴン
体長10メートルくらい。光沢のある鈍色の鱗に、黄緑の舌。瞳は黄金。
雑食だが、屑ダイヤが一番好き。自慢の鱗や爪が硬くなって輝きを増すから。オシャレさんである。
エイミはウザくまとわりついてくるから、あんま好きじゃない。屑ダイヤを色ごとに丁寧に選別してくれるサーシャが好き。
あんまり呼ばれないけど「グレイローズ」って名前。女の子です。女子の定番、下半身どっしりが悩み。
炎を吐くのが手っ取り早いけど、爪を立てて噛み付く戦闘スタイルを好む武闘派ドラゴン。




