のんきな逃避行の先には、おそらくバトルが待っている。*この作品のカテゴリは異世界恋愛です
いつの間に眠っていたのだろう。
馬が嘶く声で、目が覚めた。
馬車が止まったらしい。
カーテンの隙間から、暁の空が見える。人肌の温かさを不思議に思いながら傍を見ると、シンシアの肩を抱いたままのディーンが、「おはようございます」と笑いかけてきた。
家族や婚約者以外の男性とはダンスさえ滅多に踊らなかったシンシアは、うろたえて視線を落とした。彼からしたら「揺れる馬車の衝撃からお嬢様をお守りした」だけの話だろうが。彼の鍛え抜かれた肩や腕の固さは、心臓に悪い。
「今、馬車は中央穀倉地帯の宿場町に到着しました。2時間休憩した後に、出発します」
「アーチライン様は?」
「馬を交換に。お嬢様が眠っていらっしゃるから、起こすなと。食べ物も仕入れてくれるそうですよ。お坊ちゃんのくせに、生活力ありますよねー」
ディーンが笑うと、ほの暗い馬車の空気が明るくなった。
シンシアもつられて少し笑った。
本当だったら今日は合唱祭後の休日で、明日が終業式で、明後日から医療シンポジウムのボランティアに行くはずだった。
当たり前だった伯爵令嬢としての日常が突然切り離されて、なんだかまるで実感がない。ただ、馬車に揺られすぎてあちこち痛かった。
2時間の休憩後、今度はディーンとアーチラインが御者を交代して再出発した。
狭い馬車で進行方向を向いてしか座れないから、どうしても密着することになる。シンシアは恐縮して身を縮めたが、アーチラインの方から肩を組んできた。
「アーチラインさま?」
「無理させてごめんね。体を預けて楽にした方がいい」
「でも」
「そうしてくれた方が、仮眠がとりやすいから」
「抱き枕ですか」
「抱き枕にしては、可愛すぎるけどね」
ほんとこの人、ウインクし慣れすぎてる。肩で揃えた髪をサラッとかきあげる仕草も様になっている。
婚約を破棄したのは3日前なのに、以前と変わらない態度にシンシアは小さなため息をついた。
アーチラインは近くで見れば見るほど美しい人だが、ディーンの腕枕みたいにドキドキはしない。ただ優しくて、温かくて、安心する。
シンシアの方は婚約者というよりは臣下の気分だったが、アーチラインは年齢の近い兄みたいに接してくれた。
「それにしても、どうしてこんなに急がれるのですか?」
温かい腕の中で、シンシアはコテンと首を傾げた。ドレスはとっくに捨て、下に着ていた庶民向けのワンピースにストールを羽織っているだけの軽装である。
「知らない方が危険だから、はっきり言うよ。 レティシア王女が、遣帝女の付き人に君を指名した」
「はぁあああ?!」
うっかり大声を出すシンシア。
蛇蝎の如く嫌い抜いてきて、嫌がらせの限りを尽くしてきたのに。付き人指名?
「遣帝女も付き人も、生涯帰国できない。遣帝女の身柄は保障されるけど、付き人は現地では奴隷と同じ扱いになるから、かな?」
「暗殺ルートまっしぐらじゃないですか! 何で、何で……」
「嫉妬じゃないですか? 初恋の従兄が、王族である自分の降嫁を断ってお嬢様を選んだから」
御者台のディーンが前を向いたまま、会話に入ってきた。
庶民が旅行用に使う馬車だから、貴族の馬車みたいに座席と御者台の間に衝立がない。会話は丸聞こえである。
「そんな。年齢と領地の距離だけで決めた婚約ですのに、嫉妬なんて…」
「ん? 候補を絞ったのは父だけど。最終的に選んだのは僕だよ? 」
「えーーーーー!?」
本日シンシア、びっくりしっぱなしである。
「大公家では、フルート伯爵家の高潔さや勤勉さ、医療福祉事業の実績を高く評価してきたからね」
「婚家選びの趣味が良いって、親戚一同大絶賛でしたよねー」
「うちは、うっかりすると王家の血が濃くなりすぎるでしょう? 母も王姉だし。だから、僕ら世代は伯爵家以下で人柄の良いお嬢さんを娶ろうって決めてたんだよ」
「あわわわわ。し、知りませんでした」
大公家の皆さんに親切にされてきた理由を、婚約破棄後にネタばらしされるっていったい。てっきり、小さいしメガネだし地味だから、弱者への憐憫かと。
「婚約者といえば……エイミさんは、大丈夫なんですか? 」
「フレデリックに身代わりになってもらったから、心配ないよ。違う意味でいぢめられてるかもしれないけど。ま、憧れの王子様とダンスできるから、チャラってコトで」
そんな。やんごとなき王太子殿下を身代わりに使っておいて、イイ顔でウインクされても。
エイミさん、お労しやとしか。
それに、シンシアからしたら、王太子殿下とのダンスなんて拷問だ。公開処刑だ。
見た目がアーチラインにしか見えないんじゃ、なおイヤだ。次の日のレティシアwithA組女子が怖すぎる。もう二度と、学園には戻れないのだけど。
「一応、エイミさんには、本気で婚約を打診されてるんですよね?」
「聖女候補っていうか、内定してるからね。王弟殿下の養女になれば、まあまあ問題ないよ。母も、最後まで面倒みるならいいわよって言ってくれたし」
「安定の動物愛護。あんなにお可愛らしい方を独占できるのに、ひゃっほーとかないんです?」
「ディーン、ひゃっほーとかできる?」
「無理です。むしろ、なんであんなメンドクサイ珍獣を保護しやがったのかと。俺、帰ったらあの子の従騎士ですよね? 給料上げてくださいよ。難易度高すぎですよ。うー。一生、お嬢様の従騎士のつもりだったのにー」
うなだれるディーンに、どきりとするシンシア。
そうだ。港町まで送ってもらったら、2半年も自分を護衛してくれたディーンと、一生会えなくなるのだ。
今生の別れが、いきなり現実味を帯びてきた。
シンシアはストールの端をキュッと握って悲しみを逃した。貴族ではなくなるけど、矜恃までは失うまいと。
「アーチライン様。貴方も、レティシア様にはお気をつけください。遣帝女を取り下げて、降嫁を望まれるかもしれません。あの方は、貴方への執着をあきらめていないと思います」
シンシアの忠告に、アーチラインの笑顔が凍りついた。
「あり得ない。彼女だけは無理だ。初夜の床で撲殺する自信しかない」
「撲殺?! 」
「手伝いたい、その撲殺」
「ディーンまで?!」
女性と植物ならみんな大好きなはずのアーチラインから、忖度なしの撲殺宣言される王女っていったい。
ともあれ、大嫌いな社交界とは真逆の評価に、シンシアは頭を抱えて悶絶した。
この人の婚約者として、もっとやるべきこと、できること、しなければならなかったことが、あったんじゃなかっただろうか、と。
長い夏の陽がようやく沈んで、ダークオレンジの残光が世界を染める頃、港町の鐘楼が見えてきた。
放射線状に延びた街道を、何台もの馬車が往き来している。海辺なだけあって、町から来た馬車はなんとなく潮の香りを伴っている。
疲れがたまっているのか、シンシアはアーチラインかディーンにもたれかかったまま、眠っては目を覚ましてを繰り返してきた。
何度目かのまどろみから覚めたとき、御者台のディーンが小さく舌打ちをした。
「囲まれてますかね」
肩を抱いたままのアーチラインの腕が、一瞬震える。
「大公家の関係者が亡命するなら、ここだもんなあ。事前に張られてたか」
話し方は呑気だが、声に緊張感がこもっている。
アーチラインは荷台から短剣と麻袋を引っ張りだして、袋をシンシアに持たせた。
「刃先、気をつけてね」
と、肩の長さで切り揃えていた美しい髪を、躊躇なく切り落とした。袋の中に、無残な残骸が落ちてゆく。
「アーチライン様! 御髪が…!」
「平民って短髪だよね? 大公家のアーチラインは、ここには居ないはずだから」
「平民には、全く見えないですけどねー」
手綱を握りながら、主君をチラ見する。
途中の民家で、フレデリックの絵姿(田舎では家宝にされがち)と交換してもらった服は、黒のシャツによれたベスト。農作業に適したズボンだが、アーチラインが着ると上品すぎてちぐはぐだ。
天使の輪が光る髪をざんばらに切り落とすことで、チャラい雰囲気だけは消えたが……貴族オーラのデリートは無理である。
『フレデリック殿下の腹心アーチライン・シェラザート』にさえ見えなければ良い、と妥協しまくるしかない。
馬車はやがて、白馬が牽引する4台の馬車に、前後左右を囲まれた。キラキラ光る大理石の車体に、金の飾り。
聖人の彫刻が施された豪華な馬車だ。
「なんだかなあ。教会が出迎えてくれるとはね。王女の手駒が来ると思ってたんですけどね。逆に厄介じゃないです?」
「王女の手駒なら、殿下の愉快な暗部たちにお掃除されたんじゃないかな。エイミちゃんの誘拐に失敗した直後くらいに」
「うわー。ちょっとだけ同情するわ」
こちらが進路を変えようとしても、幅を寄せられて馬があちらの思い通りに進んでしまう。
結果、アーチラインたちは護送されるような形で港に向かわざるを得なかった。
「フルート伯爵令嬢シンシア。無駄な抵抗はやめて、投降なさい」
よく通る凛とした声が、シンシアを呼ぶ。
馬車は、港湾の倉庫地帯まで護送され、馬の脚を折るという強引な方法で停車させられた。
4台の馬車から枢機卿を象徴する胸章をつけた男と、12人の聖騎士が現れ、動けない馬車をぐるりと囲んだ。
地に倒れ、痛みに嘶く馬が、ただただ哀れだ。
停車の衝撃からアーチラインが守ってくれたおかげで、怪我はない。シンシアは小さく息を吸って立ち上がった。
「お嬢様」
「アーチライン様、ディーン。隙を見て逃げてね」
投降を促す男は、ローレンス枢機卿。
シンシアの兄ペテロと同じサンドライト中央教会に所属。合唱祭でエイミに聖女候補認定をした、ガルシア枢機卿長補佐官の甥にあたる人物だ。
膝はガクガクだし、顔面蒼白なのに、ひとりで出ようとするシンシア。ふたりの従者は、彼女より先に出てエスコートした。
「お嬢様が護衛から離れちゃダメですよ」
「見捨てるくらいなら、最初から来ないし」
絶対絶命のピンチなのに、黒髪の従騎士と茶髪の公子は、余裕で切り抜けますよ、と、笑みを浮かべていた。
欄外人物紹介
殿下の愉快な暗部たち
王太子教育の満了認定を任されている、ドSな人たち。
下働きやモブ生徒として、あるいは外交官や諜報員として、殿下の望む先々に潜む。忍者みたいな人々。
護衛、諜報、暗殺、戦闘、拷問、毒の調合、チェスの相手、人狼ゲーム、ケーキの買い出しと、命令されたらなんでもやる。たまにやり過ぎる。




