美少女すぎるヒロインは、イケメンすぎるヒーローにキュンキュンする
7月初旬の晴れた日に、合唱祭が幕を開けた。
聖堂のステージには大輪の花が飾られ、客席には夏服の紳士淑女があふれている。
授業参観とはいえ、全ての親が顔を出すわけでは、もちろんない。エイミの実家もだが、子爵や男爵は領地で仕事をしている者がほとんどなので、社交シーズンで中央に来ているご父兄がほとんどである。
つまり、身分が高くてキラキラしい。
高等部の学園生には慣れた光景だが、編入生のエイミは朝からびっくりしまくっていた。
まず、パトレシア辺境侯令嬢の婚約者がイケメンだった。イケメン過ぎた。辺境警備隊に配属される以前は、容姿の良さも採用条件となる正妃親衛隊に所属していたくらいだから、相当だ。
学園在学時は常勝無敗の剣士で、卒業後は王宮騎士、現在は槍を持って魔獣と戦う飛竜騎士である。
屈強の武人なのに、笑顔は少年みたいで可愛いとか、反則である。反則すぎる! この人と結婚できるなら、百万回くらい当て馬にされてフラれても本望なレベルである。
よって、全員一致で「告る前にフラれし当て馬の会」の入会を拒否させていただいた。
あとは、冷徹のショタ眼鏡クリスフォードが、上京してきた妹にデレデレなのも、びっくりした。
妹は一重のクールビューティ系だから顔は違うが、プラチナブロンドの髪質や目の色、肌の質感、卵型の綺麗な輪郭なんかがそっくりだ。
ちょっとウザそうに兄を見るまなざしが、エイミの義妹のサーシャを思い出させた。うん、妹の好みが近いかもしれない。
マリアベルのお父様は、娘に叱られていた。
大王イカ専用の釣竿を持参してきたからだ。どうやら、エイミの実家からの献上品を、いたくお気に召したらしい。
怖そうな顔の、銀髪ナイスミドルなのに。シュナウザー公爵家、いろいろ面白すぎる。
だが、今が、今こそが、本日のビックリの頂点かもしれない。
「まあ、どうなさったのかしら? 緊張して声が出ませんの?」
控え室の椅子に座っていたエイミは、そのままそこに張り付いている。首を動かすのも億劫で、ただただこの美しき来訪者を見上げることしかできない。
少女はーーーレティシア王女はエイミを見下ろし、大輪の薔薇が咲きほころぶように微笑んだ。
「本当に、美しい方。このまま飾っておきたいわね」
エメラルドを散りばめた羽根扇子を閉じて、エイミの顎をくいと持ち上げる。首から胸にかけて、ビリっと痛みが走った。なのに、声が出ない。
若葉色の瞳は、優しく慈しむようにエイミを見つめている。だが、その奥は暗く胡乱でいる。この状況、さすがのエイミにだってわかる。
絶体絶命。
なんで、3年生の控え室に1年生がいるのか。
同じ楽屋を使っているメンバーが、打ち合わせに呼ばれて出て行ったのはほんの数分前。
「エイミさんは、ひとりで歩いちゃダメ。ステラさんを呼ぶから待ってなさい」と、お菓子を渡されたのでホクホク食べていたのだ。しばらくして、内側から鍵をかけたはずの扉がぱかっと開いた。
鍵破りでお迎えなんて、ステラちゃんたらお茶目ーとか思っていたら、レティシア王女とマッチョな外人護衛が入ってきた。開いた扉は再び閉ざされ、施錠された。
はっきりいって、何かされたわけじゃない。
激励の花束をもらって、世間話をしていただけだ。
なのに、エイミの呂律はだんだんおかしくなって、声が出なくなり、ついには体が動かなくなってしまった。
「体調が悪いのかしら? あなたたち、エイミさんを医務室に」
いや! 絶対、行き先、医務室と違うはずー!
幼少期より、誘拐慣れしているエイミである。この状況が誘拐の前振りだってことくらい、わかる。
わかるけど、どうにもならない。動けないし、声も出せないから。なにしろ、こうなるまでは誘拐だってわかんないのがエイミである!
レティシアの護衛がエイミに触れようとしたそのタイミングで、入口の扉がバーンと内側に倒れた。
施錠されてたから、蹴り開けたみたいだ。明らかに、中段蹴りの体勢だ。
「それは、私が承るよ。レティシア」
「お、お兄様! これは…!」
うろたえるレティシアを無視して、ズカズカと入室するフレデリック。
「それから、差し入れは受付を通してほしいな」
と、衣装用の手袋をはめてから、花束をレティシアに持たせた。
「な…う」
「あ。護衛の君たちは動かないでね。一歩でも動いたら、殺すよ?」
誰を、とは言わないあたりが、フレデリックである。
優雅なレティシアの動きが、ゆるく緩慢になる。その姿を眉ひとつ動かさずに見つめる冷徹さは、正しく彼女の異母兄だ。
「そうそう。客席に皇太子が来てたよ。お忍びみたいだけど、変装がヘタだね」
「……」
「エイミ嬢が皇太子から指名されたら、筆頭遣帝女としては辛抱ならないよね。王室随一の美姫をも霞ませる美少女ぶりだもんな。でも、大丈夫だよ。心配しないで? 」
と、花束をさらに押し付ける。
「あいつに奪われるくらいなら、私の寵妃にするから」
若葉色の目が、いっぱいに開かれた。後宮そのものより、後宮政治を疎んでいる風な兄には、あり得ない言質だ。
ちなみに、エイミもビックリしている。
「ま、叔父上も補習と称して毎日遅くまで手放さないし、アーチとの仲は婚約者公認みたいだし。婚約者がいないクリスフォードもまんざらではないみたいだし。ほんと、モテるよねえ。身分の高さしか取り柄のないお姫様と違って、可愛いからかな?」
出会って初めて、美少女とか可愛いって言われた!
あと、髪の毛ナデナデされた!
麻痺してて感覚ないけど!
この状況で舞い上がるエイミを、レティシアが暗い目で睨みつける。
エイミには自覚はないが、レティシアはエイミを怨んでいる。シンシアにした「躾」を、兄やアーチラインに報せるなんて、淑女としてあり得ないからだ。
いったい、誰がこの学園の女王と心得ているのか。
問いはしない。問えば満場一致で「マリアベル様です」と返される。あの女も気にくわないが、臣下としてこちらを立ててくるから良しとしているだけだ。
この王女の温情を、優しさを、なぜこの美しい兄は認めてくれないのだ?
「さ、君たち。レティシア殿下をお連れして? それから、二度とその顔を私に見せないように。48時間以内に尋問が始まるから、体調を整えたまえ。逃げるなよ? 捕まえるけど。さ、解散!」
手袋を外して護衛のポケットにつっこみ、パンと柏手を叩くと、侵入者たちはレティシア王女を抱え、一目散に逃げ出した。
控え室が、シンと静まり返った。
「念のため見張りをつけたけど、もっと警戒しなくちゃいけなかったな。ごめんね。怖かったね」
フレデリックはゆっくりエイミの前にまわりこみ、片膝をついて下から見上げた。
「うん。嚥下部は完全に麻痺してないな」
この状況に慌てないのは、性格なのか、慣れなのか。内ポケットからいくつかの瓶を取り出して、目の前で調合を始めた。サラサラの粉を数種類、粘り気のある液体で固めて、丸薬が完成した。
「失礼。甘ったるいけど、頑張って最後まで舐めてね?」
と、顎を取って口を開かせ、指で丸薬を押し込んだ。
舌が麻痺しているエイミにはうまく口の中で転がせなくて、吐き出しそうになる。フレデリックは彼女の肩を抱いて、ハンカチで口を押さえた。
「慌てなくて大丈夫。さほど唾液が刺激されないつくりだし、口に入れてるだけでだんだん効いてくるから」
言葉どおり、だんだん口の中の感覚が戻ってきた。甘ったるいと言われたけど、嫌いな味じゃない。
口の中で薬が転がせるようになると、フレデリックは抱いていた肩を離して、再び何かを調合しはじめた。
「それ…」
「ん? 痛み止め。それを舐めたら大丈夫だと思うんだけど。神経系の毒って、稀に後遺症が残るから」
「あ、あのっ! ふれぢーさまは、大丈夫、デスカ?」
「人の心配してないで、ちゃんと舐める!」
「はいっ! うっ。がっ、ぐ、ぐっ……の、飲んじゃった」
「丸呑みできるなら、なによりだ」
フレデリックは呆れもせずに頷いて、調合を続けた。
「エイミ嬢。音楽祭だけど……棄権しないか?」
労わるような優しい声に、鼻の奥がツンと痛くなった。色んな感覚が急に戻ってきて、苦しい。
「や、です」
動くようになった指先で、衣装のエプロンドレスをギュッと握りしめる。
「みんながお勉強手伝ってくれて、いーっぱい練習して、怖いからやめる、なんて、ナシです!」
「エイミ…」
「こんなに毎日楽しいの、生まれてはじめてです。故郷では、お父様やお義母さまやさーちゃんたちに、迷惑しかかけなかったから。歌しかできないのに、歌もできなくなって、みんなのお役に立てないなんて、イヤです!」
手足に感覚が戻ってきて、涙腺も仕事をはじめて、エイミはその場で泣き崩れた。
「そうじゃない。君を危険な目にあわせてまでして優勝なんて、誰も望んでない。君は大切な学友なんだよ」
「やだ! フレディ様と歌いたい!」
いろいろいっぱいいっぱいになって、涙で視界がやられて、気が付いたらフレデリックに抱きついていた。
さすがにこの状況で避けるほど、フレデリックも鬼ではないらしい。
夢にまで見た王子様の腕の中は、想像よりもずっとずっと逞しくて、なんだか甘くて、暖かい。
「フレディ様、私…」
勢いで何を言おうとしているのか、本人もよくわかってない口に、優しい指がふたつめの丸薬を入れた。
「なにこれ! にっが!」
「うん。そっちは苦いんだ」
キラキラしさの頂点みたいな王子様は、毒と同じくらい、吊り橋効果で惚けた女の子の対処に慣れているようだった。
見ためは最初のお薬だけど、中身は2番めのお薬みたいな人だ。苦すぎて泣ける。
「フレディさま、さっき言ってたの、本気ですか?」
エイミは彼の衣装の、胸の飾りをちょんと掴んだ。指先の感覚が、若干まだおかしいかもしれない。
「キミがモテるって話?」
「モテてません! 先生は怖いし、アーチさまは動物愛護の精神だし、クリスさんにはバカを見る目しか向けられてないし!」
「普通、キミほどの容姿の持ち主なら、勘違いするものなんだけどね。しないから気に入られてるってのはあるかな?」
「それ、ぜんぜーんモテぢゃないですぅ。非モテをちょーきにするって話ですー」
「あ。あれは嘘」
しれっと胸から離された。
タイミングといい、身のこなしといい、ほんと隙がない。
「このラブラブ野郎。ベルベル様と一生もげてろ」
「激励ありがとう」
さわやかな笑顔がムカつくが、これでこそ、この人だ。
好きになっちゃいけない、間違いなく報われない。
わかっているけど、女の子にそれを覚悟させちゃうから、たちが悪い。なんでこれだけしっかりフラれてるのに、諦められないんだろう?
「私の後宮費予算で、辺境伯を立ち上げちゃったから。ハーレムの王さまには、なりたくてもなれないのがホントのところ」
「えー!」
「正式発表はパトレシアの婚約式に合わせるけど、パトレシア・アリスト辺境侯令嬢は結婚したら、パトレシア・レガシー女辺境伯爵を拝命する。時代遅れの後宮なんかより、辺境の軍事力を強化する必要があってね。議会に出てる貴族ならみんな知ってるんだけどね。なんでレティシアも、そこをつっこまないかなー?」
正妻を安心させるため? 側妃狙いの当て馬令嬢を納得させるため? どっちにしても、莫大な予算を注ぎ込んで辺境伯を立ち上げるとか、やることが大胆すぎる。
そりゃー、こんなフラれ方をしたら、パティ様も地元で旦那さんをゲットするわ。
「ごめんね。就職のアテが1つ外れた?」
「いーですよ。めくるめく愛の園でベルベル様をアンアンさせる夢が潰えて、残念ですけど」
「それ、私の寵姫じゃなくて、マリアベルの愛人だよね?」
「あ。そうか。よし…ならば! 」
「はいはい。これあげるから、その野望諦めて?」
と、手の中にキラキラした何かが入った瓶を、握らされた。
「これも、お薬ですか?」
「いいや、金平糖。東方の砂糖菓子だよ。苦いだろ? 口の中」
小さなガラス瓶の中に、星の形をした砂糖菓子がたくさん詰まっている。白に、黄色に、青に、ピンクに、空色。彼は気が付いていないみたいだが、フレデリックと、エイミの色だ。
「わあ、かわいいですー!」
「音楽祭、出るなら止めないけど。調子が悪そうならストップかけるから。いいね?」
サファイアみたいに深く青い瞳には、エイミを守る決意が宿っている。
ほとんど平民に近いエイミには決して理解が及ばないが、フレデリックはこう見えて割と本気で「全ての国民の幸せ」を守る気でいるのだ。
「……はい」
身体中の熱が、ポワッと顔に集中した。エイミはもらった小瓶を胸に、コクコク頷いた。
枠外人物紹介
レティシア王女殿下
フレデリックの異母妹。隣国の王女である側妃の第1子。
ストレートの金髪に若葉色の瞳。
見た目は妖精のように可愛いが、証拠の残らない犯罪が得意なサイコパス。
幼少期よりアーチラインに執着して、近しい女たちを排除するよう配下たちを誘導してきた。
娘の性質に悩んだ側妃は、遣帝女をオススメした。側妃の故郷は事実上帝国の属国なので、サンドライト民ほど帝国に嫌悪感がない。帝国は従順な国には優しいのだ。
帝国の皇太子がイケメンすぎて尊かったので、側妃の目論見どーり遣帝女に立候補した。
趣味は苛め教唆、特技は毒物の精製。




