美少女すぎるヒロインは、キラキラ王子に説教をかます
麗しの准男爵令嬢が、生徒会長の王太子に喧嘩を売った事件は、瞬く間に噂となり、学園中に広まった。
合唱祭を前に、最高学年が揉め事をおこすなんて前代未聞である。
ハラハラする外野をよそに、フレデリックとエイミは共に過ごす時間を重ねていた。
実に、由々しき事態である。
主に、エイミの脳細胞にとって。
「『君を待つ丘 白い花咲く里』は、聖女リリコの故郷を指しているんだよ。ここのトリルは、満開の花が風に散る様を表現して……聞いてる?」
フレデリックと机を突き合わせて座るエイミは、虚ろな顔で虚空をみあげた。曲の理解に欠かせない「創国記」も、全パートの楽譜も、その解釈も、全部が全部ちんぷんかんぷんである。
「オタマジャクシはオタマジャクシだし、花は花だし、風は風ですぅう」
「うーん。音楽で喧嘩を売っておいて、古典も知らない、楽譜も読めないっていったい」
とまあ、乙女ゲームではマリアベルとその取り巻きにいじめられていたエイミが、現実では攻略対象のフレデリックにいぢめられている。
そんなふたりを、クラスメイトたちは遠巻きに見守るのみ。紳士淑女の君子たちは、危きに近づかないのだ。
ちなみに、去年はエイミの場所にマリアベルがいた。
机を挟んで向かい合い、背を伸ばして椅子に腰掛けるマリアベルと、資料を手に言葉を交わすフレデリックは、なんとも言えない安心感を与えた。
このふたりについていけば、なんの心配もいらないと。事実、常勝無敗であった。
本年のフレデリックとエイミもまあ、机をはさんで曲の解釈を語る意味では変わらないのだが……うん、なんていうか、ファイト?
「エイミさんたら、なんで殿下にあんな口をきいたのかしら?」
「よくわかりませんが、いつもの天然では?」
「恐ろしい子ですわ」
ゲーム世界ではマリアベルの手下で取り巻き、現実世界では学友の令嬢たちが、楚々として上品に首をひねる。
特に誰も諌めないのは、フレデリックがそれを望まないからであるが、彼の優しげな指導に勝るオシオキはないからでもある。
ちなみに、エイミの売り口上の「アーチラインに負けてる」の部分だけは、あながち間違ってない。
「ザ・主人公」と言わんばかりなフレデリックの見た目と声質は、建国王ファルフォルスのイメージそのものである。歌の聖女の再来と噂されつつあるエイミも、リリコを歌うために生まれてきたようなソプラニストだ。
共に、舞台に立つだけで主役をかっさらえる容姿にも恵まれている。
しかし、歌曲「伝説の花」の主人公は建国王だが、デュオパートのメインは聖女なのだ。
生きてるだけで主役を食う存在感のフレデリックが、エイミを好敵手と認めて全力を出せば出すほど、メインがどっちだかわからなくなってくる。
脇役にまわすと、ネタの味を忘れさせてしまうほど美味なシャリになっちゃう人なのだ。エイミはそこに獲れたて新鮮な白魚を持ってきて「おどり食いしましょー」と、やっちゃうような歌い手である。ちなみにその白魚は、時価数百万の鮪よりも美味だったりする。
おいしいけど、寿司としてどうなの?である。
あと、この人たちは基本、他人に合わせることを知らないので、技術面で追唱を置いてきぼりにする点も懸念されている。
対して、アーチラインは、声質自体はさほどはまり役ではない。同じ舞台に立った時、圧倒的に目立つのもエイミの愛くるしさである。
幕が上がった瞬間、観客に「合わなくはないけど、殿下がいるのになんで?」と疑問を抱かせるのは間違いない。
だが、彼が劣るのは生まれ持った存在感だけ。さらにいえば、彼の美点は「目立たなくても見劣りはしない」という優れた協調性にある。
エイミが好き勝手にアドリブをしても最初から打ち合わせていたみたいにハモるし、甘くて低いロマンチックな声質でそれを効果的に聞かせてくるからニクい。
最高級のシャリを用意してあっても、エイミが白魚のおどり食いを持ってくれば、塩加減が絶妙な出汁醤油と、キラキラ光る炊きたてのコシヒカリを差し出すような歌い手なのだ。
そのくせ、ソロパートでは「こういう解釈もアリかな」と納得させる説得力をかぶせてくる。はまり役ではないのに、役の方を自分のステージにはめちゃうのだ。
また、追唱を置いてきぼりなんてしない。絶対にしない。合唱で大事なのはハーモニーだから。
というわけで、ソロ単体なら建国王はフレデリック一択なのに、全体を通しで歌うとアーチラインに軍配があがるのである。
……てのは、フレデリック自身もわかっている。わかっているからこそ、交代を提案したのだから。
そこを、あえて煽るエイミっていったい。
「あのう。アーチライン室長、マリアベル様。ちょっと提案があるのですが」
ソプラノ班のパートリーダーが、そーっと声をかけてきた。
「エイミさんを追唱するソプラノふたりに、副旋律を連弾させるのはいかがでしょう?」
「リリコの追唱をなしにするってこと?」
「はい。技術的に不可能ですから。むしろ、追唱なしでソロでいった方が、高得点を望めると思うのですが…」
「なるほどね。続きは外で話そうか」
アーチラインがウインクすると、殿下と玩具を遠巻きに見守っていた面々が、そーっと廊下に移動しはじめた。
「あえてソプラノを減らす作戦か。悪くない。考えたね」
アーチラインが微笑むと、マリアベルも頷いた。
「でしたら、ピアノアレンジを追加して、加点をねらいませんこと?」
「はい! マリアベル様、よろしくお願いします」
ソプラノから伴奏に移ったふたりが、パッと顔を輝かせた。エイミの最高音は楽譜よりも高いので、無理に合わせようとするとかえって聞き苦しいと悩んでいたのである。
一方、アーチラインが担当したピアノの副旋律は、手の小さい女性には不向きだが、連弾なら問題ない。ソプラノが2人減るのも、エイミの声量でカバーできるだろう。
「アーチライン室長! 僕と指揮を交代しましょう!」
「いやいや、室長は、バリトンに入って殿下の追唱をやってくださいよー! 」
「テノールに来てください! テノールはただでさえ人手不足なんですから」
そこに、アーチラインのフォローを切望していた男性陣が割って入ってきた。
「待てよ、殿下の追唱できるの、アーチライン様だけだろ。 建国王パートは追唱なしにしたら減点対象だし!」
「やだー! 指揮変わってくださいー! エイミ嬢が言うこと聞いてくれなさすぎて、もう胃に穴があくー!」
「第1楽章がテノール、第2がバリトン、第3がまたテノールで、最終章が指揮…?」
「それも減点されるって。僕はテノールに入る。追唱はバリトンでもテノールでも問題ないから、テノールがやる。楽譜どおり3人でいこう。しごくよ? 指揮も」
アーチラインがサクッと所属を決めた。生徒会もそうだが、殿下には思うままに独走してもらって、自分はフォローにまわるのが性にあっている。
「ひー!」
「わ、その話、聞かせて下さいよ」
B組とC組の生徒たちも、気配を察して教室から出てきた。
3年生の教室は本校舎3階に並んでおり、一般的な生徒はA組、騎士を目指す生徒はB組、進学を希望する生徒はC組に分かれている。
貴族らしく優雅な雰囲気のA組と違い、訓練や学問に明け暮れるB組、C組にとって、学園のイベントは数少ない娯楽なのだ。
「ねえねえ。殿下のあれは、怒ってらっしゃるわけじゃないんですよね?」
「本気で怒っていらしたら、エイミさんの首なんかとっくに胴体を離れてますわ」
「ステラさん、具体的な推測やめてー」
「どちらかというと、期待されているんだと思いますわ?」
マリアベルがフォローすると、アルトパートのリーダーが身震いした。
「それは……! エイミさんのストレスを除かなくては」
「では、A組の侍女希望者は、昼休憩にアイスクリンを仕込みましょう」
「ならば、テノール班が、旧校舎の家庭科室をおさえてきます。飲食の仕込みはそちらで。休憩時のサロンの準備もお願いします」
「わかりましたわ」
「B組諸君には、聖堂にピアノをもう一台運んでほしい。C組はパート練習の配置を練り直して」
「かしこまりました。アーチライン様。ただ、女騎士は裏庭にゃんこの捕獲保護にあてて良いですか? 」
「あー。エイミちゃんが餌づけした子か。探し始めると練習に差し支えるだろうから、良い案だね」
「はい! 毛並みを整えて、ご褒美にモフモフさせます」
「猫をもふる美少女が見たいだけじゃ…?」
「イエッサー! エイミ嬢の笑顔は、騎士たちの宝ですから!」
男女共にキリッと良い笑顔の騎士候補たち。こんなんに国の護りを任せて、大丈夫なんだろうか?
「そういえば、建築部の院生が腹式呼吸を促す椅子を作ってたなあ」
「教授特製のハイポーションもくすねたい」
「うちは、高品質非売品の美容液でも差し入れしようかな。うちの主任、エイミさんのファンだし」
「そういえば、うちの研究室に巨乳になる秘薬があるらしいよ?」
「エイミさんにそれ、要る?」
「私たちに、くすねて下さいませ!」
C組が誇る頭脳たちに、胸に脂肪を欲する令嬢たちが群がった。ちなみに、先頭はステラである。
こうして、生徒たちはそれぞれの役目を果たすべくして散り、教室にはフレデリックとエイミだけが残された。
エイミは建国王の挿絵に悪戯書きを始める始末で、もう1秒も集中できないだろう。
出て行った級友たちのざわめきが聞こえなくなって、たっぷり30秒数えてから、フレデリックは楽譜を机に置いた。
「エイミ嬢」
「は、はい!」
ちょっといじりすぎたのか、うっすら涙目でガチガチに緊張している。フレデリックは制服の首元を軽く正して、澄んだ色の瞳に視線をあわせた。
「ありがとう」
「え…」
「マリアベルの名誉を守ってくれて、ありがとう」
はじめきょとんと首を傾げたエイミが、真っ赤になって立ち上がろうとして、机に腹を強打して悶絶した。
「いっ……っ! な、なんで、なんで…」
「私に言い募る前、キミはマリアベルしか見てなかった。よくわかったね。あの子が、貴族としてはあり得ないくらいお人好しだってこと」
「……」
「体調不良で歌えないって建前で、主旋律の伴奏になるように誘導したんだけど、確かにそれじゃ少し弱いよね。でも、主役パートを歌ったところでクリスフォードには勝てない。どちらにしろ、うるさ型のご婦人たちからの嫌味は避けられなかったんだ」
エイミは下唇を噛み締め、首を縦にも横にも振らなかった。
フレデリックの言ってる意味はわかる。痛いほどわかる。准男爵のやんごとなくない子息子女のメンバーで、2学年の偵察に行ったからだ。
案の定、クリスフォードに見つかって、お茶とお菓子を出されて、存分に実力を見せつけられて、スゴスゴ帰ってきた。ほんともう、噂以上だった。
「キミがわたしに挑戦するって体にしたお陰で、マリアベルの評価が『男爵令嬢に歌い負けた』から『勝負のために役を降りた』に変わった。婚約者としては感謝しかないけど…」
長い指が、いたずらにエイミのおでこを弾いた。
「キミが悪者になっちゃったじゃないか。いい? マリアベルは嫌味や皮肉なんて慣れてるし、軽くかわせる。キミが主役を歌った程度で、名誉を失うような弱い女性じゃない」
「うー」
「君は権力がゼロに等しいんだから。もう、無茶しちゃだめだよ?」
おでこを押さえて座り込むエイミは、淑女としてはダメダメだが、確かに可愛い。なんだかんだで真面目で、善良で、一生懸命だから愛くるしいのだと、フレデリックも認めざるを得なかった。
「フレディさま。怒ってなかったんですね」
「怒る理由がないし」
「じゃあ、ほんとのホンネ言ったら、怒ります?」
「ん? 内容によるかなー」
「うー。ベルベル様のためだから、やっぱ怒られても言います」
くすくす笑いをこらえるフレデリックから視線を外し、エイミは祈るようにギュッと手を組んだ。
「聖堂に入ってきて、目が合った瞬間、ベルベル様、寂しそうだったんです」
エイミは純白のホワイトボードに視線を向けて、それから、真っ正面からフレデリックを見つめた。
「フレディ様って、ベルベル様のこと、好きですよね?」
相変わらず、脈絡なくズバっとくる少女である。だがフレデリックは態度を変えず、悠然と頷いた。
まあ、答え慣れた質問では、ある。
「勿論だよ。大切な婚約者なんだから」
「それ! それが、ダメダメなんです! 意地悪言われるより、私がフレディさまの恋人役やるより、ダメダメなんです! たぶん!」
「?」
「婚約者だから好き。じゃ、女の子は不安になりますっ!ベルベル様がベルベル様だから好きって、ちゃんと言わなくちゃ、婚約者じゃなくなって結婚したら、好きがなくなるみたいじゃないですかー! フレディ様は将来ハーレムの王様なんですよね!正妃さま決定ってだけじゃ、不安しかなーい!」
そこまでまくし立てて、エイミの動きが止まった。
「あれ? もしかして、婚約者じゃなかったら別に好きじゃないとかゆー、貴族あるあるですか?」
「それはない」
うっかり即答して、我にかえったらうっかり赤くなったフレデリックに、エイミはキャーッと飛びついて肩をユサユサした。
「じゃ、ちゃんと言ってください! 建国王が聖女に捧げた愛の歌を、私はキミに捧げる。どうか、私を信じて。 私が愛してるのはキミひとりだー!って!」
それ、ビジュアルノベルげーむとやらのラストシーン間近で、偽フレデリックが仮エイミにほざくってゆー砂糖じゃないかな。
ちょっと鬱陶しいので、肩を掴んで引き離そうとすると、無防備な眼差しが真っ直ぐにフレデリックを射抜いた。
「言わなきゃ、ダメです」
「あのねえ」
「今言わなくちゃ、きっとずっと一生、ベルベル様、悲しい時、笑います。辛いって言えなくなっちゃいます!」
「……参ったな」
その時、ガラっと扉が開いた。
振り返れば、外に出ていたはずのマリアベルとアーチラインが立っている。
体勢的に、アーチラインが強引に扉を開いて、マリアベルがそれを止めようとしていたみたいだ。
フレデリックとエイミがふたりきりの教室。
しかも、お互いに肩を掴みあって接近中である。フレデリックとしては引き離している最中だが、どう説明しても言い訳にしか聞こえまい。
「ベル」
「あ、あの……ごめんなさい!」
謝る必要のないマリアベルが、真っ赤になって逃げ出した。
欄外人物紹介
裏庭にゃんこ
本校舎の裏庭に生息する、きなこ色の垂れ耳ネコ。
モフモフの長毛種。
住み込みの用務員の飼い猫だが、ネコ好きな生徒たちから餌をもらうために、裏庭をなわばりにしている。
エイミが来ると逃げる。可愛がり方がウザいから。




