悪役を放棄した令嬢は、美少女すぎるヒロインにおののく
マリアベル・シュナウザーは、17歳。
蝶よ花よと育てられた、公爵家のお嬢様である。
王太子の婚約者に相応しい美貌と、磨き抜かれた完璧な作法を誇る淑女だが、びっくりしすぎて固まっている。
「ひ、ヒロインが……美少女すぎますわ……!」
春爛漫の新学期。編入生のエイミ・ホワイト准男爵令嬢がやってきた。
マリアベルは、今日のこの日に、彼女が編入してくることを知っていた。
なぜなら、この世界が、前世ではまりにはまった携帯ゲーム「エイミと白い花」……と、よく似ているから。
似ているだけで、そのものではないことは、悪役令嬢のマリアベル・シュナウザーである自分が、1番よく知っている。
「エイミと白い花」のマリアベル・シュナウザーは、冷淡で冷酷で残虐な公爵令嬢だった。
中身が日本人のマリアベルも、スチルのイメージどおり銀髪巻き毛の、気の強そうな3D美女に育った。
……が、実際はたいそう気が弱い。
優秀なのは、手を抜くことが出来ないから。期待を裏切ることもできないから。
器用で手際が良いのは、断れない性格を直すより、頼まれたことを効率良くこなすことを考えた方が早いから。
未来の王太子妃かつ完璧令嬢の裏側は、実はいっぱいいっぱいなのである。水面下で必死に水を掻く白鳥に、親近感しかないほどに。
悪役令嬢と悪役を放棄した令嬢の共通点なんて、「王太子の婚約者」で、「ピアノが大好き」ってことくらいだ。
マリアベル本人がこうなんだから、エイミだってイレギュラーがてんこ盛りでもおかしくなかろう。
事実、美がてんこ盛りだった。
雪のように白く、磨き抜かれた陶器のような滑らかな肌。
晴れた日に空を映す湖のような瞳と、それを縁取る長い睫毛。優しい目尻。
肩から腰にかけて無造作に流したストロベリーブロンドは、同性ながらうっかり触れたくなるほどだ。
この学園の制服は、標準丈をまじめに守ると若干ふくらはぎが太く見えるデザインだが、タイツを履いた足は抜かりなくほっそり美しい。
ここまで完璧に美少女だと、どこをどう突っ込んだらいいのか、わからなくなる。
そりゃあ、スチルが美麗なビジュアルノベルゲームのヒロインなんだから、可愛くて当たり前だ。
でも、このエイミは可愛いなんてもんじゃない。生きている奇跡。リアルに傾国である。
「エイミと白い花」のエイミと、色とデザインは同じだが、本家のエイミが劣化コピーにしか見えない美貌っていったい。
ちなみに、彼女のバックボーンは、原作に忠実だった。
生家であるホワイト家は近年、ダイヤモンド鉱山の開発で名をあげた。冬に爵位を与えられ、今年初めて貴族年鑑に名前が掲載された大富豪である。
爵位は「准男爵」。
貴族に名を連ねる以上、子女に貴族教育を受けさせる義務がある。17歳のエイミは本来ならば中等部からの再スタートになるはずが、なぜだか最高学年である高等部3年に編入してきた。
この世界の常識に照らし合わせると、新興貴族としてはまあ、珍しくない。
箔をつけるため、もしくは経済的な事情で、短期間だけ学園に通って中退する者は少なくはないから。
前世を知る者としては、「いわゆるシナリオ補正?」と思わなくもないけれど。
それはともかく、エイミが可愛いすぎる。
見目麗しき良家の子女が集うクラスなのに、攻略対象者の王太子と宰相令息以外は、引き立て役にしか見えないっていったい。
ほんと、美少女すぎ。
全女子を可愛く見せるはずの「制服」というアイコンが、残酷な天秤にしかなってない。
カフスなんか、王族でも滅多に手に入らない特注のダイヤモンドだし。ホワイト准男爵からの「ダイヤモンドの御用命、承ります☆」というメッセージが込められているのだろう。爵位こそ低いが、商人としては国内随一の勝ち組である。
「エイミ・ホワイトです! 貴族になったばかりだから、貴族のこと全然わかんないですけど、よろしくお願いします!」
トドメ。声まで超弩級に可愛かった。
マリアベルは一瞬だけ、この声をどこかで聞いたような気がした。
そんな彼女がニッコリ笑ってお辞儀なんかしちゃったものだから。
「貴族たるもの、いついかなるときにも冷静であれ」と、幼少期より厳しく躾けられだはずのクラスメイトの半分ほどの生徒がうろたえ、4分の1が鼻血を吹き出し、4分の1が気を失う大パニックに陥ったのだった。
絶句しただけで乗り切ったマリアベル、スゴイ。えらい。王妃教育頑張ってよかった! 自分で自分を褒めてあげたい。そんな、新学年のスタートだった。
「ほんとにほんとにほんとに、びっくりしましたわ……!」
というわけで、衝撃がおさまらないので、昼休みは食堂ではなく生徒会室に突撃した。休み時間に生徒会室でくつろげるのは、執行部の特権である。
入り口の扉を閉めるなり、扇子をハリセンみたいにパシパシして「かわいー! もう、可愛すぎます!」と、身悶えるマリアベル
もう片方の手に握りしめているバスケットは、投げない。絶対に。だって淑女だから。昼食が入っているから。
淑女の皮をかなぐり捨てた婚約者の暴挙に、会長席で議事録をまとめていた王太子が噴き出した。
マリアベルの婚約者にして、「エイミと白い花」の攻略対象者フレデリック王子である。
「笑わなくても」
「エイミ嬢を見た瞬間、ぽかーんと口を開いた君、傑作だったよ。あー可笑しい。初めて外でポーカーフェイスが崩れたね。あ、バカにしてるんじゃないよ。可愛いなぁって。くっくっくっ」
「この腹黒王太子が…」
敏腕侍女の皆さんをたまにビビらせる視線で睨んでも、どこ吹く風。
ちなみに、彼はエイミの美貌を目の当たりにしても、全く表情を変えなかった。恐らくは、美形慣れしているのだろう。主に鏡で。
フレデリック・アレクサンドライト三世。
王家の象徴ともいえる、サラサラの金髪を背中の中ほどまで伸ばし、すみれ色の組紐で結わえている。
顔かたちは美しいばかりだが、青の瞳の奥には王者の風格というか、意志の強さが宿っている。
女性にしては長身のマリアベルと並んで見劣りしない長躯。甘いマスク。就学以来学年トップの成績を維持し続ける頭脳に、騎士科の教師すら負かす馬術に剣術。ダンスも上手ければ、唱歌もピアノもバイオリンもサロンが開ける芸術家レベル。と。まあ、非の打ち所がない王子様なのである。
……性格以外は。
「予想できそうなものじゃない? 庶民が自己投影し易い主人公なら、絵姿は平均的な容姿で描かれるはずだ。でも、実際はこの生徒会の男を次々に魅了して、全員に婚約破棄させる傾国なんだろう? むしろ、桁違いの美少女でなければ、説得力がないよ」
とまあ、口を開けば毒舌なのである。
ちなみに、普段のフレデリックは人当たりの柔らかい、包み込むような慈愛をふりまく理想の王子様である。
生涯を共に歩む婚約者マリアベルや、信用の厚い腹心には素顔を見せてくれているんだそうだ。
マリアベル的にはそんな特別待遇はいらない。どうせ卒業パーティで婚約破棄されるなら、キラキラ王子モードで接してほしい。
尤も、出会いがしらに彼のキラキラ王子モードを解除したのは、他でもないマリアベルであるが。
あの日の言動は、後悔してもしきれない。
前世を思い出した瞬間、不可抗力で叫んだのがマズかった。
そう、この王太子と初顔合わせの日、その姿を見た瞬間、見慣れたスチルが頭に浮かんだのだ。だからというか衝動というか、思わず彼を指さして叫んじゃったのだ。
「ゲロ甘花畑王太子!」と。
欄外人物紹介
マリアベル・シュナウザー
17歳。容姿端麗、成績優秀。銀髪巻き毛、つまりドリル。
目尻が上がり気味な長身スレンダー美人。すみれ色の瞳の公爵令嬢。
見た目のきつさと、凛としてよく通る声ゆえに、踏まれたいどMたちに崇拝されている。
ただし、中身はお人好しで小心者。
メイクを落とすと童顔でコルセットを外すと巨乳。
衣装と美容を担当する侍女たちは「フレデリック様をギャップ萌えで悶えさせ隊」を結成している。
趣味は芸術鑑賞。特技はピアノ。
前世は地方の公立高校の音楽科に通う女子高生「野々宮ありあ」。専攻はピアノ。
少女漫画や乙女ゲーム大好きで、それ以上にピアノが好き。リアルな恋愛は大層ウブかった。けど、モテた。