4「……オレも暇じゃない」
「ミコトに、フォルノさんだな。改めて挨拶させてもらう。オレの名前はクロム。この病院で看護師をしてる」
病院の応接室に、お子様な看護師さんからわざわざ呼び出し。別にアタシ達はあの子の飼い主じゃないんだけど、担ぎ込んだのがアタシ達だから無理もないのかもしれない。
ちなみにワイバーンはよほどアタシに懐いてしまったらしく、話があるからと言われたアタシが離れようとするとイヤイヤと首を振って、縋りついて大泣きした。ので、つい「すぐ戻るから」なんて言ってしまった。クロムの話が落着したら速やかに向かわなきゃならない。
アタシの肩くらいの身長しかないクロムに、アタシは大の苦手である愛想笑いを繕い、努めてにこやかに告げる。
「病院のお手伝い? えらいわね」
「お手伝いじゃねぇ! オレは正式な看護師だ!」
「そう。それは失礼」
「わかればいい。あのワイバーンについて、話がある」
「あ、それならパパかママを呼んできてくれる?」
「全然わかってねぇ!」
じだんだじたばた。なんだか微笑ましい。
クロムは顔を真っ赤にして、必死に訴える。
「いいか! オレはもう十四なんだよ! もうすぐ十五になる! 立派な大人だ!」
「……嘘でしょ? こんなちっこいのに?」
「や、やめっ、頭に触んな貧乳女!」
「あ? 今なんつった?」
「貧乳っつったんだよ貧乳!」
「アンタよっぽど死にたいみたいね……!」
「やんのか貧乳女!」
「お二人ともやめてください! 話が進みません!」
フォルノが割り込んでくる。こんなのに叱られるのは心外だけど、確かに言う通りではあった。仕方なく話を戻す。
「……で、話ってなんなの」
「あのワイバーンが元気になった後のことだ。野生の竜だから、今はミコトが捕まえた所有物扱いになってる」
「……なんか嫌な言い方ね」
「そうなっている以上、仕方ありませんね。日本もペットは法律上所有物扱い、他人のペットを傷つけることは器物損壊罪に該当しますから」
「……へぇ」
「ニホン……?」
「こっちの話よ。続けて」
「あ、あぁ。野生動物を助けて欲しいと病院に連れてくる事例はたまにある。だから所有権は一時的に発見者が得ることになるが、それを病院に譲渡することもできる。つまり、引き取るか、権利を放棄して病院に譲渡するか、ミコトが決めてくれ」
引き取るってことは、飼うってことよね。確かに危ないところを助けたし、懐かれてるみたいだけど、ずっと面倒を見てやるつもりはない。
「放棄するわ。病院側で引き取ってもらえる?」
しかし、クロムは表情を曇らせ、妙に真剣な声で訊き返してきた。
「……本当にそれでいいのか」
「どういう意味よ? アタシは山で傷ついたあの子を拾った。向こうが勝手に懐いてるだけで、特別な関係じゃないわ」
仲間意識とか友情に訴えようとしても無駄。そういうのはアタシには無縁のものだから。
そう思っていたアタシに、クロムは重苦しく告げた。
「……病院が引き取ったら、治療が終わった段階で元の山に帰すことになる。おそらく、三日後には」
「…………は? どういうことよそれ。あの子はまだ……!」
脳裏をよぎるのは、あの子がイジメられていた時の光景。守ってくれる者もなく、群れを捜しに行く力もない、弱肉強食の世界では生きられない者の姿。
クロムは頷いて見せた。あっさりと。
「群れからはぐれたワイバーンの子供が、それもあんな臆病な子が、たった一頭で生き延びるのはまず無理だ」
「ふざけないで! アンタわかってて……!」
「でもそういう決まりなんだよ! 病院は慈善事業じゃない! 大人になるまで世話を続けるなんてこと、できっこないんだ! ここは生まれてから死ぬまで面倒を見る場所じゃない! もう一度自分の力で立つ、その手伝いをする施設なんだよ!」
「っ!」
涙ながらに訴えられるのは、反論の余地なき正論だ。似たような年齢で、むしろアタシの方が歳上だというのに、クロムはアタシよりも遥かに先を行っている。命を知っている。
苦し紛れだってことはわかっていて、それでもなお、アタシは口を開くことをやめられなかった。どちらが感情論で喋っていて、どちらがより子供じみているのか。それがどれほど克明であっても。
「だ、だったら他に引き取り手はいないわけ!? ほら、竜に乗ってやるレースがあるんでしょ!? それで竜を必要としてる人とか!」
「ドラゴンズ・ハイのことか……確かに、ケガをして病院に連れてこられ、それから個人に引き取られて、世界に名を残したドラゴンもいる」
「じゃあ!」
「……でもダメだ。ドラゴンズ・ハイに求められる竜は中型か大型。小型竜であるワイバーンで出場しようなんてバカはいない」
「せっかく助かったのに……みすみす殺すって言うの? アンタそれでなんとも思わないわけ!?」
「…………」
「なんとか言いなさいよ!」
「ミコトさん! 落ち着いてください!」
思わず掴みかかろうとしたアタシを、フォルノが背中から羽交い絞めにする。アタシは暴れ、みっともなく感情を露わにしていた。なのに。
クロムはただ静かに、うつむくだけだった。
クロムはなにも悪くない。むしろ、責められるべきはアタシの方。命を救うってことを軽く考えていたアタシが、この場で誰よりも悪なのよ。責任を取る覚悟もないのに、見て見ぬふりができないなんて理由で手を差し伸べたアタシが。
……わかってる。そんなの全部わかってるわよクソが!
クロムは立ち上がり、アタシの横を通り過ぎる。
「……明日の朝、もう一度訊く。それまでに決めておいてくれ。オレが言うのも変だが、断ってもミコトが罪の意識を感じる必要はない」
「待ちなさいよ! 話の途中でしょうが! どこ行くのよ!」
「話は終わった。あとはミコトがどうするか決めるだけだ」
去り際、クロムは振り返る。
……その時彼が見せたのは、笑みだった。泣き喚くよりもずっとずっと悲しそうなその笑みを、言葉を、アタシは一生忘れられそうにない。
「……オレも暇じゃない。オレは、あのワイバーンのことだけ考えているわけにはいかないからな」