3「話はそれからよ」
少年に呼ばれて病院に駆けつけたアタシ達が見たのは、青天高く首を伸ばし、懸命に吠える白いワイバーンだった。それは遠く、どこまでも響かせる呼び声。
アタシにはそれが、迷子になった女の子が泣いているみたいに見えた。
「キューゥ! キューゥ!」
足下で医者が「とにかく落ち着いて。ご飯を食べなさい」と数人がかりで説得を試みているが、ワイバーンは遠吠えを繰り返すばかり。身を震わせ、一心に誰かを呼ぶ。
「あれって……」
「ああ。目を覚ましてからずっとあの調子なんだ。飯も食わないし、こっちの声も耳に届いてないみたいでさ」
沈痛な面持ちで少年が言い、フォルノが口を挟んだ。
「ワイバーンはドラゴンより小さく、弱い生き物です。ですから襲われないよう群れで行動し、渡り鳥のように住み処も転々とするのですが……元々、群れからはぐれてあの森にいたんでしょうね」
「仲間を呼んでるってこと?」
「おそらくは。まだ子供のようですし……」
「キューゥーッ! キューゥ……!」
悲痛さが滲む、胸を刺すような声だった。死んでしまう、という表現も決して大袈裟ではないように。
「アイツ、あのままなにも食べないつもりかしら」
「……怯えてるんだよ。仲間がいなくて」
「…………」
「あっ、ミコトさんなにを!? 危険です!」
フォルノの制止を無視し、ワイバーンに歩み寄る。
ワイバーンは子供だとフォルノは言っていたけど、それでもゆうにアタシの二倍以上の体長があった。図体はあるくせに、ずっと一緒だった仲間がいないと嘆いて、悲しんでばかりいる。
――無性に腹が立った。
まだ戦えるのに戦おうとしない。翼は折れてないのに、自ら飛ぶことを最初から諦めてる。ただ泣いて、喚いて。
……あぁクソ! なんでコイツを見てるとこんなにムカつくのよ! 別にアタシとはなんの関係もないのに!
理由のわからない苛立ちを内に抱えたまま、アタシはワイバーンに声をかけた。
「ねぇアンタ」
「キューゥ! キューウゥー!」
「ねぇってば!」
声を張っても耳には届かない。だったら。
「聞けって言ってんでしょうが!」
「キュゥ!?」
アタシはワイバーンの背中をよじ登る。いきなり人間に乗られてさすがに驚いたのか、ワイバーンは振り向き、瞳にアタシの姿を映し込む。翼の付け根に掴まり、アタシは言った。
「アンタ、仲間とはぐれたらしいわね」
「キュウ……」
「だからって助けを待つだけで、自分じゃ飛ばないつもり? その翼は飾りなわけ?」
「キュウ、キュウ。キュキューウ、キューウ」
「はぁ? なに言ってるか全然わかんないわよ!」
「キュウッ!?」
『えぇー……』
アタシの正直な感想に、下から失礼な声が上がる。フォルノだけは「自分から話しかけておいてなんてワイルド! 抱いて!」とか言ってるけど。抱かないし。
「情けなく泣いてみせれば誰かが助けてくれるとでも思ってんの? ハン、甘えてんじゃないわよ。泣いても誰も助けてくれないし、なんの成長にもならない。時間の無駄よ」
「さすがミコトさん! 筋金入りのぼっちは言うことが違います!」
アレは後でぶん殴ろう。
「そんな暇があるなら他にできることがあるはずよ。いえ、無駄にしていい時間なんか一秒だってない。落ち込んで泣いてようが、立ち上がってもう一度走り出そうが、過ぎる時間は同じなんだから」
「キュウ……」
「まずは飯。自分の力で飛べるようになるためにもね。話はそれからよ」
白いワイバーンはアタシをじっと見つめ続けた。涙で潤んでいたそれが、今は悲しみを湛えてはいない。なにを考えているのか、アタシにはわかりようもないけど。ま、言いたいこと言ったら少しスッキリしたわ。
アタシはその広い背中から飛び降りる。
すると、
「キュウーゥ!」
「なっ……!?」
ワイバーンはその巨体で、突如アタシに飛びかかった。押し倒され、視界がワイバーンでいっぱいになる。マズ、怒らせた……!?
「ミコトさん!」
フォルノの叫び声が聞こえる。死ぬ前に聞く声がこれなのは、それはそれで嫌よね……。そんなことを思いながら、アタシは目を閉じた。
……。
…………。
頬に生暖かく、ざらついた感触。
「キュ! キュキューゥ!」
「ちょ、なによ!? くすぐった……!?」
ワイバーンはアタシを舐め回していた。嬉しそうな声を上げ、小躍りしそうなほどはしゃぎながら。よだれがベタベタして気持ち悪い、と思わないでもなかったけど。
でも好きなようにさせた。その方がいいような気がしたから。ワイバーンの頭をそっと撫でると、人間とは似ても似つかない、硬い肌の感触。
「キューウ! キュキュウ!」
「やめ、やめなさいってば! もうっ!」
アタシが止めるのも聞かず、ひたすら嬉しそうに、ワイバーンは頬を寄せてきた。そのことにアタシは戸惑いを覚える。なぜって、アタシがあんな風に言った後は、例外なく嫌な顔をされてきたから。よく言われたわ。『少しは傷ついた人の気持ちを考えろ』って。知らないわよクソが。
で、今回もそうなると思ったけど……なんか、変に懐かれたわね。困ったわ。別にこっちに居座るわけじゃないのに。
ワイバーンに舐められてベタベタになりながら、アタシはそんなことを考えていた。