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2「もうおしまい?」



 病院で治療を施され、すやすやと眠るワイバーン。処置をしてくれた医者の表情は決して暗くない。

「命に別状はありませんね。ケガも浅いものばかりですから、後遺症が残ることもないかと」

「よかった……」

 動物病院どころか、竜種病院。そういう施設があるくらいにはメジャーな生き物らしい。

 というか、町では色んな見た目のドラゴンが人間の荷物を運んでいたり、人間を輸送する大型の車を牽くのに使われていたりして、まるで馬や牛のように人間に飼われていた。不思議な光景だったけど、町並みも含め、これがファンタジーというものなのだろう。

 眠りに就いたままのワイバーンを医者に預け、アタシ達は病院を後にした。

「よかったですねミコトさん。あの子が助かりそうで」

「……そうね」

「あれぇ? なんですか照れてらっしゃるんですかぁ? 確かにシチュエーションとしては、ヤンキーが道端に捨てられた犬や猫を助けてあげた感ありましたしね。粗野ですが根は優しいミコトさんの勇姿、見ているだけで妊娠してしまいそうでしたぁ……」

「いや、そうじゃなくて」

 アタシは首を横に振る。

「ねぇ、アタシこの世界のこととかなにも聞いてないんだけど。説明すらないわけ?」

「ミコトさんに見惚れてすっかり忘れていました。そうですね、では食事でも摂りながらお話ししましょう」

 そう言ってフォルノが指し示したのは、一軒の純朴な料理店だった。

 からんころん。ベルの音を聞きながら入店する。あまり繁盛していないのか、大変お手空きの様子。というか客は誰もいない。そういうわけで適当な場所に座ると、すぐさま若い女性がやってきて、メニューを手渡してくれた。あと水も。

「やや、いらっしゃーい。久々のお客さんが可愛こちゃん二人組で、お姉さん嬉しいっ」

 明るい色のポップな制服に、フォルノとタメくらいに見えるけど年齢不詳、どこか底の知れない軽薄そうな笑顔。

 彼女が行ってしまう前にフォルノが素早くメニューを開き、「これを二つください」と注文。唯一の店員(まさか店長?)は「はいはーい。ちょーっち待っててねーん」と残し、奥へと消える。

 変な人……そんなことを思いながら、アタシは水を一口含む。話を切り出したのはフォルノの方だった。

「なにから訊きたいですか? 私のスリーサイズですか? 性癖ですか?」

「興味ないわよそんなの。そうね……まず疑問なんだけど、なんで言葉も文字も日本語なのよ。ここ群馬? それか島根?」

「ミコトさんが群馬県や島根県に対してあまりに失礼で致命的な偏見を持っているのはわかりました。それについては後でしっかりお説教&誤解を解くとして……ここは日本ではなく、地球ですらありません。でも意思の疎通や識字はできる。それは私がそういう風にしたからです」

「……生まれつきのボーナスとかいうヤツをアタシに渡したってこと?」

「そんなに怖い顔しないでください。いくらなんでも困るじゃないですか。まったく意思の疎通が図れないのは」

 それは……確かに。いきなり異世界に放り込まれただけでなく、言葉も通じないとなれば途方に暮れる他ない。やり直すとかなんとか言っておいて、それでは始まる前から詰んでしまう。こればっかりは仕方ないわよね。

 アタシの目線を察したフォルノは頷き、神妙に続ける。

「ここからが本題です。ミコトさんに第二の人生を送って欲しい理由。この世界で盛んなレース競技」

「……アタシはもういいって言ってんの。それを強引に話進めて、一体どういうつもりよ」

「お願いです。お話だけでも聞いてください。決めるのはそれからでもいいはずです」

 正直、考えを変えるつもりはなかった。でもそれならそれで好都合。話を全部聞いた上で断れば、いかにフォルノといえど諦めがつくだろうし。

 そんな思惑を胸にしていると、料理が運ばれてきた。相変わらずにこにこ顔の店長。持ってきたパスタは味や香りだけでなく、見た目の盛りつけにも気を遣っているのが瞭然だった。

 店長はパスタの皿を置いた後も立ち去らず、アタシ達……いえ、アタシを笑みのまま見つめている。

「……なに?」

「うんにゃ、可愛いなーと思ってねん」

「はあ……」

 探られているようで、不安な気持ちになってくる。

 しかしそこへ、フォルノが割り込んできてまくし立てた。

「ミコトさんは確かにとても顔がいいですよね私のミコトさんを褒めてくださりありがとうございます店長さんところでこの美味しそうなパスタをあたたかい内にいただきたいと思います見られていると食べにくいのでその辺り察していただけるとありがたいのですが!」

「にゃはは、ごめんごめん。ごゆっくりー」

 店長は怯んだ様子もなく、余裕たっぷりに受け流して去っていった。なんなのだろう。

 パスタをフォークに絡めながら、そしてチラチラと店長に警戒の目を向けながら、フォルノは説明を再開する。

「ドラゴンが人と共存しているのはご覧いただいたと思います。それは太古の昔からのことで、今では竜に乗って行うレースも開催され、世界中に浸透しているほどです」

「竜に乗るレース? それって競馬みたいなもの?」

「そのイメージが近いと思います。それにぜひ出場して、誰よりも速いミコトさんを思い出してくれたらって……」

 誰よりも努力して、誰よりも速かった中学時代。あの頃は毎日練習するのが楽しかった。風になったような……なんて陳腐な表現だけど、そういう感覚も大好きだった。一位になって上がる表彰台からの景色は最高の眺めだった。

 ……でも、それも過去の話でしかない。アタシは落ちた。誰よりも速い人間じゃなくなってしまった。天羽未散が……本当に陸上しかないアタシと違って、なんでも持ってるアイツが現れたことで。

 アタシは毎日走ることを欠かさなかった。まぁ、それくらいは天羽未散もしてただろうけど。でもアタシは寝る間を惜しんでフォームの研究をした。足りない頭で、必死に課題の洗い出しをした。友達なんか作ったら短距離に割く時間が減るからって、青春も犠牲にした。寝ても覚めても速くなることだけを考えた。そのためだけに全ての時間を使った。人生を努力と苦しさで塗り潰し続けた。どんなに苦しくとも、どんなに自分を追い込んでも、アタシが世界で一番速ければ、それだけでよかった。

 なのに。

「天羽未散は……アタシが犠牲にした全てを持ってた」

 友達。陸上以外の趣味。自由な時間。なにより、それら全部を楽しみながらやってた。速くなきゃ価値がない。だから必死になるしかなかったアタシと違って、会場で見る天羽未散はいつも笑ってた。笑いながら、アタシを超えていった。寿命で死んだアタシとは違って、今後もそういう楽しい人生を送っていくのだろう。

「速さのためにアタシが捨てるしかなかったものを、アイツは持ってた! だからアタシは負けちゃいけなかったのよ! 天羽未散にだけは! だってそうでしょ!? そうじゃなきゃアタシの人生は、努力は一体なんだったってのよ! 今までの努力も苦労も栄光も! アイツに負けたことで全部色あせて崩れ落ちた! 短距離だけじゃない。人生のありとあらゆる全てにおいて、蘇芳美琴は天羽未散の劣化でしかなかったのよ!」

「……準優勝だって、十分すごいことです。誇れることです。それに、ミコトさんにはミコトさんのよさがあります」

「それが一番耐えらんないってのよアタシは! 慰めのつもり? 惨めな敗者に称賛なんか送らないでよ! それに……天羽未散をもう一度追い抜く機会は失われた。代わりに別の世界で一番になれって? そんなのなんの意味もない! いいのよアタシなんか! もう終わりにさせてよ!」

「ミコトさん……」

 いつの間にかアタシは立ち上がっていた。気づかぬ内にまくし立てていたらしい。息が上がっていて、酸欠で視界が眩んだ。

 重苦しい沈黙。いつの間にかやってきた店長が、カップをコトンと置いた。漂う湯気から感じる、落ち着きのあるお茶の香り。

 そして、その穏やかさに反する、貼りつけたような笑顔。

「もうおしまい?」

「…………おしまいってなにが?」

「走ること、だよ。お店の中で怒鳴り散らす元気はあるのに、走る元気はないなんて、おかしな話だよねぇ」

 挑発的な言い草。煽られてるのは理解できたけど、今のアタシには冷静に受け流すなんてできない。

「アンタになにがわかるってのよ! アタシがどれほどの泥水をすすってきたか! どれだけの屈辱を味わってきたか! それでも届かなかったアタシの気持ちが!」

「ミ、ミコトさん落ち着いて……店長さんも煽らないでください!」

「にゃははー。怖い怖い。でも、目の前にまたチャンスがやってきたのに捨てちゃうってことはぁ……そのミチルちゃんって子に勝ちたかっただけで、自分が速くなりたかったわけじゃないってことだよね?」

「…………っ」

 咄嗟に言葉を返せなかった。

 違う。天羽未散なんか関係ない。アタシは誰よりも速くなきゃいけなかった……それだけの言葉なのに、どうしても喉につかえて。

「にゃはは。そのお茶はサービスだよんっ。お店の中では静かにねー」

 腹の立つウィンクをバッチリ決め、店長はまた戻っていった。

 アタシはゆっくり腰を下ろし、サービスと言われたお茶を飲んだ。舌馴染みのないそれは、喉の奥へ落ちる度に一息を吐かせ、気持ちを宥めてくれた。

 一つ、深呼吸。謝らなきゃいけない人物が少なくとも一人いる。

「……怒鳴って悪かったわ。八つ当たりだった」

「いえ。私が無理やり連れて来て、ミコトさんの気持ちも考えずに勝手なことを言ったんですから。ごめんなさい」

「……でも、いいのよもう。アタシは、」

 からんころん。

 アタシのセリフを遮ったのは、来客を報せるベルの音と、ものすごい勢いで入ってきた客の叫びだった。

「白いワイバーンを病院に連れて来たヤツ、いるか!?」

 男性にしてはやや高いアルト。見ればそこには、アタシより幼く見える少年がいた。白衣を着てるけど、病院の関係者かしら。見るからに子供なのに?

 応対したのはフォルノ。

「それなら私達ですよ。どうかされたんですか?」

「あぁ、よかった! 頼む、すぐに来てくれ!」

「落ち着いてください。なにがあったんですか?」

 激しく息を切らせ、顎先を伝う汗を拭いながら、彼は言った。

「ワイバーンが死んじまう!」



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