19「アタシの、最高の相棒」
ユキを無事に引き取ることができた、その夜。
三日ぶりにぐっすり寝入ることができたアタシだったけど、カタカタという物音にふと目を覚ました。
窓を叩くような音だ。寝ぼけ眼を向ける。
「……ユキ?」
すると、ユキが窓から部屋を抜け出して、静かにどこかへ飛んでいくのが見えた。
嫌な寒気が背筋を走る。
「まさか……」
嫌な顔をして離れていくユキが想像され、けれどすぐに振り払う。いくらなんでもそんなことはないはず。ナーバスになりすぎよ。
でもだったらなに? どこへ行くの? 夜が明けるか明けないかって時間に……。
どうしても気になったのと、放っておくのも心配なのとで、アタシは後を尾けることにした。
フォルノを残していくことにはなるけど、そのフォルノはといえば、
「……ふへへへ。ミコトさぁ~ん……しゅきれすぅ~」
アホみたいな顔でよだれと寝言を垂らしていた。無闇に幸せそうな顔に腹が立ったので、鼻をつまんで軽く苦しませてから、こっそりとベッドを抜け出した。
日が昇る前の外出は冷える。ユキは音を立てないためかゆっくり飛ぶようにしているらしく、おかげで見失わずに済んだ。
しかしどこに行くのかしら……?
ユキは町を外れ、木々の生い茂る森へと入っていく。この時間はもちろん、昼間でさえ薄暗く、人通りのなさそうな場所だ。
やがてユキは立ち止まると、
「キュ……キュウウゥゥ!」
木々の間隙を縫うようにして、辺りを高速で飛び回り始めた。
速く、速く。最短距離を取るためか、障害物となる木はスレスレでかわし、時にはバレルロールを織り混ぜて。挑戦的な飛翔のせいで何度も木にぶつかり、傷をつくって、それでもまた立ち上がる。
夜風を切り取るその動きは洗練されていて、一朝一夕で身につけた飛行技術じゃないことは瞭然。つまり。
「毎晩一人で練習してたの……?」
痛み出した心臓を押さえるように、胸に当てた手を握りしめる。
アタシが寝た後、毎晩練習してたから、ユキは時々ぼうっとしてた。普段の練習に加えてこんなことをしてたから、身体だって壊した。アタシはホントになにも見えてない。勝つために人一倍努力をしてたのはユキも同じだったのに、まるで努力してないみたいに言って……最低よクソが。
それになにより、今でもこうして練習をしていることが胸に痛かった。退院したばかりだっていうのに。アタシに言われたわけでもないのに。
「キュウゥ! キュウウウウゥ!」
孤独の中、真剣に、必死に練習を続けるユキの姿はあまりに健気で、意地らしくて。そして……痛ましかった。
アタシの中に、ある思いが去来する。
「……こんなの」
夜が明けるまで飛び続けるユキを見守りながら、アタシは決意した。
こんなの、もう終わりにしよう。
隣町。
「ユキ、美味しい?」
「キュウ!」
アタシの確認に対し、ユキは元気に応えた。その頬についた食べカスを、指先で拭い去る。
前にも訪れた隣町だけど、このお祭り的な喧騒というか、空気にはまだ少し慣れない。自分の居場所じゃないような気がする。こんなことしてる場合かって、もう一人のアタシが語りかけてくる。
「キュウ! キューゥー!」
でもそれも、ユキを見ていると、いくらか気にならなくなっていた。ユキが楽しそうだから、それだけでオーケーよ。
「キュ!」
「くれるの?」
「キュウッ!」
「……ありがと」
相も変わらず、ユキはアタシに対して底抜けに優しい。たった一回、イジメられていたところを助けただけで、どうしてここまで懐くのだろう。その理由は未だにわからない。直接訊いたところでどうせユキは人間の言葉を話せないし、確かめようがない。
それは多分、アタシがユキのことをよく見て、理解してあげないといけないんだろうけど……。
とんとん。肩が叩かれる。振り向くとそこには、
「……なにやってんのアンタは」
食べかけのドーナツを、大きく明けた胸元に挟んでいるフォルノがいた。
「食べても、いいんですよ……?」
「いらないけど」
「ドーナツだけじゃなくて私も。ね?」
「なんなのアンタ。そんなの食べるわけないでしょ」
「え、ドーナツお嫌いでしたっけ?」
「アンタのそういうとこが嫌い」
「え……」
フォルノは世界の終わりを告げられたかのような顔をした。どっちかというと告げる側のくせに。
「どうしてですか! 人がたくさんいて、明るいから恥ずかしいんですか! 青少年の教育によろしくない、あんなことやこんなことしましょうよ!」
「なんで? 大体アタシまだ十八にもなってないけど」
「モウマンタイ! ディスイズノットジャパニーズ! それに日本でも結婚はできます! 今すぐしましょう授かり婚! 昔風に言うならできちゃった婚! 私のこのはちきれんばかりのわがままばでーを、ミコトさんだけが好きにしていいんです! こんな美少女を、純情な小鳥みたいに鳴かせたっていいんですよ! そそるでしょう? そそりますよね? 巨乳美少女にこんな風に言い寄られて我慢できる人類など存在するのでしょうか! いいえするはずがありません! 反語!」
前からわかってたことだけど、どうやらアタシが責める(?)側というのはフォルノの中では決まっていることらしい。死ぬほどどうでもいいし、周りの人が珍獣を見るような目で見てるから、正直関わりたくない。
「さあどうぞミコトさん! 欲望のままに!」
「…………」
「ふふふ、最初こそ駄女神的雰囲気を醸していましたが、ここ数日の活躍! 滲み出る母性! そしてメインヒロインらしい精神的救済たるや! これはもうミコトさんの好感度もうなぎ登りの天井知らず! 初期とのギャップがありますからね! 今の私の印象はグッとよくなっているはずです! 全ては私の手のひらの上! 計画通り! さあミコトさん! れっつ子作り!」
「嫌よ」
「どーーーーしてですかーーーー!?」
むしろどうしていけると思ったのか不思議なんだけど。そう思うのはアタシだけではないようで、ユキもどこか呆れた目を向けていた。
フォルノは二人分の視線を受け、
「ぐぬぬ……! こうなったら、私がミコトさんのハートをガッチリキャッチするとっておきを見つけてきますから! 首を洗って待っていてください!」
人混みの中を器用に抜けて、どこか遠くへ駆けていった。しかしアイツ、さっきから言葉がメチャクチャなんだけど。
「……行っちゃったわね」
「キュウ」
「ちょっと休みましょうか」
アタシ達も人の波から離れ、適当なところで腰を落ち着ける。
楽しげに行く人々を眺めながら、アタシは独り言のように言った。
「……ねぇユキ。聞いてほしいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「キュウ?」
「アタシね……ユキのママになろうと思う」
「キュキュゥ?」
「今までみたいに口先だけじゃないわ。本気で、ちゃんと、ママをやる。店長のところでちゃんと仕事する。ご飯も作る。ワイバーンが覚えなきゃいけないことは勉強して、ユキに教える。そうやって、アタシはユキのママなんだって、胸を張って言える人間になるわ」
「キュ……キュキューウ! キューウ!」
ユキは嬉しそうに笑ってくれた。それは多分、賛成の意でもあるはず。
ユキが喜んでくれている。だからアタシは、安心して、上手く笑えていると思う。
「だから……ドラゴンズ・ハイに出るの、やめにしましょ」
「キュ……ゥ……?」
それは、深く後悔したあの日から、ずっと考えていたこと。昨晩固まった決意。
「……言葉が上手く見つからないんだけど。これ以上選手としていたら、アンタをまた傷つけちゃうっていうか……ペアで出る以上、厳しくせざるを得ないと思うのよ。でも……今はそんなことより大事なことがあるっていうか……」
「キュウ……?」
「……ごめん。やっぱりうまく言えないわ」
表現力がない。それに初めてもどかしさを覚えた。ユキはたくさんの初めてをアタシにくれているから、アタシもそれに応えたいって、そう思ってるのは確かなんだけど。
「キュウ! キューゥ!」
「……? なに?」
「キューウ!」
ユキはアタシの頬を舐める。訴えたいことがあるらしかったけど、それもアタシはわかってあげることができない。
そっと、頭を撫でてやる。
「……アンタがなにを言いたいのか、アタシにはわかんない。ううん、アンタが悪いわけじゃないわ。アタシはね、誰かの気持ちを汲み取ろうとか、考えようとか、そういうことを一切してこなかった。だからアンタに限らず、誰の気持ちもわかりゃしないのよ。今まではそれでよかったし、どうでもいいって思ってたけど……今はユキの気持ちを理解できないことが、他のどんなことより悔しい」
「キュウ……」
「アタシが言葉にできなくても、ユキはちゃんとわかってくれるのね」
「キュウッ!」
情けなかった。こんなに小さなユキでもわかることが、アタシにはまるでわからない。
別に人類全員の思ってることがわからなくたっていい。ただ、ユキとか、フォルノとか。アタシによくしてくれてる人のことだけでいいから、わかりたい。
「アタシはユキのことをもっと知りたい。恩返しがしたい。アンタ達と仲良く暮らせるなら、あんなスポーツも世界最速もどうだっていいわ。クソ食らえよ」
どうだっていい……そう言い切ることに、胸が小さく痛みを訴えた。知らず知らず、撫でていた手が止まる。
空を幻が走っていった。それは、誰よりも速く天を翔けるユキと、それを駆るアタシの姿。未練がないわけじゃない。できることならそういう風に在りたいと、今この瞬間だって思ってる。
でもアタシにはそれができない。怖いのよ。アタシは器用じゃない。両立しようとして、またユキを失いかけるくらいだったら、最初からユキだけを……友達との関係だけを選ぶ。
だからアタシは、その他一切の選択肢を捨てる。今までと同じように。
「アタシはアンタに楽しく過ごして欲しい。だから、もうやめにしましょ。競技として飛ぶのは」
けど。
「キューウ! キュッ、キュウ!」
「な、なに?」
ユキは翼をはためかせ、飛び回る。怒ったような、あるいは必死な顔で、アタシになにかを訴えていた。
ユキは言葉では伝わらないと見るや、アタシの服をくわえて引っ張った。
「キュ……ウ! キュキューウ!」
「ついてこい……って?」
「キュ!」
正解らしい。
彼女の瞳が見せる主張は、どこまでも強かった。優しく怖がりなこの子が、アタシを引っ張って行こうとしている。
「…………」
ユキが初めて見せた強引な意志。それに応えようと思うよりも先に、アタシの身体は彼女の強さに自然と惹かれ、ふらふらとついていく。
ユキがアタシを連れてきたかった、その場所。そこにあったのは一枚の掲示板だった。
「キュウッ、キュキューウ!」
「ユキ……」
ぐっ、と鼻息荒く意気込むユキを見て、アタシはうつむいた。
掲示板。ド真ん中に大々的に貼り出されていたお知らせは、間近に迫ったドラゴンズ・ハイ地区予選。
アタシは諦めようって言って、それでもどこか諦めきれなくて。それを察したユキに気を遣われて。……ホント、情けない。
「……ホントにもう、いいのよ」
「キュウ……」
呟くようにそう伝えたところへ、新たな影が現れた。それはよく知った人物の声で、背後から。
「ごきげんよう、ミコト」
「……エリーゼ?」
見慣れた派手なドレスに身を包んだお嬢様がそこにいた。この無闇に重たそうな髪を見るのも久々だ。
エリーゼは尊大な態度でいる。余裕たっぷりの笑みに、どこか挑戦的な嫌味ったらしさが覗くのも含めて通常運転。どうやらあの時のことを、もう怒ってはいないらしかった。
「ここしばらく、スカイパークに姿を見せておりませんわよね? 地区予選とはいえ、ドラゴンズ・ハイもずいぶんと侮られたものですわ」
「あぁ……予選ね。アタシは出ないわ」
フォルノが拾ってくれたこの命は、ユキのために使う。自分勝手な最速の夢のためじゃなく、大切な友達のために。一番じゃなくていい。誰にも覚えてもらえない小市民として一生を終えてもいい。今はただ、大切な相手を失いたくない。その一心だった。
「ドラゴンズ・ハイに……出ない?」
アタシは頷き、答える。
「アンタも知ってるでしょ? アタシはユキにひどい無理をさせてた。今は万全に回復してるけど、これ以上傷つけるわけにはいかないわ」
「それで、ドラゴンズ・ハイに出る道を諦め、穏やかな暮らしをしようと?」
「そうよ」
我ながら筋は通っている。この選択は間違っていないと、そう自負してる。
けど。
「……はぁ」
エリーゼは盛大なため息を、これ見よがしに吐いてみせた。
のたまう。
「貴女にはがっかりですわ」
「……あぁ?」
その言い草には、さすがにカチンときた。
別に尊重しろとは言わないけど、がっかりだなんて言われるほどダメな選択だったとも思っていない。
纏う雰囲気に苛立ちが混じるのは、アタシだけじゃなく、エリーゼも。アタシを映す瞳には、激情の炎が渦巻いていた。
「少しは変わったかと思えば、今までとなにも変わらないじゃありませんの。自分勝手で、他人のことを考えもしない。ユキの想いすら」
「そんなはずない! アタシはちゃんとユキのことを考えて」
最後まで口にすることすら、エリーゼは許さなかった。
「一体どこまでバカなんですの貴女は! ユキの切実な望みを差し置きながら、ちゃんと考えていると? 冗談も大概になさい!」
「ユキは喋れないんだから、そんなのわかるわけないじゃない! だからアタシなりに考えて、ユキのためを思って決めたのよ! それともなに? アンタにはわかるとでも言うわけ!?」
「当たり前ですわ!」
「な……っ!?」
即答にして、断言。その気勢の強さにアタシは思わず怯む。
エリーゼの目に一粒だけ光る雫がアタシを戸惑わせ、怒りを削いでいった。
「わ、わかるってなんでよ!」
「そんなの、わたくしも同じ想いを抱いているからに決まっていますわ!」
「は、はぁ? 同じって、アンタなに言って……」
「気に入らないならハッキリ言えと、以前わたくしに言いましたわよね! 言って差し上げますわ! その選択は気に入らない! それは根本を履き違えた、ただの自己満足ですわ! 他人を気遣うフリをして、結局自分が可愛いのですわ貴女は!」
そして、エリーゼは叩きつけるように叫ぶ。
「誰よりも速く在ろうとしないミコトなど、ミコトじゃありませんわ!」
脱兎。
止める間もなく、嵐のようにエリーゼは走り去っていった。あれだけ目立つ容姿も、人混みに紛れてあっさり消える。何事かとアタシ達を見ていた通りすがりの連中も、興味を失くしたように霧散していった。
「なんなのよ一体……」
「キュウゥ……」
「……大丈夫。アタシはもう速さなんかなくても大丈夫だから。気を遣わなくていいのよ」
腕の中に抱き、優しく撫でてやると、しかしユキはするりと抜け出し、アタシと向き合った。激しく首を振り、叫ぶ。
「キュウッ! キュ、キュウッ! キュウウウゥ!」
「……ダメだってば。アタシは天羽未散みたいに、あれもこれもってのはできないの。なにかをするには、別のなにかを犠牲にするしかないのよ。アンタを犠牲にするわけにはいかない。したくないのよ」
「キュ! キュキューウー!」
「もういいんだってば! 未練を残させないで! 終わりにさせてよ……」
「キュキュウウゥッ!」
「っ!」
ユキは小さな身体で、アタシの胸に突進してきた。衝撃に一瞬息が詰まり、見れば、ユキはアタシの服を力いっぱい握りしめ、しがみつくようにアタシの胸に顔を埋めている。
「キューウ……キュゥ…………」
今にも泣き出しそうな声がくぐもって届く。
その、幼い子供が母親から離れまいとするかのような仕草を見て、エリーゼが去り際に残した言葉が思い起こされる。
「誰よりも速く在ろうとしないアタシは、アタシじゃない……」
ユキは今まで、アタシをどう見てきたのか。
速さにこだわって、天羽未散に対する敗北感が拭えなくて、周りが見えなくて、独りで走って、ユキを傷つけて。
それでもユキはそういうアタシでいることを、速さ以外には目もくれないアタシでいることを願ってるっていうの? 気遣いや優しさじゃなくて、心から? 傷ついたのはユキなのに?
アタシにはその気持ちはわからない。だから、問う。
「諦めるなって……アンタはそう言うの?」
「……キュウッ」
「でも……また怒鳴るかもしれない。ただ厳しくするつもりで、アンタを傷つけるかもしれないわ」
「……キュウッ」
「それにアンタは、魔法を怖がるじゃない」
「キュウウゥッ!」
一際強く鳴いたユキがアタシを見上げる。裾を握る力はより強くなり、瞳に意志が燃え盛る。
そのまっすぐな目に映るのは……アタシ。共に空を翔け、格上相手に立ち向かった、拙い騎手の姿。
クソ男の放つ魔法にも、グラファイディアの圧倒的な威容にも、ユキが臆することは一切なかった。アタシを乗せて飛ぶユキは誰よりも強く、信頼できる相棒だったと、この肌が覚えている。
「もしかして……アタシと一緒なら、やれるっての?」
「キュウッ」
力強く、迷いのない返事。アタシに信頼を寄せる覚悟の証。
ユキはもう知ってる。今日のような穏やかな日々を。傷つくことも怒鳴られることもない、ゆるやかで幸せな日々を。
それでもなお、彼女はアタシと飛ぶことを選んでくれた。苦しく、つらく、血を吐いて地べたを這いずる日々を。だったら、アタシが応えないわけにはいかないじゃない。
大きく息を吸い、迷いとともに吐き出す。後に残るのは、たとえ死んでも消えない闘志の火種。最速への渇望。
「……わかったわ。なら、アタシがアンタを守ってみせる。アンタを怖がらせる全部を取り除いてみせるわ。初めて会ったあの日みたいにね」
だから、
「アンタはアタシを、一番高いところまで連れてって。アタシとアンタで……今度こそ二人で、一緒に世界最速を目指すの。ねぇユキ……アタシと組まない?」
「キュウッ! キューウ!」
「決まりね」
いつかと同じ約束を、もう一度交わす。違うのは、あの時よりもほんの少し、アタシ達が繋がっていること。
「飛ぶわよユキ……アタシの、最高の相棒!」
「キュキューウッ!」
ようやくコンビになれたアタシ達は今、ここから始まる。




