1「あれってイジメ?」
「お目覚めですか?」
聞き覚えのある声に聞き覚えのあるセリフ。アタシは俄然覚醒した。目の前には木々と空と、アタシを見下ろすフォルノの顔。どうやら膝枕されていたらしい。
素早く身を起こす。
「ミコトさん。おは――いふぁいいふぁい! ひゃめへえええぇぇっ!」
頬をつまんで全力で引っ張りながら、アタシは声に怒気を孕ませる。
「アタシは生まれ変わりたくなんかないって言ったわよね。どういうことよ」
「ふぁっへえええぇぇ! ほーひへほははんへひはふへええぇぇ!」
「明瞭に、ハッキリ喋りなさい」
手を離す。
「うぅ……喋れなくしたのはミコトさんじゃないですかぁ……でもそんなところもステキですぅ……っ」
「そういうのいいから。早く」
「……言ったじゃないですか。好きな人に、生きて欲しいんです」
「そんな勝手な……」
けれど、事は起きてしまった。周囲には木々があって森か山のようだし、フォルノがいるということは夢を見ていたわけでもない。最悪だ。
フォルノは痛みで頬をさすっていたけど、段々それが別の、ゆるみきっただらしないものに変わっていく。
「……えへへ。二人きり、ですね」
「さっきも二人きりだったけど」
「ミコトさん……好きです」
「アタシはどっちかというと嫌い」
無視された。
「ミコトさんのこと大好きです。いつも仏頂面なところも、乱暴なところも、友達いないのに夏休みの宿題を最終日までやらないところも、無駄に美少女なところも、最近ようやく貧乳を気にし始めたところも、ぜぇんぶ」
「アンタも実はアタシのこと嫌いじゃない?」
「ね、赤ちゃん作りましょう! たくさん! お外でしちゃうなんて興奮しますね!」
「近寄んないで。ホントに」
はた、と。アタシは耳をすます。
「……?」
「どうかされました?」
「なんか聞こえる。声、みたいな」
「声、ですか?」
枝葉が風にざわめく。その音に混じって、動物の鳴き声のようなものが耳に届いていた。甲高い、聞き慣れない声。動物の声を聞いて判別するなんてアタシにはできっこないんだけど、それがなんだか悲鳴のような、助けを求めるような声音だってことは明確に感じられた。
フォルノがぴっ、と指し示す。
「あっちです!」
「よし、なら」
「あそこの茂みなら、二人で情事に耽っても見つかりにくいと思います!」
胸ぐらを掴み上げた。
「…………」
「あ、あはは……冗談ですよ冗談。む、無言で睨まれるとすごく怖いです…………ミコトさん? 美少女がしちゃいけない顔してますよ?」
「…………」
「……あっちなのは確かです」
盛ったフォルノを投げ捨て、アタシは駆け出した。ついてこなくていいのに、後ろから痴女もついてくる。
鳴き声は段々と近くなる。そうして確信した。鳴き声は間違いなく、泣き声だ。
助けを求める声の主を見つけ、アタシ達は茂みの陰から様子を窺う。
そこには、アタシより遥かに大きな体長を持つ三頭のドラゴン。それが、彼らより一回り小さな生き物を取り囲み、前足でちまちまと攻撃を加えているらしかった。狩り……にはとても見えない。その光景を例えるなら、まるで浦島太郎の冒頭。
「キュゥ……キューウ……」
悲鳴は先より弱々しくなっていた。このままでは死んでしまうかもしれない。そんな危惧を思わずしてしまうほどに。
小声。
「ねぇ、あれってイジメ?」
「そうでしょうね」
「動物は生きるために狩りをするんでしょ。イジメなんかするの?」
「一般にそういうイメージが強いかもしれませんが、動物界にもイジメや、弱い命を不必要に弄んで殺すという例はあります。脳がある以上、ストレスも快楽物質もありますから」
知らなかった。
それなら、目の前で起きていることは自然現象の一つと言えるのかもしれない。
……でも、アタシの内から、沸々と苛立ちが沸き起こる。
自分の力を誇示するために弱者を利用するのは、成長することをやめたクソがすることよ。その強さが本物なら、より強いものに、より高い場所に挑み続けるべきだ。アタシはそう思う。
「……キュゥゥ……」
姿も見えない小さな命。それが今、抗うことすらできずに潰されようとしている。クソみたいな連中に弄ばれて。できることなら助けてやりたい。そう思う。
でも同時に、アタシには関係ない、とも思う。あんなのに挑むなんて、素手で熊の集団にケンカを売るようなものだ。そんなことまでして見知らぬ生き物を助ける道理はないし、一秒でも多く陸上に費やしたかった今までのアタシなら、間違いなく無視しただろう。
無視したくないという気持ちに反して、言い訳はたくさん浮かんだ。ムカつく。勝算が薄いのは事実なんだろうけど、それさえ自分が逃げ出すための口実に思えてくる。
フォルノは感情の読めない顔でアタシに耳打ちした。
「……見なかったことにしましょう。怒らせると命に関わりますし、よくあることです」
フォルノのその言葉が、決定打だった。
「……そう。アンタが言うなら仕方ないわね」
「ええ。残念ですが」
「弱い者イジメしてんじゃないわよ腰抜けトカゲがァ!」
「あれぇ!? 思っていたのと違いますよこれぇ!?」
フォルノがやめろと言うなら立ち向かうしかない。だってアタシはコイツが嫌いだから。なんて筋の通った理屈だろう。渋々といった様子で、フォルノもアタシに続く。
ドラゴン達は一斉にこちらを見た。動物のくせに、隠れてるアタシ達に気づかないなんてね。気配に鈍感なのは強者の余裕なのか。
「グガルルゥゥ……」
ヤツらはアタシ達を見下ろして、喉を鳴らし、威嚇してくる。それ以上近づくのなら殺す。言葉はなくとも伝わる敵愾心。
フォルノが口を挟んだ。
「ミコトさん! この世界では魔法が使えます! それで撃退しましょう!」
「使い方知らない」
「そうでした!? 説明する余裕は……ないですね!」
なんて使えない痴女だろう。正真正銘丸腰だとわかっただけじゃない。
けどアタシは怯まない。武器がないことなんて関係ない。丸腰だろうがなんだろうが、始めた勝負なら勝つだけよ。それが蘇芳美琴のやり方。
手始めにクソ爬虫類を睨みつける。怒りや、憎しみや、殺意を込めて。学校の休み時間、短距離の反芻をしている時に話しかけてくる邪魔なクラスメイトを撃退するのによく使った手だ。
「失せろクソが」
「グガ……ッ!?」
「アタシの目の前から消えろっつったんだ雑魚ども! 根性だけじゃなく耳まで腐ってんのか、あぁ!?」
「わぁ、なんてヤンキーな浦島太郎」
アタシ自身のために言っておくけど、アタシにヤンキーだった時代はないから。そこんとこよろしく。
けれど、ガンつけ……アタシ流の威嚇は、ドラゴンとはいえ、弱い者イジメをするような腑抜けには効果覿面だった。
ヤツらは顔を見合わせ、じりじりと後退り、捨てゼリフ代わりに鼻を鳴らして、去っていった。
舌打ち。
「チッ、つまんねぇことさせんなクソが」
「わあぁっ!? 中指立てるのはダメですよミコトさん!? それはお茶の間に見せられません!」
連中を追っ払ったところで、アタシはイジメられていた生き物に駆け寄る。傷つき、あちこちから血を流して弱っているその生き物は、ドラゴンの子供のようだった。けどさっきの連中とは翼の形が違うし、白い鱗も小さくて細かい。爪とか身体そのものも小さくて、これが大きくなったら本当にあれになるの? と疑問が首をもたげる。
「キュゥ……?」
「心配すんな。今助けてやっからな」
「ヤンキー抜けてませんよ」
「うっせ……うるさいわね」
フォルノは白いドラゴンを見て、見解を述べる。
「ワイバーンの子供ですね。小さい種類のドラゴンと思っていただければ」
「運びたいけど……っ、さすがに重いわね。医者を呼んでくる方がいいかしら」
「でしたら魔法を使いましょう! 身体能力を強化する魔法です!」
ここぞとばかりに目を輝かせるフォルノ。ようやく役に立てそう、という喜びが顔中に満ちていた。なんかムカつくけど、ここは頼るしかない。
「どうすればいいのよ」
「魔法というのは、大気中のマナを取り込み、身体の内側を流れるマナと同調させることで、様々な事象を顕現させるものです。一般に、詠唱でその補助をすることが多いですね」
「そんな説明されてもさっぱりわからないわ! 具体的になにすればいいのよ!」
「えぇっ!? えっ、と……自分の身体能力を強化したい、そういう魔法を使うんだという気持ちを持ちながら、『大いなる力、我が手に宿れ』って詠唱してください! それでとりあえずなんとかなるはずです……多分!」
「詠唱……? とにかく、そのこっ恥ずかしいセリフを言えばいいのね? そうすればアタシはゴリゴリのマッチョになって、この子を運んでやれると」
「マッチョにはなりませんからね!? 絵面考えてください!?」
「……?」
全然理解できないけど、どうやら違うらしい。てっきり筋肉が増えるんだと思ってたんだけど。
ともあれ言われた通りに。この子を人里まで運んであげられる力が欲しい。そうイメージしながら詠唱を。
「大いなる力、我が手に宿れ!」
するとアタシの身体が淡く発光を始めた。正直、力が湧いてるって感じはしないけど、身体が軽くなったというか、五感が研ぎ澄まされた感じがする。
「成功です! まさか一回で上手くいくとは思いませんでした!」
フォルノが手放しで褒めてくれている。この痴女、役に立たないが嘘は吐かない。上手い嘘が吐けるようにも見えない。今はこの称賛を信じよう。
「身体が光っている間は強化がかかり、その子を運んであげられるはずです。光が弱くなったら効果が切れるサインですから、同じように詠唱してください」
「よっ、と……大丈夫? つらくない?」
「キュウ……」
「もうひと頑張りよ。耐えなさい。フォルノ! 病院はどっち!」
「こっちを下っていけば、町があります!」
「よし、行くわよ!」
そうしてアタシは、フォルノの案内で山を下っていった。