13「ねぇ、なんでできないわけ?」
「…………」
腕を組み、爪を噛み、つま先で地を叩く。
……ムカつく。
「ねぇ、なんでできないわけ?」
「キュゥ…………」
項垂れるユキからは反省の色が濃く窺えた。失敗してもヘラヘラしてるヤツは成長しないから、ちゃんと失敗を認識してるのはいいことよ。
……でも今はそれさえ、アタシを苛立たせる要因でしかない。
「わかってるわよね? 時間ないって。落ち込んだってなにも解決しないわ。攻撃されても目を瞑るなって、何回言えばわかってくれるわけ? アンタ、この段階でどれだけ足踏みしてると思ってんのよ」
「キュゥゥ……」
不安げな瞳に、苛立つアタシの姿が映っていた。
反省するユキも、苛立つアタシ自身も、次の段階に進めないことも、雲一つない快晴の空も、なにもかもムカつく。全部全部、アタシの邪魔をする、アタシの敵。
ずっと我慢してたけど、もう限界だった。
「二週間よ! アンタは二週間も無駄にしてんの! 毎日毎日同じこと言わせないで! 反省してるんだったら努力しなさいよ! 少しは進歩しなさいよ!」
「キュ…………」
「落ち込むアンタも見飽きてんのよこっちは!」
衝動のまま、足下にあった小石を蹴飛ばす。
「キュッ!?」
それが意図せずユキの方へ飛んでいき、掠りもしないのに、彼女はそんなことでもビクリと肩を震わせた。
「こんなことくらいでビビるなっ! アンタはワイバーン! アタシが蹴った小石くらいで怪我なんかしないわよっ!」
「キュウ…………」
「なんで立ち向かわないのよ! 悔しいならアタシに歯向かうくらいしてみなさいよ! アンタはやればできるはずなの! アタシはそう信じてる! なのにどうして期待を裏切り続けて平気なのよアンタは!」
「キュ!? キュウ! キューウー!」
ユキはふるふると首を振る。必死の否定。
……だったらどうしてやらないのよ。そんなに無理なことを要求してるつもりはない。他の竜は当たり前にやってることで、これができないと参加すらできない最低ラインじゃない。
ちゃんと強くなりなさいよ。そうじゃないとはぐれワイバーンのアンタは、生きていくことすら危うい。それくらい、アンタもわかってるはずでしょ……?
根幹にあるのは悲しみと心配のはずだった。なのに吐き出される言葉は、真っ赤な怒りに塗り潰されていて。
「アンタがここをクリアできない間に、アタシは防御魔法の使い方も攻撃魔法の使い方も覚えた! でもね、飛びながら使えないとなんの意味もないのよ! そのためにはアンタがまず飛べなきゃダメなの! アンタがちゃんとしてくれないせいで、アタシまで練習できないじゃない!」
やっぱりオフの日なんか作るべきじゃなかった。甘やかすべきじゃなかった。ユキを遊ばせるべきじゃなかった。
予感は的中した。アタシの危惧は現実になった。このままいけば、ユキは最高のパフォーマンスを発揮できない。それは彼女だけでなく、アタシだって困る。
「このままじゃ、また……っ! あの時と同じじゃない!」
嫌な記憶が呼び起こされ、奥歯を強く噛み締めた。
アタシが死んだあの日。一位の座を悠々かっさらい、多くの友達に囲まれながら笑う天羽未散の姿。そして、汗と泥と悔しさにまみれ、独りそれを睨む敗者の姿。
「クソが……っ!」
最悪の記憶を振り払うようにすると、ユキが不安いっぱいの表情で顔を寄せてきた。まるで、アタシに頬ずりしようとするみたいに。
「――――ッ!」
それを見た瞬間、アタシの目の前が真っ赤に染まる。全身の毛が激しい感情に逆立つ。一瞬、心臓が止まったような気がした。
コイツ――!
「甘えるなッ!」
乾いた音が晴天に響き渡った。振り切った手のひらが赤く痛み、震える。
アタシはユキの頬を、思いきり張っていた。
ユキは目を見開き、ゆらゆらと揺れる瞳にアタシを収めたまま、硬直している。
「甘えるな……! こんなことになったのも全部、アンタのせいなのよ! ねぇどうしてよ!? どうしてちゃんとしてくれないの!? アンタは強くなれるはずって、アタシはそう信じてる! だからこそ見限らずにこうして付き合ってやってるんじゃない! それともなに? そんなにアタシの邪魔がしたいわけ!?」
「キュウ!? キュウ、キューウ!」
「違わないじゃない! やる気があるんなら、アタシの期待に応えたいと思ってるなら、こんなのとっくの昔に克服してるわよ! いつまでもアタシに甘えたりせず、自分の力で! アンタなんか――!」
「いい加減にしろ!」
堰を失い、氾濫するアタシの言葉を遮ったのは、通常よりいくらか低く感じるアルト。いつの間にかやってきていたクロムが、低い位置からアタシを睨み上げていた。
少年の姿を借りてそこにあったのは、怒りよりももっと暗く、負の感情が凝縮された怨念に似たなにか。
「お前、ユキになんて言おうとした」
……今? アタシ今、ユキになんて言おうとしてた……?
熱くなり、衝動に抗えなくなっていたアタシが口にしようとしていた言葉を思うと、胸が重く淀んだ。たった今のことなのに思い出せない。それはまるで、記憶のどこかに封じ込めてしまったようだった。
「……別に。なにか用?」
「もうやめろ。ユキが苦しんでる」
クロムは、息を荒げるアタシと震えるユキの間に割って入る。
小さな少年の背後で縮こまる白いワイバーンの姿は、この上なく情けないものに思えた。
「そこをどきなさいクロム。アタシ達には時間がないの」
「甘えるな」
「……なんですって?」
思わず自分の耳を疑う。クロムは繰り返す。
「甘えるなって言ったんだよ」
「意味がわからないんだけど。誰が、誰に甘えてるって?」
「何度も言わせんじゃねぇよ。ミコトが、ユキに甘えてる。オレはそう言ってんだよ」
「はぁ? 逆でしょ。アタシが甘やかしてきたから、ユキは怖がりのままなんじゃない。そんなことだから危機感もないままなのよ」
しかし、クロムは認めようとしなかった。まるで悪漢に襲われる少女を守るみたいに、両手を大きく広げて立ちはだかって。
……なんなの?
「それともなに? アタシのせいだとでも言うわけ?」
「ああそうだ。いつまで経ってもお前が甘えてるから、ユキは甘えることができずにいる」
「……はぁ。話にならないわ。ユキが抱えてる問題も、クリアすべき課題も、アタシが一番よくわかってる。ロクなことにならないから、部外者が口を挟まないでくれる?」
「……正直、ミコトは口は悪いし乱暴だけど、悪人ではないと思ってた。なんだかんだで命を大事にしてくれる人だと信じてた」
「へぇ? それは光栄ね。で? 今はどう思ってるわけ?」
嫌味たっぷりな言い方をしてやったのに、小さな看護師は怯みもしなかった。それどころか、屍肉に群がる羽虫でも見るような、濁り、淀んだ目をアタシに向ける。
唾棄。
「……人間のクズだ」
「は……アハ、アッハッハッハッハ! まさかアンタの口からそんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかったわ! アンタ看護師でしょ? そんな汚い言葉を人に向けていいわけ?」
「ミコト。お前はユキのパートナーとして相応しくない。これじゃユキがあまりに可哀想だ」
アタシはため息を吐く。
呆れた。人生経験は豊富とはいえ、所詮は看護師。競技のことはなにもわかってない。
「知らないようだから教えてあげるわ。競技ってのはね、他人を超えないといけないのよ。甘っちょろい馴れ合いなんかしてても勝てないわけ。ちょっと怒鳴られたくらいで可哀想? ハン、自分にも勝てないヤツが他人に勝てるわけないでしょ」
アタシの経験上、それは絶対だ。自分の弱い気持ちや、甘えを振り切れないヤツは大成しない。そんなの基本中の基本。つらくても、苦しくても、耐えて耐えて耐え抜かなきゃいけない。
それに苦しい練習を乗り越えれば、ユキもきっと強くなってくれる。生きていくために、ユキは強くならなきゃいけないのよ。
アタシはそれをユキに教えようとしてるだけ。ユキなら必ずわかってくれる。そう信じてるからこそ、ああやって繰り返し言ってるんじゃない。
「いい加減練習の邪魔だからどいてくれる?」
「どかねぇ。……なぁ、ユキ。無理してミコトの言うことを聞く必要なんかねぇ。もうやめろ」
「アンタなに勝手なことを! ユキ! 練習に戻るわよ! やらなきゃいけないことがあんのわかってるでしょ!」
クロムの身勝手な発言に対し、ユキは「キュゥ……」と弱々しく鳴く。アタシとクロムを交互に何度も見遣り、最終的には、
「ユキ……!?」
アタシの下へ歩を進めた。
クロムはとても信じられないという目をしていたが、アタシからすれば当然だ。
「ほら、ユキ自身が選んだんだから文句ないでしょ? ユキはちゃんとわかってるのよ。ここで踏ん張らないと、エリーゼ達には勝てない。世界最速なんか目指せないってね」
「ユキ……」
「これでわかったでしょ? さ、練習の邪魔だからどっかいって。もう二度と余計な口出しはしないで」
「キュウ……」
「…………」
クロムはユキの瞳をじっと見上げていたが、やがて、なにも言わずに走り去った。
この時のアタシは――後にして思えばどこまでも愚かなことだけど――勝ち誇ったような気になっていて、どうしてクロムが『甘えているのはミコトの方』なんて言い方をしたのか、理由を考えることもなく、考えようともせず、些末なこととして忘れ去ってしまった。
その日も、ユキは恐怖心を克服することができなかった。




