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9「初心者脱却してから言えば?」



 翌日もやはり、息を合わせて飛ぶ練習をした。太陽が頂点に上り切る前に、のんびり遊覧飛行。これだけならいいんだけど。

「ユキ。少しだけ速度上げてくれる?」

「キュウッ!」

「くっ……!」

 わずかな加速に反して、身体がずしりと重くなった。特に下腹部への負担が大きく、ずっと続けていると内臓が全部破裂するんじゃないかとさえ思えた。堪らず詠唱。

「大いなる力、我が手に宿れ!」

 淡い光がアタシを包み、感覚が研ぎ澄まされた。苦しくてあちこちに入っていた余分な力が抜け、視界がクリアになる。こうして使ってみると、かなり高い効果が発揮できていること、激しいレース中に切らしたら相当苦しいだろうということが容易に理解できた。

「うーん……」

 魔法の効果で再び余裕が訪れ、アタシは腕組みをして思考する。

 昨夜フォルノに教えてもらったところによると、普段日本人が体験できるG、つまり重力加速度はせいぜい三程度らしい。ヤバめのジェットコースターがそれくらいだと。それ以上の単位となると、四から五が戦闘機のアクロバット飛行レベル、六から上は人体に明確な影響が出始める。ただそれも戦闘機レベルの話なわけで、訓練していない人間がそんなものに耐えられるわけがない。

 とはいえその辺はもう時速数百キロとかの世界らしいから、めぼしいヒントにはならなかったんだけど。感覚でしかないけど、そこまでの速度が出ているとは思えない。

「ていうか、シートベルトもなしに飛ぼうってのが間違ってるわよね」

「キュキュゥ……?」

「危険性を考えてないっていうか……いや、それを言うのは野暮ね。竜に直接攻撃して叩き落とすような競技だもの」

 どちらかというとやはり、タイムそのものよりも、誰よりも最初にゴールを切りさえすればいい、という考えの下にセオリーが組まれているような印象を受けた。たとえば、優勝候補には他の選手が開幕で一斉に攻撃を仕掛けるとか、そういうことも戦略としてありそうな感じ。

 でもそれも推論。実際のレースの様子を見たわけじゃない。動画が残せることの便利さを、アタシは今痛感している。

 つらつらとヒントを探りながら飛んでいると、ふと眼下に二人の男が映った。それらはこっちを見ているようで、笑いながら何事か話しているようだった。ぼっち選手として大会に何度も出場してるからすぐにわかった。あれは、アタシ達を話題にして嘲笑している空気だ。ゆっくりと下りる。

「……アンタ達、なんか用?」

 男の一人が一歩を前に出た。人を見下す下卑た笑みが、フェンスの向こうに。

「お前さぁ、なんであんなトロトロ飛んでんの?」

「まだ飛び始めたばかりで慣れてないのよ」

「ぷっ、なに初心者? 才能ないからやめた方がいいよ! 竜を使って飛ぶってのはさ、結局……」

 男は滔々と語り出した。アタシの知らない、専門用語であろう単語がたくさん混じってて、なにを言ってるのか全然わからない。

 ……あー、いるいるこういうの。聞いてもないのに知識をひけらかして講釈垂れたがるヤツ。今まではアタシ自身が標的にされることはなかったけど。ため息を吐きたくなる。

「……はぁ」

 だから吐いた。

 思った通り、男は気を悪くしたらしかった。

「……なに、親切に教えてやってんのに不満でも?」

「呆れてただけよ。どこの世界にもいるのね、自分が初心者だった頃のことも忘れて、下ばかり見て強くなったと勘違いして気持ちよくなるヤツ。せめて初心者脱却してから言えば?」

「んだと!?」

 ま、そういうヤツらは頭でっかちで、小手先の技術だけ身につけて上手くなったと勘違いしてるだけの連中なんだけど。中身がないから三流を抜け出せないし、自分より下手な人間がいることで安心しちゃうから、自分の実力と向き合わない。一生初心者なのよ。

「なら訊くけど、どうしたら上手く飛べるようになるわけ? 今のアタシ達に必要なものはなに?」

「はぁ? 自分で考えろよ! 人に訊いてばっかだからいつまでも初心者なんだろうが! 他人の真似なんかしてもな、本当の実力は身につかねえんだよ! 頭使え頭! 『頭を使って初めて努力になる』って、あの伝説の騎手スカーレットさんもそう言ってんだからな! 俺は昔、あの人と喋ったこともあるんだ!」

「……はぁ。素人は帰って。邪魔」

 やっぱり無視を決め込むのがベストね。そう思ったアタシだったけど、男の次の一言は、アタシにとって無視できない言葉だった。

「おい……女のくせに調子に乗るなよクソガキ」

「……あ?」

 今コイツなんつった? 女のくせに? クソガキ? 

 アタシはナメられるのが一番嫌いだ。女だからってのと、子供だからってのは特に許せない。なんの根拠もなく下に見られて、勝てないと決めつけられて、黙って引き下がれない。

 女だろうが子供だろうが関係ない。アタシは誰よりも速いのよ。

 ――見てろ。

「ナメんなクソが。アンタなんかよりアタシの方が速いわ」

「ハッ、素人がイキるなよ。明日の昼、練習場を借りてるからそこで勝負してやろうか? え?」

「上等よ。男に生まれただけで偉いと思ってるクソ野郎に負けるわけないから」

「生意気な口利きやがって……!」

「黙らせたいならアタシに勝ってみれば?」

「調子こいてんじゃねえ! 女だからって容赦しねえからな!」

 そういうわけでとんとん拍子に話は進み、アタシは初レースに臨むこととなった。



「と、いうわけなのよ。だから飛び方教えて。アンタ上手いんでしょ?」

「…………」

 目の前でチョココロネが額を押さえている。ちょうど男どもと入れ替わるようにやってきたから顛末を話したんだけど。

 頭痛を抑えているかのような仕草からは、彼女の思考がありありと読み取れた。言いたいことが山ほどある。なにから言おう、どこから言おう。なにを言っても無駄な気がする。……よし、とりあえず切り出しはこれにしよう。

「……貴女は本物のバカなのですわ……」

「なんでよ?」

「勝算もなく勝負を挑むのがバカでなくてなんですの!?」

「いや、そもそもアタシは月末までにレースで勝てるようにならなきゃいけないし。中級者くらいにはならなきゃなんない。あれくらいはさっさと超えてかないと」

 大会までの日数と、クリアすべき課題はおおよそわかっている。だからアタシの中では、既に予定が大体組み上がっていた。何日でこれを習得して、何日であれを習得して……時間がない上に初心者だから覚えるべき必須項目が多く、精度を高めて煮詰めるとか、そんな曖昧な練習してらんないのよ。

 アタシは大真面目に言ったのに、エリーゼは呆れ返った態度を変えようとはしなかった。心外だ。

「……そもそも貴女、よくわたくしに訊こうと思いましたわね」

「アンタ、初心者を虚仮にするタイプではないでしょ。誰もが最初は初心者だったことを忘れてない」

「それはそうですけれど……まぁよいのですわ。そういう殊勝な態度なら、特別に教えて差し上げてもよくってよ」

 言い、エリーゼはユキの背に乗るよう促した。アタシは指示通り鞍に跨り、手綱を取る。

「自然な飛行で向こうまで行って、戻ってきなさいな! 二往復ですわ!」

「オーケー! ユキ!」

「キュゥッ!」

 ユキが飛び立つ。重力がアタシを頭の上から強く押さえつけた。内腿に力を込め、耐える。ユキがひとつ羽ばたく度に上半身は振り回され、鍛えた自負のある腿には疲労感に似た負荷がかかる。

 そして離陸を終えれば次は、

「く……っ!」

 急発進。

 車に乗っていて、急発進された時とほぼ同じ感覚。でもここにはシートベルトもなければ座席もない。踏ん張らなければ、慣性のまま後方へ流される。

 手綱を握る二の腕が疲労に震える。上半身全てを支える腹筋からは力が抜けない。詰めた息はまともに吐き出せない。轟々と唸る風を受け止めながら、流されないよう必死にしがみつく。

 風を切り始めれば、今度は左右への揺れがアタシを襲った。耐える。ただ必死に耐える。身体が一度でも振れてしまえば、振り子の勢いで吹っ飛んでしまうからだ。

 そして予告なしにそれは来る。

「っ!」

 急ブレーキに身体が前のめる。頭が振られ、姿勢が崩れた。

 旋回。アタシがしがみつくばかりの間に往路を終えたユキは急激に速度を落とし、中間地点の木を軸にぐるりと回って、復路へと入る。

 内腿だけでは耐えきれず、アタシは手綱を握る。そうして旋回が終われば再び加速。吐いた息を無理やり押し戻す風圧に、視界が黒く眩んだ。

 短い距離を、たった二往復。それだけなのに、アタシはなにもできずに振り回されるばかり。そしてユキが着陸姿勢に入る頃には、頭はふらつき、倦怠感と嘔吐感に満たされているのだった。

 ずり落ちるようにして、ユキの背中から降りる。四つん這いで地面を見つめ、大地の安定感に身を委ねた。超気持ち悪い。

 そんなアタシの後頭部に声が降ってくる。

「原因はおおよそ掴めましたわ」

 返事代わりに軽く手だけを振り返す。聞いてるから言いなさい。

「まずユキからですわ」

「キュウ?」

「ご覧なさい。地面に這いつくばる、無様な主の姿を」

「無様、で……悪かったわね……クソが……」

 決死の悪態は無視された。

「貴女が思うままに飛べば、人間は誰でもああなりますのよ。わたくし達人間は、ドラゴンほど強くありませんの」

「キュウ……?」

「……首を傾げられても困りますわね。貴女がミコトをどれほど強い存在と崇拝しているかは知りませんけれど、そういうものなのですわ。人間はドラゴンよりも遥かに弱い。まずはそれをきちんと認識なさい」

「キュウッ!」

「よいですわね。さあ、次はミコトの番ですわ。もう一度お乗りなさい」

「わかったわよ……あぁクソ、まだふらふらする」

 エリーゼに支えられ、アタシはどうにか立ち上がる。よろめきながら鞍に跨がった。

「大前提として、手綱は騎手を支えるものではありませんわ。実際のレースでもそんなことをする騎手はおりませんでしょう?」

「いや、見たことないから知らないけど」

「…………」

 エリーゼは唖然として絶句。言いたいことがありそうだ。けど結局言わず、飲み込むことにしたようだった。

「……まぁ、よいのですわ。鞍の前方をご覧なさい。左右に取っ手がついているのがわかりまして?」

「ん……これ?」

 確かについていた。ただ、これを掴もうとするとほとんど上体は倒れ、寝そべるような格好になる。

「抑えと呼ばれる部分ですわ。飛行の際は竜の背ビレになったつもりでそこを掴むのが基本姿勢。実際のレースでは魔法のやり取りがありますから、必要に応じて身を起こすことになりますわね」

「へぇ」

「それともうひとつ」

「まだあんの? アタシいっぺんに覚えらんないんだけど」

「教えを乞うてきたのはそちらなのですわっ!」

 まったく……と額を抑え、エリーゼは頭を振ってからアタシに向き直る。

「竜との意思疎通、歩み寄りが足りないのはむしろ貴女の方ですわ、ミコト。ユキのことを理解しようと努めなさい。それこそが上達への一番の近道ですわ」

 あー……クロムも言ってた。一緒に飛ぶことで息を合わせろ、ってヤツね。どこまで行ってもそれに尽きるらしい。

 とにかく抑えのことはわかったし、安定するまでは深く考えないで回数を積めばよさそうね。

「わかった。おかげでなんとかなるかもしれないわ。ありがと」

「べ、別に貴女を助けたわけではありませんわ! 貴女が不甲斐ないせいで、ユキまでとやかく言われるのは可哀想だと思っただけですわ! 粗暴な貴女と違って、ユキはとても賢く、落ち着きのあるいい子ですからねっ!」

 このチョココロネ、意外と竜想いだ。びしっ! とアタシに人差し指を突きつけ、

「とにかく! 予選では人前で飛ぶことになるのですから、せめてその子に恥をかかせないような騎乗をなさい!」

 そう言い残し、肩を怒らせて去っていた。

 そんな心配されるほど、アタシだってバカじゃない。もうアタシはさっきまでのアタシとは違う。鞍の前についている取っ手を握ればいいのだと知っているのだから。完璧よ。

 練習を再開しようと思った時、ふと疑問が浮かんだ。

「そういやアイツ、なにしにここに来たのかしら……?」

 結局、なにもせずに来た方向を戻って行っちゃったし。貴族様の考えることはよくわからないわね。

「まいっか」



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