おとこかおんなか
「LGBTについてどう思う?」
先輩はブランコをこぎながら言った。
「サンドイッチですか? 僕はホットドッグの方が好きです、こう肉肉しい感じがいいですよね」
「ベーコンレタストマトサンドの話はしていない。 レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字だ」
ほう。
「百合は好きです。ホモも嫌いじゃないですけど、やっぱり可愛い女の子の絡みが最高ですね。今期のアニメも中々良いのがありまして。興味があるなら今度一緒に見ますか? 録画してあります」
先輩は何故かため息を吐く。聞かれたから答えただけなのになんなんだろう。
「君の性嗜好には興味は無いんだ」
「じゃあなんでこんな話振るんですか」
「小学生でもないのに無言で並んで只只管にブランコを漕ぐというのは少々アレだろう。だから態々話題を作ってやったんだ。有難く思え」
「ありがとうございます?」
僕がお礼を言うと先輩は満足そうに頷いた。
「というか、トランスジェンダーってなんですか。バイセクシュアルってのは、所謂両刀ですよね。それは分かるんですけど、ジェンダーってなんでしたっけ」
「心理的性別。社会的性別とも云う。トランスジェンダーというのは要するに性同一性障害者のことさ」
「……あれ。特殊性癖の話だと思ってたのに、なんか最後のだけ深刻な感じですね」
「君はなんて差別主義者なんだ!」
「え? え?」
「酷い奴だ。レイシストだ。今のこの世の中でそんな発言をするなんて、ツイッターで叩かれて住所特定されて嫌がらせの電話が毎日かかってきても文句は言えないな。殺人予告が来て強迫されて怖いお兄さん達に囲まれて袋叩きに――」
「待ってください、ちょっと。意味が分からないです。僕何か悪いこと言いましたか?」
先輩は答えずに大きくブランコを漕ぐ。服が翻るのも髪が乱れるのも全く気にしない。普段は俯ぎ気味に読書をする姿しか見ることはないので、活動的な先輩は中々に珍しい。
というか、なんでこんなに罵倒されているんだろうか。僕を糾弾する口調もとても楽しそうだし、話している内容はとても恐ろしいもの。僕のことを酷い奴だと言う割には先輩が正義の味方には到底見えない。
先輩は片足を思い切り振りぬき、靴をぽーんと遠くへ飛ばした。
「いいかい、決して同性愛は特殊な性癖なんかではない」
「そうなんですか?」
「そうだ。この世界には数多の生物がいるが、同性間で性行動をする種はなんと千種以上。或る鳥の三割の番はレズビアンで、とある牛の交尾は九割が雄同士。一見種の繁栄には不向きに感じるかもしれないが、争いを避けるために同性間のスキンシップを行ったり、卵の面倒を見るために同姓でコミュニティを作ったりと、中々合理的な理由も見えたりする」
「ええ、そうなんですか。同性の同棲って奴ですか」
絶対零度の視線。肌寒い。
「獣だからだと見下す輩もいるが、別に動物に限定した話ではない。衆道という言葉を知っているか?」
「シュドー、アシタ?」
「男色のことだ。主に江戸時代のな。武士が戦場で昂ぶりを鎮めるために小姓を犯し、遊女と遊ぶ金のない男が男娼を買う。彼の信長も、信玄も、家康公も、少し調べればその手の逸話は幾らでも出てくる。まさに嗜みだ。日本だぞ。わかっているか? 我々のご先祖様の話だ」
なんと薔薇色の世界なんだ。信長の話くらいは僕も聞いたことがあったけど、他の話は初耳だ。というかそんな当たり前だったのだろうか。いくら先輩の話と言えど、少し疑ってしまう。
「でも、昔の話ですよね。今はそんなことしていると白い目で見られますよ」
「甘い。そして狭い。世界を見ろ。現代で同性愛が法的に認知されている国がいくつあると思っている。既に二十数か国。結婚そのものは合法でなくとも同等の権利を保障している国は更に多い上に、許容する国は増加傾向だ。認めているのも別に奇妙な風習を持った小さな国家等ではない。アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、カナダ、ブラジル、メキシコ、オーストラリア。先進国がずらりだ」
「嘘でしょう」
「嘘ではない。時代の流れを見ろ。今は何が求められる時代だと思う? 人権と個性、そして自由だ。世の中の傲慢な多数派に圧し潰されていた少数派の声が漸く響くようになったのだ」
先輩が派手にブランコを漕いでいるせいで、声が遠くなったり近くなったり。まるで催眠を掛けられているかのようだ。のだ。のだ。のだ。先輩の声が脳内で響く。
「そもそも何故男は女を愛し、女は男を愛する。簡単だ。子孫を残すためだ。男が女を可愛いと感じるのも、女が男に頼もしさを感じるのも、自分の種を残すという生物の本能に突き動かされているに過ぎない。違うと言えるか? 実際に男女の愛には肉欲が下敷きになる。そんな動物的な行動は、唯一高度な知性を持つ人間に相応しいものか? そこに真実の愛はあるのか?」
おお。確かに。
あれ?
「けど、さっき先輩は動物にも同性愛は存在するって言ってましたよね」
先輩はひょいとブランコから飛び降りた。描く弧は美しく、なんと、危険だから近づかないようにと設けてある柵の向こうに着地した。素晴らしい手跳躍力だ。十点。
振り返る先輩は眩しいほどの笑顔を浮かべている。
「性別と言えば。タイの性別を知っているか?」
露骨に話を逸らされた。露骨過ぎて寧ろ骨髄まで見えてしまいそうだ。断面図だ。
「あー、なんでしたっけ。おかまが多いって話でしたっけ」
「事はそう単純手話ではない。彼の国には性別が三つ以上ある」
先輩は親指、人差し指、中指を立てる。一、二、三。三?
「え? 男、女……ふたなり?」
「男、女」
ふむふむ。
「女性が好きな女性」
え。
「レズビアンですよね、それ。それが性別として認められているんですか?」
「そうだ」
おお。凄い国だ。同性愛を認めてる国は多いみたいだけど、流石に性別の自由を認めている国は少ないんじゃないだろうか。
「じゃあゲイも性別なんですかね」
「ゲイはまあ二つに分けることができる。男性が好きな男らしい男。男性が好きな女っぽい男」
「ん、えっと。つまりはゲイ?」
「違う。それぞれ違う性別だ。ゲイキング、ゲイクイーンという性別だ」
「は?」
「まだまだあるぞ。女性になりたい男性。女性・男性が好きな男性両方好きな男性。男装をした女性が好きな女性。男装をした女性が好きな女性が好きな女性」
「待って待って。待ってください。ちょっと待って」
「バイも男装女性もレズも男性もいける女性。男らしくも女っぽくも成れる男装をした女性。女性が好きな男装をした女性が好きな男装をした女性。女性もゲイもどちらも好きだけど女性になりたい男性だけは駄目な男性」
駄目だ。ゲイとレズと男装がゲシュタルト崩壊して来た。性別ってなんだっけ。男と女じゃ駄目なんだっけ。男が女を好きじゃダメなんだっけ。女が男を好きじゃダメなんだっけ。
いつの間にか先輩がいなくなっている。気付くと同時に、背後から誰かが僕の肩を叩く、振り向いた先には先輩がいて、僕の頬に人差し指が突き刺さった。
「まあこれは法律面での話ではないが、面白いだろう。こうしたことは言い出したら際限が無いということは分かったかい? 体の性別。心の性別。嗜好の性別。服装の性別。世の中は、人の心は、複雑怪奇。未知だからと否定するのではなく、心に余裕を持って受け入れた方が楽だ」
そう、か。
先輩の心はなぜかすっと心に馴染んだ。なんとなく感じていた同性愛者への拒否感が、もともと大したものじゃなかったけれども、どうでもいいように感じる。
「なんていうか、細かいことを気にしていた自分が恥ずかしいです。先輩は随分先進的で、柔軟な考えを持っているんですね。同性愛とか、そういうことに」
先輩は腰に手を当てて胸を張る。そして、嬉しそうに言った。
「ああ、私は同性愛は純粋に気持ち悪いと思うし何故滅ばないのかと不思議に思っている」
聞き間違いかな。いや、まあ先輩なら言っててもおかしくはない台詞なんだけど、なんか前後の話と全然整合性というか辻褄というか色々あってない気がする。気のせいか?
「恐らく同性愛は遺伝じゃないのだろう。していたら世の中伊弉諾尊やマリア様だらけだ。何故一向に減る気配がないのやら。しかも声が大きい。なんだQって。なんだIって。なんだAって。だから何だと云うんだ。お前らは何を求めているんだ。ちょっと変わっているだけ? 違う。異常なんだ。異常なのが悪いことではないが、そこを否定するのは違うだろう。個性、個性、個性。その内獣姦や近親相姦や幼児性愛まで市民権を求めてきそうで想像するだけでげんなりする。弱腰玉無しとピンクウォッシャーばっかり蔓延って、もうどうしたら良いのやら」
うっわ。引く。さすがにその発言は引く。
僕が先輩に軽蔑の視線を向けていると、先輩は靴を拾って履きなおす。
「ああそうだ。私は差別主義者だ。存分に私を差別すると良い」
「いや、まあそんなことはしないですけど。性癖とか性別の話とか、色々面白かったですし」
「そうか。まあ暇潰しになったなら当初の目的は達成だ。ここは日本だ。現状性別は二つしかない。難しいことは考えなくて良い。――因みに」
先輩は僕に向かって両腕を広げて言った。
「私の性別はどちらだと思う?」
え。
…………どっちだ?
フィクションです。