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張り子の虎

張り子の虎とは、一見強そうに見えて実は見かけ倒しだった、という意味の言葉。

人数のうえでは圧倒的に幕府軍が勝っていたが、たかだか少人数の長州軍に幕府軍が敗れたことで、幕府軍は『張り子の虎』だといわれた。


実はこれと同じようなことが、鎌倉時代の末期にも起こっていた。


圧倒的大人数の鎌倉幕府軍を、楠木正成(くすのきの・まさしげ)の少人数の軍勢が撃破した、という戦いだ。


二度の倒幕計画失敗にもめげずに、後醍醐天皇は三度目の正直とばかりにまたもや倒幕計画を考える。


そして、楠木正成(くすのきの・まさしげ)に協力を要請する。


その楠木正成(くすのきの・まさしげ)の居城を、鎌倉幕府軍が包囲した。


笠置山の戦いと呼ばれる戦い、さらにその後の赤坂城の戦いと呼ばれる戦いにおいて、楠木軍は城に様々な仕掛けをして、鎌倉幕府軍を苦しめ、そしてついには鎌倉幕府軍に対して大勝利をおさめた。


それでもやはり、多勢に無勢、これ以上ここでの抵抗は困難とするや、自らの城に火を放ち、どうにか逃げ延びる。


しかしこれすらも、楠木正成の策略のうちだった。


協力する者も次第に増え、一方で鎌倉幕府軍はというと、仕方なく幕府側についていた者たちの寄せ集めであり、やがて楠木方に寝返る者たち、楠木方と事前に内通していた者たちなども多くいた。


楠木正成らは、こうして少人数で鎌倉幕府軍の大軍勢を撃ち破った。


これに対して、この戦いでボロ負けした鎌倉幕府軍は『張り子の虎』ということになり、やがてはこれをきっかけにして、足利尊氏の寝返り。


「楠木正成に鎌倉幕府軍が負けたのは、まさに鎌倉幕府軍がただ単に人数ばかり多いような、張り子の虎だったからだ。」


これをきっかけにして、鎌倉幕府は滅亡へと向かっていくことになる。


足利尊氏の軍勢が六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼし、さらに新田義貞の軍勢が鎌倉まで攻め登り、こうして1333年、鎌倉幕府はついに滅亡の時を迎えた。


その時の語呂合わせが、一味散々【1333】鎌倉幕府滅亡というものだ。


慶喜「このままいけば、いずれ徳川幕府もまた、この時の鎌倉幕府と同様に、一味散々という結果を招いてしまう。

だから、なんとしてでもそれを阻止するためには、この幕長戦争に勝利する以外にない。」


慶喜=松平時男の、幕長戦争の結果を本来の結果とは逆の結果にしてやろう、という決意は変わらなかった。


一方、吉田松陰ら長州軍は、このまま史実の通りに倒幕へと持っていこうとしていた。





京都の朝廷もまた、史実の通りに武力倒幕へと向かわせようとしていた。


岩倉具視「あの慶喜の雰囲気を見たか?

あの慶喜には別の誰かが帰依(きえ)していて、今の慶喜はその者の意思によって動かされている。

わしにはすぐに察しがついた。

わしはこう見えてもその手のことには詳しくてな。

幕長戦争の結果を逆のものにして、そこをきっかけにして、本来の歴史とは逆のものにしようとしておる者がいる、間違いないぞ。

そちらがそう来るなら、我らはそれを阻止し、本来向かうべき歴史の流れへと向かわせねばならぬ。ふふふ…。」



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