禁門の変の始まり~京料理に舌鼓(したつづみ)
長州藩は、着実に軍備を整えていた。西洋風の軍服を採用し、最新式の銃や大砲を購入していた。
銃も、火縄銃ではなく、最新式の引き金を引くだけで弾が出るライフル銃だ。
そして何より大砲だ。今までの旧式の丸型の砲弾よりも、西洋のロケット型の砲弾の方が、射程距離も、威力も、格段に違う。
長州藩を支援していたのは、イギリス公使パークスを派遣していたイギリス。
一方、幕府軍はというと、将軍後見職の徳川慶喜のもと、フランス公使のロッシュを招き入れ、幕府はこれにより、軍備の増強をはかり、西洋式の軍服や、ライフル銃、大砲、砲弾、さらにはガトリング砲まで入手していた。
そして両軍が初めて本格的に戦を交えたのが、この『禁門の変』という戦いだ。
慶喜「さあ、来い!長州軍!」
慶喜も息巻いていた。
そして西暦1864年、この年には新撰組が池田屋を襲撃し、勤王の浪士たちを殺傷、なお、その中に桂小五郎こと後の木戸孝允がいたが、どうにか無事に逃げ延びたという。
この池田屋事件は演劇などでも題材となり、中でも新撰組の隊士が浪士を斬り、斬られた浪士が階段を転げ落ちる『階段落ち』は、後世の時代劇でもたびたび登場した。
同じ年の大事件、禁門の変の戦いに、まもなく入ろうとしていた。
慶喜「もっといろんなものを持ち込もうか。」
戦争開始の前に、現代からいろんなものを持ち込んでやろうという考えだ。
「慶喜様?これなる入れ物は?」
家臣たちの前でそれを披露する慶喜。
「これはペットボトルという、主に飲み物を入れる時に使用する入れ物だ。
戦場などでも持ち運びに便利だ。」
慶喜は幕府軍の間でペットボトルを普及させることを思い付く。もちろん長州軍の方はそんなことは知らない。
さらには非常食として食べられるレトルトパックや、乾パン、レトルトカレー、カップラーメンなども、幕府軍用の食料として用意した。
『ボ○カレー』『ク○レカレー』『日○カッ○ヌードル』『エース○ックスーパーカップ』などを、この幕末の時代にわざわざ持ち込んだ。
「おっと、これらの食料をどこから持ち込んでいるのかについては、企業秘密だ。」
やがて、もう間もなく長州軍が蛤御門の門前に進軍してくるという情報を聞き付ける。
慶喜率いる幕府軍、薩摩軍、会津軍、それぞれの旗がはためく。
戦争開始まで次第に時間が近くなってくる。
そんな中で、慶喜は岩倉具視や、睦仁親王こと、後の明治天皇、さらには近習として仕えていた、西園寺公望らと初めて顔を合わせる。
「岩倉である、そなたが将軍後見職の徳川慶喜殿か。
うーむ、なるほどな。
あいわかった、既に京都守護職の松平慶永からも、話は聞いておる。」
あれや、これやと話は出るが、ここで食事に関する話。
慶喜は水戸出身、水戸といえば水戸納豆が名物だが、京都の公家たちの味覚には合わないようだ。
逆に慶喜にとっては、ここで出された京料理は、いまいち味覚に合わないというか、食べ慣れない味付けだった。
「これは関東の方では食したことが無い味覚だな。」
「まあまあ、慶喜殿、ごゆるりと、お召し上がりくだされ。」
後に敵味方に分かれて戦うことになる、岩倉具視と徳川慶喜だが、この時は京料理に舌鼓を打っていた。
岩倉をはじめ、京都の公家たちがおいしそうに食べていたのを見ていた慶喜だったが、慶喜にとっては、やはり食べ慣れないような味付けだ。
なにしろ、山一つ、川一つ越えると食文化が違うというくらい、日本は多様な食文化なのだから、その穴埋めをするのは、大変なことだ。
そうこうしているうちに、戦はもうジャカスカ始まっていたではないか。
おいおい、砲弾が飛び交っているのに、のんきに京料理に舌鼓を打ってて大丈夫なのかよ。
慶喜「なに、大丈夫だ。腹が減っては戦はできぬというからのう。」
慶喜は大見得を切った。
慶喜「さあ、腹ごしらえも済ませたことだし、出陣といくか。」
しかしよくよく考えてみると、禁門の変では幕府、朝廷、薩摩、会津が協力して長州軍を撃退したというのに、それからまもなく、朝廷と、薩摩、長州が手を組んで幕府や会津は孤立していくことになっていくというのは、いったいなぜ、ということだが、できますれば、これらの立場の違いを越えて、国づくりを進めていくために、幕府も、朝廷も、薩摩、長州、会津、その他の藩も、皆で手を取り合う、というシナリオも、もしかしたらあったかもしれないというに…。
ドーン!ドーン!
まず、長州軍が大砲を撃つ。
その大砲の轟音を聞いたことによって、睦仁親王=後の明治天皇は、思わず失神してしまったという。
「親王!睦仁親王!しっかりなされませ!」
近習の者が起こそうとするが、気を失ったままだ。
やがて戦況は、幕府軍の銃剣部隊と、長州軍の抜刀隊による白兵戦へと移る。
幕府軍の兵たちは銃剣の先についた刃で、長州軍の兵たちを突き刺す。
そこになぜか慶喜がいた。慶喜自ら、攻め寄せる長州軍を相手に、刀を交えていた。
慶喜「よし、これを使うぞ。」
慶喜が取り出したのは、拳銃だ。
ダーン!
「ぐあっ!」
長州軍の兵を次々と撃ち抜いていく慶喜。
頭は髷のまま、西洋風の軍服姿で、拳銃で敵兵を撃ち抜く、徳川慶喜の姿が、そこにはあった。