火縄銃競技会
慶喜は久々に水戸に帰ってきていた。
もしも、欧米列強と本当に武器を使って戦ったら、どんなことになるか、今の我が国の軍事力がどの程度のものかを確かめるため、慶喜はあることを思い付いた。
火縄銃が伝わったのは、戦国時代のこと。それから約250年余り、火縄銃は実戦で使用されることはほとんど無かった。
だから、久々に火縄銃を扱った、競技大会を開催しようと思い付いた。
火縄銃で射的競技!
円形の的めがけて、狙いを定めて火縄銃を撃つ。
より真ん中に近いところに命中するほど、高得点となる。
真ん中から遠いところから、1点、2点、3点、5点、そしてど真ん中を見事に撃ち抜いたら10点、というルールだ。
最も多く点数を稼いだ競技者、あるいはチームの勝利となる。
慶喜「よし!さっそく武器庫にある火縄銃を、ここに持ってこい!」
そして武器庫の火縄銃を持ってこさせる。
藩士「慶喜様、慶喜様が自ら運ばれるのですか?」
慶喜「心配いたすな、このくらいは軽いもの。」
そして水戸の藩士たちを面前に集める。
慶喜「みなのもの!よくぞ集まった!
これより『火縄銃競技会』の詳細について説明するゆえ、よく聞くように!」
慶喜に帰依している松平時男の発案で、さも慶喜の意思で慶喜が説明しているように、うまく話を持っていった。
時男=慶喜は、自分でもこのセリフ、決まった、と感じていた。
藩士「火縄銃競技会!?」
と、その前に、
慶喜「もしも我が国と、外国とが戦になった時に、鉄砲の使い方を覚えておかねばならぬと思うてな。
そのために火縄銃を用意した。」
時男=慶喜は経緯を説明する。
藩士「鉄砲などいりませぬ!
刀こそ武士の命!
この刀で、外国人どもをたたっ斬るのみにございます!」
時男=慶喜は、この藩士の反論に対し、
慶喜「では聞くが、鉄砲を向けられてもか?
銃口を向けられたら、向けられた方はヘビに睨まれたカエルも同然。
刀を持って相手に向かっていく間に、急所に一発銃弾を撃たれたら、一発でおだぶつじゃ。」
もはや刀剣で戦をする時世ではなくなっていた。
西洋の国では、鉄砲や大砲で戦をするのが当たり前になっていたからだ。
イギリス、フランス連合軍がロシアと戦ったクリミア戦争などは、典型的な例だった。
そして慶喜は自ら火縄銃を手に持ち、そして構えた。
なお、この時に時男=慶喜に反論した藩士の名前は、八木壱郎太という名前だ。
八木壱郎太「慶喜様が、まさか自ら火縄銃を撃ってみせるなどと…。」
そして!
ダーン!
弾は的に命中。見事に的の真ん中近くを撃ち抜いた。
八木壱郎太「いやいや、お見事にございます!慶喜様!」
それを見ていたのは、藩士たちだけでなく、腰元たちや、さらには御台所の美賀子も、その様子を見ていた。
美賀子「慶喜様!あっぱれにございます!」
一同、拍手喝采。
この時既に、西暦1861年、元号では万延2年、その途中で文久元年に変わる。
大政奉還まで、あと6年となっていた…。




