第3話 慶喜のこれまでの歩みを振り返る(1) 転生者~生誕の時
慶喜は横浜から、いったんは東京の別邸に帰ったものの、そこからまた馬車や人力車を乗り継いで、静岡の駿府へと向かった。
ここが慶喜が蟄居しているところになる。
鉄道は当時、新橋から横浜までしか通っていなかったため、移動手段はもっぱら、徒歩か、馬車か、人力車といったところになる。
そしてようやく、駿府の蟄居先の屋敷に到着する。
「慶喜様、お帰りなさいませ。」
将軍を辞めた後はここを拠点に、趣味で絵を書いたり、写真を撮影したり、時には鷹狩りに行ったりして、気ままに過ごしている。
そして、日も暮れて夜になった。
今夜の食事は、米飯と味噌汁、焼き魚とお新香。
「ここに帰ってくると、和食の献立を食べられる。
近頃はどこもかしこも、西洋かぶれになりつつあるからのう。」
箸の使い方なら手慣れているが、やはり、ナイフとフォーク、スプーンの扱い方は、まだまだ慣れない。
そして食事を終えた慶喜は、ゆっくりくつろいでいた。
すると突然、意識が朦朧としてきた。
「な、なんだ…?」
そしてそのまま倒れ込み、意識を失ってしまう。
「慶喜様!しっかり!慶喜様!
誰か!誰か!慶喜様が!」
家臣たちの声が響き渡る中、慶喜は意識を取り戻さないまま、眠っているような状態になった。
そして、再び目を覚ました慶喜は、なんと赤ん坊の姿になっていた。
「ここはどこだ…?そして、いったいいつの時期なんだ…?」
そこに現れたのは、どこかで見覚えのある顔だった。
この顔をどこかで見たことがあると思ったが、思い出せない。
「もしや…。」
それは紛れもなく、我が父、斉昭だと慶喜は思った。
間違いない、斉昭だ。
そして日付は、天保8年、西暦では1837年、そうだ、慶喜が生まれた年だ。
「おお!ようやく生まれたか。
なんと元気のいい男の子なんだ。」
「あなた、それよりもお名前の方を考えなければ…。」
「おお、そうだな。この子の名前は、松平七郎麻呂と名付けようぞ。」
松平七郎麻呂、確かにこの名前が、慶喜の幼名だった。
ちなみに慶喜は斉昭の七男として生まれた。
この時代は基本的に殿様の跡取りは嫡男となる長男が継ぐはずだったのが、なぜ七男である慶喜=七郎麻呂が継ぐことになったのか。
水戸藩の方針では、たとえ下の兄弟でも素質があれば、跡を継げるとか、そういう考えだったのだろうかと、後世になってからも思っていた慶喜。
斉昭の教育方針では、江戸の華美な風俗に染まらないようにとのことで、間もなく水戸で教育を受けることになった慶喜=七郎麻呂だった。