なんでまたこんなことに
私は徳川慶喜。そもそも、なぜ今再び、幕末の動乱を生きている…。
江戸無血開城の後、静岡に転封され、幕府の将軍の職務、重責からこれでやっと解放されたと思っていた。
これでやっと気ままに、茶畑でお茶の葉でも栽培しながら、
趣味の絵画や、写真撮影にいそしみながら、
時には西洋の料理もいただきながら、
時には西洋で盛んなスポーツなども観戦したり、実際に自らもプレイしたり、
そんな、将軍の時には決して味わうことのなかった、気ままな隠居ライフを過ごせると思っていたのに…。
そうだ、あの松平時男という者が、私の体の中に帰依してきてからだ。
松平時男よ、日本国の初代大統領になりたいという野望は、もしかしたら私ではなく、お前の野望だったのではないのか?
松平時男「はあ?今さら何を言ってるんだよ、慶喜さんよ。
俺だって、幕末に来たと思ったら、どういうわけか、こともあろうに15代将軍だったという話だよ。」
それにしても、まさかまたもや、あの幕末の動乱の時代を見届けていかねばならぬとは…。
なんでまた、官軍と戦をすることになるのだー!
もともと、将軍にもなりたくてなったわけでもなく、他になり手がいなくなっていたからだよ。
第二次長州征伐で惨敗を喫して、イギリス公使のパークスなどは、もう早々と幕府を見限るつもりでいたようだ。
この敗戦で事実上、幕府の権威は全く無くなってしまった。
いわばその『ダシガラ』状態の幕府を、この慶喜に押しつけたというわけだ。
そんな『ダシガラ』状態で、もうどうにもならなくなっていた幕府を、どうにかする方法といえば、ただ一つ、政権を朝廷に返上し、いったん退いてから、然るべき後に再び復権の機会を狙う、ということだった。
それが『大政奉還』というものだった。
どのみち幕府は潰れることになっていたから、いったんその幕府という組織を清算して、そこからまた、再起を図るための策を講じることを考えていた。
それが、日本国初の大統領、という流れにつながっていった。
旧幕府の存続、維持でもなく、かといって新政府の体制を鵜呑みにするのでもなく、それらとは全く異なる体制を模索していく、そして賛同者を募り、共に日本の新体制を築いていく。
大統領制でも、新徳川幕府でも、あるいは徳川王朝でも、何でもよかったのだが、
ただ、偽物の錦の御旗を掲げ、我こそは官軍である、といった感じで、大きな面をしている、薩摩、長州、それと黒幕の、公家連中。
とにかく、勝てば官軍という言葉は、まさにこの官軍から来ている。
官軍なら何をやってもいい、旧幕府軍を全滅させるまで追い込む、
そんな官軍が、後の明治新政府となり、
その明治新政府の教育方針が、後の大日本帝国憲法や、教育勅語へとつながり、
やがては鬼畜米英の名のもとに、大東亜戦争に突入し、
その挙げ句に、戦病死者の数、約310万人を出し、とりわけ、将来有望な多くの若者らの命を奪い、
そして悲惨な敗戦を迎え、日本はついに米国の占領下に置かれることになってしまった。
松平時男「それはその通りだな。だけどな、そもそも幕末くらいの人間が、その約70年~80年後の太平洋戦争のまさに戦争中の時代まで、生きていられたとは思えない。
たとえ生きていたとしてもヨボヨボの爺さん婆さんになっていて、求心力も何もないだろう。」
これは、全てつながっているのだ。だから、もしも、この時の幕末の動乱、戊辰戦争が史実とは逆の結果になっていたら、ということを言いたかったのだ。
少なくとも、松平時男はそう言いたかったようだ。
松平時男「戊辰戦争で、幕府軍や、奥羽越諸藩連合とかが勝っていたら、それこそ薩摩長州土佐肥前なんて、徳川新政府の属領にされて、鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県は、そのまま徳川新政府の属領という扱いにされていたかもな。
まあ、結局は戦争に勝利した方の都合のいいようになるんだ。」
この慶喜も、最初は乗り気ではなかったが、だんだんと、薩長軍と公家連中への怒りがこみ上げてきた。
奴らはろくにこちらの話を聞かず、はなっから、武力倒幕ありき、という態度だった。
旧幕府軍を全滅させるまで、戦いを続ける所存だったようだ。
そんな中で、江戸無血開城の交渉にあたったのが、西郷隆盛と勝海舟だった。
その結果、江戸は戦場にはならず、この慶喜も、命を救われた。
それで、その後は平和に気楽に隠居ライフを楽しもうと考えていたのに、なんでまた、幕府軍と薩長軍が鉄砲や大砲を撃ち合わねばならないのだ。
慶喜「やつらは長岡では河井継之助を殺し、
会津若松では、まだ16~17の白虎隊の少年たちをも自害に追いやったばかりか、かの地にて残虐非道の限りを尽くした。」
松平時男「しかし、戦争ともなれば、そうなってしまうんじゃないか。」
慶喜「戦争というのは、刀、槍、弓矢で戦うのも、鉄砲、大砲で戦うのも、使用する武器が違うだけで、本質的には変わらないと思うのだが。」
松平時男「いい方法がある。異文化交流だよ。
戦争になるのは、互いの文化を知らない、理解しないからだともいう。
だから、異文化交流として、音楽や美術などの芸術から、衣服の違い、西洋風の建築の技術、食文化の違い、写真技術、それから乗り物の技術など、それから、スポーツというものも、広めていきましょうか。
てか、そういう展開に持っていくのも悪くないかもしれませんね。
ただ鉄砲や大砲を撃ち合うだけというよりも、案外面白くなるんじゃないか。」
気がつくと、松平時男がしゃべっているのか、慶喜がしゃべっているのか、よくわからないような状況となっていた。
松平時男「あと、これは俺の得意分野なんだけど、最新兵器、ミリタリーを使うという手もありますよ。」




