なんと下された沙汰は、寄せ場送り!
慶喜は、関鉄之介らに対していよいよ沙汰を下すことになった。
「関鉄之介か!久しいのう。しかしまさかこのような形で顔を合わせるとはな…。」
今度は奉行所の白州のようなところだ。
「これは…!慶喜様、慶喜様ではございませぬか!」
関鉄之介以下浪士たちは、慶喜の顔を一目見るなり、感慨にひたる。
「慶喜様、我々は、斉昭様や、慶喜様を追放した井伊掃部頭を、許すことはできなかったのでございます。
それゆえ、井伊の行列が桜田門外を通るということを調べあげ、そしてあの日、決行に至ったのでございます。」
関鉄之介は涙ながらに語る。他の者たちも、涙ぐむ者もいた。
「ですが、井伊掃部頭を、まさに討ち取ろうとした時に、一発の銃声が聞こえたのであります!
おそらくは、長州か、薩摩か、いずれかによって差し向けられた、銃の腕の立つ刺客ではないかと。
銃の扱いに手慣れた者、そしてその銃もまた、これまでのものよりも性能の優れたものかと存じます。
実際に井伊を殺害したのは、あの銃弾を撃った者にございます!」
「わかった、もうよい、この慶喜、そなたたちの言葉を信じようぞ。」
『慶喜』=『現代人松平時男』=『俺』は、ひとまず関鉄之介のその言葉を信じることにした。
というのも、最近になって、とある歴史学者の方からそのような新説が出てきたというのを聞いたからだ。
おそらくは、安政の大獄で処刑された吉田松蔭を慕っていた長州藩の回し者か…。
また、佐幕派を中心に、吉田松蔭や西郷隆盛らをテロリストなどと扱う動きも見せている。
佐幕派は熱心な幕府側の味方であるため、逆に維新の志士たちに教えを説いた吉田松蔭などを、幕府に仇なした悪い敵だとみなすような考えだ。
その佐幕派によって、幕府側の総大将、幕府側の大ボスとして祭り上げられることになったのが、徳川慶喜だ。
つまり、徳川慶喜=現代人松平時男=俺は、まさに幕府側の総大将になるわけだ。
その話はおいといて、いよいよ沙汰を下す時。
「関鉄之介以下、浪士たちは、寄せ場送りとする!」
「寄せ場送り!?」
『寄せ場』とは、今でいう刑務所のようなところで、やはり刑務所の懲役刑と同様に、強制労働させられる。
「ということで、寄せ場にて、働いてもらおう。」
基本的に俺は、人に使われることが嫌いで、だから引きこもりニートになり、その挙げ句に、住所不定無職にまで成り下がり、ネットカフェで寝泊まりする日々を送っていた。
人に使われるのは嫌いだが、逆の立場になって、人を使う方の人間になると、こんなにも爽快感があるものなのか。
だから、俺は人に使われる人間よりも、人を使う方の人間に、なってみたかったんだ!
この物語を書いている作者が書いている小説には、皇帝とか、将軍とか、独裁者とか、あるいは影のフィクサーみたいな、そういう人物たちがよく登場してくるが、それは作者自身が、現実には叶えられない欲望として、誰よりも偉い立場の人物になりたいからだと、かくいう松平時男=俺もそう思った。
誰よりも偉い立場の人物になれば、なんでもかんでも、自分のツルの一声というやつで、何でも思い通りになる。
周りの人達は、自分が一言指示を出せば、何でも自分の出した指示の通りに動いて、自分の思った通りに行動してくれて、自分の思い描いた通りの結果を出してくれる。
その爽快感たるや、日常では、この現実の立場では、絶対に味わえない。
なぜ、それがわからないのか、わかろうとしないのか、と逆に尋ねたくなるそうだ。
これはこの物語を書いている作者と名乗る人物からの、個人的な考えなのだが、なぜか松平時男=俺は、この考え方に共鳴しているのだ。
さて、ごたくはここまでにして、寄せ場に送られた関鉄之介たちに何をやらせるのかというと、実は工芸品や、美術品などを制作させる予定でいる。
これらは外国に輸出して、藩や国の財政に役立てる、というのが俺=松平時男=慶喜の狙いだった。
西洋人にも、日本のことをわかってもらわないとな…。
そうでなければ、日本は西洋になめられて、ばかにされてしまう。
それに対する、このような形でのささやかな抵抗だった。
なお、この寄せ場は明治以降もそのまま刑務所として使用されることになっていった。
これが刑務作業というものの始まりになった、という運びになる。




