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井伊直弼との出会い

肩書き

幕府大老

名前

井伊直弼

読み方

いい・なおすけ




井伊直弼(いい・なおすけ)

元々は彦根藩主の譜代(ふだい)大名であり、兄たちが次々と他界したため、井伊家の家督(かとく)を継いだという。


井伊家というのは、あの有名な女城主、井伊直虎(いい・なおとら)が養子とした井伊直政(いい・なおまさ)を祖とする。


そしてこの時、幕府の大老に就任したのが、この直弼(なおすけ)という人物だ。


味方にすれば心強いが、ここは次期将軍をどちらにするかを争う敵として登場。


そして2人は顔を合わせた。


井伊直弼「そなたが一橋慶喜殿か。ふーむ、なるほどな。」


慶喜「さよう、それがしが一橋慶喜だが、何か?」


次期将軍を巡る議論は紛糾していた。

その紛糾した議論を、それがし、慶喜(よしのぶ)と、向かい側にいた慶福(よしとみ)とは、あくびをしながら、ただ聞いていた。

お互いにワーワー言っているだけで、何言ってるのかわからない。


「このままではらちがあかない。

ここはひとつ、井伊大老のご意見を。」


結局井伊大老の独断で、慶福(よしとみ)を推す一派に推しきられてしまうことに。


これは結局史実通りの結果になったが、内心ほっとしていたのかもしれない。


なぜなら、将軍になるということは、それだけ責任を背負うことになるから。


それに、今やこんな落ち目の幕府の将軍になったところで、それが何になるというのか。


将軍なんてお飾りで、幕府の実権を握って政治を行って、実際に幕府を動かしてきたのは、


古くは柳沢吉保(やなぎさわ・よしやす)や、間部詮房(まなべ・あきふさ)といった側用人たち。


あとは、田沼意次(たぬま・おきつぐ)や、松平定信(まつだいら・さだのぶ)水野忠邦(みずの・ただくに)といった老中たち。


はっきりいって、徳川将軍15代といっても、それこそ人物としての評価は凡庸以下、徳川将軍という肩書きが無ければ何も残らないような者なども、中にはいたようだ。


しかし慶喜を推していた一派の怒りはおさまらなかった。


慶喜派のある者が言った。


「今や将軍など名ばかりで、幕府の実権は長らく、側用人や老中、大老といった幕閣の者たちが握ってきた。

将軍はいわば、お飾りのようなものだった。

外国の脅威が迫るこのような時こそ、実行力のある将軍が必要なのに、

だからこそ、慶喜(よしのぶ)様を次期将軍に推したというに。

慶福(よしとみ)様はまだ幼少。それこそお飾りではないか!

慶福(よしとみ)様の後見人となるであろう、井伊大老が実権を掌握(しょうあく)するに決まっておるではないか!」


井伊大老、つまり井伊直弼(いい・なおすけ)とは、それほどの人物なのか。


しかし残念なことは、能力はどんなに優れていても、考え方の違いがあれば、むしろ足かせというもの。


が、この一件がきっかけとなり、老中、堀田正睦(ほった・まさよし)は老中を辞めさせられる。


慶喜「堀田殿。これはやはり、井伊が実権を握るため、己れの思うがままに幕政を動かさんがために、堀田殿を追放したのであるか?」


堀田「すまない、慶喜殿。我らも精一杯やったつもりでおったが、このような結果になってしまった。」


堀田は水戸徳川家の藩政にも理解を示してくれていたが、この時既に病におかされていた。


老中などの幕閣や、また奉行などの要職の仕事ははたから見ているほど楽なものではなく、むしろ激務であり、そのため体をこわしてしまうこともあった。


堀田「ごほっ…!」


慶喜「堀田殿…。」


堀田は血を吐いた。


堀田「慶喜殿、私はこのとおり、もう長くはない、この先の幕府の行く末は、見届けられぬことであろう…。

頼む、慶喜殿。この先の幕府の行く末は、この国の行く末は、そなたにこそ託したい…。」


慶喜「堀田殿…。」


それからまもなく、老中、堀田は、逝去した。


それと同じ頃、薩摩藩主の島津斉彬(しまづ・なりあきら)も、薩摩に戻った後に逝去。


島津家は島津久光(しまづ・ひさみつ)が後を継いだ…。


堀田正睦も島津斉彬も相次いで亡くなり、井伊が幕府の実権を掌握(しょうあく)しようとしていた頃だった。


水戸藩士「このままでは幕府は、井伊の独壇場(どくだんじょう)だぞ。

今や井伊に対抗できる幕閣はいない。

とすれば、井伊を殺して実権を取り戻すより他ない。」


水戸藩士たちは早くも、井伊直弼を暗殺することを画策していた。


慶喜自身は実はそれほど将軍職への意欲はなかった。

特に将軍になって何かしようという考えも、実はそれほど持ち合わせてはいなかった。

ただ、本人よりも周囲の方が持ち上げるのに熱心で、周囲の期待に推される形で、結果的に15代将軍となった、と考えていたのは、慶喜に帰依していた松平時男。


松平時男「このまま慶喜として生きていくことにはなるが、実際慶喜自身は、ただ事の成り行きを見届けていたというだけだ。

ただ見ていただけ。やり過ごしていただけ。

当事者となる者たち以外にとっては、この幕末の動乱というのも、自分が直接実害を(こうむ)ることにでもならない限りは、直接は関係ないのだからな。」



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