表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第三章 バルダット帝国編
96/217

蝙蝠。

 ――砂の国サシャマ。


「チッ。囲まれたか」

「……逃げるにも、どっちへ行けばいいのやら、ですね。感知スキルも真面に機能しない中、安全な方角なんて分かりゃしません」

「天候最悪。視界最悪。そんな中での、この群れ。あと一日もあれば砂漠を抜けたっつーのに、……はは、ついてないっすね」


 数メートル先も見えない様な、激しい砂嵐が吹き荒れる中。

 冒険者風の服に身を包んだ三人の男が、騎竜に跨りながら剣を持ち、息を乱していた。

 砂の侵入を防ぐために巻かれた口元の布と、深く被られたフードとの隙間から覗かせるその瞳は、どれもが苦しそうに歪められていた。

 つい先程までは快晴が続いていたというのに、慣れない環境というのは実に恐ろしいものである。


「クソが。……絶対に諦めるんじゃねぇぞ、お前ら。活路はある。……いや、必ず作る。この俺が。だからお前らは、常に気を張り、その瞬間を逃すな」

「「はっ!!」」


 緊張と殺気とで細められた瞳は、周囲の砂塵に浮かび上がる、数多の影と影とを捉え続ける。

 それらは明らかに人の形を成しておらず、彼らの足元に転がる十数体の異形の生き物達と同じ存在。

 魔族に従属し、人に害為す醜き生き物。――魔物である。

 

「――来るぞ」


 リーダー格らしき男がそう言葉を発した瞬間、砂塵の中から数体の魔物が飛び出してきた。

 それに便乗して、様子見に留まっていた魔物も何体か、数秒遅れて後に続く。


「はぁあっ!!」


 男達は次々に魔物達を一刀両断していくが、後から後から飛び出してくる魔物の数に限りはなく。

 多勢に無勢。

 時間の経過とともに、体力ばかりが削られていく。


「はあっ、はあっ、……うぐっ。……どう、しますか、隊長」


 休みなく繰り広げられた戦闘が、一時間程経過した頃。

 次々と切り伏せられていく同胞の様子に、漸く魔物達が怯み始めた頃。

 気の休まらない、僅かばかりのインターバルが訪れた。


「……これだけ殺しても、はあっ、まだまだいますね。それどころか騒ぎに反応して、はあっ、はあっ、……どんどん集まって来てますよ。……本当、ついてないっす」

「天候の回復も、なし。……これ以上は限界か」


 隊長と呼ばれる男は、一度大きく息を吐いた後、騎竜から降りた。

 それから、「一緒に戦ってくれて、ありがとな」と、魔物の血で濡れた騎竜の鼻先を優しく撫でた。


「隊長……?何をされるおつもりで?」


 それでは逃げるにも逃げられなくなりますよと、部下の一人が戸惑い気味に声を掛けた。


「……お前ら。さっき言った事を、もう一度言う。……俺が作る活路を、その一瞬を、絶対に逃すんじゃねぇぞ」

「な、何を言ってるんすか」


 悪い予感に声を震わせる部下達の言葉を聞き流し、隊長は残る全ての力を剣へと込めて身構えた。

 そして、砂塵の奥、一点のみに意識を集中させると――。


「はああぁぁぁぁあああああああっっっ!!!」


 縦に、一振り。

 されどその一振りは、凄まじい風圧と共に衝撃波を生み、彼の前方に立っていた魔物達を次々と両断していく。


「行っけぇぇぇええええええっっ!!!」

「「っ!!」」


 隊長は自身の乗って来た騎竜の背を叩き、走らせる。

 騎竜が駆ける先は、目の前に出来た百数十メートルにも及ぶ道。

 数秒もすれば、再び魔物によって埋め尽くされるであろう。

 この好機を逃せば、恐らく、次はない。

 待っているのは、皆仲良く揃っての、死のみである。


「くっ!!」


 部下達は歯を噛み締めながら、隊長の掛け声に合わせて騎竜を全速力で走らせた。

 隊長の死よりも、この場で避けるべきは部隊の全滅。

 そうなってしまっては、この状況を他の部隊に知らせる者がいなくなってしまう。

 

「……っ、隊長!!!誰か、助けを呼んできますからっ!!だから、必ず、……生きていて下さいっ!!」


 地に膝を付ける隊長へと振り返り、大声で叫ぶ。

 道が魔物によって徐々に塞がれ始める中、隊長は、僅かな笑みを目元に浮かべながら、力なく手を振って応えてくれた。

 そしてその姿を最後に、後続の道は完全に閉ざされる。

 部下達は悲痛な顔で唇を噛み締めると、滲んだ涙を乱暴に拭った。


「……っ!!急ぐぞっ!!」

「っ、はい!当然ッすよ、先輩!!」


 先行する隊長の騎竜に続き、塞がり始めた道を急ぐ。

 最後の方は、魔物を斬り伏せながらのギリギリの状態であった。

 何とか魔物の群れを抜けた事に安堵の吐息を零しつつ、後ろを見遣る。

 そこに広がるは、もはや人間が生存出来るとは思えない、魔物の巣窟。


「……っ」

「急ぎましょう、先輩」

「ああ……っ!」


 ここから一番近い村までは、どんなに急いでも2時間はかかる。

 ……いや、そもそもの話。例え間に合ったとしても、あの数の魔物を討伐できる程の戦力を、村レベルの集落が有している筈がない。

 故に、彼らがどれだけ急いだところで、もう間に合わない。助けられない。

 そんな事、彼らには分かっていた。

 けれど、もしかしたら……。

 諦観しながらも、僅かに沸き起こる希望。

 大砂嵐の被災状況を確認しに、国から派遣された多くの兵士が村に駐屯している可能性。

 砂嵐で村に大勢の冒険者達が足止めを喰らっている可能性。

 ……あるかもしれない。

 なぜなら今は、大砂嵐が止んでまだ日が浅く、人の出入りが活発になっている時期。

 そんな残酷とも言える希望が、「急げ急げ」と、「間に合わなくなるぞ」と、彼らの心を焦らせた。

 例え人を呼べても、村からこの地点までの往復4時間、隊長が生き残っていられる可能性など万に一つもないのだが、僅かな希望が、時間という現実を脳内の隅へと追いやった。

 ただ、“急げ”と。

 そんな曖昧な時間間隔だけを、希望が、彼らの脳内を満たしていった。

 ――だからだろう。

 その焦りが、その希望が、彼らが払うべき注意を疎かにさせた。


「先輩っ!!!」

「……は?」


 希望はいつだって、絶望を生み出す。

 砂塵の中から現れた巨大な魔物の姿に、彼らは目を瞠った。


「ト、トロール、だと……」

「……しかも、変異種ですね、これ。普通、砂漠にトロールなんていませんよ」


 目の前に立ち塞がる、巨大な棍棒を持った巨人の魔物。

 身長は、およそ4メートルといったところか。

 脂肪に覆われた肥えた体型に、大きな鼻と耳。

 分厚い唇からは、止めどなく涎が垂れ流され、その醜さを強調していた。

 ――そこまでは、普通のトロールと同じである。

 だが、今目の前にいるこれは、変異種。

 トロールの厄介なところは、その巨大な体躯と怪力と、……驚異的な治癒力。

 倒す為には、急所を狙うより他にない。

 脂肪は非常に分厚く、並みの剣技では届かせることは困難だろうが、熟練の戦士であれば可能だろう。

 身を守る様に蓄えられた柔らかな贅肉が、皮肉にもトロールの弱点となっていた。

 ……けれど、厳しい砂漠の環境に適応すべく進化したこのトロールは、正に別物。

 熱い日差しに対応すべく、その脂肪は、岩の様に固い表皮で覆われていた。

 

「……」

「……」


 息を呑み、トロールの一挙手一投足に全意識を集中させる。

 唯でさえトロールは、危険レベルがB級の魔物。

 それはつまり、B級の冒険者が決死の覚悟で挑んで漸く倒しきれるかという危険度を示す。

 故に、そのリスクを減らす為、B級の冒険者2人以上での討伐が常となる。

 けれどこのトロール。……恐らくはA級クラス。

 彼らは冒険者ではない為、冒険者のランク基準で強さを測る事は出来ないが、それでもA級に満たないであろう事は確かであった。

 例えここに隊長がいたとしても、討伐は絶望的であろう。

 

「はは……、本当、ついてないっす」

「……二手に、分かれるぞ。それしか、生き残る術がない。隊長の作った活路、無駄には出来ない」

「――ですね」


 横目で視線を交わし合い、小さく頷く。

 二手に分かれた場合、どちらかは死ぬ事になるだろう。

 けれど、どちらか一方の生存確率は跳ね上がる。


「出来れば、先輩の方へ行って欲しいっすね」

「それ、フラグっていうんだぜ?お前のとこに行くの、確定したな」

「マジっすか」


 視線はトロールへと向けながらも、最後の会話を交わす。精一杯の、冗談を交えて。

 そして、トロールの足が、一歩……踏み出された。


「散っ!!」


 その合図とともに、後輩の男は、隊長が乗っていた騎竜を連れて散開した。

 逃げようとする獲物を追おうと、トロールの足音のテンポが早くなったのを耳で感じ取る。

 けれどその足音は直ぐに止み、こちらに近付いて来る気配は無い。

 トロールは先輩の方へ行ったのだと、悟った。


「何のために、隊長の騎竜を連れて来たと思ってんだよ……」


 どちらかが死ぬ事は覚悟の上だったが、隊長の騎竜を連れている分、餌の数が多くなった自分の方が、襲われる確率は上であると思っていた。

 どちらが相手でも死ぬのなら、自分よりも強い先輩が生き残った方がいい。

 そう思っての、行動だった。


「な、にが、フラグですか……。ついてないっすね、先輩……」


 乾いた笑いを零しながら、唇を噛み締めながら、そっと後ろを振り返る。


「……!?」


 その光景に、彼は絶句し、目を見開く。

 そこで漸く、「二手に分かれる」と言った、先輩の本当の意図を理解した。


「な、にを、――何をしてるんですか、あんたはっっ!!」


 後ろを振り返り、見たもの。

 それは、先程の場所から一歩も動くことなく、騎竜から降りて剣を握る先輩の姿であった。


「――」


 こちらを横目で見遣り、瞳を細めて笑う先輩。

 最後に見た、隊長の顔が脳裏を過ぎった。


「チックショォォォオオオオッッ!!」


 分かっている。

 ここで止まっては、引き返しては、全てが無駄になってしまう。

 二手に分かれた時点で、先輩が死ぬ可能性も考えていた。覚悟していた。

 けれど、けれど――。


「……っ!!」


 寸でのところで、抑え込む。

 駄目だ駄目だ駄目だ。

 そう言い聞かせ、血が滲むほど爪を喰い込ませ、手綱を強く握りしめる。


「くっ、……レックス、団長」


 あの人なら、どうしただろうか。

 あの人がいれば、どうなっていただろうか。

 誰も死なずに、済んでいたのだろうか。

 ……己の無力さが、唯々憎らしかった。


『避けろぉぉおおおっ!!!』

「――っ!!?」


 そう考えていた刹那、砂嵐の雑音に混じって、先輩の怒鳴り声が耳に届いた。

 それと、ほぼ同時。

 ――体が、宙へと飛んだ。


「か、はっ……!?」


 何かが掠り、けれどその衝撃は凄まじく。

 騎竜共々吹っ飛ばされ、地面へと激しく打ち付けられた。


「な、にが……」


 折れてしまった腕を押さえながら上半身を起こし、素早く状況を確認する。

 数メートル先に、木の幹……いや、巨大な棍棒が転がっていた。

 後ろを振り返ると、砂塵越しに見えるトロールの影に、棍棒らしきものはない。


「どんだけ、怪力だよ。クソが……」


 あーあ。これは内臓もやられてんなぁ……。脚も一本。あと、肋も何本かいってるわぁ。

 血を吐きながら、ぼんやりと自身の身体の異常を把握する。

 それでも騎竜が無事なら、まだ活路はある。

 全身を走る痛みに耐えながらも立ち上がると、彼は足を引き摺りながら騎竜のもとへと歩み寄る。

 結果は、更なる絶望を目の当たりにするだけだった。

 ……騎竜の脚一本が、異常な方向に折れ曲がっていたのだ。

 四足歩行であれば何とか歩けたかもしれないが、騎竜は二足歩行。

 痛みで呻く騎竜の鼻先を撫でながら、これではもう、自分も駄目だと悟る。

 近くに転がる隊長の騎竜に至っては、意識が無かった。

 生きてるのかもしれないが、確かめる気力もない。

 絶望が、加速する。


「すい、ません。……隊長。先輩」


 これだけ犠牲にしても、駄目だった。

 全て、無駄だった。


「ほんと、ついてねぇ……」


 仰向けに寝転がり、魔物の群れの足音が徐々に近付いて来るのを感じ取る。

 この怪我では、碌に戦う事も出来ない。

 完全に、詰みである。

 けれど――。


「……え?」


 希望はいつだって、絶望の中でも生まれてくる。

 彼は、上半身を起こし、状況の劇的な変化に目を瞬かせた。

 砂塵越しに聞こえるは、魔物の断末魔。

 砂塵越しに見えるは、魔物が切り刻まれる影と影。

 何だ。何が起こっている?

 彼はゆっくり立ち上がると、剣を杖代わりに、魔物の群れの方へと引き返し始めた。


「――っ」


 そこで見たものは、……二匹の、蝙蝠。

 それが、圧倒的な強さで、魔物達を切り刻んでいた。

 攻撃を受けても再生し、蝙蝠が飛んだ進路には、魔物の肉片が転がり落ちる。

 先輩がいた方角を見遣れば、既に殺されて肉片と化したトロールと、黒いドーム状の防御壁の様なものが一つ。

 先輩の姿が見えない事から、恐らくはあのドームの中だろう。

 あれもまた、この蝙蝠の能力だろうか。


「こんな魔物、知らねぇぞ……」


 魔物の群れの脅威からは逃れられたが、次の相手は、この謎の蝙蝠。

 これだけの魔物の数を容易く葬るのだから、S級以上は確実だろう。

 どちらにせよ、終わった……。

 魔物が粗方殺され終わった頃、次は自分の番だろうと、覚悟を決める。

 けれど、蝙蝠はいつまで経っても襲ってこない。


「……ガッ!!?」


 気が逸れて、背後から迫る魔物の存在に、対処が遅れる。

 棍棒で殴られたような激しい痛みが頭に走ったかと思えば、衝撃と共に数メートル先まで吹っ飛ばされた。


「マ、マッド、プラント。……血の臭いに、寄ってきやがったか」


 人や魔物、血の通った生き物ならば何でも喰らう醜悪な魔物、マッドプラント。

 本来なら、大森林などの自然豊かな場所に生息している筈なのだが、極稀に、隣国フラントスからサシャマに迷い込んで来ることがある。

 危険レベルは――A級。

 先程のトロールといい、一体今日はどうなっていやがる。

 脳への衝撃で視界が揺れるのを感じながら、男は力なく吐息を吐いた。


「ほんと、……ついてねぇなぁ」


 その瞬間、自身の影から何かが飛び出した。

 そしてそれは、一瞬のうちに周囲の魔物を肉片へと変えていく。


「こう、もり……?」


 現れた黒い影の正体は、……一匹の蝙蝠。

 これは、何事だろうか。

 目に液体が流れ込んでくる不快感で片目を閉じる。そこで漸く、頭から血が出ている事に気が付いた。

 意識は朦朧とし出して、視界は霞む。

 あの蝙蝠は何なのだろうか。こちらに敵意はないのだろうか。

 そんな多くの疑問が、驚きと共に脳裏を過ぎる。

 けれど、それ以上に――。


「誰、だ……?」


 不意に、視界がマントの影に覆われる。

 倒れ伏す彼の目の前に、突如として現れた幼き子供。

 男の呼びかけに、子供は僅かに振り返ったが、その顔は仮面とフードとで隠されていた。

 子供は何も答えずに、てくてくと歩き出す。

 地中からは、マッドプラントの根が。地上からは、マッドプラントの蔦が。

 縦横無尽に踊り狂い、その場にある全ての命を無差別に喰らう。

 地に流れた血液さえも吸い尽くしてゆくのだから、マッドプラントの周囲には、死体も何も残らない。

 が、しかし。


「……死んどきなよ」


 鬱陶しそうに呟かれた、幼い声。

 その瞬間、子供の影から数十匹もの蝙蝠が一斉に羽ばたいて、その場に残っていた全ての魔物を一瞬で狩り尽くした。

 マッドプラントの腹が裂け、溜め込まれていた大量の血が撒き散らされる。


「お嬢、様……?」


 そこで何となくそんな言葉が飛び出して、彼の意識はそこで途切れた。

 砂嵐はいつの間にか収まって、熱い日差しが彼の肌を照り付けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ