小話 『プリン。』
――今日もいい天気だにゃあ。
ここは、カーティス領内にある第二私兵団駐屯所、その本拠地。
大きな砦のてっぺんで、リリスはのんきに胡坐を掻きながら空を見上げていた。
それから大きな欠伸を――。
「はにゃ!?ソフトクリームだにゃ!!」
急遽、動作を変更。
欠伸で開きかけた口から、驚きに染まった声が飛び出す。
少し前のめりになりながら、夏の空に浮かぶ大きな入道雲を見る。
「美味しそうだにゃ~♪」
楽しそうに耳と尻尾をふりふりと揺らしながら、「ふふん♪」笑う。
「お魚さんもいいけど、夏はやっぱり冷たいものよねー。お邸に行ったら、またアーちゃんにお願いしてみようかにゃ♪」
随分前に、カーティス邸で食べたソフトクリームの味を思い出しながら、リリスの上半身が左右に揺れた。
「ノラちゃんと一緒に食べたにゃあ♪ノラちゃんがイチゴのでー、リリスのはオレンジ!食べあいっこしてー、どっちも美味しかったにゃっ♪」
唇をペロリと舐めながら、入道雲を見つめ続けるリリス。
けれど少しして、嬉しそうに揺れていた尻尾は動きを止めると、寂し気に垂れ下がっていった。
「……また、一緒に食べたいにゃあ」
ポソリと、小さな声で呟いた。
領内警備という任務上、邸で行われるエレオノーラの誕生日会には出られないが、それでも毎年、日を改めて必ず祝いに行っていた。
贈り物は、拾った綺麗な石ころや鳥の羽なんかの、所謂ガラクタ。
リリスのその日の気分で、いいなと思った物が贈られる。
明らかに、公爵家の御令嬢には不釣り合いな品々。
捨てられてしまっても文句は言えまい。
けれどエレオノーラは、心底嬉しそうに瞳を輝かせ、「ありがとう!」と受け取るのだ。
もっと綺麗で可愛い物なんて、たくさん持っているだろうに。
それからエレオノーラはリリスの手を握って、砦に戻る時間になるまで一緒に遊ぶ。
去年は、訓練中の第一私兵団に(リリスが)イタズラをして、みんなで追いかけっこをした。
大笑いをしながら自身にしがみつくエレオノーラを片手で支え、リリスも大笑いをしながら走った。
背後には、(リリスに)怒り狂う私兵団達。
けれど最後には、みんな笑いながら肩で息をして、芝生の上に寝転んだ。
少しして、侍女達が運んできてくれた冷たい飲み物やらスイーツで一休み。
いつの間にやらセッティングされた大きなパーティーテーブルに、アイスティーやら茶菓子、軽食までもが置かれてゆく。
これはもしやと思っていると、アルバートにクレア、ロベルトまでやってきて、賑やかなお茶会の開始である。
「あの時は、楽しかったにゃ~」
「――リリスッ!!!」
「はにゃ!?」
物思いに耽っていると、突然大きな声が響いてリリスを現実へと引き戻した。
声の方を見遣ると、そこには第二私兵団団長ランドルフの姿が。
表情険しく、眼鏡を指で持ち上げながらリリスへと早歩きで近付いて来る。
「どうしたの?ランちゃん」
小首を傾げるリリス。
ランドルフの表情がますます険しいものへとなっていく。
「それを聞きますか、貴方。まさかとは思いますが、この事態に気付いていないなんて事、ないでしょうね?」
「にゃにゃ?」
「この!音が!聞こえていないなんて事、ないですよねぇ!?」
「音?」
首を更に傾げながら、リリスは耳をピコピコ揺らした。
聞こえて来るは、剣戟の音。魔物の声に、私兵団達の叫び声。
そこで、漸く思い出す。
「……あ!忘れてた!」
はたと目を瞬かせ、勢いよく立ち上がるリリス。
それから尻尾を触りながら、「そういえば今、魔族との戦闘中だったにゃ♪」と、リリスは呑気に毛繕いを始めた。
――事の発端は、数分前。
団員2人と階段遊びをしている時であった。
『ジャーンケーン、ポン♪……にゃは♪』
自身の開かれた手の平を見つめ、リリスは嬉しそうに尻尾を揺らす。
『あー!!また負けちまったよぅ!このままじゃ今晩のデザート、副団長に取られちまう!!プリンだったのによぅ!!』
『流石っすわ!!副団長、マジ流石っすわ!!』
悔しそうに頭を抱える、強面モヒカン団員達。
リリスは今晩のデザートが二つになることを想像し、口元を押さえて「にゅふふ」と笑った。
『ラ・ン・ちゃ・ん・の・パ・ジャ・マ・は・ハ・ァ・ト・が・ら♪……んにゃ!?……おーい!ジャンケン見えないから、言葉で言ってねぇ!!』
螺旋状に続く階段により、姿が隠れてしまったリリス。
このままではゲームが出来ない為、出した手を口頭で言う様にと指示を出す。
『了解っす!!よぉし、次は負けねぇぞぉ!ジャーンケーン、パァァアアアッッ!!!』
『パー♪』
『チョキ!!……よっしゃぁあ!!――だ・ん・ちょ・う・の・し・ふ・く・ちょ・う・だ・さ・い』
『くっそぉぉ!!次こそはぁぁ!!』
「――待ってください」
「んにゃ?」
回想中、ランドルフが待ったを掛けた。
「何ですか、その遊びは」
「階段遊び♪異世界人の遊びをちょっと変えてみた!段数が多いし、長い言葉の方が良いでしょ?」
「いやまぁ、それは分かりますが。……そのアレンジは誰が考えたんですか?って聞くのは、愚問ですかね」
「リリス♪」
「でしょうね」
もう何もかもを諦めたかのような感情のない表情で、ランドルフは大きく頷いた。
「サボってた訳じゃないよ?砦のてっぺんの見張り台まで行くのって、階段長いから退屈でしょ?だから、どうせなら楽しく行こうかなって♪」
「そうですか。魔族の侵入に気付くのが遅れた理由がよく分かりました。……ったく、この人手不足の時に、余計な手間を……」
見張り台が無人でなければ、こんな砦の近場まで侵入を許す筈がない。
リリス含む見張り番だった3名には、後でみっちり仕置きが必要だと心に決めた。
とりあえず、今晩のプリンは無しである。
「失敬だにゃあ。見張り台に居なくても、ちゃんと気配は察知してたよ?」
「……何故言わなかったのですか?」
「だってその方が面白いじゃん♪どうせ戦うんなら、近くまで来てもらおうと思って♪こっちから出迎えに行くのって、正直面倒臭いし♪」
「……」
ランドルフは頭を押さえると、項垂れる。
生活の場でもあるこの砦に何かあれば、洒落にならない。
……いや、それ以前の問題として、ここには邸と繋がる転移石が置かれている。
万が一、魔族に砦内へと侵入されようものなら、カーティス邸にまで危険が及ぶ可能性が出てくる。
そうならない為にも、敵に本拠地まで近付けさせることなどあってはならない。
そんな、当たり前すぎる常識を脳裏に過ぎらせなければならない事に、ランドルフは無性に虚しくなった。
「……兎に角、責任は取りなさい。砦内にまで侵入を許すようなことがあれば――」
「にゃ?」
「――今後、リリスのデザートもおやつも、……魚も、1年間無しとします」
「んにゃあ!?」
目を見開くリリス。
それから、わたわたと動揺に手を振り出すと、弁解を始めた。
「そ、それは、それはあんまりだにゃ!?リリスもちゃんと考えて行動したにゃ!?戦闘に向かおうと階段を降りる部下達と別れて、リリスがわざわざここに来たのも、距離的にこっちからの方が近かったからだし!?」
「ならば何故、まだここにいるのでしょう?」
「外に出たらお日様が気持ちよくって、つい忘れちゃったのにゃ♪」
「……幼児ですか貴方は?」
動揺から一変。
にゃはは、と笑い出すリリスに、ランドルフは眉間を揉み込む。
そして……、主戦力でもある2人がこうして呑気に話している間も、砦の周りでは部下達が死闘を繰り広げていたりする。
「さぁて!リリスの活躍、しっかり見ててよね!砦内になんて、リリスが許す訳ないでしょ♪いっぱいいっぱい殺してくるから、今日のプリンは3個にしてね♪」
3個どころか、0ですが?
士気に関わりそうなので、今は言わないが。
「じゃ、行って来るにゃ♪」
「――あ、ちょっと待ってください」
「にゃにゃ?」
端へと移動し、下に飛び降りようとしていたリリスを、寸でのところで引き止める。
今が緊急の事態だということは分かっているが、これだけはどうしても聞いておきたかった。
ランドルフは躊躇いがちに僅かな間を空けた後、真剣な表情でリリスを見つめると、漸く口を開く。
「――“グー”だった場合の言葉は、何だったのですか?」
「“ランちゃんのグラタン美味しいな”だよ♪それ以外も美味しいけど♪」
「……そうですか」
「にゃは♪」
今度こそ飛び降りるリリス。
一瞬で消えたその背を見送りながら、ランドルフはホッとする。
――悪口でなくて良かった、と。
けれど、同時に考える。
砦の端へと移動しながら、顎に手を置き、眼下に広がる戦場を見下ろした。
といっても、リリスの無双劇によって、既に掃討戦になってしまってはいるが。
「これなら、私の出番はないですね。一応、上からの襲撃にも備え――」
と言い掛けて、上空に気配を察知。
「はぁ……。2人いたんですね。地上にいる方にばかり気を向けていましたよ。私もまだまだです」
やれやれと首を振り、そちらを見遣る。
そこにいたのは、浮遊魔法で宙に浮く人間……、否。魔族である。
魔力量の弱い魔族であれば、人間側に気付かれる事無く、人間領への侵入を比較的容易に行える。
その為、先走った下っ端クラスの魔族が、魔海近辺の国以外にも時折現れることがあるのだ。
とはいえ、下っ端といっても魔族は魔族。
最低でも、危険度A級の魔物と同じくらいの強さはある。
それはつまり、A級冒険者が決死の覚悟で挑んで、漸く倒せるレベル。
けれどまぁ――、
「……一応聞きますが、大人しく捕まる気はありますか?今なら情報提供と引き換えに、命ぐらいは見逃してあげますが」
余裕な態度で髪をかき上げながら、ランドルフは瞳を細めて微笑んだ。
深く被られたフードで、その魔族の顔は見えないものの、口元は何やらぶつぶつと動いている。
こちらに向けられた手の平に、荒々しい魔力が集中しだすのを感じ、至極冷静に攻撃魔法だと理解した。
溜息を吐くランドルフ。
「交渉、決裂ですね」
眼鏡を指で押し上げて、剣を抜く。
下の魔族の方は、リリスが何とかするでしょう。
そんな呑気な事を考えながら、ランドルフは真顔になって魔族へと剣先を向けた。
「では、……死んでください」
静かに、そして美しく。
ランドルフの剣が、輝きと共に弧を描いた。
倒れ伏す魔族の亡骸をじっと見つめ、顎に手を置きながら先程の思考の続きをする。
そして、真顔で小さく呟いた。
「私服、そんなにダサいでしょうか」
……地味に傷付いていた、ランドルフ。
下からは、敵を排除し終えたのであろう、楽し気な体育会系の歓声が、雄叫びの如く響き渡っていた。
「さて。そろそろプリンでも作りますか。3名分を除いて」
押し上げた眼鏡を光らせると、ランドルフはため息混じりに歩き出す。
今日も第二私兵団は元気です。




