喰種事件。―1
本日2話目。
クロード回です。
賑わい見せる大通り。
耳に響くは、音音音。
(気持ち悪い……)
楽しげな笑い声、話し声、衣擦れの音、靴音、馬や騎竜の蹄の音……。
騒めきが、騒音が、ぼんやりとした音の塊となって脳を揺らす。
終いには、それらをバックグラウンドに、耳鳴りが不協和音を奏でだす。
(そろそろ、マジでヤバいかも……。明日お嬢に、……)
そこまで考えて、クロードは思考を停止する。
そして、大きく溜息。
「はぁー……。でもなぁ……」
自分からトーマスのもとに連れて行って欲しいと頼むのは、やはり憚られるものがあり。
今までは、レオがクロードの体調を気にかけ、クロードが何も言わずとも、限界が近くなった頃にトーマスの所へ連れて行ってくれていたのだが……。
『――限界だと思ったら言ってくれ。それまで私は、君の食事の件に関し、一切の関与を行わない』
13日前、レオから言い渡された突然の放置宣告。
冷たく突き放されたように感じたクロードは、酷く狼狽えながら「どうして」かと問うた。
けれど返された言葉は、「そろそろ自分の体調管理ぐらい、自分で出来るようになりな?」とまぁ、至極尤もなもの。
これにはクロードも口を噤み、唯々頷くより他は無い。
(俺、かっこわる……)
今までレオに甘えすぎていたと、今更ながら自覚。猛省。
いや、随分前から気付いてはいたのだが、敢えて甘えたままでいた。
そうすれば、レオとずっと一緒にいられるような、そんな気がしていたのだ。
しかし、現実はそれほど甘くはない訳で。
トーマスの『強く生きなさい』という言葉。
レオに言った、『これから格好良くなるんだよ!』という宣言。
(……今のままじゃ、駄目なんだよ。頼ってるだけの俺じゃ、いつか、……捨てられる)
そう思って、しょんぼりと肩を落とす。
けれど、直ぐに首を激しく振って、両頬をバシバシと叩いた。
(だから、強くなるんだろうが!格好良くなるんだろうが!)
クロードは握り拳を作ると、鼻息荒く頷いた。
――捨てさせない。
これもまた、トーマスに言われた言葉。
「……クロードさん?」
「ん?」
不意に、背後から名を呼ばれた。
耳鳴りが響く中、何だか聞き覚えのある声だなと後ろを振り返る。
「なんだ、リヒトか……」
目を瞬かせ、そこにいた人物等を見つめた。
――勇者リヒト一行。
スファニドにて、何故かレオが懇意にしている人物。
「昨日振りね、クロードちゃん~。今日は一人なのぉ?」
「ああ」
おっとりとした口調で、ふわふわとしたハニーブロンドの髪を揺らしながら、こちらへと手を振るローニャ。
その際に揺れる豊満な胸は、年頃の男であれば、いや、年頃の男でなくとも、目を逸らすことは敵わない……筈なのだが、クロードはどうやら例外らしい。
巨乳美女の話し掛けにも頬1つ染めることなく、返事も最低限である。
というより、長々と返事を返せるほどのコミュニケーション能力など、持っていない。
「お前、何だか顔色が悪くないか?」
「……別に」
フードとサングラスでほとんど顔は見えない筈なのだが、何かを察したビビが、眉を顰めながら顔を覗き込んできた。
咄嗟にビビの顔に手を当てて、押し返す。
「こら、ビビ!あんま顔を近付けるなよ。魅了に掛かったらどうする」
リヒトは慌てた様にビビの肩を引いて、クロードから引き離した。
仲間を想っての行動なのだろうが、ちょっとムッとする。
前科があるのは事実なので、何も言わないが。
「ちょっとリヒト!!……ごめんなさいねぇ?リヒトも悪気はないのよ~」
「……まぁ、喰種相手では、そういう態度も仕方ないですがね」
「もう、ニックまで!!毒舌吐くのも、空気読んでからにしなさいよ!!」
腰に手を当て、リヒトとニックを叱るローニャ。
それからクロードの方に向きなおると、困った様に笑いながら「ごめんなさいね?」と再度謝罪した。
「別に、どうでもいい」
「え……?」
クロードは、いつものキョトンとした顔で興味なさげに言葉を返すと、その場から去っていく。
何とも白けた空気だけが後に残されたが、そんな事に気を使える程の社会性も、余裕も、今のクロードにはある筈がなかった。
「……なんか、レオ君といる時と雰囲気が違うな」
クロードの後姿を見送りながら、リヒトが感想を零す。
「もう!リヒト達が失礼な事を言ったからでしょぉ?」
「あー、分かった分かった。ごめんって」
顔を険しくさせるローニャに両手を挙げて、降参するリヒト。
けれど、先程から呆けた様に額を押さえるビビの姿が目に映り、リヒトの顔に焦りの色が浮かび出す。
「ビビ?どうかしたか?……まさか、何かされた?」
中腰になり、ビビの顔を覗き込む。
魅了にかかったガルドの一件があるだけに、彼が心配をするのも無理はない。
声を掛けられ、ビビは我に返ったように目を瞬かせると、リヒトに視線を合わせながら、小さく呟いた。
「手が、氷みたいだ……」
「……え?」
人、人、人。
人間の臭いに鼻をひくつかせながら、クロードは青白い顔で歩を進める。
(肉。肉が……)
ふと、串肉の屋台が視界に映る。
「へい、らっしゃい!!」
「これで、食えるだけ頂戴……」
「……お、おう」
ボソリと呟くように注文する不気味な客に、店主は笑みを引き攣らせた。
けれど、渡された金は銀貨が二枚。
「お客さん。串肉一本、銅貨二枚なんですが……。これだと、100本分の――」
「知ってる。焼けたら俺に頂戴。足りなかったらまた払う」
「じゃ、じゃあ、食べた串の本数で、最後に会計しますね」
さっそく串を焼き始める店主を見ながら、無言で頷く。
それからは、出される串肉をまるで飲み込むかのように次々と平らげていって、数分もしない内に、周囲には人混みが出来ていた。
「スゲーぞ、あいつ……」
「あの細い身体の一体どこに……」
肉厚の串肉を、ガツガツと頬張っては次の串へ。
作り置きの物は既に平らげ、店主は汗を額から滴らせながら必死に串を焼き続けていた。
その様はまるで、作り手と食い手による熱き戦い。
「うぐっ……!」
急に、クロードが胸を叩いて苦しみ始めた。
近くにいた野次馬の一人が、慌てた様にクロードへと走り寄り、咄嗟に持っていた飲み物を手渡す。
反射的にそれを受け取り、飲み干すクロード。
「ぷはっ……!!」
「だ、大丈夫か?そろそろ食い過ぎじゃあ……」
気遣う野次馬に、クロードは無言でグラスを返し、またガツガツと肉を食い始める。
けれど店主の、「それで最後です……」という申し訳なさそうな言葉と共に、勝負の幕は下りた。
周囲から惜しみない拍手と、歓声が沸き起こる。
クロードは無言で不足分の料金を支払うと、野次馬達に関心を示す事無く立ち去っていった。
その場に残るのはやはり、白けた空気だけである。
「……あ、これ、酒だったわ」
呆けた面でクロードの後姿を眺めていた野次馬の一人が、我に返ったように呟く。
その手にあるのは、今し方クロードが飲み干し、空になったジョッキグラスだった。
(ちょっと、食べ過ぎたかな……)
次第に重くなる足取り。
先程から冷や汗が止まらず、目が霞む。
胃が何やら悲鳴を上げており、猛烈な吐き気が込み上げてきた。
(気持ち悪……。何だこれ。さっきよりもヤバイ……)
壁際により、壁に手を付きながら路地裏へ。
人間の臭いはするものの、大通りよりかはいく分マシである。
「う、おえぇぇ……」
びちゃびちゃと音を立てながら、胃に詰めたものが吐き出されていく。
荒い息を零しながら口元を拭い、壁を背にその場に座り込んだ。
吐き出してややすっきりはしたものの、満腹感の消失に伴って、今度は人肉を喰えと本能が騒ぎだす。
理性が飛ぶことはないものの、……いや、寧ろ理性が残ったままだからこそ、その衝動はより苦しい。
(寒い……。食べ物で誤魔化すのもそろそろ限界か)
血の気が失せ、震える手先を見つめながら吐息を零した。
レオを呼んで助けを乞おうと思い、握った拳を影へと振り落とす。
『――私は面倒事が嫌いだからね』
「……」
昨日の言葉が、頭を過ぎった。
勢いを失った拳は開かれて、地面を撫でる。
――お嬢に甘えてばかりはいられないし、自分で何とかしなければいけないのも分かってる。
かといって、死体なんてそうそう落ちている訳もなく。
ならば、一体どうすればいいのかと、クロードは途方に暮れた。
レオに貰った黒い腕輪を顔に近付け、覗き込む。
けれど、日の当たらない路地裏では、中の星は輝かず。
それが何故だか、無性に悲しくて、虚しくて……。
視界がぼんやりと滲んでいった。
「ぐすっ。……はは。だっせぇなぁ、俺……」
鼻を啜り、涙が滲む。
ああ、もう、本当に救いようがない。
乾いた笑いを零しながらサングラスを外し、目元を拭う。
「お、いた」
「……?」
不意に、またもや聞き慣れた声が耳に木霊した。
声に反応し、そちらを見遣る。
そこには、大通りから顔を出す、焦げ茶色の髪の強面男の姿が。
「ガルド……?」
さっき別れた筈のリヒトの仲間が、何故ここに。
クロードは怪訝そうに顔を顰めると、小首を傾げた。
「手が氷みたいだったってよ、ビビが。……まぁ、なんだ。ちょっと気になってな、……つけてきた」
バツが悪そうに視線を泳がしながら、頭を掻く。
魅了に掛かっている間に鍛えられた、クロード追跡能力は健在なようだ。
「何の為に?」
「いや、だから。ほら、具合でも悪いのかと思ってだな……」
咳ばらいをしながら路地裏へと入り、クロードのもとへと近付くガルド。
けれど、クロードの傍の地面が嘔吐物で汚れているのを見て、ギョッとしたように目を見開いた。
「おい、大丈夫かよ!?食い過ぎか!?いや、食い過ぎだろアレは!!」
「……いつからいたんだよ」
ガルドはわたわたと慌てた様にしゃがみ込み、呆れたような瞳を向けるクロードの背を擦る。
「何か飲むか?水でも買ってこようか」
「……お前、俺が喰種って知ってるよな?……まさか、まだ魅了に?」
ガルドの態度に少し戸惑いつつ、クロードは首を傾げながら疑念を口にした。
「かかってねぇから!!これはあれだ。道徳的精神に則っとった行動でだな……。死にそうな人間は放っておけないっていう、アレだよアレ」
「死にそうな人間、ねぇ……」
人間なら、死にそうな人間を放っておけないものなのかと、クロードはぼんやりと思った。
そして、ならば自分は、やはり喰種でしかないのだとも、ぼんやりと……。
(俺なら多分、そいつが早く死ぬ事を、……考えるんだろう)
そして、喰うのだ。
人肉を食べたばかりであれば違うかもしれないが、少なくとも今は、絶対にそう考えてしまう。
これでは、人間から嫌われるのも当然かと、クロードは悲しそうに微笑んだ。
「……もういい。俺は死にそうでもないし、人間でもない。構わずもう行け」
背を擦るガルドの腕を跳ね除け、力ない声量で拒絶の意を示す。
けれど、一瞬触れたクロードの手の冷たさに、ガルドは眉を顰めるだけだった。
「マジで氷みてぇだな……。レオちゃんはどうしたよ。宿まで歩けるか?」
「チッ……。大丈夫だって言ってんだろうが。喰い殺されてぇのか」
「そんな気があんなら、俺が魅了に掛かってる間にいくらでも機会があった筈だ。……それに、お前なんかに殺されるほど、俺は弱くもねぇ。……ほら。野郎を負ぶるのは気が向かねぇが、今日だけは我慢してやるよ」
「……」
背に担いでいた弓を前に移動させ、クロードに背中を向けて膝を付く。
クロードは思わず目を瞬かせ、口をポカンと開けた。
「お前、……変わった奴だな」
「これでもガキは放っておけねぇ性分なんだよ」
「あっそ。でも、……大きなお世話だ」
クロードはフードを深く被り直してふらふらと立ち上がると、裏道の奥へと入って行く。
けれど数歩進んだところで立ち止まり、ガルドに背を向けたまま、「ありがとう」と小声で呟いた。
「……!!」
サングラスを掛け直し、再び歩き出すクロードの背を見つめながら、ガルドは顔を赤くする。
不覚にもときめいてしまったと、胸を押さえながら身悶えた。
野郎なのに!野郎なのに!!
そう言い聞かせながら地団駄を踏むガルドは、どんどんと先行くクロードの様子が気になって、再び後を追うのだった。
「おい、待てって!どこに行く気だよ!今にも倒れそうじゃねぇか」
「うるさい。ついて来んな」
ふらつく足取りで、奥へ奥へと進んでいくクロード。
ガルドは呆れた様に溜息を吐きながら、その傍に寄り添った。
(そういえば、こいつとあんま話した事なかったな……)
フードで隠れた横顔を見つめながら、ふと思う。
顔をあまり晒さないし、自分の仲間以外には最低限の言葉しか返さないから、無口なキャラだと思っていたが。
(唯、口下手なだけか?それにこの頑固さ。そして、この無鉄砲さ。……結構ガキだな、こいつ)
……いや。
思えば、仲間に対しては無邪気な一面を見せていた様な気もする。
魅了にかかっていた所為で、記憶が若干曖昧だが……。
……う。……やめておこう。これ以上は思い出したくない。
ガルドは頭を押さえると、悲痛に顔を歪ませて項垂れた。
「はぁ……。マジでどこ向かってんだ?あんま奥に行くと危ないぞ。この辺は治安も悪い」
「ついてくんな」
「お前なぁ~」
「鬱陶しい。失せろ」
「んな!?……あー、もう!付き合ってられるか!!」
流石にカチンときたガルド。
体調の悪いガキ一人を放って去るのも、大人としてどうかと思い付いてきたが、こいつも一応は冒険者。
危険に対してそれなりの対処能力はあるだろうし、例え死んでも自分の責任だ。
それぐらいの覚悟、こいつにもあるだろうとガルドは頷き、不機嫌そうな顔で踵を返した。
(そうだよな、うん。こいつだって冒険者だ。自己判断、自己責任!俺は知らん!)
自分に言い聞かせる様に、クロードに背を向け歩き出す。
うんうん、これでいい。
俺は十分に忠告したし、それでも聞かないあいつが悪い。
「……」
歩いて、歩いて、歩いて。
けれど――。
「――わっ!?」
「!?」
後ろからクロードの声が聞こえ、急ぎ振り向く。
そこには、尻餅を搗くクロードの姿と、クロードの財布らしき袋と腕輪を持って走り去ろうとする男の姿が。
「ひゃっはー!!やっと一人になったぜ、このガキャァ!!金と腕輪は貰ってくぜ、ひゃははははー!!!」
「チィッ!!――ブースト!!」
舌打ちと共に、ガルドは全力で走り出す。
俺も大概お人好しだなと、内心呆れながら。
「おい!!お前はそこで待ってろ!!俺が取り返してきてやる!!」
「……」
クロードと擦れ違いざま、それだけを言い残し、ガルドは男を追って行った。
残されたクロードの、冷たく、殺意に満ちた瞳には気付かずに。




