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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編
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昔話④【終わらぬ悪夢】

3話連続投稿です。


『――もう大丈夫ですよ』

 

 そう言って、扉を見つめながら安堵の吐息を零すは、髪も肌も雪の様に真っ白な、美しき女。

 その言葉と表情に、先程まで張り詰めていた空気が一気に和らいだ。


『では、成功したのですね。母上』


 先程まで不安に顔を歪ませていた白い髪の少年が、女を見上げながらほっと胸を撫で下ろす。


『ええ。魔王デルガー様によって、化け物は永劫なる闇の中へと眠りに就きました。父を誇りなさい、バレット』

『はい』


 少年は嬉しそうに頷いて、防御魔法の魔法陣が浮かび上がる目の前の扉を見つめた。

 歴代の魔王が成し遂げられなかった事を、己が父が漸く果たしたのだと思うと、少年の心には自然と熱いものが込み上げる。

 けれど、その想いは直ぐに別の感情によって砕け散ることとなった。


『そ、んな……』

『母上?』


 扉を凝視したまま、急に顔を青くさせて震え出す女。

 少年は不安に顔を曇らせて、再び張り詰め出す空気に息を呑んだ。

 自分には分からないが、感知能力に長けた母の目には、何かが視えているのだろう。

 それも、いつも毅然とし、感情を滅多に表に出さない母が震えるほどの出来事が。


『母上……。一体、何があったのですか?化け物は、封じたのでしょう?』


 震える母の手を掴もうと、手を伸ばす。

 母の瞳は、絶望に揺れていた。


『……バレット。奥へ行きなさい。……意味は分かりますね?』

『え……?』


 子に手を掴まれて、我に返る女。

 そして女は、苦悶の表情で唇を強く噛み締めると、何かを決意したかのように少年を見下ろし、部屋の奥の衣装棚を指差した。


『な、何故ですか母上!化け物は、化け物はもういないのでしょう!?』

『……』


 我が子の悲鳴染みた声を聞きながらも、毅然として聞き流す女。

 ……否。顔には出さないものの、その胸の内は泣いていた。

 無意識に、子の手を強く握り返していたのが、その証拠であろう。


『お待ちください、母上!……母上!!』

『……』


 部屋の奥へと、嫌がる少年を引き摺るように連れて行き、魔力を込めた手で衣装棚に触れた。

 すると、棚がゆっくりと開かれて、その先には通路が広がっている。

 女は開かれた棚の向こうへと少年を投げ入れ、たった一言だけ口にした。


『いきなさい』


 閉まりゆく扉の隙間から、最後に見た母の表情は、今まで見た事のないものだった。

 少年は思わず言葉を失い、目を見開かせることしか出来ずにいた。


『母、上……』


 扉が閉まり、通路に僅かな明かりが灯る。

 少年は、完全に閉まった扉に縋りつく様に身体を寄せ、涙を流した。

 何が起こったのか。父上は無事なのか。そして母上は、一体何をするつもりなのか。

 それを知る事すら許されず、また、知る事すら出来ない己の無力さに、少年は奥歯を噛み締めた。

 自分に、もっと力があったなら。

 自分が、もっと大人であったなら。

 

『……く、っ、……あ゛ああぁぁぁぁぁあああああっっ!!!』


 少年は悔しさに声を張り上げながら、扉を叩いた。

 けれどその衝撃は、防御魔法によって虚しく霧散するだけ。


『……』


 その場に力なくしゃがみ込み、通路に響く己の叫び声を聞く。

 それは何とも無様で、非力に満ちた声だった。

 自分が聞きたいのは、これではない。

 母が、父が、城の皆が、今どうなっているのかを知りたいのに。

 少年は、何も知らずに唯逃げる事が、どうしても許せなかった。


 ――知りたい。

 今、何が起こっているのかを。

 

 ――知らなくてはいけない。

 例え何が起こっていようとも。


『だって僕は、父上の……魔王の息子なのだから』


 震える声で、呟いた。


 ――その瞬間。

 少年の願いを叶えるかのように、それは起こる。


『……え?』


 驚きに瞳を揺らせ、少年は顔を上げた。

 全身を刺激するかのように、突如として広がる感覚。

 声が聞こえ、視界が開け、魔力の波が肌を撫でる。

 少年は急ぎ扉へと顔を向け、その先へと意識を向けた。

 そこには、玉座へと続く扉を見つめながら、口元を押さえ、嗚咽を零す母の姿が。

 涙を流す母の姿に胸を締め付けられながらも、少年は更に先へと意識を流す。


『ち、父上……!!』


 そのあまりの出来事に、我が目を疑う。

 

『な、んで、こんな事に……』


 ああ、一体誰が想像出来ようか。

 かの誇り高き魔族の王が、片腕と片脚を失い、虫の様に床を這っているなどと。

 魔王デルガーは必死に階段をよじ登り、白銀の髪の美しき女へと何やら叫ぶ。

 恐らくあの女が化け物なのだろうと、少年は直ぐ様理解した。

 二つの防御魔法壁を通している事もあり、彼らの声は上手く聞き取れなかったが、父の表情と身振りから、何かを懇願している様に感じられた。


『……っ』


 それは、目を逸らしたくなる程に無様で、酷く痛々しいもので、少年は思わず母の傍へと意識を戻す。

 母は、床に膝を付き、痛まし気な表情で扉に手を当てていた。

 まるで、扉を挟んで直ぐ向こう側にいる、地を這う夫を見つめる様に。

 それから、怒りを宿した瞳で静かに立ち上がる。

 ボソボソと動かす口は、詠唱を唱えてのものだろう。


(その詠唱は、攻撃魔法の……?)


 魔王含め、何人もの魔族の手によって、防御魔法の術式が組み込まれた扉。

 決まった方法でなければ開かず、ましてや力技で破壊するなど、例え魔王自身であろうとも不可能。


(何を、するつもり?)


 そう、疑問に首を傾げた時だった。

 パリン、というガラスが割れた様な音と共に、扉が切り刻まれて破壊される。

 その信じられない光景に、少年は絶句した。


『――貫け。ダークショット』


 詠唱を終えた、母の声が響く。

 切り刻まれた扉の破片が宙を舞う中、母の魔法が発動した。

 全身穴だらけになる化け物の姿を見て、少年は吐き気を感じながらも歓喜する。

 けれど、喜びも束の間。

 化け物の身体は、直ぐに再生していった。


『そんな、馬鹿な……』


 恐怖で、声が震えた。

 少年はあまりの動揺から、意識を自分へと戻してしまう。

 これが、化け物。

 これが、原初の時代より生きる、本物の――。

 身体が震え出し、本能が叫んだ。

 ――逃げろ。

 けれど、時は既に遅く。……いや、最初から、既に手遅れだったのかもしれない。

 それこそ、化け物が魔族領に現れた時点で。

 なぜなら、彼女は災厄。

 そこにある全ての命を喰らう、災厄の化け物なのだから……。


『――見ぃつけた♡』







「……っ!!?」


 バレットは、勢いよく目を開けた。

 激しく脈打つ心臓の鼓動と共に、荒い呼吸を繰り返す。

 動揺で焦点の定まらない眼を、それでも何とか彷徨わせ、ここはどこだと周囲を見回す。

 そうしている内に、意識が徐々に明確なものとなってきて、落ち着きが戻り出す。


「はぁ……。また、あの夢か……」


 バレットは大きく息を吐きだすと、頭を押さえながらベッドから起き上がった。

 あれから、数百年も経ったというのに、未だ悪夢に魘される。

 これはもう重症だなと、バレットは呆れた様に、汗で湿った頭を掻いた。

 時計を見遣ると、まだ日も昇らぬ時間帯。

 けれど、二度寝をするにも目はすっかり冴えてしまった。

 仕方なしにバレットは立ち上がり、外の空気を吸おうとベランダへ。

 早朝の風はひんやりと心地よく、汗ばんだバレットの身体を優しく乾かす。


「ふぅ……」


 手擦りを掴み、大きく深呼吸。

 それから暫く、ボーっと庭を見下ろした後、部屋の中へと戻った。……先代魔王、父デルガーの部屋へ。


「……」


 口元を引き締め、ソファに腰を下ろす。

 対面するソファには、静かに寄り添い合う父と母の姿を見た。


「……父上。……母上」


 そう呼びかけると、二人は静かに微笑んで、その姿を消す。

 バレットは目を閉じ、悲し気に笑った。


(我ながら、何と女々しい……)


 ソファに沈む様に深く凭れ掛かり、バレットは天井を見つめる。

 私のこんな姿を見たら、父は、母は、何を思うだろう。

 呆れるだろうか。

 笑うだろうか。

 怒るだろうか。

 悲しむだろうか

 幻滅するだろうか。

 ……いや、そもそもの話、


「――何も、思わんよ。思えぬさ。彼らは、死んだのだから……」


 片手で顔を覆いながら、「はっ」という乾いた笑いを零す。

 厳しい父だった。厳しい母だった。

 そのことに、全くの息苦しさが無かったと言えば嘘になる。


 もっと話しがしたかった。

 もっと遊んで欲しかった。

 もっと笑いかけて欲しかった。

 もっと抱きしめて欲しかった。


 大人になった今でも、そんな欲求を抱いてしまう程に、彼らはバレットに厳しかった。

 愛されていないのではと、そう思っていた時期も確かにあった。

 けれど、時折。

 ほんの僅かに向けられた微笑みは、本物だと分かる程に慈愛に満ちたもので。


 バレットは目を瞑り、あの日の事を思い出す。


『いきなさい』


 そう言って、悲痛に顔を歪めながら、涙で滲む瞳で優しく微笑む母の顔。

 何かの衝動を抑え込む様に、己の手を、強く握りしめていた。


『誰よりも、何よりも、愛しくて大切な!!我の宝なのだ……!!』


 化け物の脚にしがみ付きながら、懇願する父。

 誰よりも誇り高く、歴代最強とさえ謳われたあの父が、よもや子である自分の為に惨めな行動に出るなんて、バレットは今でも信じられない思いであった。


 ギルーラと共に逃げ延び、再び戻って来た城内は酷い有り様で。

 急ぎ玉座へと駆け付ければ、そこにはやはり、既に息を引き取った後の父と母の亡骸が。

 互いに手を重ね合わせながら、口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 その姿は仲睦まじく、普段の両親の姿からはおよそ似付かわしくないものだった。

 両親が寄り添い合う姿など見たことは無く、愛を囁き合う姿など以ての外で。

 幼い頃バレットは、『父様の事、好いてはいないのですか?』と、一度だけ母に尋ねた事があった。

 その時母は、可笑しそうに笑いながら、『息の仕方を尋ねる人はいませんし、説明する人もまたいませんよ』と答えた。

 その意味が分からず首を傾げていると、母は更に笑いを零し、『当たり前のことを聞く人なんて、いないでしょう?それに、……愛してるだの何だの、言えば言う程重さが減るわ』と付け加えた。

 そしてその日は珍しく、母はよく喋った。

 普段言わない代わりに、ここぞという時に、互いに言い合う約束をしているのだと。


(まさか、その時が“死ぬ間際”の事だとは思わなかったが……)


 バレットは頬を緩め、手を重ねる両親の亡骸を思い出しながら、くつくつと笑った。

 今なら分かる。

 きっと彼らはあの時、互いにその言葉を言い合ったに違いないと。


 ――ああ。確かに、重すぎる愛だ。


「おはようございます。御起床でしょうか」

「ああ、起きている」


 不意に響いたノック音とメイドの呼びかけに、バレットは外を見る。

 魔族領は日があまり当たらず、いつも薄暗いままではあるが、それでも先程よりかは明るさが増し、朝になったのであろう事が分かった。


「失礼致します。朝食の御用意が整いましたので、お持ち致しました」

「ありがとう」


 扉を開け、優雅に頭を垂れるメイド。

 それから、食事の載ったワゴンを部屋へと入れ、テーブルに朝食を並べ始めた。

 バレットはその様子を見届けた後、優しい声色でメイドに声を掛ける。


「君」

「はい、何でしょうか」

「言伝を頼みたいのだが、いいか?」

「もちろんで御座います」

「今より二時間後、玉座に集えと。ギルーラに」

「……!!それは、つまり……」


 目を見開くメイドに、バレットは意味深に微笑んで返す。

 メイドは、口元に歪んだ笑みを浮かべると、恭しく頭を垂れた。


「畏まりました。必ずや、お伝え致します。――魔王バレット様」


 そう言って、メイドは慌ただしく、けれどどこか嬉しそうに、部屋を後にした。

 魔王は、閉まりゆく部屋の扉を見つめながら、静かに、楽し気に、笑いを零す。

 けれど、ピタリと笑いが止まったかと思うと、今度は声色低く呟いた。

 

「――さぁ。狩りの始まりだ。……化け物共が」


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