我が子だから。
それは、およそ60年程前の出来事。
とある小さな農村で、その少年、バッカスは生まれた。
元気十分、お調子者な処が玉に瑕な、どこにでもいるような普通の子供。
ヒーローごっこが大好きな、普通の男の子。
しかし、彼が8歳の時、その異変は突然起こった。
バッカスは急な高熱を出し、突然に意識を失ったのだ。
村には簡単な治療技術しか持たない村医者しかおらず、大した診断は出来なかった。
しかし、幼児という程幼くもなかったからか、あるいは両親の必死の介護が報われたのか、彼は峠を乗り越え目を覚ます。
両親は喜び、村医者はどこか不調はないかと尋ねた。
すると彼は笑顔を浮かべながらこう呟いた。
「僕は転生者だ」と。
村医者も両親も、その言葉の意味が分からなかったが、バッカスは笑顔を崩すことなく言葉を続けた。
「僕……いや、俺は転生者だ!選ばれた人間なんだよ!」
……意味が分からない。
村医者は首を傾げ、両親は苦笑い。
バッカスは、そんな周囲の様子など気にするでもなく、興奮冷め止まない様子であった。
――熱で頭が混乱しているのだろう。それか頭がおかしくなったか。……いや、元から馬鹿な子だったな。じゃあ、通常運転じゃね?
それが村医者の見解だった。
しかし、その日からバッカスの様子が変わった。
根本的な性格は変わってない様だが、8歳にしては妙に大人びている。
……いや、子供っぽくはあるのだが、行動力と知識量が子供の次元を超えていた。
日々、村の周辺の魔物を狩り、時に子供とは思えない巧みな罠を仕掛ける事で、格上の魔物さえ倒す。
その強さは、10歳になる頃にはB級冒険者を裕に超えていたという。
そして13歳となったある日、彼は大手を振って村を出て行った。
「一旗揚げてくらぁ!!」とは、村人が聞いた彼の最後の言葉である。
バッカスは、村から一番近い都市を目指した。
その際、転職、ギルド、ハーレム、という3つの単語を喜々として繰り返していたという。
そして彼はギルドに入り、転職もした。
職業は、……勇者であった。
ハーレムは、……ぼちぼちであった。
勇者となったバッカスは、後に最高ランクであるSS級冒険者へと成長。
その勢いのままに、彼は魔王攻略へと乗り出した。
そして遂に、魔王と相対す。
…………撃沈。
それは見事な散り様だったと、その武勇は仲間によって語り継がれる事となる。
バッカス、16歳の春だった。
「……以上が、勇者バッカスのお話です。」
「「……」」
ブルーノは、チラリと公爵夫妻を見遣った。
……微妙な表情を浮かべていた。
「えっと、そのお話の出処は……」
「村医者の残していたカルテと、勇者バッカスが書いていた日記、そして生き残った彼の仲間達による『バッカス英雄譚』という書籍です」
「証拠十分!!」
アルバートは思いの外ある資料に驚愕する。
じゃあ、間違いない!うん、間違いないわぁ!説得力あるわぁ!!と口角を引き攣らせた。
「因みに当時、『バッカス英雄譚』の出版により、彼の仲間たちは一財産築いたそうです」
「強かだな!?」
「……まぁ、重要なのは彼が8歳の時の症例のみなので、他は忘れて下さい」
「勇者の部分全否定!!」
バッカスも思わず涙であろう。
何だかこの勇者が哀れに思え、アルバートは目頭を押さえずにはいられなかった。
世界中の人間が君を馬鹿にしようとも、私だけは、私だけは君の味方……にはならなくとも、酒の一杯でも酌み交わしてやるよ、と同情心溢れる涙をじんわりと滲ませながら、アルバートは思った。
「それから、もう一度言いますが、これは飽くまで仮説。しかも非常に馬鹿らしい妄言とも言える。だからこそ、今から言う、私の考えについては、話半分でお聞きください」
「……分かりました」
ブルーノの真剣みを帯びた声色に、アルバートは我に返った。
――いけない。確かに今はバッカスとかいう勇者のことなどどうでもいいのだ。
肝心なのは、その症例。その仮説。
アルバートは姿勢を正すと、ブルーノへと向き直る。
「――彼の言う、転生者という言葉の真意は分かりません。ただ、遠い東の国では輪廻転生という思想があり、曰く、人は死後生まれ変わるのだとか。故に、今の生を現世とし、生まれ変わる前の生を前世、次の生を来世と呼ぶそうです。それに乗っ取って考えるのなら、彼は熱を機に、前世の記憶を思い出したと考えられます。あるいは、思い出したからこその発熱なのか。……人格は、環境によって変わってくるのは言うまでもありません。もし前世の記憶というものがあったとして、それを思い出した時、前世と現世、どちらの自我が自分となるのでしょう?うまく統合されるのか、どちらかの自我が消滅するのか。後者なら、精神が未熟な方が消滅するのは明らか。例えば、……幼い子供の自我などは特に」
「「……」」
公爵夫妻は口を閉ざしまま、眉間の皺を強めた。
死後における神の国を信じる者としては、その仮説は何とも馬鹿らしい。
なぜなら、輪廻転生というものが本当にあったとしたら、人間の数は永遠に増えない事になる。
死んだ人間の数だけしか、この世に人間は生まれない事になる。
しかし、実際は人口というものは増える。
この矛盾はどう説明する?
まさか、足りない分は動物や魔物、昆虫なんかの魂で補われるとでもいうのだろうか?
……何とも馬鹿らしい。
馬鹿らしいけれども、本当に馬鹿らしい話だけれども、……辻褄が合うのだ。
この何ともオカルト染みた仮説が正しければ、今まで我が子として愛してきた、あの愛しいエレオノーラは消えている可能性がある。
では、今のあの子は誰なのか。
親として、我が子の全てを受け入れる覚悟も自信もある。
だが、彼女がエレオノーラでなかったら?
……ふと、そんな考えが彼らの脳裏を過ぎった。
「何度も言いますが、これは仮説。有り得ない事です。バッカスは熱で頭がおかしくなって、この様な妄言を吐いたと考える方が自然です。子供とは思えない行動力や、大人びた思考何かは、……少々こじ付けになりますが、元々持っていた勇者としての資質、あるいは何らかのスキルが影響しているとも考えられますし、もっと他の要因があるのかもしれません。それは、お嬢様に対しても言える事です。ですから、見守りましょう。今はそれしか言えません」
ブルーノは心痛な表情を浮かべると、「力足らずで、申し訳ない」と頭を下げた。
公爵夫妻は変わらず口を閉ざしたまま。
場に重たい沈黙が流れる。
しかしそれは、直ぐに破られることとなる。
――公爵夫妻の穏やかな笑い声によって。
「くくっ、ふふふ。どうか顔を上げて下さい、ブルーノ医師」
ブルーノは彼らの笑い声に困惑しながらも、頭を上げた。
一体何に笑える要素があったというのだろうか。
視線を上げ、公爵夫妻の顔を窺う。……彼らは、微笑んでいた。
「力不足なんてとんでもない。あなたのその知識量の多さ、そしてその観察眼と分析力には唯々敬服するばかりです。仮説がどうであれ、私たちのする事は決まっています。ノーラを愛し、見守っていく。唯それだけです。たとえ今のあの子が、今までのノーラではなかったとしても、彼女は質問にノーラとして答えた。それなら、彼女はノーラです。答えるまでの間が、何を考えての沈黙だったかは分かりません。ですが、彼女はノーラの記憶を間違いなく持っている。私たちとの思い出も、間違いなく持っている。人間なんて、成長に従って、様々なことが変わってくるものです。年頃になれば、私たちに対して、わざと傷つける様な言動を取る事もあるでしょう。でも、それでも彼女はノーラだ。私たちは、純粋でいい子だからという理由で我が子を愛してるのではないのです。我が子だから愛しているのです。だからこそ私たちは、変わらずこれからも、ノーラを愛し続けるでしょう」
アルバートはもう一度穏やかに微笑むと、ブルーノへと謝意を伝え、静かに頭を垂れるのだった。
*********
家族は好きかと言われ、「はい」って、答えた。
正確には、好き嫌いというよりも、情が湧いてるというのが正しい処だ。
とはいえ、もし、生まれた時から前世の記憶を持っていたなら、こういった感情は芽生えなかっただろう。
5年間、ただのエレオノーラとして幸せに生きてきたからこそ知れた感情だ。
この情こそが、好きという感情なのだろうか?
……酷く居心地が悪い。
だって、どうせ失うものなのだから。
あの後しばらくして、私が起きたという知らせを受け、父様が素っ飛んで帰ってきた。
涙を浮かべながら、私を抱きしめる。
エレオノーラの私って、本当愛されてるわー(棒)。
何かごめんね?黒沼優美とかいう私みたいなキチガイが混ざりこんじゃって。
でも、黒沼優美も邪険にしないであげて?
だって、彼女も私なんだ。これが私なんだ。あははっ!
だからもう、家族に合わせるのなんて懲り懲り。この先ただのエレオノーラの振りをするつもりなんて毛頭ない!
父様に抱きしめられ、漂ってきた男の匂いに我に返った私は、父様の腕を勢いよく「ベシーン!」と退かした。
と、鳥肌立ったじゃねーか、馬鹿野郎!!
両腕を擦りながら、父様を睨み付ける。
すると父様は、驚愕の表情を浮かべた後、じんわりと涙目になり、母様に部屋の隅で背中を撫でられていた。
ちょっと罪悪感。
そんな父様の様子をふと思い出しながら、今の私はベッドで横になっている。
すぐ近くには侍女が数人。
今夜は交代で、私に付きっ切りだろう。
介抱する為なのだろうが、私の監視という意味合いもあるのではないだろうか。
まぁ、しばらくは私の様子見、といった処か。
私は毛布に包まりながら、思考する。
――3日。
安静にしておく様にと医者に言われた期間だ。
この期間が終わったら、部屋からも出られるだろう。
そしたら私は……、
…………。
そこまで考えを巡らした私だったが、ふわふわとした睡魔に包まれて、気づけば瞼を閉じてしまっていた。
ブルーノが優秀すぎて怖い。