叡智の代価。
ドミニクが退室をしたのを見届けた後、リヒトが一歩前へ出た。
クルッカから順に、ロイ、シーファ、バルーナをそれぞれ一瞥すると、最後にワーズマンを瞳に映して頭を下げる。
「――大っ変お忙しい中、俺なんかの為にお時間を作って頂き、本当にありがとうございました。漸くお会いできたこと、嬉しく思います」
……わーお。嫌味たっぷり。
言葉の節々からリヒトの怒りがひしひしと。
「ふぉっふぉっふぉ。そんな事、子が気にする事でない。この程度で喜んでくれるなら、儂等も来た甲斐があったというものよ」
おっとー。
そしてそれを軽く躱すお爺ちゃんー。
リヒトが「どの口が言うか!」と言いたげな顔で、キーッと奥歯を噛み締めていた。
「……改めまして、俺は勇者リヒ――」
「よいよい。そなた等の事は既に知っておる。時間も惜しい事じゃし、自己紹介は省こうぞ」
「……わかり、ました」
名乗りの途中で遮られ、またもやリヒトは奥歯を噛み締める。
お爺ちゃんはいつも通りの笑顔だったけれど、……何というか、ちょっと冷たい雰囲気を感じた。
気の所為かな?
私は小首を傾げつつも、「やぁ、お爺ちゃん」と声を掛ける。
リヒトが、「お爺ちゃん!?ちょいちょい言い直してたのは知ってたけど、やっぱお爺ちゃんって呼んでるの!?」という驚きに染まった声が聞こえたが、……無視。
私の呼びかけに反応したお爺ちゃんが、にこにことした笑顔でこちらを見遣る。
「そこにおるのがレオの友達じゃな?……ほぅ。どうやら訳アリの子達らしいのぅ。後で是非とも紹介しておくれ」
「おや。今じゃダメなのかい?」
「どうせなら、邪魔が入らん所での方がよかろう?」
……という事は、場所を移すのか。
まぁ確かに、この人数でこの部屋は狭すぎるもんね。
でもそれなら、初めからその部屋に通してくれれば良かったのに……。効率わっる。
怪訝そうに眉を顰める私を、にこにこと髭を撫でながら見つめてくるお爺ちゃん。
それからリヒト達へと視線を移すと、首を傾げながら穏やかな口調で問う。
「――ところでお主等、浮遊魔法は使えるかのぅ?」
*******
「ぎぃやぁぁぁああああああ!!!」
「ひぃぃいいいいいいいいい!!!」
「きゃぁぁぁあああああああ!!!」
各々叫び声を上げながら、只今、みんな仲良く落下中。
上を見上げれば、米粒大の大賢者達がふよふよ浮かんでいるのが確認出来た。
結構落ちちゃったなぁ。
行き成り転移させられたと思ったら、着いた場所が底の見えない奈落の大穴。
……いや、最初は五芒星が描かれた床が見えてたんだけどね。
この程度の高さなら何とか大丈夫だろうと、みんな着地の姿勢を取っていた。
……筈、だったんだけどね。
フェイクでした。その床。
凄いなぁ。誰が掘ったんだろうか。
そして、どこまで落ちていくんだろうか私達。
「エル、エル。これ程の高さから落下した場合、一体どれほどの脳みそと血液とが飛び散るんだろうか。寧ろ、原形とか残っているんだろうか」
「あーーーーん!!レオが怖い事言うーーーっ!!」
涙を流しながら、「いーーーやぁぁああああっ!!!」と絶叫するエル。
楽しそうだ。
「ク、クロードさぁぁああん!!クロードさんは必ず俺が、命に代えても守りますから!!どうぞ、て、手をぉぉおおお!!」
「あはははははははははっ!!お嬢ー!!空を飛んでるみたいで楽しいなーっ!!あはははは!!」
「飛んでるんじゃなくて、落ちてるんだけどね」
手を取ってもらおうと必死で伸ばすガルドに気付くこともせず、クロは一人笑い声を上げて落下を楽しんでいた。
馬鹿だ。
「……ふむ。そろそろ完全な真っ暗闇になってしまうね」
「か、風の精よ。我の声にぃぃぃいいいやぁぁぁぁああああばばばばばばば!!」
浮遊魔法を使おうと思ったのか、頑張って詠唱を始めたエルだったが、どうやら精神が安定しない様だ。
頬肉が上へと引き攣って、あばばばばー、となってしまっている。
綺麗な歯茎だね。
「――我等を飛ばせ」
「ん?」
エルの変顔が見られたところで、急に落下が止まる。
声がした方を見遣ると、ローニャが少々息を乱しながら手の平を私達に向けていた。
「……はぁ。みんな、いるかしらぁ?」
どうやらローニャも、浮遊魔法の詠唱をしてくれていたらしい。
エルと違って成功したようだ。大した精神力である。
「あ、ありがとう、ローニャ。た、助かったよ」
「どういたしましてぇ。……と言いたいところだけど、ごめんなさい?この人数だと、あと数分しか持たないわぁ」
「わ、分かりました。――風のマナよ。我に集いて共鳴せよ。風を起こし、我を飛ばせ」
ニックはローニャの言葉に素早く頷くと、詠唱によって自力で飛び始めた。
「すいません。自分が飛ぶので精一杯で……」
「俺も、すまない……。浮遊魔法は数秒しか使えない……」
「分かってるわ~。最高位魔法なんだもの。仕方ないわよ~」
ニックとリヒト、それからビビとガルドの「すまん」という謝罪に、ローニャは汗を額に滲ませながらも、微笑んで首を振った。
「――風の精よ。我の声に聞け。我等は風。風は汝。今集いて我等と共に空を飛ばん」
「おお!」
エルも詠唱を再開し、自分はもちろん、私とクロとシロまでをも同時に宙へと浮かせた。
……あ、因みにスーちゃんは私の腕の中だ。
「精霊魔法で飛ぶだなんて、流石はエルフ族ねぇ。親和性が高くて羨ましいわ~」
「そ、そんな。私、エルフ族だけどあまり魔力が無くて……。魔力消費が少ない精霊魔法じゃないと、大人数を浮かす事なんて出来ないわ。だから、そんな褒められたものじゃないの……」
「あら、そうなのぉ?それでも十分だと思うけどねぇ。……とりあえず、エルちゃんのお陰で大分楽になったわ~。ありがとね?」
微笑みながらエルへ礼を言うも、ローニャの顔色は優れない。
短時間だったとはいえ、さっきまで大人数を浮かしていたのだ。
魔力消費はかなりのものだったに違いない。
「とりあえず、上へ急ぎましょう。ローニャも限界が近い」
「そうだね。大賢者のとこまで行けば、何とかしてくれるだろう。――というか、何とかさせる」
リヒトは瞳を細めながら声色低く呟くと、ニックと共に凄まじいスピードで上へと飛んで行った。
それからビビがローニャを支えながら後に続き、ガルドは……。
「クロードさん。飛ぶのが恐ければ、俺が手を引きますよ」
「……は?自分で飛べるけど」
期待を込めた眼差しで振り返り、クロへと手を差し出すガルド。
……早く行けよ、お前。
上へ戻ると、リヒトが大賢者達相手に声を荒げていた。
けれど、大賢者達は無反応。……何気に酷いよな、こいつらって。
「リヒト、少し落ち着きましょう」
「これが落ち着いていられるか!自力で飛び続けろだなんて……!!俺達はっ!貴方方とは違うのですよ!?ローニャだって、もう限界だ!今すぐここから出してくれ!!」
「私はまだ大丈夫よ~。はぁ、はぁ……、だから、冷静に話し合いましょう?」
「話し合いなんて!!こいつらにそんな意思があるとは思えない!!それに、そんな悠長に話してる時間なんてないだろう!?」
青筋を浮かべながら怒鳴り散らすリヒトは、今すぐにでも大賢者達を殺しにかかりそうな程に、殺意に塗れていた。
……そんな顔もするのだねぇ?
「はぁ……。ピーピーピーピーうるせぇなぁ」
「なん、だと……?」
片耳に小指を突っ込みながら、煩わし気にロイが口を開いた。
リヒトは瞳孔を開かせて、ロイの方へと視線を向ける。
「テメー、俺達が集う事の意味、ちゃんと理解してんのか?」
「は……?」
「ここはぁ、“大賢者の間”だよ~。……噂ぐらい、聞いた事あるでしょぉ?」
「大賢者の、間?……この世の叡智が、集う場所。まさか、本当に……」
「そうよ?そしてその叡智とは、私達そのもの。だからこそ、私達はこの場所でしか叡智を語り合えない」
「な、何故ですか?」
「叡智は人に大きな恩恵を授けます。時に導き、時には命さえも救うでしょう。――ですが、一歩間違えれば毒にもなり得る。……いえ、世界を崩壊させる事さえ出来てしまう」
「人は、世界は、儂等の答えにあまりに従順じゃ。左を向けと言えば左を向き、隣国を滅ぼせと言えば戦争を始める。……それ程までに、儂等の存在は大きくなり過ぎてしまった。強大なる叡智に、世界はすっかり依存しとる。それは、お主も同じじゃろう?儂等の答えを聞いて、それが正しい答えだと自分を納得させたいのではないのか?」
「……」
お爺ちゃんは片目を瞑って、押し黙るリヒトを横目で見つめると、「ふぉっふぉっふぉ」と穏やかに笑った。
それから一度口を閉じて目を細めると、真剣な表情でリヒトへと向き直る。
「――自分じゃ何も決められぬ弱き者よ。望むままに、そなたに我等の叡智をくれてやろう。さぁ、問いたいだけ問うが良い。代わりに、死に物狂いで叡智を乞え。儂等が刻みし叡智の書は、決して安き物ではないのだから」
「う、……ぐ」
返す言葉が思いつかないのか、悔し気に唇をかむリヒト。
いやいや。そこは言い返そうよ。
なんか格好良い事言ってるけど、これ、唯の無茶振りだからね?
「……分かった」
分かったんかいっ!!
本当、大賢者の言葉に従順っすね。
さっきのお爺ちゃんの言葉、ちゃんと聞いてた?
リヒトは深く息を吸った後、浮遊魔法の詠唱を始めた。
「リ、ヒト。無茶、しちゃ駄目よ。私なら、まだ大丈夫だから……」
「……ありがとう、ローニャ。無理をさせてすまなかった」
ビビに支えられながら、青白い顔で弱々しい言葉を吐くローニャに、リヒトは痛まし気な表情で視線を送った。
「――大賢者様方。貴方方に話があるのは俺だけです。だからどうか、俺の仲間と、レオ君達は元の部屋に戻しては頂けませんか」
「リヒト……」
苦悶の表情で浮遊魔法を維持し続けるリヒトの名を、ビビが呟く。
ニックもそろそろ限界の様で、顔には脂汗が滲んでいた。
だが、お爺ちゃんが出す回答は、どこまでも残酷なもので。
「ならん」
この一言である。
「な、何故ですか!!」
「お主が得た叡智は、仲間にも共有されるのだろう。お主の出した答えに、仲間も従うのだろう。ならば、お主の仲間もここにいるべき愚者である。誰かの答え無しでは道を歩めぬ弱者である」
「ち、違う!!彼らは、俺の仲間達は、唯俺に従ってるだけじゃない!!俺が道を間違えそうになったら、殴ってでも止めてくれる!!俺が道に迷ったら、一緒に悩んで答えを探してくれる!!俺が道に躓いて立てなくなった時は、俺の手を引いて、俺を負ぶって、俺が立てるようになるまで……!!ずっと、ずっと励ましてくれる!!そんな、そんな俺の仲間達を……!!何も知らないテメーらが、馬鹿にしてんじゃねぇよっ!!!」
「リーダー……」
久しぶりの真顔フェイスで、ガルドが鼻を啜りながらリヒトを見つめた。
いい仲間を持てて、リヒトは幸せ者だね?
「若いねぇ。汗と涙と葛藤はぁ、若者には欠かせないねぇ。キシシッ」
「カッカッカ!!熱くていいじゃねぇか!!」
「何やら、目頭が熱くなりましたわ」
「……それで、どうされるのですか、老賢者様?彼曰く、仲間達は愚者ではないそうですよ?」
茶化す様な大賢者達の言葉。
けれど老賢者の答えは――。
「ならん」
リヒトは目を見開かせ、その瞳の奥には、怒りと僅かな絶望感が揺らめいていた。
「何故、ですか!!」
「ふぉっふぉっふぉ。確かに彼らは、お主に従順であるだけではないのじゃろう。――だが、今ここにいる事こそが何よりもの真実。儂等との面会を乞いに、お主の仲間らはここへ来た。お主と共に、ここへ来ることを選んだ。それはつまり、お主と共に叡智を受ける事を選んだも同義。話があるのは自分だけ?……片腹痛いな。ならば何故、仲間と共にここへ来た。ならば何故、お主の仲間はここへ来た」
「……っ」
怒りを押しのけ、絶望と悲痛とがリヒトの心を支配する。
顔にはもう、先程の険しさはない。
そこにあるのは、唯々どうしようもない、無力感。
「……うっ」
「ローニャっ!!」
遂に魔力切れを起こし、ローニャの浮遊魔法が切れる。
けれど、ビビとガルドは宙を飛んだまま。
「どうして自分のを……!!」
自身にかけた浮遊魔法を切ってまで、仲間への魔法を優先したローニャ。
ぐったりとするローニャの体を、ビビが一生懸命持ち上げていた。
「馬鹿野郎!!切るなら俺のを切れ!!」
「ば、かねぇ。あなたのを切ったら、だれが、ビビを背負うのよ。もう、じき、ビビのも切れちゃう……。ごめんね」
「謝るのは私だろうが、馬鹿!!……ごめん!!魔法、負担掛けて、ごめ……っ!!」
ビビが涙ぐみながら謝罪する最中、ビビの浮遊魔法までもが切れてしまい、ガクンッと体が下がる。
その瞬間、ガルドは素早く手を伸ばし、ローニャとビビを腕に抱きかかえた。
「……っ!!二人とも、落とさせる訳ねぇだろうが!!」
けれど――。
「ニックっ!!!」
ガルドの横を、魔力切れを起こしたニックが落下していく。
リヒトが猛スピードで手を伸ばしながらニックへと近付き、何とか服を掴んだ。
ほっと、息を零す。
「……え?」
だが、絶望は終わらない。
なぜなら絶望というものは、こんな生易しいものではないのだから。
視界の隅に映った影を追って、リヒトは視線を向ける。
そこには、落下し、五芒星の床を擦り抜けていくガルド達の姿が。
リヒトの絶叫が、辺りに木霊した。
「おやおや。……エル、助けなくていいのかい?」
「……私も、そこまで余裕が無いわ。彼らを助けていたら、数分持たない」
「ふふ、そうか。――やれやれ。仕方ない」
「レオ……?」
全く、仮面の子供としてリヒトに出会うまで、彼の前では能力を使いたくは無かったんだけどなぁ。
でもまぁ、彼らがここで死んだら、その楽しみ自体も消えてしまう訳だし。
「面倒臭いけど、……助けてやるかぁ」
私は小さく溜息を零すと、下へと手を翳す。
そして、床の下に渦巻く数多の闇を、上へと一気に押し上げた。
「……っ!!?」
落下したガルド達を乗せて突如出現した黒い床に、リヒトは目を見開かせる。
ガルドとビビも、何だ何だと黒い床に触れながら、その現状に驚いていた。
リヒトとニックを乗せ、最後に私達を乗せた床は、大賢者の傍まで押しあがる。
足が地に着く感覚に私は満足気に数回頷くと、ポカンとするリヒトと、楽し気に髭を撫でるお爺ちゃんの顔を交互に見ながら、小首を傾げて言葉を掛けた。
「……さて。床も出来た事だし、さっさと話を始めてくれる?……っと、まずは、エル達の自己紹介が先だったかな?」




