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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編
72/217

昔話②【憎悪の連鎖】

めっちゃ長くなりました。

 最初に聞こえた音は、攻撃魔法による爆裂音。

 それから、罵倒と、悲鳴と、断末魔の声が、後に続いた。

 

 徐々に、徐々に。

 けれど、そう時間を置かずして。

 戦いの激化を知らせるかのように、それらの音は大きくなっていった。


 徐々に、徐々に。

 けれど、そう時間を置かずして。

 戦いの収束を知らせるかのように、それらの音は小さくなっていった。


 徐々に、徐々に。

 けれど、そう時間を置かずして。

 我が軍の敗北を知らせるかのように、それらの音は、近付いてきた。


 そして、音が――止んだ。

 最後に聞こえたのは、扉越しに聞こえた、たった二つの断末魔。




 ――魔王城、玉座の間。

 僅かな静寂の後に、その扉はゆっくりと開かれた。

 現れたのは、白銀の髪と簡素なワンピースとを血に染めた、息を呑むほどに美しい女。

 ……否。

 薄気味悪く、悍ましく、吐き気が込み上げる程の狂気を身に纏った、美しき化け物。

 その白磁の様な綺麗な手には、先程の声の主であろう兵士の頭部が掴まれており、その者の胸より下は欠落していた。


「――はぁあっ!!」


 扉の傍に控えていた兵士が、化け物の到来と共に、その剣を勢いよく振り下ろす。

 化け物の手に掴まれた、既に亡き友を想いながら、兵士の顔は憎悪と悲哀とで歪んでいた。


「きゃっ!?」


 可愛らしい、女の甲高い声が耳に響く。

 攻撃は見事に当たり、化け物の肩から腹にかけ、深い傷が刻まれた。


「ああぁぁぁあああああっっ!!!死ね!死ね!!死ねっ!!死ねぇぇええっ!!!!」


 化け物が怯んだ隙を逃すことなく、兵士は間髪入れずに斬撃の嵐を化け物へと浴びせる。

 およそ数秒間、兵士の怒声と化け物の小さな嗚咽とが、絶え間なく広間に響き続けた。

 腹を割き、脚を貫き、腕を斬り落とす。

 ベチャリと、友の上半身と共に、化け物の腕が床へと落ちた。

 無残な友の亡骸を横目で捉えながら、兵士は涙を流して最後の一撃を繰り出す。

 ――化け物の首が、宙を飛んだ。


「はぁ……、はぁ……」


 魔王軍、壊滅。

 されど、敵は今、討ち取られたり。

 戦いは終わり、多大過ぎる犠牲を払いながらも、勝者は――、


「酷いわ……」

「……!?」


 化け物の首が、喋った。

 眉は悲し気に顰められ、目からは一筋の涙が零れていた。

 それから息を引き取るかのように目を閉じて、その首は灰となって消えていった。

 今度こそやったか。

 兵士はそこで漸く安堵の吐息を零すと、傍に横たわる化け物の身体へと目を向ける。

 そしてその直後、彼は化け物という本当の意味について、その身を以って知る事となった。


「――ひっ!?」

 

 力なく横たわる、化け物の身体。――否。

 悲し気に横たわる、化け物。

 ……その首からは、斬り落とし、消滅した筈の頭が繋がっていた。


「どうしてみんな、こんな酷い事をするの……?」


 兵士が驚愕で言葉を失う中、化け物は天を仰ぎ見て、涙を流しながら呟いた。

 それから静かに立ち上がり、悲哀の籠った瞳で兵士を見つめたかと思うと、次の瞬きの内には、兵士が床に倒れていた。


「ば、……け、もの……」


 兵士は血を吐き、耳や目、体の至る所から血を溢れさせながらも、最後の力を振り絞って玉座に座る己が主へと手を伸ばす。


「ま、おう、さま……。お逃げを――」


 その言葉を最後に、兵士は唯の肉塊へと成り果てた。

 細切れにされた兵士の肉が、ビシャリと音を立てて床へと落ちる。

 それでも魔王は、未だ玉座から動こうとせず。

 不快気に眉を顰め、吐息を零すその様からは、余裕さえ見て取れた。

 けれどその内心は、悲しみに唇を噛み締めて、怒りで腸は煮えていた。

 王は、何時如何なる時も、敵に付け入られる隙を与えてはならない。

 敵の多い魔族の王ならば、それは尚更だろう。

 故に魔王は、あらゆる敵に打ち勝つ、絶対的な強者で在らねばならなかった。


「……」


 魔王は、沈黙する。

 感情を押し殺し、目の前の化け物を、唯々静観した。


「酷い……。酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い。酷いわ。悲しい。苦しい。……寂しい」


 顔を覆い、涙声で呟きを発する化け物。

 それから床へと寝そべると、先程殺した兵士の肉塊の上に自身の体を転がした。

 そして今度は、濡れた瞳を優し気に細めると、頬を紅潮させて幸せそうに言葉を零す。


「――ああ。……温かい」


 ぐちゃぐちゃと血肉に身を包みながら、手に取った肉塊から血を妖艶に舐め取るその様は、見る者に吐き気と恐怖を与えるもので。

 それは魔王と言えども、例外ではなかった。

 魔王は、冷や汗が頬を伝うのを感じながらも、吐き気と共に唾を飲み込むことで、冷静さを何とか保つ。


「化け物が。ここまで来た褒美として、この我自らが相手をしてやろう」


 楽しそうに、ふふふと笑みを零していた化け物は、魔王の言葉に顔を上げると、目を数回瞬かせた。

 それから少しの沈黙の後に、化け物は唇を震わせて、涙を流しながら微笑む。


「……嬉しい。私の相手をしてくれるだなんて。……誰かと、たくさんお喋りをしてみたいなって、ずっと、ずーっと、思っていたの」


 化け物は、ぐちゃぐちゃと悍ましい水音を鳴らしながら立ち上がると、怪訝そうに顔を顰める魔王のもとへと、その足を進めた。

 

「みんな、酷いのよ?でも、温かいの。だから好きよ?……でも、でもね?温かいのは一瞬で、直ぐに冷めてしまうの。そしたらまた、……寒いわ」


 血の足跡を付けながら、化け物は言葉を話す。

 ゆっくりゆっくり歩を進めながら、化け物は血に染まった自身の体を抱きしめて、悲しそうに顔を歪ませる。

 人語を解していても、人の姿をしていても、あれは化け物。

 人の常識も理も全てが通じない、狂いに狂った、悍ましい化け物だ。


「寒いし、悲しいし、寂しい。――けれどみーんな、ここに……ね。いるのよ」


 化け物は、一歩、また一歩と魔王へと歩み寄りながら、我が子を慈しむ母の様な顔で、愛おし気に腹を擦った。

 魔王は悍ましさと憎悪とで思わず顔を歪ませて、奥歯を強く噛みしめる。

 もう少し。あと、もう少しだ。

 耳障りな化け物の言葉に、己が耳を切り落としたい衝動に駆られながらも、魔王は唯々耐え忍び、その時を待つ。

 そして、化け物が広間の中央へと足を踏み入れた瞬間、――その時は漸く訪れた。


「陰に潜む偉大なる闇の精霊よ。この身に宿る闇を喰え。我の闇は汝なりて。汝の闇は我なりて。今ここに同調し、我らが敵を滅ぼさん。――母なる闇よ、愚かなる御子に、永劫なる黒き眠りを」


 魔王の詠唱が進むにつれて、床に巨大な魔法陣が青黒く浮かび上がり、中央にいた者の足を闇が捕らえる。

 そしてその闇は徐々に全身へと浸食していくと、対象者を完全に包み込んだ。

 幾重にも幾重にも、闇のベールは化け物へと纏わりつき、そして遂には球体に。

 魔王は手の平をその球体へと向けた後、それを握り潰すかのように、勢いよく握りしめた。

 その動作に沿って、球体は急速に収縮していき、闇へと消える。

 魔王はそれを見届けた後、漸く息を吐き、どっと汗が噴き出し始める正直な自分の体に苦笑した。


「やりましたね、魔王様」

「ああ……」


 玉座の隣に控えていた側近が、恐怖の余韻に顔を顰ませながらも笑みを向けた。

 ――殺せないなら、封印してしまえば良い。

 突如として魔王城へと現れた不死の化け物相手に、魔王は即座に決断した。

 未知の化け物相手に、油断は出来ない。

 よって魔王は、万全を期す為に、神位魔法にある最高難度の封印術式を使う事を選んだ。

 けれどその術式を組むには、多くの時間を費やす。

 それはつまり、多大なる犠牲を払っての時間稼ぎを意味していた。

 断腸の想いでの、苦しい決断であった。


「皆も、これで報われるでしょう」

「……生存者を捜索し、死した者は、……手厚く弔ってやれ。弱者が死ぬのは世の常だが、今回ばかりは責められぬ。アレの前では、全てが等しく弱者であろう」

「はっ」


 魔王の言葉に、側近は恭しく頭を垂れると、命令を実行すべく足を踏み出した。

 だが――。


「ぐ、……ふ、……!?」


 玉座へと続く階段を数歩下りたところで、側近は低い唸り声を上げると、何が起きたのか理解する間もなく崩れ落ち、階段を転がっていった。

 魔王は驚愕で目を見開かせるも、直ぐに状況を理解。

 そして、絶望する。

 これだけの犠牲を払っても尚、化け物を封じる事さえ出来なかったという現実に。


「……なぁに?」


 どこからともなく、声が響いた。


「さっきの、なぁに?」


 闇を纏いながら、先程と変わらない広間の中央で、化け物が姿を現した。

 平静さを装いながらも、魔王は緊張と恐怖とで、ごくりと息を呑み込んだ。


「ねぇ。何をしたの?」

「……」


 本当に、何をされたのか分からないといった顔で、小首を傾げる化け物。

 闇を扱う化け物に、魔族以上に闇に愛された化け物に、闇の封印術は全くの意味を為さなかった。

 されど、そんな事を魔王が知る訳もなく。

 当然だ。化け物が能力を使って生命を殺めだしたのは、つい最近の事なのだから。

 情報が、あまりに不足していた。

 今まで大人しかった化け物が、何故突然牙を向けだしたのか。

 化け物を化け物としか認めずに、その生を否定し、虐げ続けてきた彼らには、その理由が愚かにも理解出来なかった。

 化け物が殺戮を始めたという噂が世界に広まる中、彼らが思った事、それは。

 

 ――やはり化け物。


 その、一言であった。

 そして、遥か昔から彼女を虐げ続けてきたことは正しかったのだと、人々は恐怖に脅えながらも頷いた。


「それが、貴様の本性か。……化け物が」

「……酷い。私の、相手をしてくれるって言ったのに。……嘘つきね、あなた」


 化け物は傷付いた様な顔を浮かべて俯くと、闇へと沈んだ。

 そして、魔王の直ぐ隣へと一瞬で移動する。


「……っ!?……うぐっ!!」


 突然の化け物の転移に、魔王は驚きに目を見開くも、それは直ぐに激痛によって歪められた。

 隣に立つ化け物を見遣ると、その手に持たれているものは、――腕。

 そこで漸く、自身の左腕が無くなっていることに気付く。

 最早、ここまで。

 魔王は大きく息を吐くと、せめて少しでもこの化け物に苦痛を与えて死んでやろうと、玉座より立ち上がって剣を抜いた。


「……あはっ♪」


 けれど化け物は、楽しそうに顔を酷く歪ませて、笑みを零すだけだった。

 




 その後、魔王の死闘はおよそ数分の間続き、化け物に斬撃を幾度も浴びせる事が出来た。

 ――が、まるで児戯。

 それらの斬撃は、化け物が敢えて瞬殺を用いなかったが為に浴びせ得たものだった。

 他は、一方的な蹂躙劇。

 既に封印魔法で魔力は枯渇していたが、例え万全の状態であっても、元より魔王に勝ち目はない。


「ぐふっ!!……殺せ。……我を、恨んで、いるのだろう?」


 床に倒れ伏し、自身の周囲に溜まる血の池に、魔王は己の死を悟った。

 左腕の他に、右脚も失った。

 けれどそれでも踏ん張って、喘ぎ、化け物に喰らい付いていた。

 絶対的強者である筈の魔王にとって、それは屈辱的な戦い。

 必死に戦う弱者と、それを笑いながら弄ぶ強者の構図。

 普段ならば、その強者の位置に座するのは自身であった筈なのに。

 魔王は、すっかり血の気が失せた唇を噛み締めて、最後の抵抗として化け物を睨み付ける。


「……恨む?何を?」

「貴様を殺す為、魔族を遣わしていたのは我ぞ。貴様は、それを恨んでいるのだろう?だが、何故今なのだ。殺そうと思えば、我らを殺せたはずなのに、何故今になって怒りを向ける。我が王となる遥か昔より、貴様は虐げられてきた。だが貴様は、それらに抵抗しなかった。……何を企んでいる。今になって本性を現したのは、何故なのだ」


 失われていく血液により、魔王の身体は小刻みに震え出す。

 意識も朦朧としてきたが、それでも必死に睨む事をやめなかった。


「……?ごめんなさい。あなたの言ってる事がよく分からないわ……。私が虐げられるのは当たり前の事でしょ?なのに何故それを恨むのかしら。……みんな酷いの。だから私は、とても悲しかった。けれど、耐えたわ。耐え続けたの。だって、仕方が無いでしょ?私は、……化け物なんだもの」


 首を傾げて答えながら、最後に化け物は歪んだ顔で微笑んだ。

 魔王は、絶句した。

 もしその言葉が本当なのだとしたら、この化け物は、唯耐えていただけという事になる。

 耐えて耐えて、そして、発狂したのだ。

 今になって、ではない。

 気の遠くなる程の時を経て、今になって漸く力に目覚めた。

 そんな事、一体誰が想像出来ようか。

 誰も知らない程の遥か昔から、絶え間ない悪意と迫害の中で、今の今まで力を抑え込んでいたなどと。

 今の今まで他者を恨むことなく、化け物の自分を責め続けながら生きていたなどと。

 

 ……化け物に、手を出してはいけなかった。

 そんな後悔が脳裏を過ぎったが、直ぐに考えを改める。

 手を出そうが出すまいが、化け物の力は本物。

 如何に精神力が超人染みていようとも、時の長さに耐えられず、遅かれ早かれ壊れていただろう。

 ならば、この化け物は殺さなければならない。

 それこそが、長きに渡り受け継がれ続けた、世界の意志。

 化け物の脅威は今、世界に知れ渡った。

 今が無理でも、(いず)れ。

 必ずや化け物を殺す方法を、或いは、化け物を封印出来るだけの更に強力な封印魔法を、未来の誰かが、必ずや見つけてくれる。

 魔王が勇者に討たれ、それでもまた魔王が生まれてくる様に。

 魔王と勇者という存在が、遥か昔から存在し続けている様に。

 あの化け物を滅ぼそうとする世界の意志は、もはや理である。


「い、つか。貴様は、滅ぶだろう。……それが、貴様の、うん、めい」


 寒さでまともに動かなくなった唇を必死に動かして、声を震わす。

 世界がこの化け物に滅ぼされるのが先か。

 世界がこの化け物を滅ぼすのが先か。


「――そ、れを、見届け、られないのが、……ざん、ねんだ。くく……」


 精一杯の皮肉を込めて、魔王は笑った。

 けれど化け物は、変わらずの笑みを張り付かせたまま魔王より顔を背け、玉座の奥の壁へと首を向ける。


「あらぁ?」

「……!!」


 突然、玉座へ続く階段へと歩を進める化け物。

 魔王の胸を早鐘が打つ。


「ま、て……!き、さま、どこへ、行く……!!我は、まだ、死んで、……ぐふっ、……おらぬぞ!!」


 軽快に上る化け物の後に続いて、魔王はずりずりと床を這いながら、玉座への階段をよじ登る。

 地を這う虫の様に、右手と左足を必死に動かすその様からは、もはや強者としての威厳はない。

 空っぽの玉座が、みすぼらしく床を這う己が主を、無機質に見つめていた。


「んー?これ、どうやって開けるのかしら?」

「待て!!待ってくれ!!頼むから!!」


 惨めにも、懇願。

 けれど、そんなプライドなどどうでもいい。

 この先には、この先だけは、何としても入れてはいけない。


「面白い扉ねぇ。ここかしら?それとも、これかしら?」


 壁をペタペタ触って、玩具で遊ぶ子供の様な、無邪気な笑みを浮かべる化け物。

 けれどその扉は、決められた術式を組んで初めて開くもので、いくら壁を触ったところで開く筈もなく。

 いくら調べても開かない扉に、化け物は次第に飽きて、「ま、壊せばいっかな?」と不満げに小首を傾げた。


「やめろぉぉぉおおお!!!」


 片腕で化け物の脚にしがみ付き、必死に抵抗していた魔王だったが、その程度の足掻きに意味など無く。

 闇より伸ばされた蔦の様な刃物によって、壁は止めどない斬撃を受ける。

 そして僅かな時間の後に、防御魔法ごと容易く切り刻まれた。

 

「……あら?」


 直後に飛ぶは、化け物の首。


「――貫け。ダークショット」


 直後に響くは、凛とした美しき声。


「ぐ……!?」


 壊された壁から放たれた、何発もの攻撃魔法。

 それらは黒い軌道を描きながら、化け物の身体を、頭を、休む事なく撃ち続けた。

 その時間、およそ十数秒。

 化け物は全身を穴だらけにして、床へと倒れた。


「よ、くも。……よくも私の夫に!!貴様!!楽に死ねると思うなよ!!」


 土煙の中姿を見せたのは、白い髪を靡かせた、美しき女。

 女は怒りで顔を歪ませながら、涙を零していた。


「よ、せ……。逃げよ」

「どうせ逃げられる筈もありません。私もここで、貴方と共に死にましょう。それが、魔王の妻となった我が使命。……御立派で御座いました」


 片腕と片脚を無くし、惨めに床を這い(つくば)る事しか出来ない夫の姿を真っ直ぐに見つめると、女は頭を垂れた。

 そして膝を折って夫の傍へと寄り添うと、残った右手を握りしめ、「愛しておりますわ」と囁いた。

 魔王は顔をくしゃりと歪めて涙を零すと、痙攣する手に力を込めて握り返す。


「わ、れも、愛、して――」


 魔王が言葉を紡ぐ最中、女は口から突如として血を溢れさせると、床へと倒れた。

 妻のその異変に、魔王は目を見開きながらも後ろへと顔を向ける。

 化け物が倒れていた、その場所へ。


「あ、ああ、……酷い。酷いわ」


 そこには、早くも再生し終えた化け物が、悲しそうに顔を覆いながら立っていた。

 それから虚ろになった目で顔を上げると、ひたひたと歩を進め、倒れる魔王と女の傍を通り過ぎていく。


「も、もう、そこには、誰も、おらぬ!!」


 動かなくなった愛する妻の手を解いて、魔王は化け物の脚にしがみ付いた。

 けれど、それでも止まらない化け物の脚。


「かくれんぼかしら。一度、やってみたかったのよね」


 虚ろな瞳で微笑むと、化け物は部屋にあった衣装棚の扉を静かに開けた。


「……!!」

「あら?違ったわ。……でも、この奥ね?」

「き、さまぁぁぁああああ!!!!」


 魔王の叫びを気にも留めず、化け物は棚の奥の壁を再び切り刻む。

 パリン、という防御魔法が破られた音と共に、壁の奥には長い通路が現れた。

 ……恐怖で顔を歪ませた、幼い少年の姿と共に。


「あ、……見ぃつけた♡」

「ひっ!?」


 怯え切った少年の短い悲鳴が、小さく響いた。


「なっ!?……バレットぉぉおお!!貴様、何故逃げなかった!!」

「ち、父上……。だって、だって……!」


 カタカタと身体を震わす幼い息子に、魔王は苛立ちを顕わに叫ぶ。

 それから、しがみ付く化け物の脚をよじ登り、腰へと手を掛けると、魔王は再び懇願した。

 そこにいるのはもう、魔王ではなく、唯の父であった。


「た、頼む……!!この子だけは!!この子だけは見逃してくれ……!!我が子なのだ!!誰よりも、何よりも、愛しくて大切な!!我の宝なのだ……!!」

「宝……?」

「そうだ!宝だ!!だから頼む……!この子だけは!!」

「子供……。愛しい、宝……」


 化け物は魔王の言葉を反芻する様に呟くと、子供を見つめて瞬く。

 けれど、言葉の意味が理解出来なかったのか、化け物は小首を傾げると、闇より鋭利な蔦を伸ばし、少年へと矛先を向けた。


「や、やめ……!!」


 魔王の制止を待たずして。

 その蔦は、少年へと一気に襲い掛かった。

 ――が。


「う、……ぐっ!」

「は、母上……」


 それを全身に浴びたのは、最後の力を振り絞って転移を果たし、息子の前へと立った女であった。


「あら?」

「……ごふっ。……こ、この子、だけは、……ころ、させない」


 化け物はその光景に目を瞬かせると、女から蔦を抜いた。

 その拍子に、女は人形の様にその場に崩れ落ちる。


「魔王様!!!」


 女が倒れ伏したのとほぼ同時。

 玉座の間より、全身ボロボロのとある男が駆け付けた。

 

「ギルーラ。……生きて、いたか」

「はい。……申し訳御座いません。侵入を止められなかったどころか、私だけが、……生き延びてしまいました」

「よい。それより、……分かるな?」

「……承知、致しております」


 ギルーラと呼ばれたその男は、苦悶に満ちた顔で唇を噛み締める。

 そして、「ブースト」と呟いた後、目にも止まらぬ速さで化け物の横を通り過ぎると、少年を瞬時に抱きかかえ、通路の奥へと走り去っていった。


「あらまぁ。……速いのねぇ?」


 ふふふと笑いを零すと、化け物は踵を返して通路に背を向ける。

 魔王は、もう姿が見えなくなった逃げ行く息子に安堵の吐息を零すと、ずるりと化け物の脚から剥がれ落ちた。


「子供……、か」


 考え込む様に数歩進んだ後、化け物はそう小さく呟いて、狂気的な笑みと共に闇へと消えていった。

 それは、何の気紛れか。

 果たして、本当に見逃してくれたのか。

 もしそうなら、何故なのか。

 その真実を知る者は、当人以外に誰もいない。


「オ……リア……」


 ずりずりと床を這い、倒れ伏す妻のもとへと身体を寄せる。

 そして精一杯手を伸ばし、その手を掴んだ。


「オフィーリア。……我が、妻よ。……愛、して、……いるぞ」

「……私も、ですわ。……愛して、おります。デルガー様……」


 涙を零しながら微笑んで、オフィーリアは「おさらば、ですわ」と最後に呟くと、静かに息を引き取った。

 そしてそれを愛おし気に見送った後、魔王デルガーは顔をくしゃりと歪ませて、「さらばだ」と、後を追う様に意識を手放す。


 逃げ延びた子は生き残り、その後何を思うのか。

 はてさて。

 壮絶なる憎しみの連鎖は、続いて行く。

 後に辿り着く、悲劇という終幕に向けて――。

アルファが生まれるのは、それから暫くしてからです。

原初の吸血鬼が、家族という存在に興味を持ったきっかけのお話でした。

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