お、男の子だもんね。
シロがたくさん喋ります。
「……どういう、状況?」
奴隷商から宿へと戻って来た私達。
するとどうでしょう。
「いやぁぁあああ!!離してっ!!離しなさいよぉぉおおお!!!」
私の小さな呟きをかき消して、部屋中に響き渡るエルの悲鳴。
何だ。何が起こっているんだ……。
流石の私も混乱して脳内処理が追い付かず、クロと共にその場に唯々立ち尽くす。
そして、目の前で起こっているその出来事を、呆然と見つめる事しか出来なかった。
ベッドの上で涙を流しながら暴れるエル。
そして、そんなエルの上に跨って、激しく抵抗する彼女の細腕を押さえつける――シロ。
えーっと……。
待て待て待て。まさかそんな。
いや、でも、これはどう見ても……。
え、でもでも、シロはライオンで、エルは人間な訳でして……。
でもでもでも、シロの中身は人間な訳でして……。
いやいやいや。だからってそんな、まっさか~!あっはっは☆
「な、中々、マニアックですネ」
困惑しすぎて、自分でも意味不明な感想が零れた。
「……ガッ!?」
エルを必死に押さえつけながら、シロが漸く私の存在に気付いて顔を向ける。
私は精一杯の微笑みを浮かべてシロを見遣るが、目だけはどうしても笑えずに半目になってしまった。
「一応聞くけど、それは、……合意の上なのかな?」
「グガッ!?……はっ!?ち、違うのだ!!」
「え、違うの?やっぱり?」
「そうだ!!違うのだ!!」
首を左右にブンブン振って焦りの表情を浮かべたかと思ったら、今度は何故か激しく首を縦に振り、安堵の吐息を零すシロ。
……開き直りというやつだろうか?
「そう……。ごめんね、シロ」
「いや、いいのだ。この状況を見れば勘ちが――、」
「君だって、中身は成人男性だものね?今まで、気付けなくて悪かった……」
「――はっ!?」
私はベッドで暴れるエルの傍へと近寄ると、その顔に優しく触れた。
パニック状態で周りが見えていない様子のエルだったが、私が頭を撫でて「エル」と名前を呼ぶと、直ぐに暴れるのを止めてこちらを見る。
「レ、レオ……」
「大丈夫?置いて行ってごめんね」
「レ、レオ~……」
シロの拘束が解けて、嗚咽交じりに私に縋りつくエル。
エルの手から落ちたナイフと、小刻みに震えるその身体から、恐怖と抵抗の程が窺えた。
私はそんなエルの体を気遣わし気にそっと抱きしめると、背中を擦りながら再びシロへと視線を向ける。
「……年頃の男の目の前に、エルの様な女の子が四六時中いれば、そりゃムラムラもするよね。……ごめんね。シロだって、……お、男の子だもんね」
「ま、待て待て待て!!何を言って……、」
「今回の事は、飼い主である私にも非がある。部屋を分けるなりして、対処を考えるべきだった。……でもね、それはそれとして。自分の性欲すら制御出来ず、あまつさえ、それを他人で無理矢理発散させようとする野郎とか、生きてる価値、ないと思うんだ。それにさ。制御の出来ない、自分の手に余るものなら、……最初からなければいいと思わない?」
「お、おお、落ち着け!!落ち着くのだ!!」
「本当にごめんね、シロ。でもせめて、選ばせてあげるね?……命か金玉、どっちのタマを消されたい?私としては、金玉を潰される痛みに耐えて生き延びるより、一瞬で楽になれる死をお勧めするよ。これでも私、瞬殺は大の得意でね?痛みも何も感じさせないから安心してくれ。――今までありがとう。楽しかったよ、シロ」
「ご……、誤解だああああああああああっっっ!!!!!」
悲しそうに微笑んで、シロへと手を伸ばした時。
涙を浮かべ、焦りと怯えを滲ませた表情で、シロが最大音量で叫び出した。
これには私も、肩をビクつかせるより他にない。
「がぁ、はぁっ、はっ、……話を聞け。誤解である」
「……言ってごらん?」
シロは息を乱しながら床に下りると、必死に前足を上げ下げしながら、身振り手振りで説明を始めた。
その光景が、何かちょっと、可愛かった。……キュン。
――じゃなくて。
シロの言い分は、次の通り。
私達が宿を出て直ぐ、まだ朝も早かったので、シロは二度寝を始めたらしい。
けれど朝日が昇り、部屋に明るさが戻る頃。
窓から差し込む日差しで再び目を覚ましたシロは、ふとエルのベッドへと視線を向けた。
すると、エルも既に起床していて、上半身を起こした状態で固まっていたそうだ。
その視線はボーっと虚を見つめていて、まだ寝ぼけているのだろうとシロは思った。
けれど次の瞬間。
エルが、懐に忍ばせていたナイフを手に取って、鞘を抜いた。
何だろう。何をするつもりなんだろうか。
そう冷静に思いつつも、嫌な予感がしてその鼓動は高鳴り出す。
そして、その予感は的中。
エルはナイフを握り直すと、刃先を自分の方へと向け始めた。
『ガッ!!?な、何をしているのだ……!!』
焦るシロ。
けれど、エルは返答をするどころか、シロを見る事すらしない。
その目は、虚ろだったらしい……。
『ば、馬鹿な事はやめるのだ!!』
『……』
『……チィッ!!』
シロは舌打ちを打つと、ナイフを奪い取ろうとエルのベッドへと飛び移る。
『きゃっ!?……何するの!!離しなさいよ……!!』
『お前こそナイフを離さぬか!!』
抵抗するエル。
シロも頑張って奮闘するが、……悲しい哉。
肉球の手で、固く握りしめられたナイフを奪うのは至難の業。
揉めてる内に押し倒す形となり、奪えないのならせめて両腕を押さえつけようと、前足に力を籠める。
『いやぁぁあああああ!!やめて!!死なせてぇぇえええ!!レオに置いて行かれる私なんて、唯のゴミクズよぉぉおおお!!!』
『お、落ち着かぬか!!……こ、こら、暴れるでない!!』
『いやぁぁあああ!!離してっ!!離しなさいよぉぉおおお!!!』
――てな訳らしい。
「ふふ。シロがそんなに喋ってるとこ、初めて見たよ」
それはもうペラペラペラペラと、普段動かさない筋肉をフル稼働させ、必死に口を動かしていた。
やれば出来るじゃないか。うんうん。
「ほ、本当だぞ!?言い訳とかではないのだぞ!?本当に本当だぞ!?」
「そう強調されると、逆に怪しいね?」
「ご、誤解だ!!」
「あはは!冗談だよ。疑ってごめんね?エルを止めてくれて、ありがとう」
「グルル……」
安堵した様な静かな唸り声をあげ、シロは腰を下ろす。
たくさん喋って疲れたのか、息が少し乱れていた。
私は「お疲れ様」と苦笑しながら、その頭をよしよし撫でる。
……まぁ、実はエルのナイフの持ち方がおかしかったから、途中で気付いてはいたんだけどね。
シロの慌てた反応があまりにも面白……ゴホン。
滅多に話さないシロが珍しく沢山喋るものだから、会話の練習に丁度いい機会かなと思って、敢えて疑惑を掛けたままにしていた。
許せシロ。これも全て、君の為を想ってこそなんだ。いやマジでマジで。本当だよー?
「それと、……エル?」
ベッドの上から身を乗り出して、先程からずっと私にしがみ付いているエルを一瞥。
啜り泣きながらも顔をぐりぐりと摺り寄せてきて、ちょっと鬱陶しい。
「えーっと……。置いて行って、本当にごめんね?無理にでも連れて行けば良かったね」
「……ひっく、ぐすっ……ひっく」
中々泣き止まないので、とりあえず謝罪。
まさか死にたくなる程にショックな事だったとは露知らず。
……というか、普通思わないけども。
流石は自殺志願レベル超弩級のエル。
どこで自殺スイッチが入るのかが予測不能だ。
「――でもね、エル。前にも言ったけど、私にはエルの存在が必要不可欠だ。旅の目的、もう忘れちゃったの?一緒に生きようって約束したじゃない。狂気に抗おうって約束したじゃない。それなのにエル、……酷いじゃないか」
「……っ!!ち、違うの!!……いや、その、違わないけど、……うっ、ひっく、ごべんなざい~」
「エルはもう、私と生きるのが嫌になったの?それなら、止めはしないけど……」
悲しそうに俯く私に、エルは漸く体を離すと、わんわん泣きながら激しく首を横に振る。
「ごべんなざい~。ひっく、ひっく……、ごべんなざい~。うぅぅぅ~、えっぐえっぐ……」
「そう?なら良かった。ふふふ」
これで多分、エルはもう大丈夫だろう。
扱いやす……ゴホン。
「そんな事より、お嬢。今日は何するんだ?」
事の様子を、ぽけ~と見守っていたクロが漸く口を開く。
お前……、やっと場に交じって来たかと思えばそれか。
まぁ、今まで人と関わってこなかったクロに、気の利いた言葉を期待するだけ無駄なんだろうけどさ。
「はぁ。そうだね……。とりあえず今日は、……宿でのんびりしとこうか」
何かエル酒臭いし、多分まだ抜けてないっぽい。
情報は昨日リヒトから色々聞けたから、今日ぐらいゴロゴロ休ませてもどうってことはない。
というか、正直もう情報はリヒト頼りで問題ないから、エル達に冒険者をやらせる意味は既に消滅している。
でも、……宿にずっと居られると、その、読書の邪魔じゃん?てへへ。
なーんて。そんな本音、エル達には秘密だけどね。
*******
その日の夜。
また本を借りに行こうと、読み終えた本を片手に魔法学園の図書館へと転移した。
既に数回訪れているが、何度来てもここの蔵書量の多さには驚かされる。
「ほぅ……」と感嘆の息を一度零した後、人気のない静まり返った館内をてくてく歩く。
キョロキョロ辺りを見回して、借りていた本が入れられていた棚を探した。
館内には僅かな月明かりが差し込んでいるものの、ほぼ真っ暗闇だ。
普通なら、文字を読むどころか本を探す事さえ出来ないだろう。
けれど吸血鬼の私は、スキル『闇視』のお陰で、どれだけ暗い闇の中でも問題なく全てを視認可能。
いやー。夜目が利くって便利ですわー。
「んーと、どこだったかな……」
館内を彷徨う事少々。
見えはするけど、目的の棚は見つからず。
……分からん。広すぎて。
「ここだったかな?」
うん。ここだった気がする。
というか、もうここでいいや。
違ったら、きっと図書委員的な誰かが元に戻してくれる事だろう。
えい、と本を棚に差し込んで、満足気に頷いた。
すると――、
「それは、そこではないぞ?小さき探究者よ」
「……っ!!?」
――唐突に、背後から人の声が響いた。




