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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編
61/217

強く生きなさい。

その頃、奴隷商では……。

 トーマスの奴隷商には、死体安置室がある。

 比較的安い奴隷等が並べられている小汚いテント。――その、ずっと奥の部屋。

 在庫処分品の奴隷が置かれたエリアを通り過ぎ、幕を二つ潜る。

 その、先には。

 檻に入れられた獣型の魔物達が数体、幕を潜って来た人物を、涎を垂らして出迎える。

 人間の血肉の味を覚えた、死体処理用に飼われている魔物達である。

 ――通称、死体処理部屋。

 そしてその部屋の隅にあるのが、箱の様な見た目の、簡易で小さな倉庫。

 中の広さは、およそ4畳といったところか。

 天井の中央には、充填された魔石によって冷気を発する魔道具が設置され、それによって中の温度は管理されている。

 言わずもがな、その倉庫――冷蔵室こそが、死体安置室である。

 そして今まさに、その冷蔵室のドアノブは回転し、金属で作られたドアが開く。

 ギギッ、と僅かな金属音が響いた後、中から人が現れた。

 長い黒髪に、赤い瞳の少女の様な美少年、……クロードである。


「はぁ……」


 クロードは寒々し気に白い息を吐きながら、冷蔵室のドアを最大まで開いた。

 それから、口元に付いた血液を手の甲で拭った後、魔物が入れられた檻の錠を全て外していく。

 放たれた魔物達は、尻尾を千切れんばかりに振りながら、開け放たれた冷蔵室目掛けて一直線に走り出した。

 暗闇に包まれた冷蔵室の中からは、死肉を貪る醜悪な音だけが不気味に響く。

 

「よっ!久しぶりだな、クロード」

「……フレッグ」


 血で汚れた口元と手を洗おうと、傍に設置された洗面台へと歩を進めていたクロードは、丁度、死体処理部屋に入って来たフレッグに声を掛けられ、怪訝そうに眉を顰めた。

 フレッグは、クロードのその反応に数回目を瞬かせると、何故かにやにやと口元を歪めだす。


「そんな顔すんなって~。可愛い顔が台無しだぞ?」

「黙れ。キモイ」


 間髪入れずに浴びせられるクロードの暴言。

 けれど、フレッグのにやにやは止まるどころか、寧ろ助長させる結果となった。


「……んだよ、その面は」

「え、別にぃ?」

「チッ。……用がないなら消えろよ」


 にやにやと笑みを浮かべるフレッグの顔を見ていてもイラつくだけだと、クロは足早に洗面台へと辿り着き、蛇口を捻った。

 服が汚れない様にと首元に巻いていた布切れを外し、冷たい水に手を濡らす。


「お上品なこって」

「あ?」


 血を洗い流した手で水を掬い、顔を洗おうとしていたところ、フレッグから再び話し掛けられる。


「服を汚さねーようにナプキン掛けて、まるでお貴族様じゃねぇか。レオ様に買われる前は、汚れなんざ気にしちゃいなかった奴が、随分小奇麗になったもんだ。そういう教育でも受けたのか?」

「……何でもいいだろ」


 それだけ言うとクロは口を噤み、手で掬った水を顔へと運ぶ。

 薄っすらと赤く染まった水滴が、頬を伝って顎から落ちた。


「レオ様に引かれたくないんだろう?ま、嫌われたくない奴には、人間の死体を喰って血塗れになった姿なんざ、見られたくねーわなぁ」

「……」


 血を洗い流し終えたクロは、蛇口を閉めながらフレッグのにやにや顔を睨み付ける。

 けれど、水が滴るその顔は何とも美しく。

 少女の様な幼さの残る顔つきと合わさって、益々迫力に欠けていた。


「いひひっ!本当、分かりやすい奴!!……まぁまぁ、そんな怒んなって」


 フレッグは楽し気に笑い声を零しながらクロへと近付くと、手に持っていたタオルをクロの顔に「ほらよ」と乱暴に押し当てた。


「んぶ……!」

「とりあえず拭け。んで、トーマスさんの所に行け。自室にいらっしゃる」

「……チッ。最初っから用件だけ言えっつーの、オッサン」

「ちょ、おま、……生意気なのは変わんねーのな、マジで」


 深緑の髪をボリボリ掻きながら、フレッグは呆れた様に溜息を吐いた。


「それからな、俺はトーマスさんと歳は変わらん。寧ろちょっと若い。故に俺はオッサンではない。アンダースタン?」

「あんだー……何?」

「あー……。えっとな、異世界人の言語で……って、んな事今はどうでもいいか。とりあえず、俺はオッサンではない。はよトーマスさんのとこに行け。ここの片付けはやっておいてやるから」


 フレッグは一度咳ばらいをすると、しっしっと手で追い払う仕草をする。

 その態度に、クロは若干苛立たし気に眉を顰めたが、特に追及する事でもないかと直ぐに考えを改め直し、タオルで顔を拭きながら部屋を隔てる幕へと歩き出した。


「……クロード」

「はぁ……。まだ何かあんの?」


 幕を潜ろうと手を伸ばした刹那、背中越しにフレッグから名を呼ばれ、クロードは溜息交じりに振り返った。

 人を小馬鹿にしたようなにやにや顔で、どうせまたイラつくことを言われるのだろう。

 そう思い、面倒臭そうに瞳を細めて見たフレッグの顔は、……何とも言えない微妙な顔だった。


「……何だその面」


 口元は小さく笑んでいて、しかしその瞳は半目。若干、哀れみの感情さえ窺える。


「頑張れよ、クロード」

「何が」

「頑張れ」

「だから、何がだよ!!」

「色々だ。何かもう、……うん。色々だ」

「何1つ分かんねーよ!?」


 遂には目頭を押さえ出すフレッグに、クロードは意味が分からず驚愕の声を張り上げる。

 けれどよく見ると、フレッグのその口元には笑みが浮かんでいた。


「もういいから、はよ行け。これ以上喋ってると、涙が零れそうだ。お前にこんな姿、見られたくねぇ。……ぷ、くく」

「やっぱ笑ってるよな!?」

「後はトーマスさんが、お前の頑張るべきことを教えて下さるだろう。有り難ーく、お言葉を頂戴しろ」

「お前が引き止めたんじゃねーか!!」


 再び手でしっしっと追い払われ、クロードは苛立たし気に踵を返すと、今度は何があっても振り返るもんかと、走って部屋を出て行った。

 クロードが消え、魔物が肉に喰らい付く音だけが不気味に響くその部屋で、フレッグは漸く顔を上げると、クロードが出て行った幕へと視線を向けて小さく呟く。


「――頑張れ」




******


 無駄な時間を過ごしたと、クロードは舌打ちを打ちながら、トーマスの部屋がある小奇麗なテントの方へと移動する。


「全く、何だったんだフレッグの野郎。今まで話なんか大してしてこなかった癖に……」


 クロードは小走りに歩を進めながら、不思議そうに首を傾げた。

 何故だか最近、フレッグが妙に馴れ馴れしい。

 いや。正確には、フレッグだけではない。ここにいるトーマスの部下、全員である。

 レオに買われる前は、用件のみの必要最低限の会話のみしかした事が無かった。

 それどころか、目を合わす事さえ避けられる始末である。

 ……けれど、今ではあの変わり様。個人差はあるものの、フレッグの様に親し気に関わってくる者も多い。

 ここに来る度に、フレンドリーに声を掛けてくる人が一人、また一人と増えてきて、クロードの困惑は増すばかりである。


「意味が分からない……」


 小さく溜息を吐きながら、クロードは緩く首を振る。

 けれど、その足取りは軽やかである。

 きっとトーマスの部屋で、お嬢も待っていてくれているのだろうと思うと、さっきの不快な気分もどこへやら。

 目的の部屋が近づくにつれて、眉間の皺は取れていき、頬は徐々に緩みだす。

 

「――お嬢!!」


 「ただいま」と言いかけて、クロードは急遽言葉を飲み込んだ。

 部屋に居たのは、……トーマスのみ。

 トーマスは手に取っていたカップをソーサーに置くと、不快気に眉を顰め、冷たい眼差しをクロードに送った。


「……騒々しい」

「うっ……」


 トーマスの冷視線に、クロードは怯えた様に固まって、顔を背ける。

 恐々と身を縮こまらせるクロードの態度に、トーマスは溜息を吐くと、机の向かい側に用意した椅子を目で指し示した。


「はぁ……。そこにお座りなさい」

「な、何だよ。……お嬢はどこだよ」

「いいから、座りなさい」


 冷たい瞳と、冷たい声色。

 幼い頃から向けられていた、トーマスのこの静かな威圧感が、クロードは特に苦手だった。

 もちろん、今も。

 けれど近頃、何故かトーマスの態度は時折軟化する。

 以前までは、トーマスも、ここにいる皆も、喰種である自分の事が嫌いなのだと思っていた。

 自分に向けられる感情は、冷たい程の“無”。

 それが、己の無価値さを思い知らされているようで、唯々恐ろしく、悲しかった。

 けれど最近は、向けられる感情に無以外のものが含まれている様に思えてきて、それは、トーマスのこの冷視線に対しても例外ではない。

 そんな理由もあって、以前と比べれば、トーマスが少しだけ恐くなくなった。……少しだけ。


「何か用かよ……」


 トーマスから視線を逸らしながら、クロードは恐々と椅子に腰かける。

 やはりまだまだ、トーマスは苦手である。


「……ホットサンドでも食べますか?」

「は?」


 机上に置かれたホットサンドを目指しされ、予想外の返しにクロードは目を瞬かせた。


「アレだけが朝食というのも、味気ないでしょう。それとも、もう入りませんか?」

「いや、……食えるけど」

「なら、お食べなさい。お茶でも淹れましょう」

「え……」


 目の前にカップを置かれ、紅茶を注がれる。

 ……おかしい。あのトーマスが、自分に食事を提供するどころか、茶を淹れるだなんて。

 クロードは怪訝そうな表情で、トーマスの一挙一動全てを注視した。


「な、何を企んでやがる」

「……はい?」


 紅茶を淹れていた手を止め、今度はトーマスが怪訝そうに顔を顰めだした。


「はっ……!!ど、毒か!!毒でも入れてやがるのか……!!」

「……はぁ。レオ様の奴隷に、そんな事をする筈がないでしょう。お馬鹿な事を言ってないで、さっさと食べなさい」


 呆れた様に溜息を零すトーマスに、クロードは己の今の立場を思い出し、それもそうかと納得する。

 奴隷商の人間が、他人の所有物である奴隷に危害を加える事は、まず有り得ない。

 そんな事をすれば、奴隷商全体の信用問題に関わって来る為、他の同業者から一斉に叩かれ、直ぐさま潰されるのである。


「い、いただきます……」


 トーマスの部屋で、トーマスとお茶をする。

 その何とも言えない初めての経験に、クロードは視線を泳がせながら一先ず紅茶を啜った。


「っ!!……美味い」

「そうですか」


 クロードと同じく紅茶を啜りながら、トーマスは僅かに口元を緩ませる。

 その光景にクロードは数回瞬きした後、黙ってホットサンドに手を伸ばした。

 厚切りのトーストに詰め込まれるようにして挟まれた、ハムとチーズと半熟タマゴ。

 それに勢いよく齧り付けば、トロトロに溶けたチーズと、これまたトロトロのタマゴとが、塩気のあるハムと混ざり合って濃厚な味わいを作り出す。

 美味。の一言である。


「……ふふ。そんなに急いで食べると、詰まらせますよ。全く、品のない」


 その美味しさもあってか、ガツガツと大口で頬張っていくクロードを横目に、トーマスは小さく微笑んだ。

 けれど、トーマスがもう一度紅茶を啜って、カップをソーサーに置いた時、クロードの食事は終了した。


「ごちそうさま。美味かった」

「早いですね」


 食事を終え、紅茶を一気に飲み干すクロード。

 トーマスも思わず半目である。


「それで、お嬢はどこだ?」

「まぁ、お待ちなさい。……クッキーなんて物もありますが、食べますか?」

「マジでどうした今日!?」


 棚からクッキーの箱を取り出して机に置くトーマスに、クロードは驚愕した。

 しかも空になったカップに、御丁寧に紅茶を淹れ直してくれるという始末。

 怪しい程の好待遇振りに、逆に恐怖しか感じない。


「や、やっぱり毒か!?遅効性のものなのか!?ど、どどどどうしよう、お嬢!!俺、もう食べちゃった……!!」

「……本当に毒殺して差し上げましょうか?」


 青褪めた顔で周囲を忙しなく見渡すクロードに、トーマスは額を抑えながら大きな吐息を吐き出した。


「はぁ……。レオ様に、あなたの面倒を頼まれたのですよ」

「……え?」

「今、あなたはレオ様の奴隷ですからね。雑な扱いなど出来る筈もないでしょう?ですから、……暫く、素直に持て成されていなさい」


 トーマスは顔を背けて咳ばらいをした後、紅茶を啜る。

 けれど、返答のないクロードの態度が気にかかり、横目でチラリと流し見た。


「……」

「どうしました?」


 再び視界に入れたクロードは、目を見開かせたまま固まっていた。

 その視点は定まらず、激しい動揺の感情が窺えた。


「あ、……ああ、」

「クロード?」


 視線を彷徨わせながら、クロードは弱々しく立ち上がり、声を漏らす。


「お嬢が、俺を、……置いて?」

「クロード。聞こえてますか?」


 クロードの異変にトーマスも立ち上がり、近くに寄る。

 けれど、トーマスの声など耳に入っていない様子のクロードは、感情を更に昂らせ、頭を掻き乱しながら地面に膝を着いた。


「あ゛あっ!!置いて行かれたっ!!もう、もう、……戻って、来ない……っ!!」

「クロード」

「捨て、られた……!!俺、だって、だって、喰種だから……!!面倒臭くなったんだ……!!」

「落ち着きなさい、クロード」

「ああ、もう、死ぬしか……!!この先、どう生きればいい!!もう、もう、生きられない!!お嬢がいないと、醜い俺は、どうすればいい……!?また醜い生き方をしないといけないのか!?そんなの、……そんな惨めに生きるぐらいなら、せめて、俺を殺してから捨ててくれれば……!!」

「クロードッッ!!!」

「ぐ……っ!!?」


 横腹を思いっ切り蹴り飛ばされ、部屋の隅まで吹っ飛ぶクロード。

 衝撃で棚は倒れ、部屋には物が散乱した。


「ふぅ……。落ち着きましたか?」

「……」


 倒れた棚を背凭れに、クロードは吹っ飛ばされた態勢のまま動かない。

 トーマスは感情のない顔でクロードの傍に歩み寄ると、その頭を乱暴に掴んで上を向かせた。


「意識はあるようですね。……まぁ、その様子じゃ、気を失ってくれていた方が私的には楽でしたが」

「……」


 力なく、光の宿らない瞳で宙を見つめるだけで、クロードは何も応えない。

 視線は交わらないものの、それでもトーマスはクロードの瞳を直視して、言葉を紡ぐ。


「……よくお聞きなさい、クロード。レオ様は、用事を終えたら直ぐにまた戻ってきます。必ずです」

「……」


 その力の籠った言葉に、クロードは僅かに顔を上げ、トーマスの顔へと視線を向けた。

 

「あなたはレオ様の奴隷でしょう?そして何より、レオ様をお護りする従者なのではないのですか?ならば、少しは主人を信用しなさい。それが出来ないのであれば、まずはあなた自身がもっと強くおなりなさい。強くなって、自分に自信をつけなさい。そうすれば、多少は価値ある人間になれるでしょう。そうすれば、多少は自分を信じる事が出来るでしょう」

「……そうなれば、お嬢は、俺を捨てない?」

「……あの時、私はあなたに言いましたよね。『強く生きなさい』と。どんな強さでもいいのです。あなたが生きられる、その為の強さならば。強くなるという事は、生を選ぶという事。生きるという事は、自分を信じて受け入れるという事。……そしてそれは、他人を信じるという事でもある。強くなって、自分を信じなさい!捨てられないという、確固たる自信をつけなさい!“捨てられないか”ではなく、“捨てさせない”という意地を見せなさい!!誰にも、あなたという存在を捨てさせるな!!!」

「……!!」


 目を見開いて、今度は違う意味で固まるクロード。

 そして少しの間の後、その美しい赤の瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ始めた。


「か、母さんは……、」

「……あの時は、まだあなたは幼かった。強くなど、なれる筈がありません。でも今は違うでしょう?守られるだけではなく、誰かを守ることだって出来る筈です。出来る範囲でいい。今自分が出来る事を、誰かの為に、力の限りおやりなさい。……だってそれは、自分の為でもあるのですから」


 そう言って、トーマスはクロードを力強く抱きしめる。

 「強く生きなさい」と、そう呟いて。

 クロードはその状況に一瞬驚きの表情を浮かべたものの、溢れ出す涙と共に、直ぐに嗚咽も零れ出す。

 そして、泣きじゃくる。――幼子の様に。


その頃、部屋を隔てる幕の外では。

……フレッグと愉快な部下達が、聞き耳を立てながら涙を流していた。

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