私は、私だ!
どこまでも沈んでいけそうなフカフカのベッドの上で、お日様の匂いをいっぱいに含んだ柔らかな毛布に包まって、侍女達の優しい声の中で眠りに落ちる。
今日起きた色んな出来事を思い出しながら、笑みを零して、幸せに満たされて。
いつものことだ。
そう、いつもの事だった。
昨夜までは。
それは突然起こった。
というよりも、やっと戻ったというべきか。
やっと私は私になれた、そういう感覚。
エレオノーラ・カーティス。それが今の私の名前。
そこに前世の記憶が戻って、統合され、私になった。
生まれてから、夜泣きばかりする子だった。
5才となった今でも、夜中に泣きながら起きる事が何度もあった。
それは決まって、よく分からない、けれどとても怖ろしい夢を見た時だ。
短い黒髪のお姉さんが、恐い世界で、恐い人達から、恐い事をされる夢。
断片的で、曖昧な内容だったけれど、何だか酷く恐ろしくて、けれどどこか既視感の様なものを幼いながらも感じていた。
そして、漸く理解した。
あれは、私なのだと。
鏡に映る、花の様に可愛らしいピンクのドレスを着た、金髪碧眼の愛らしい少女を見つめながら、そう悟った。
――今朝は、恐い夢を見る事無く、気分よく目が覚めた。
私は鼻歌交じりに鏡を見つめ、侍女達は微笑みながらドレスを着せてくれる。
花の様に可愛らしい、フリルいっぱいのピンクのドレス。
今日は、母様と兄様と、お庭の一角にあるバラ園でお茶会だ。
母様が手作りのクッキーを作って来てくれると、とても楽しみにしていた。
着替え終わって、鏡前に持って来られた椅子に腰かけ、髪を梳いてもらう。
早くお茶の時間にならないかなぁ。
楽しみすぎて身体をリズムよく揺らしていると、侍女達に笑われた。
そして、「じっとしていて下さいね?」と優しく諭される。
……はぁい。
そして私の身支度を終わらすと、侍女達は、「朝食の準備を終えたら、またすぐ戻ってきますから。ちゃんと、静かに、大人しく、していて下さいね?」と言い残していき、にこやかに去って行った。
そんな強調しなくても……。
そこまでお転婆じゃないと思うんだけどなぁ。
ぷぅ、っと少し頬を膨らませ、侍女達が出て行った扉の方をジト目する。
数分もすれば、またすぐ戻ってくるのだろうけれど、一人になった部屋というのは、何とも静かでつまらない。
鏡の前でクルクルと回って、ドレスを揺らす一人遊びを始める。
右に数回、そして行き成りの左回転。……かと思ったら、実は右でしたー。
ふっふっふ、油断したな、ドレスめ。
ふわふわパタパタと、忙しなくドレスを揺らしながら、満足げな笑みを浮かべる。
左、左、右にターン。反復横飛び!ジャンプ!左にターン、右にターン。
……そして、こけた。
盛大に尻餅をついて、涙目になる。
大人しくしていよう、そう決意を新たに立ち上がり、鏡を見ながら乱れた髪を整える。
これで、……バレないよね?
乱れた後ろ髪に気付かない少女が、侍女達に叱られる未来待ったなし。
ふぅ。
パッと見整った身だしなみを確認し、安堵の息を零す。
……。
私が映ってる。うん。
…………。
鏡に映るのは、自分。
そう、自分だ。……私、だ。
そこで、何か、違和感。
私、私、私。
そして、夢の内容が脳裏を過ぎった。
短い黒髪のお姉さんの姿が、鏡越しに見えた気がした。
鏡の自分と、夢の自分とが重なり合った。
……ああ、そうか。
私、だ。
鏡に映る、金髪碧眼の愛らしい少女を見つめながら、ふと悟る。
首を動かせば、背中に感じるサラサラとした長い髪。
釣り目がちな大きな瞳は、見た目の愛らしさを逆に際立たせ、良いギャップとなっている。
どこをどう見ても美少女だ。
そして公爵家という家柄。
流石は女神の祝福といったところか。
「……はぁ」
俯いて、自分の着ているふわふわのドレスを一瞥。
何とまぁ、愛らしいこと。
「……く、くふふふふふふふふふふ」
込み上げる笑いを押しとどめ、肩が震えた。
かと思えば、急に白けてきて、ピタッと笑いが止まる。
そして無表情に机の方へと歩いていくと、引き出しを開け、ハサミを取り出した。
子供用に先端が丸くなってはいるが、紙を切る分には問題ない。
そしてそのまま鏡の前へと戻っていき、ハサミを髪へと持っていく。
――カシュ。
うん。本当、かみを切る分には問題ない。
カシュ、カシュ、とハサミの音だけが聞こえ、何とも心地が良い。
そして最後の音が止み終える頃には、鏡には何とも不格好な子供が映っていた。
髪は男の子のように短いのに、服装はピンクのドレスという組み合わせ。
……あ、ダメだ。堪え切れん。
「……ぷっ、く、ふふ、ふふふ、……あはははははははははははは!!!きゃははははははははははは!!」
5歳児にしてこの笑い、どうだろうか?
可笑しくて可笑しくて、狂気に染まった笑みを浮かべ、腹を抱えて笑う幼女。
……シュールである。自分で言うのもなんだけど。
そして、込み上げる愉快な衝動のままに、ドレスの首元に手を掛け、力一杯に引き裂く。
いやーん、胸元が肌蹴ちゃったわ。サービスサービスゥ、ぎゃははー、と馬鹿な妄言を脳内に響かせながらも、ドレスをびりびりと破っていく。
それが何故だか楽しくて楽しくて。
気が付けば、騒ぎに駆け付けた侍女達に拘束されていましたとさ☆
――その後、糸が切れた人形の様に急に意識を失った私は、高熱を出して数日寝込むこととなった。
目を覚ませば、その気配に反応した母様と侍女達が、急いで私の顔を覗き込んできた。
母様の目は赤く腫れ、隈も酷かった。
……心配してくれたんだろう。
特に何を感じるでもなく、客観的事実としてそう思った。
「ノーラ!?ノーラ!!」
母様が涙を流しながら私の名を叫ぶ。
……うるさい。
少しして、4つ上の兄も駆け付けてきた。
「ノーラが起きたって!?……ああ、ノーラ!!よかった!」
……うるさい。
「お嬢様、お加減はどうでございますか?もう4日も眠ってらっしゃったんですよ。何か覚えておられますか?」
侍女長のステラが心配そうに顔を覗き込んでくる。
覚えているか、とは、あの発狂事件の事だろう。
そりゃ、ドン引きレベルで驚くわな。
でも残念。あれは熱のせいとかではなく、……素だ!!
「っ、だぃ……っ、」
やっべ、喉が掠れて声が出ねぇ。
とりあえず返事の代わりに頷いておいた。
侍女の一人が慌てて水を持ってくる。
――ぷはぁ、生き返るわぁ。
「無理して喋らなくても大丈夫ですよ、お嬢様。もう直にお医者様がいらっしゃいますから、診てもらいましょうね。……ちょっと、医者はまだなの!?」
ステラは私に微笑んだ後、後ろに控える侍女達に鋭い視線を向け、小声でキレていた。
口調が変わってますよ、ステラさん。
そして少しして、「急いでくださいませ!」「お嬢様をいつまで待たせるおつもりですか!」という声とともに部屋のドアが開けられ、小太りな医者が息を切らせながら入ってきた。
「……ふぅ、ふぅ。お待たせ、しました」
……何か、すんません。
医者は、母様と兄様を私から離れさせると、診察を始め出す。
みんなに見守られながらの診察……、なかなか恥ずかしいものがある。
「……うん。まだ少し熱はありますが、明日には完全に治まるでしょう。ですがあと3日ほど、念のため安静にしていて下さい。とりあえず、身体の方はもう大丈夫です。……えっと、お嬢様、いくつか質問させて頂きますので、無理のない範囲でお答え下さい」
私は、「ああ、これ、絶対発狂事件についてだわー」と内心げんなりしつつも、首を縦に振った。
「では、あなたのお名前は、何ですか?」
「エレオノーラ・カーティス」
「何歳ですか?」
「5才です」
「好きな食べ物は?」
「……」
うわ、そういう質問は止めて欲しい。
前世の記憶が戻る前の私なら、「母様の手作りクッキーです!きゃはっ☆」とか言うんだろうけど、今の私としては別に…って感じだし。
そもそもこの答えって、クッキーが好きなんじゃなくて、母様が好きって意味合いの方が強いよな、これ。
だって、プロの作ったクッキーの方が間違いなく美味しいのは当たり前なわけだし。
じゃぁ、私の本当に好きな食べ物って何だろうか?
……うーん、というか、好きってなんだ?
美味しいと思ったもの?
尚且つ、その中で特に気に入ったもの。
……気に入ったもの?
何度も食べたいと思うもの、ってことでいいのか?
……やべーよ、特にねぇよ。
そりゃぁ、美味しいものは当然好きだが、何度も食べたら飽きるだろ流石に。
ああ、それとも味覚の好み?
当然のことだけど、辛い物が好きな人は辛い物、甘いものが好きな人は甘い物を好む傾向にある。
私はどんな味覚に偏ってる?
そこから、そういった系統の食べ物を連想していけば……。
「……お嬢様?」
「あ、えっと、……か、母様の手作りクッキーです☆」
タイムアーップ!!
答えが思い浮かばなかったぁぁっ!!
母様何か口元綻ばせていらっしゃるけど、ごめん!!何かごめん!!
「……ふむ。少し、意識がまだぼんやりされてますねぇ」
あ、勝手に解釈してくれた。
「では、質問はあと2つ程にしておましょう。……好きな色は何ですか?」
「……」
はい、好きなものシリーズですね。分かります。
色、色、色……。
以前はピンクが好きだったが、これって刷り込みもあるよね?
女の子はピンクが好きよね~っていう、あれですよ。
毎日、ほわほわした乙女な物に囲まれてたら、そりゃピンクが好きかも、って気になってきますわ。
実際、大人になって好き嫌いの好みって変わるわけじゃん?
自己同一性の確立ってやつ?アイデンティティですよ。
私は、私だ!っていう、あれね。
思春期を乗り越えて、漸く本当の自分に辿り着いていくわけですよ。
ガキの頃のプロフィールなんか、夢と妄想と親からの刷り込みが8割だと思うんだよね、うん。
だってさぁ、「将来は○○になりたい!」っていう短絡的で思い付きな夢、最後まで貫いた奴とか極稀じゃん?意志も糞もあったもんじゃないわー。
まぁ、夢を貫き通した奴も奴で、そんな幼児時代に思った事に人生賭けてマジかこいつ、とも思うけど。一回考え改め直して、視野広げたりとかしなかったのかねぇ?
って、どっちも糞だから、どうでもいいんだけど。興味なし!うん。
……とと、思考がズレてきたな。
えーっと、好きな色だよね?
んー、明るい色は気が滅入るなぁ。ほら私、根暗だし?あははーん。
となると、黒、紺、茶、……あぁ、白い服も着るな。
……ん?これ、無難な色ってだけで、好きとかじゃなくね!?
あれ、ちょっと待とうか。
えーっと……。
「……」
「お嬢様?」
「あ、その、……ピンクです☆」
タイムアーップ!!!!
思い浮かばへんやないかーい!!
だって、無いんだもーん☆
「では最後に、……家族は好きですか?」
「……っ」
思わず、固まってしまった。
エレオノーラ・カーティスとしての私が聞かれているのは分かっている。
だから間違いなく、即答で、ここはyesと答えるべきだった。
でも、詰まってしまった。
黒沼優美の家族への虚無感が、絶望が、私に訴えかけてくる。
……ああ、そうだね。
私は家族に期待をしていない。興味もない。
好き嫌いの問題ではなく、どうでもいい。
だけど……、
「……はい」
とだけ、小さく答えた。