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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編
59/217

手の掛かる子です。

 まだ夜が明け切らぬ薄暗さの中、いつもの様にトーマスは目を覚ます。

 時刻は、朝と呼ぶには早過ぎて、夜と呼ぶには遅過ぎる、何とも微妙な時間帯。

 といっても、昔からこんなに早起きだった訳ではなく、寧ろ朝は苦手な方だった。

 仕事をするにしても、もっと遅めの起床時間で十分に間に合う。


「ふふ、駄目ですね。……この時間になると、やはり起きてしまう」


 トーマスは自嘲気味な笑いを零しながら、呆れた様に呟いた。

 ――もう、必要のない早起き。

 ここ数年の間、あの子の帰宅する時間に合わせて起きる様にしていたら、すっかり染み付いてしまった生活習慣。

 中々消えないものだなと、トーマスは苦笑した。

 クロードに外出を許可していた時間帯は、人目のない深夜のみ。

 日が昇る前に帰って来るクロードを出迎える為に、習慣が身に着く前はかなり無理して起きていたのだが、今ではそれが懐かしい。

 トーマスはベッドの上で大きく伸びをすると、のそのそと着替えを始めた。

 それから自室に設置された簡易の洗面所へと向かい、身嗜みを整える。

 ……鏡に映る、自分の顔。

 ふと気になって、まじまじとそれを凝視した。


「こんな老けてましたかね……」


 うーん、と眉間に皺を寄せながら、自身の顔にそっと触れる。

 老けたといっても、彼はまだ30半ば。

 それでも、久しぶりにじっくりと見た自分の顔は、トーマスにとっては老いて見えた。


「10年、か。……私も年を取る筈ですね」


 くすりと、トーマスは苦々しい表情で小さく笑うと、寝ぐせ一つない黒髪を櫛で梳いた。

 その時、部屋を区切る幕の外から、声が掛かる。


「トーマスさん。御起床ですか?」

「お入りなさい」


 失礼します、と朝食の乗った盆を片手に姿を見せたのは、フレッグ。

 店主代理を務める事もある、トーマスの一番の部下である。


「おはようございます、トーマスさん」

「ええ、おはようございます。いつもすいませんね。私に合わせて起きなくても良いと言うのに……。朝食ぐらい、自分で適当に食べますよ」

「気にしないで下さいな。もうすっかり習慣になっちまって、起きちゃうんですよ。それは他の連中も同じでしょう」


 フレッグは部屋の一人机にお盆を置くと、カップに熱々の紅茶を注いだ。

 温かな湯気と共に立つ茶葉の香りが、早朝の冷たい空気と混じり合い、時が色を帯び始める。

 ああ、一日が始まった。

 心は和み、そう実感できる瞬間である。


「ありがとう。頂きますね」

「どうぞ」


 トーマスは席に着くと紅茶を啜り、ホッと一息。

 ワンプレートの皿上には、スライスし、表面を軽く焼いた黒パンに、ベーコンと目玉焼きと添え野菜が少々。

 時折、ベーコンがソーセージに代わったりもするが、朝食はいつもこんな感じである。

 とはいえ、特に不満はない。

 というより、トーマスは食事にそこまでの関心がなかったりする。

 なので、食事のメニューは全て、部下達にお任せである。


「それにしても、エライ事になりましたねぇ。エレオノーラ様……いや、レオ様が姿を消すだなんて」

「……本当に、規格外な方です。だからこそ、あの子を任せられたのですが」


 トーマスは、パリッと音を立てる黒パンを手で千切ると、口へと運ぶ。


「クロードも、もう来ないんですかねぇ」

「まぁ、そうでしょうね」

「最後にここを訪れたのは確か……、12日程前でしたか。ちゃんと、自分で調達出来ているといいのですが……」

「出来なければ死ぬだけです。どうせいつかは自分で解決すべき問題だったのですから。いつまでも餌を貰いに私を頼ってくる様では、愚かもいいところ」


 淡々とした声色で返答し、トーマスはカップに口を付けた。


「……そうは言いつつ、トーマスさん。実はちょっと寂しいんでしょ」

「……っ」


 思わず噴き出しそうになった紅茶をごくりと飲み込んで、数回咳き込む。

 トーマスは、隣でにやにやと口元を歪ませているフレッグを横目で一瞥した後、「そんな訳ないでしょう」と紅茶を啜り直した。


「そうでしたか。そいつぁ失礼しました」


 そう言いつつも、フレッグのにやにやは止まらない。

 トーマスは不機嫌そうに顔を顰めると、フレッグを軽く睨み付けながら咳払いをした。


「……何か勘違いしている様ですが、本当に何とも思っていませんからね?あの子を育てていたのは、唯の使命感。……唯の、罪滅ぼし」

「……」


 視線を紅茶の水面へと移し、そこに薄っすらと映った自分の影を覗き見る。

 しかしその瞳に映るのは、自身の影を通して見る、別の誰か。


「ふぅ……。いけませんね。漸く肩の荷が下りて解放されたというのに。……それでも過去からは、この罪悪感からは、やはり逃れられないのですね。どうやら、私の罪はまだ消えないらしい。……これ以上、どう贖えというのでしょうね」


 乾いた笑いを零して、カップを揺らす。

 振動で水面が波打って、自身の影がゆらゆらと消えていった。


「……詳しくは存じませんが、罪は消えやしませんよ。業深い、この奴隷商という仕事に、俺は誇りを持っています。だからこそ俺は、この業を背負い続けますし、消すつもりもありません。寧ろ、墓場まで持って行ってやりますとも。何なら、地獄でだって一緒です。罪を犯した時点で、その業は、もう自分の一部なんすよ。こう言っちゃ誤解されるかもしれませんが、俺にとってこの罪は、この苦しみは、誇りです。……なんて、偉そうに言ってはいますが、半分は貴方からの受け売りなんですけどね」

「そう、でしたね。……誇り、ですか。ふふ、貴方らしい答えです。……全く、年は取りたくないものですね。つい、感傷に浸りやすくなってしまう」

「……その歳で何言ってるんですか。貴方、結婚すらまだでしょうが。そろそろいい年なんですから、家庭でも持ったらどうです?とりあえず、女でも作りなさいな。まだまだ若いってーのに、中身はすっかり老け込んじまってまぁ……」


 フレッグは溜息を吐きながら、「あーやだやだ」と首を振った。


「女、ですか……。あまり気力が湧きませんねぇ」

「その年で枯れないで下さいよ!?」


 やる気無さ気に吐息を零すトーマスに、フレッグは小さな悲鳴を上げた。

 生活のほとんどをクロードの為に注いできたトーマスにとって、今は子育てを終えた親と同じ心境なのだろう。

 軽く、空の巣症候群と化している。

 これでは駄目だと、フレッグは寝起きの頭をフル回転し、急ぎ提案を口にした。


「ほ、ほら!あの方なんてどうですか?同業の――」


 だがしかし、そこまで言ったところで、フレッグの話は「トーマスさん」という声によって遮られた。

 いいところだったのにと、フレッグの内心で舌打ちが炸裂する。


「お入りなさい」


 その返答に、幕を潜って「失礼します」と部下の一人が入って来た。


「どうしましたか?」

「その、……お客人がいらっしゃってます」

「こんな時間から?どなたですか?」


 トーマスは怪訝そうに顔を顰め、首を傾げた。

 部下は気不味そうに視線を泳がせた後、恐々と客人の名を口にする。


「カ、カーティス家私兵団の、オズワルド・ダウティという方です」

「……名を名乗るという事は、第三ではないようですね。そう何度も訪ねられても、お答え出来る事などないというのに。はぁ……。分かりました。直ぐに行くと、オズワルド様にお伝えなさい」

「承知しました」


 部下は軽く頭を下げると、急ぎ部屋の外へと出て行った。

 カーティス邸の者と王族以外で、エレオノーラと深い接点を持っていたのはトーマスのみ。

 故にエレオノーラの失踪後、行き先に心当たりはないかと、トーマスのもとに第三私兵団が遣わされた。

 ――がしかし。当然、答えられる事などある筈もなく。


「やれやれ。例え行き先が分かろうとも、あの方を捕まえる事など不可能でしょうに……」


 トーマスは紅茶を一口啜って吐息を零すと、静かに立ち上がって上着を取った。




「お待たせ致しました」


 テントの外へ出ると、冒険者の様な服装をした男が、直立姿勢でトーマスを待ち構えていた。

 カーティス邸の者とは思えない程の簡易で庶民的な服に、最低限の防具。

 身に着けているものはどれも高品質の物ではあるのだろうが、あのカーティス家私兵団の者が身に着ける物にしては、些か地味である。


「トーマス・ファーバー殿。早朝からの突然の訪問、勝手ながらお許し頂きたい。……私は第一私兵団副団長、オズワルド・ダウティと申す者。エレオノーラ様がエルフの奴隷を買った際、護衛としてお傍に控えていた者で御座います」


 その男オズワルドは、トーマスに深く頭を下げて謝罪の意を示すと、自身の正体を明かした。


「――ああ、あの仮面の。……お久しぶりで御座います」

「あの時は名も名乗れず、大変失礼を」

「お忍びならば仕方もない事。目的上、尚の事身分は語れないでしょう。……立ち話もなんですし、どうぞ中へ」

「……いえ。あまり時間もないもので、お気遣いは無用です」

「そうですか。……ならば、早速本題に移らせて頂きましょうか。この様な日も昇らぬ時間から、何用でしょう?この時間に私が既に起床している事、よく御存知でしたね」


 普通ならば、多くの人は未だ夢の中。

 そんな時間に訪ねて来るなど常識外れもいいところなのだが、トーマスが早くに目覚める事を知っていなければ、そもそも出来ない行動である。


「申し訳ない。夜が明ける前から灯りが灯る事、報告を受けて知っておりました。御無礼御容赦下さいませ」

「なるほど。第三か、……或いは噂に聞く第四か。ある程度の事は調査済みという訳ですか。流石はカーティス家私兵団」

「……立場上、カーティス家の御方々を守るのが我らの務め。お嬢様に万が一の事があっては、旦那様に申し訳が立ちません。……故に、クロードの食事を提供する件で、お嬢様と度々お会いする貴方様の事は、どうしても調べる必要がありました。それに、唯でさえ貴方様は、……この王都の裏社会を取り纏める方」

「ふふ。危険人物か否かを見極める事は、大切でしょうね。……それで?調査の結果、私はどの様な評価を下されたのでしょうか?」


 くつくつと笑いを零しながら、トーマスは小首を傾げた。


「……御安心を。貴方様の事に関しては、まだまだ謎に包まれておりますよ。それに、――もう大分前から、調査の方は打ち切っております」

「おや。それは何故でしょう?」

「お嬢様と繋がりを持ったところで、貴方様はカーティス家を利用する様な愚策を考える程、愚かな方ではない――というのが、旦那様の判断です」

「ふふふ。脅しの様にも聞こえますね?」

「それと、……カーティス家にとってではなく、お嬢様にとって、貴方は危険人物に成り得ない。お嬢様にとって危険な存在でないのなら、何ら問題はない。……これも、旦那様のお考えです」


 トーマスはその言葉に目を瞬かせ、「ああ、なるほど」と納得した。

 確かにエレオノーラにとって脅威となる者など、そうはいない。

 というか、いない。


「レオ……いえ、エレオノーラ様は、色々と規格外な方ですからね。ぜひとも、敵には回したくない。あの方の前では、私の力など虫けらの様なものでしょうから。……恐らくは、あの方を捕まえることなど誰にも出来ません。それはもちろん、カーティス家も例外ではない」

「……」


 オズワルドも理解はしているのだろう。

 トーマスの真実を突いた言葉に、オズワルドは苦々しく口を閉ざした。


「はぁ……。何度こちらに参られようと、お話しできることなど御座いませんよ。私とエレオノーラ様は、唯の商人とお客様の関係に過ぎません。私の知ってる事など、無いに等しい」

「……私は、部隊を率いてこの国を出ます」

「はい?」


 急に変わった話の内容に、トーマスは怪訝そうに眉を顰めた。


「現在、旦那様より仰せつかっている最重要任務は、お嬢様の捜索。既に多くの部隊が各地に散り、その任に就いております。私の部隊も、これより……。けれど、捕まえる事は、恐らく不可能。それは旦那様も含め、重々承知しております。……いえ、例え捕まえる事が可能であっても、力による捕縛は旦那様も望まないでしょう」

「では、どうなさるおつもりで?」

「――可能ならば、説得を。無理であっても、唯、話をせよと。お嬢様の心の内を確かめよと」

「……アルバート様らしいお考えですね」


 半ば呆れ気味に、けれどどこか苦し気に、トーマスは眉を顰めて小さく笑った。


「ですから――、」

「分かりました。今後何か分かり次第、或いは、再びエレオノーラ様が私のもとを訪れた際、必ずや御報告致しましょう。ですから――、どうぞお引き取りを。今は話せることなど、何もないのですから」

「……」


 言葉を遮って話を始めるトーマスに、オズワルドは口を噤む。

 最後に微笑まれたトーマスの笑みからは、これ以上は何も語らないという拒絶の意が示されていた。


「……主に代わり、よろしくお願い申し上げます。では、私はこれにて」

「道中、お気を付けなさいませ。……どうか、無事に御帰還出来ます様」


 その言葉に、オズワルドは小さく会釈で返した後、踵を返してトーマスへと背を向ける。

 トーマスは遠ざかる彼の背を見送りながら、「本当に、無駄な事を為さる……」と小さく呟いた。

 けれど、アルバートの子を想うその純粋さが、トーマスには眩しくも感じられた。


「何故そこまで、子を愛せるのでしょう。……愛を、伝えることが出来るのでしょう」


 そこまで言葉を発したところで、トーマスは一度咳払い。

 我ながら恥ずかしい事を……。

 トーマスは羞恥心を押し殺しながら自身もまた踵を返し、テントの方へと向き直る。

 ふと空を見れば、先程よりも大分空は白んできていた。

地平線の向こうでは、恐らく太陽が顔を出している事だろう。

 薄暗い地面に僅かに浮き彫りになってきた自分の影を見つめながら、今日も朝が来たのだと、トーマスはしみじみと実感する。


「……!?」


 ――と、その時。

 影が、動いた。

 いや、正確には、……伸びた。

 その光景を見て一瞬動揺はしたものの、直ぐに事態を理解する。


 ……ああ、レオ様か。


 果たして、そう思ったのが先か、その人物が現れたのが先か。

 影から現れたのは、マントを着けた幼子と、女の子の様な美少年。

 幼子は、トーマスをその可愛らしい碧の瞳に捉えると、小首を傾げて口を開いた。

 

「おはよう、トーマス。――さて、死体はあるかな?」


 その幼子は、可愛らしい顔で、可愛らしい声で、およそ子供が発するものとは思えない言葉を口にする。

 けれどトーマスは、その状況に何ら疑問を感じる事もなく、平然とした態度で質問に答えた。


「おはようございます、レオ様。死体は、いつもの様に冷蔵室にて」


 トーマスは柔和な笑みを浮かべた後、幼子の後ろに立つ少年を僅かに流し見た。

 そして、苦笑する。

 自力で死体を調達することさえ出来ない、その臆病で優しい少年の事を想いながら。

 自分の手を離れても尚、未だ自分を頼って来る、その非力で甘ったれた少年の事を想いながら。


 ――ああ。自立は遠い。

 どうやら私は、まだこの荷から解放されていなかったらしい。

 全く、まだまだ手の掛かる子です。


 トーマスはやれやれと溜息を吐きながら、そんな苦々しい感想を思い抱く。

 けれどその胸の内は、……どこか、不思議と温かかった。




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