世界の評価。
仮面を付けた幼子が最初に目撃されたのは、超大国であるルドア国王都。
時間帯は、深夜。
第一目撃者は、その都市に住む一般市民の男だった。
けれど、酒癖の悪い事で有名だった彼が、『仮面を付けたガキに殺されかけた』といくら猛弁しようとも、その話を信じる者などいる筈もなく。
しかもその子供、『地面に溶けて消えた』というではないか。
そんな話、益々信じられる訳がない。
夢でも見たか、あるいは酔っ払いによる妄言だと、周囲は相手にしなかった。
しかしその日の夜、仮面の子供を見た人物は他にもいた。
場所は、王都郊外に広がる平原地帯。
第二目撃者は、一夜草の採取依頼を達成し、帰路に着いていた4人パーティーの冒険者達だった。
森を抜けて、平原を少し進んだところで、よく知った笑い声が彼らの耳に届く。
――ギャギャギャギャギャ!
ゴブリンである。
声の方角を見遣れば、……子供らしき人影がゴブリンに蹴り飛ばされるのを、遠目ながら確認できた。
天高く宙を舞う、小さな体。
彼らは反射的に向きを変え、子供のもとへと駆け出した。
敵もゴブリンが一匹だけだ。余裕である。
子供は地面へと落下していき、棍棒で吹っ飛ばされ、彼らとの距離が更に遠のいた。
……可哀想だが、あれはもう駄目だろう。
そう思いつつも、せめて仇は討ってやろうと、彼らは走るのを止めなかった。
けれどそれから数秒後。
彼らの脚は、……いや、彼らの身体は、恐怖で凍り付く事となる。
立ち上がる子供と、倒れ伏すゴブリン。
それから子供は、――笑った。
何が起こったのかなど、彼らに分かる筈もない。
分かる事と言えば、これは異常だという事のみ。
彼らの脚は自然と止まり、逃げろという生存本能が脳内を鳴らす。
けれど身体は、動かない。
狂気染みた楽し気な笑い声に釣られて、魔物が子供のもとへと集い出し、そして繰り広げられる――殺戮。
仮面の子供による、一方的な蹂躙劇。
耳からは子供の笑い声。
鼻からは噎せ返る程の血の香り。
目からは血肉飛び交う赤赤赤。
感覚器官から送られる情報は、どれも全てが悍ましく。
彼らは唯、その場で固まる事しか出来なかった。
唐突に破裂する魔物の体。
唐突に切り刻まれる魔物の体。
黒と赤の縄の様な物が縦横無尽に舞い踊り、触れたものを切断していく。
仕組みは不明。
分かる事は、異質で異常。唯、それだけ。
しかしそんな事よりも、血飛沫で金の髪を染めながら、それらを貪り始めるあの幼子。
血肉を浴びて、笑顔で死骸を喰らうその姿、正に狂気そのもの。
子供の姿を成した、狂気の体現者。
……あれは、何だ。
あの化け物は、何なのだ。
恐怖が、彼らの行動を支配する。
彼らはその場で立ち尽くし、事の一切を目に焼き付ける事を強制された。
漸く体が動き、地面にへたり込む事を許されたのは、子供が地面へと消えて暫く経ってからだった。
そして翌朝。
その出来事は、彼らによって報告を受けたギルドと、それを傍で聞いていた他の冒険者達によって、街中へと広まる事となる。
第一目撃者である男の話も、徐々に周囲は受け入れ始めた。
しかし、事態はそれだけでは収まらず。
それからそう日にちを置かずして、仮面の子供は度々平原へと現れた。
目撃情報は相次いで、正体不明の存在に、街の住人はもちろん、冒険者までもが恐怖する。
人の口に戸は立てられず。
人々は、王都を訪れた旅人にまで、噂を口々に囁いた。
『仮面を付けた子供の霊が、平原で魔物の血肉と戯れている。姿を見たら直ぐ逃げろ。夜中に外は出歩くな』
「――っていうのが、始まりだったらしい」
「へ、へぇ」
リヒトの話に、私は口元を引き攣らせながら相槌を打った。
今の話に一言感想を言うのであれば、「めっちゃ見られとるぅぅぅぅ」である。
「しかもその子供、ルドア国以外にも度々出現するようになってね。最初こそルドア国王都周辺にしか現れていなかったけれど、ガドニア国で一度姿が確認されたのを皮切りに、色んな場所で目撃されるようになったんだ。確か……、砂の国サシャマ、花の都フラントス、あとは……、そうそう、軍事国家バルダット帝国なんかでも目撃されたらしいよ?まぁ、それでもルドア国が一番多いけどね」
「そ、そうなんだ。夜中でも、結構みんな出歩いてるんだね」
「冒険者って野営する事も多いし、夜にしか達成出来ない依頼なんかも結構あるからね」
「ですよねー」
一つの所だけで魔物を狩るのも問題かと思って、時々適当な場所へ転移するようにしていたのだが、……これはこれで問題だな。
だって、一カ所に留まり続けると、噂を聞きつけた野次馬とかが現れるかもしれないじゃん?
間違って殺しちゃうかもしれないじゃん?というか、殺しちゃうじゃん?
流石に全ての場所で目撃されてた訳ではないだろうけど、子供の笑い声に魔物の群れとか、超目立つもんなぁ。
スキルで目のいい人とかもいるだろうし、寧ろ目撃されてて当たり前か。
……まぁ、見られていても、こればかりはやめられないけれど。
「とはいえ、数日じゃ移動できない場所に転々と現れるから、その目撃された子供全てが同一人物か否かはまだ分かっていないんだけどね。でも同じような子供が、各地にそう何人もいるとは考えづらい。そもそも人間なのかさえ不明だ」
「……ふふ。君としては、その子供の正体についてどう考えてる?唯の噂にしては、やけに詳しいよね?」
私でさえ知らなかった出現場所まで、リヒトは正確に把握していたのだ。
この件に関して、情報集めを積極的に行った証拠である。
私の問いに、リヒトは困った様に小さく笑んでから、酒を一口呷った。
「一応、これでも俺は勇者だからね。世界で起こってる不可解な出来事については、日頃から気を向けてはいるよ」
「へぇ、流石だね?魔王を倒さんとする勇者様は、世界の異変にも敏感でいらっしゃる」
「……」
少しの間、俯いて口を噤むリヒト。
私は周りの喧騒に耳を傾けながら、リヒトが再び口を開くまで、スーちゃんを撫でて時間を潰した。
「……仮面の子供の正体について、こんな噂が飛び交ってる」
「どんな?」
スーちゃんを5回ほど撫で回したところで、リヒトは重々しい口調で漸く言葉を発した。
「……魔族、なんじゃないかって」
「へぇ?……く、ふふふ!」
肩を震わせ、笑いを堪える。
どうやら私は、既に世界から人外認定されているらしい。
いやはや。魔族なんて生温い種族に態々当て嵌めてくれて、ありがとう?
実際は更にその上をいく化け物なんだけれど、予想を上回ってしまって、ごめんね?
「……レオ君が可笑しく思うのも仕方ないかな。少々、無理のある話ではあるから。魔物と魔族は近しい関係にある分、ほとんどの魔物は魔族に牙を向けることはないし、寧ろ従順だ。本能で己の立場を理解してるんだろうね。だからこそ、魔族は魔物を従僕こそすれ、そう易々と殺すことはしない。……けれど、仮面の子供は違った。魔物を積極的に虐殺し、また、魔物からも敵意を向けられている。そんな事、普通の魔族ならば有り得ない」
まぁ、そうでしょうね。
だって私、魔族じゃないですし。吸血鬼ですし。
低能な魔物の従僕化なんて、出来る訳ないですとも。
そもそも、吸血鬼は人間でも魔族でもない、全く異なる新種の生命体。
異性間での交わり無しに子供まで作れちゃうんだから、その異質さはお分かり頂ける事だろう。
「ふふ。普通の魔族なら、ねぇ?……その口振りからして、普通ではない魔族である可能性について、君は考えてるという事かな?」
私は膝上にいたスーちゃんを抱きしめて顎を乗せると、リヒトの瞳を上目遣いで直視した。
その問いに、リヒトは再び口を噤んで数秒の間を空けた後、緩く首を振る。
「……分からない。だからこそ俺は、人間の常識に少しでも当て嵌まる様な、有り得る可能性を考えた。仮面の子供の移動手段については、転移石や転移魔法によるものだと、無理矢理こじ付けようともした。……でも、考えれば考えるほど、それは有り得ないという結論にしか、……辿り着かなかった」
「そうなの?……まぁ、転移魔法云々はおいといて、少なくとも転移石は無いだろうね」
だってあれは、対になる石から石への場所までしか移動できない上、転移魔法が扱える者でなければ使用する事さえ出来ない、使い勝手の悪いものだ。
しかも転移石はかなり貴重だから、個人での使用は厳しく禁止され、その多くは国の管理によって設置場所が決められている。
つまり、そもそもが手に入れる事さえ困難な代物。
にも拘わらず、一個人があれだけの場所を行き来出来る程の石を所有し、且つ、誰にも発見されずにあの大きな石を各地に設置するだなんて、まず不可能。
それに、転移石は使用した際に強い光を帯びるらしいし、目撃者がいるなら直ぐに気付く。
よって、仮面の子供は転移石を用いていない。
というか。その子供、私だ。
「そうだね。……でもこの場合、無理矢理にでも転移石での移動手段を肯定した方が、まだ納得いったんだ。だって、……転移魔法の方がもっと有り得ない」
「それは、信じたくないって意味?」
リヒトは酒を一口飲み込むと、小さく吐息を零す。
そして、私の問いには答えずに、言葉を続けた。
「……現状、人間が扱える転移魔法で、あれだけの長距離を転移する事は、魔力的にも技術的にもまず不可能。そもそも転移魔法は、最高位魔法の更に上、神位魔法の域にある魔法だ。大賢者様のように、まともに扱える者自体、極々僅か。俺も少しは使えるけど、敵の背後に転移して回り込むぐらいの事しか出来ないよ。魔導の極致に至った大賢者様でさえ、転移可能な範囲はこの都市内で精一杯と聞く」
「ふふ、なるほどね?確かに、大賢者でさえ無理な事を、人間の子供如きが出来る訳がない。それが出来たら、……化け物だよね?少なくとも、人間じゃない。……けれど、恐らくはそれが真実だ。だからこそ、君はその子供を追っているんだろう?」
「……!!」
リヒトは目を見開いて、スーちゃんに顎を乗せたまま小首を傾げる私を凝視した。
「ん?そんなに驚く事かな?唯の噂にも拘わらず、それだけ詳しい情報を知っているんだ。積極的に調べたであろう事は、誰から見ても分かるものだと思うけど」
「……本当、唯の子供と喋ってる気がしない」
「おや。唯の子供じゃないんだろう?私は。……君が言った事じゃないか」
スーちゃんに顔をぐりぐり擦り付けながら、会話を続ける。
いやー、このプニプニ感が堪らんとですよ。
「そう、だったね」
「それで?リヒトは何故、その子供を追っているのかな?」
私は少しだけスーちゃんから顔を離すと、漸くリヒトに向き直る。
リヒトのその濃紺の瞳に、僅かな陰が落ちるのを見た。
「……正体を、確かめる為に。魔族か否か。それとも、もっと別の何かなのか」
「確かめてどうするの?」
「見極める。人間の脅威と成り得る存在かどうかを」
「人間の敵か味方か、って基準じゃないんだね?」
「……少なくとも、その子供は人間じゃない。例え今は味方となってくれていても、いつ敵になるとも限らない」
「ふふ。……では聞こうか。その子供が魔族だった時。或いは、脅威の存在であった時。君はその子供を、どうするつもりなのかな?」
小首を傾げ、私はリヒトへと優しく微笑んで問いかけた。
リヒトは躊躇するかの様に俯いて、少しの間口を噤む。
そして、再び私へと視線を向けた時、彼の瞳に宿る感情は、――憎悪、悲哀、殺意。
それから、何かを想う、強い決意と使命感。
不覚にも、私はその濃紺の瞳に見入ってしまった。
リヒトは答える。
その多くの感情を抑え込んだような声色で。低く、重い声色で。
およそ幼子に向けられるものではない残虐な言葉を、口にした。
「……殺す」
背筋に電流でも流れたのではないかと錯覚する程に、私の体は身震いした。
思わず見開いた瞳は、リヒトを捉えて離さない。
それから数秒見つめ合い、自身の呼吸が止まっていたことに漸く気付いた頃。
私は、――歪みきった満面の笑みを湛えていた。
「へえ?ふふふ!!……リヒト。どうやら私も、君の事を誤解していたようだ。正義感に溢れた、お優しいだけの愚者だと思っていたよ」
「はは、酷い評価だね……」
「だからこそ、謝罪を。すまなかったね。勘違いはお互い様という訳だ。……改めて、君は勇者なのだと思い知ったよ。勇者とは、人間の絶対的な味方であり、人間の平穏を守る者。人間の為だけに存在し、善良を尽くす。……いやはや、素晴らしい。それでこそ勇者。正しく人間の希望だ。人間だけの希望だ。これからもどうか、人間だけを守り続け、人々に平和を齎してくれ。君と出会えて、本当に良かったよ。私は最高に、……運が良い」
私は変わらずの笑みを湛えながら、本当に嬉しそうに賛美の言葉を贈った。
「……そんな大層なものでもないよ。俺は、魔を憎んではいるけれど、人間もまた憎んでいるから。汚い人間なんて、掃いて捨てる程いるからね。……でも、それでも、俺は人間を守りたいと思う。どんな悪人でも、目の前で死にかけていたならば、俺はきっと助けるんだろう。善悪が入り混じり、弱くても強くあろうとする、優しくて愚かな人間達。そんな、どっちつかずで、曖昧で、複雑な彼らが、……俺は愛おしいと思う。だから俺は、守りたい。ヒト族も、亜人も、獣人も、エルフも、小人族も、多くの人間を守りたい。彼らを滅ぼそうとする者がいるのなら、俺がその者を滅ぼそう。……だって、俺は勇者だから。みんなが笑い合う、平和な世界を。もう誰も傷付かなくていい、安全な世界を。俺は、作りたいんだ。その為ならば、……俺は、弱者を虐げる醜い強者を、悪を、いくらでも殺してみせるよ」
「ふふ、く、ふふふふふ!!あははははは!!!」
いやはや、全く。
この世には善も悪もないのだね。
魔族が滅びたら、お次は人間同士での殺し合いが始まるだけだというのに。
その時、この勇者は一体、誰の味方になるのだろうね?
「――くく、ふふふ!!!君という人間は、本当に愚かで素晴らしいね!!お綺麗なだけではない君のその人間味に、私は感動さえしているよ」
「愚かな、っていう評価は消えないんだね?」
「人間は皆愚かだよ?そして君も、その愚かな人間の1人だろう?……ふふふ。リヒトがその子供と出会い、どういう判断を下すのか、私は楽しみで仕方がない。……ああ。どうか、死なないでくれよ?私は君が気に入ったんだ。だからこそ私は、リヒトの無事を心から願う」
仮面の子供に、――私に出会うその時まで。
どうか、生きて、生きて、そして願わくば、――。
……ああもう、本当に。
人間に脅威と成り得るというだけで私は殺されねばならないのか。
それは、何とも横暴だ。
ならば、ならば、私はそれに抵抗せざるを得ないよね?
本当は殺し合いなんてしたくないけれど、仕方ないよね?
正当防衛の名の下に、私も精一杯無駄な足掻きをさせてもらおう。
だから、どうか、願わくば。
――殺し合いをしようじゃぁないか。
「く、ふふふ……」
俯いてスーちゃんを優しく撫でながら、私は小さく、笑いを零した。




